車借の二大拠点といえば、鳥羽と白河である。細かく見ていけば、小規模な車借拠点は各地にあるのだが、ここまで大規模なのはこの2か所だけだ。鳥羽と白河において、なぜここまで車借が発展したのだろうか? そもそも効率的には、馬の背に乗せて物を運ぶよりも、車を使った方がいいに決まっている。馬の背に乗せる場合、運べる荷は1頭につきせいぜい米2俵だが、牛車を使えば米を8俵乗せられるのだ。にも関わらず小荷駄を使わざるを得なかったのは、日本は坂道が多かったからなのだが、好都合なことに鳥羽と白河から洛中へと至る両ルートは、平坦な道が続いていたのである。 そして何よりも「車借」にできて「馬借」にできないことがあった。…