正月休み明けくらいからか、決断の主体の更に奥からシグナルを送っている恐ろしい存在に気づき始めている。決断の主体にエゴを強制的に選ばせている元締め中の元締め、やくざの大親分、小林幸子的に言えば、最後に出てくる大ボス、〝ラスボス〟ついに現わる、といったところか。 投影されたものを明け渡すだけでなく、まずは決断の主体へと戻り、投影される前の元ネタのうちから赦す、ということを続けているうちに、ある疑問が生じた。 聖霊兄貴を選び直しても、選び直しても、自動機械のように〝決断の主体〟が、混沌の法則を実行しようとするのはなぜなんだろう。「長い間エゴを選ぶことに慣れてきたから」と、アンフィニやのり講義などでは…