ジウォンさん、こんなに近くにいたなんて。 もし見かけたら正気を失うところだったので、この写真を拝ませてもらっただけで十二分に幸せです。 ある存在者が「自己」であると言えるためには、自分自身について物語る能力を持つ存在である必要がある、という考え方を「物語的自己論」といい、ハイデガーは『存在と時間』の中でこの立場を取っていると思われる。 たとえば、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』においては、二人の登場人物「瀧」と「三葉」の「人格の入れ替わり」がストーリーの鍵を担っている。 観客である私たちは、そこで二人が「入れ替わっている」ことを自然に理解できる。通常はそれぞれの固有の身体と結びついているは…