宝永7年11月8日。少し前、岩屋伴右衛門を養子にすると、出雲守様(松平義昌)衆米沢久右衛門が4月23日に暇を願い出るが、願いは叶わなかった。平右衛門は必要ないと仰せ付けられた上に、跡目が必要ならば、惣領の弥七を外へ出すべきではないのに、弥七を外に出し、縁遠い親類を跡目にするのは良くないことであると云々。本多伊右衛門の養子は昨年御目見を願うが叶わなかった。年寄衆が言うには、養子にすることは誰であろうと問題がない。御目見を仰せ付けられれば、知行取は家督も継ぐことになるのでまかりならないと。