御所です。堺町御門。幕末、禁門の変時には、ここでも地獄絵図が展開したであろう場所のひとつです 文久三年(1863)、八一八の政変にて長州藩は京を追われました。失地回復に努めるべく、京の都を駆けまわっていた長州藩士たちでしたが、翌年6月、まさにその文久三年に編成された新撰組の手に掛かります。 池田屋事件。 元治元年(1864)、池田屋で同志が多数殺害された長州藩は沸騰します。 暴発長州軍の事実上の謀将、過激攘夷派で元久留米の神官、真木和泉、そして激烈急進派の「来島のじいさん」来島又兵衛。男山八幡宮における軍議にて、「松門の双璧」久坂玄瑞は必死に暴発を止めます。 長州追討令の朝命が出て戦闘すれば、…