宝永5年11月3日。勘定本締取田次郎左衛門は中村又蔵組馬廻となり、その上御叱りをうける。翌4日に江戸を発ち、11日に名古屋に到着し、逼塞する。次郎左衛門は役人たちに辛くあたり、下の者が迷惑するようなことを度々行った。皆が怒っており、小さな子でさえ罵り、不快に思っていたと。遠藤権内も次郎左衛門と争いになり、怒って役儀のことを願い出た。振廻(振舞)はダメだと言いながら、贈物や賄賂を様々なところから得ていた。その上、役儀の威を借りて裏で手を回したりしていた。自分のところには金のかかる妾を多く並べていた。妻も妾から迎え、衣服なども空恐ろしいほど贅沢であった。小僧に刀を持たせて玄関から出入りし、夜は浄瑠…