正徳3年6月2日。後任の僧である大森寺の弟子白雄は上座(じょうざ)として小石川伝通院に入っていた。この春から所化(修行中の僧)の座席(地位など)について訴訟があり、伝通院方丈(住職)と1200、1300の所化が激しく争い、ことのほか話がこじれてしまう。所化の中の首謀者2、3人を追放すれば、残りの者は収まるだろうと方丈からの願いで上座3人は江戸十里(1里は約4キロ)四方追放を仰せ付けられる。この内の1人は白雄であった。先頃、井田源介の子清六が煩い、江戸から名古屋へ戻った。近頃、川並足軽頭跡部三大夫が乱心する。病気のため名古屋の屋敷に戻っていた。後に願いにより役目を解かれる。本当は乱心ではなかった…