『日本軍の治安戦』


  ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す


本書は歌人宮柊二の上に引用した歌の紹介からはじまっている。自らも歌集を出しておられる笠原氏らしい導入だが、宮柊二は独立混成第三旅団に所属して、山西省で「治安戦」を戦っていたのである。その治安戦のなかで展開されたのが「燼滅掃討作戦」や「無人区(無住地帯)」、いわゆる三光作戦である。
華北での日本軍の戦闘ないし三光作戦については、さほど多くはないもののすでにいくつかの文献がある。本書の特徴は日本軍上層部の視点、前線の将兵の視点、そして中国側の視点、と多角的に「治安戦」の実相を記述している点であろう。第5章では3つの地域について日本側の記憶と中国側の記憶をつきあわせる作業がなされている。もう一つ、日中戦争全体(あるいはアジア・太平洋戦争全体)の流れの中に華北の「治安戦」を位置づけつつ記述されているので、日中戦争そのものへの理解を深めてもくれるのではないか。
また、エピローグでは戦後における「漢奸」すなわち対日協力者たちの運命がとりあげられている。なるほど、「治安戦」の遂行にあたっては少なくない中国人に協力を強いる必要があったわけで、これもまた「治安戦」を記述するうえで欠かせないことであると言えよう。


華北の治安戦について考えることはもちろん旧日本軍の戦争犯罪について考えることでもあるが、それには留まらない現代的な意義もある。「あとがき」で笠原氏は「治安戦は過去のことではなく、現代の戦争でもある」「「日本軍の治安戦」とアメリカのベトナム戦争イラク戦争、アフガン戦争は類似する点が多く、その意味で「日本軍の治安戦」は、現代の戦争の原点となっているともいえる」としている。この観点から言えば、戦後の戦犯裁判において(共産中国が行なった、国際的にはほとんど影響力を持たなかった裁判をのぞけば)華北での「治安戦」の過程における戦争犯罪が事実上取り上げられなかったことの意味は極めて大きいと思われる。もし「燼滅掃討作戦」や「無住地帯」の設定の犯罪性、およびそれに伴って発生した戦争犯罪を連合国側が追求していたとしたら、ヴェトナム戦争における「戦略村」計画はどうなっていただろうか? アルジェリア戦争や(旧ソ連の)アフガニスタン戦争の様相はどうなっていただろうか? これらの戦争に対する国際世論の反応は違っていただろうか?