昔、能楽の見巧者がおっしゃってた。(野上豊一郎だった記憶があるけれども、戸川秋骨だったかも。なにせ五十年前のことゆえ、今どこに埋っているものか、本を捜し当てられない。とにかく世間から権威と目されていた偉い先生だった。) どうおっしゃってたかというと――自分は六十歳以前は、好きな能と嫌いな能という基準で批評していた。六十歳ころから、巧いなあと感嘆する舞台に出逢うようになり、巧拙を基準に批評するようになった。七十歳になんなんとする近頃になって、正しい能と邪(よこしま)な能とを識別するようになった、と。 読んだ私は、当時二十歳。興味深いと思い、またいかにもありそうだとも思ったものの、また一面では、左…