正徳2年8月14日。近頃、板取山のことでは百姓の言い分に理があるように飛騨守などは思われたと云々。例年山の薪を刈った後に蕎麦を蒔いていた。しかし山留(立ち入り禁止)のため蕎麦を蒔けなかったので飢えに及ぶと云々。食料代として金30両を横地仁兵衛が板取へ持って行く。