元禄14年8月27日。七ツ寺で入仏供養が行われる。江原権平次は供養を見物に出かけた。僕が少し遅れて門から入ろうとしたが、押の者は入れてくれなかった。僕は供であると説明するが聞き入れられず、さらには杖で叩かれ叱られた。僕が怒って供をしてきた先でこのように恥をかかされては死んだも同然と言い放った。そして押の者を打ちつけたのでほかの押の者が集まってきた。権平次も僕のところへやって来てなだめた。五十人目付が供をつけて帰らせた。押の者は当分普段通り。僕は権平次頭の取り計らいで外へは出さず、番を付けた。11月には片が付き、押の者は暇を出され、僕は追放となる。権平次から境川までは人を付けた。