正徳4年11月15日。内藤喜左衛門が江戸を発つ。五十人目付藤田弾右衛門が11石3人扶持、小普請となる。その上でしばらく遠慮・引込となる。これは瑞祥院様(徳川吉通正室)が名古屋へ戻られる際、上松で土岐甚右衛門・大橋勘左衛門が泊番であったところ、檀右衛門が言ったのは夜詰を終わったので帰るようにと云々。2人は帰ってしまう。泊番がいなかったとのことで、翌朝土岐には青山権左、大橋へは彦坂平太が尋ねたところ弾右衛門に言われたので帰ったと云々。このための遠慮・引込であった。土岐・大橋へもこの日御用人衆から御叱りではなく、念を入れるようにと云々。