材木とは、材(材料)に使われる目的の木であり、伐採され、板材になる前の段階のものである。
※材木と木材は異なる。 木材とは、木で出来た材(材料)であり、板材などといった、家具などの製品になる前の段階である。
原木→材木→木材→…→商品
というイメージである。 ※ただし人により解釈はわかれると思われる。
こんにちは! 暮らしの「ちょっと困った」を解決、柴山金物店です。 建築や土木の現場でよく見かける、しっかりとした太めの木材。大工さんや職人さんが型枠を組み立てたり、土木工事の現場で資材を固定したりする際に当然のように使っている姿を目にしたことはありませんか?その木材の名前は「大貫(おおぬき)」といいます。 「大貫」という言葉を初めて聞いた方にとっては、ちょっと馴染みがないかもしれません。桟木や角材と形が似ているため、初めて見た人の中には「どれも似たような木材に見えるし、使い道も同じなんじゃないの?」と思ってしまう方もいるでしょう。 しかし大貫は建築や土木工事においてとても重要な役割を持っていま…
こんにちは! 暮らしの「ちょっと困った」を解決、柴山金物店です。 建築現場でよく見かける、あの細長い木材。大工さんが肩に担いだり片手でひょいっと持ち上げてトントンと釘を打ち込んでいる姿、見たことありませんか? 実はあれ「桟木(さんぎ)」という名前があるんです。 DIYや日曜大工をしている方の中には、角材や垂木、胴縁など似た形の木材と見分けがつかず「見た目ほぼ同じだし、どれも同じでしょ?」と思ってしまう方も多いはず。 でも桟木は見た目こそシンプルでも、実は現場ではとても頼りになる存在。強度を補強したり施工の精度を整えたり、時には仕上げ材の下地になったりと陰でしっかり仕事をしてくれます。取り付け方…
正徳5年4月24日。尾張殿の領分木曽山から伐り出した諸材木について洪水の場合、川筋においては前々の通り悪事を働かないよう宝永5年に御老中から申し渡している。木曽川の川筋においては山元から勢州長嶋領・桑名領・堺川通の村々へその際に御勘定奉行が触書を指し遣わしたが、長嶋・桑名・四日市の海辺へ流れ出した時は悪事を働いたと聞き及んでいるので、今後はこの海辺の者は材木が流れ寄せた時は、山元の役人へ届け出た分の材木は持ち主に返すように。このことを今回も御老中が言いつけられたので守るように。この上悪事を働いた者があれば調べの上、不正とみなす。この廻状は触留(最後の者)から辻六郎左衛門に返すように。未3月15…
正徳4年8月8日。上ケ松からきた状には、8日の夜は暴風雨・洪水だったと。家を多く押し流した。西の山の中に杣小屋2軒があった。1軒の者どもは速やかに高みへ上がり、無事であった。もう1間の小屋の者たちは、中々水が襲ってこないが襲ってくればすぐに逃げ出せるようにと草履などを履いていた。しかし、急に山崩れがおき、9人枕を並べて死んでしまった。その内の1人は煙管をくわえて死んだと。錦織では2升の水となった。先年の黒部の洪水からなかったことと云々。家が多く流された。材木4、50万余りが流出したと。
正徳2年6月27日。文左衛門は堀川の木を3両1分で110束ずつ買い求める。車賃は743文かかる。
youtu.be 八幡大神社 〒369-1911 埼玉県秩父市荒川贄川685人知れずご神木がたたずむその聖域は鬼の検査役の男が建てた神社でした
正徳1年9月7日。この日で勘大夫が承った松の木を引く作業が終わる。大きいもので細い方の切り口が7、8、9寸(1寸は約3センチ)、長さは3、4間(1間は約1,8メートル)ある。小さいもので長さが2間と少し、切り口が5、6寸であった。
宝永4年2月1日。酉半(午後6時)、白壁町角の久松弥一右衛門の奥から火が出る。ちょうど乾(北西)の風が強く吹いており、すぐに成田紋太夫のところへ燃え移る。風は段々とおさまる。成田紋太夫のところでは土蔵に至るまで残らず焼失する。佐々木岡右衛門の長屋、小藤善助のところも残らず焼失する。そこから磯松与右衛門のところへ燃え移り、残らず焼失する。海部伝右衛門の長屋、門・塀なども焼失する。成田長左衛門の勝手東の方も少し焼け、引き崩す。東の塀・門・長屋など残らず焼失する。野呂瀬又右衛門・中嶋宅右衛門・平井六之右衛門のところでは塀覆いを全て引き崩す。丸山伝之助のところでは雪隠・薪部屋・塀覆いを全て引き崩す。亥…
Lumber. ランバー
元禄16年10月25日。辰(午前7時)過ぎから文左衛門は源兵と地蔵池へ漁に出かける。鮠をたくさん獲れ、とても楽しかった。少し前、江戸でいずれの日の未(午後1時)に老中稲葉丹後守が公の屋敷へやって来るが、老退出後で用人1人がいるだけで慌てふためいた。津守(松平義行)様が漸く入られ、公も奥向きから遅くに御出でになる。これははなはだ具合の悪いことと。隼人正が亡くなった後は津侯・雲侯(松平義昌)が御用に立ち合い、話を聞かれるようにとのこと。これは上意ではなく、下意(下々の考え)があったのでと丹後守は話していく。近頃、木曽山の材木泥棒41人を捕まえ、牢に入れる。