正徳3年10月22日。小頭寄りの廻文により、未(午後1時)過ぎに御頭のところへ出向く。殿様は不例(病気)で養生されていたが、去る18日に逝去されたことが江戸より申してきたことがたった今修理殿より伝えられた。今日中に集まり次第目立たぬようにこの御悔に修理殿へ出向くようにと云々。月番靭負殿へは驚いて御直参衆多くが出向いた。御馬廻等は見当たらなかった。御屋形では隼人正が殿様が早世されたので御家中の輩は身分にかかわらず騒ぎ立てないようにと云々。口上で出向いた輩衆に申し渡され、書付も出る。文左衛門などへもこの書付が頭から23日に廻ってきた。御屋形において寄合18人に靭負殿から城下廻りを言い渡された。広井…