元禄16年10月25日。辰(午前7時)過ぎから文左衛門は源兵と地蔵池へ漁に出かける。鮠をたくさん獲れ、とても楽しかった。少し前、江戸でいずれの日の未(午後1時)に老中稲葉丹後守が公の屋敷へやって来るが、老退出後で用人1人がいるだけで慌てふためいた。津守(松平義行)様が漸く入られ、公も奥向きから遅くに御出でになる。これははなはだ具合の悪いことと。隼人正が亡くなった後は津侯・雲侯(松平義昌)が御用に立ち合い、話を聞かれるようにとのこと。これは上意ではなく、下意(下々の考え)があったのでと丹後守は話していく。近頃、木曽山の材木泥棒41人を捕まえ、牢に入れる。