考古学・人類学者。1870年〜1954年(明治3〜昭和29)。徳島生まれ。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの38巻目『オホーツク街道』に簡単な紹介がある。
鳥居龍蔵は白鳥庫吉とともに日本における人類学・考古学の黎明期を背負った巨人である。
無学歴であった。徳島市船場町うまれで、明治九年(一八七六)、六歳で小学校に入り、七歳で中退した。以後、中学までの課程を独学し、のちに英語、フランス語を自力で獲得した。
当時、東大の人類学の教授は坪井正五郎(一八六三〜一九一三)であった。
坪井は明治一七年(一八八四)、まだ学生のときに有志とともに人類学会を設立し、人類学の雑誌を発行した。明治二十二年(一八八九)英国留学をし、帰国後、教授として人類学教室を主宰した。
それより前、坪井は徳島市にきたとき、十六歳の鳥居少年と出会い、この少年の学問的情熱に感動して、ジョリーの『金属器以前の人々』(Man before Metals)を貸しあたえた。
さらにこの少年を人類学会に入れたのである。
その後、坪井正五郎は留学から帰ってきて教授になると、鳥居龍蔵を雇(やとい)として採用し、標本整理係にした。
中薗英助『鳥居龍蔵伝―アジアを走破した人類学者』(岩波書店)は第22回(1995年)大佛次郎賞を受賞した。(2005年9月に岩波現代文庫に入る。)