遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

沖縄返還40年: 沖縄のことを考えると、祝! とは言えないかも

1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還 されてから今日で丸40年を迎えます。アメリカ統治下の 琉球政府 から沖縄県として日本政府の統治に変わったものの、うちなーんちゅはハッピーなんだろうか?


    日本復帰40周年記念特別展・映写会を開催します。

    沖縄返還 1972年5月9日〜16日 動画ファイル 無声/カラー/21分8秒

    沖縄県の年表 - Wikipedia

  • 本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること


    以前にも紹介した書籍、他書籍の紹介や参考サイトのリンクまで紹介されている入門書・手引書の性格もありますが、近年に無い傑作です。結論ありきの取材に基づく左傾の書籍ではない。単に基地問題の考察にとどまらず、その経緯を徹底的に掘り下げることから日本の権力構造、法体系の問題まで浮き彫りにしています。日本が独立国家だなんて無邪気に信じ込んでいるなら必ず読んでおくべき書籍。


沖縄と云えば、本土が米軍基地の大半を押し付けて知らん顔、のイメージが強いし、実際その通りでしょう。最近の基地関連ニュースとしては;


After Years of Protest, Some Marines Will Leave Base on Japanese Island of Okinawa
  AlterNet, Posted at April 27, 2012, 1:18 pm


沖縄海兵隊9000人を国外移転、日米両政府が共同文書発表
  ロイター 4月27日(金)18時42分配信

   日米共同文書の全文
    2012年4月27日、中国新聞

  <日米共同文書>金額明記で攻防 米が恫喝まがい、一転譲歩
    毎日新聞 4月27日(金)23時9分配信

    −−−4月15日、来日したキャンベル米国務次官補はその足で外務省の伊原純一北米局長、防衛省の西正典防衛政策局長と会談。「日米首脳会談があるが、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、牛肉(輸入規制緩和)、ハーグ条約、何も成果がない。もう米軍再編しかないだろ。分かっているのか」とまくし立て、金額の明記を求めた。 / キャンベル氏は、翌16日には北沢俊美元防衛相とも会い、「金額は絶対に入れるべきだ。これでは日米首脳会談は成功しない」と野田佳彦首相の29日からの訪米に絡めて対応を要求。さらに政府高官には「金額が入らない共同文書はあり得ない」と迫った。「恫喝(どうかつ)ですよ」と防衛省幹部は振り返る。 (以下略、引用終わり)

     しかしながら、馬鹿なアメリカ人を育て増長させたのは、他ならぬ日本政府とそれを操って来たエリート官僚ですよ。独立国なら当然すべきマトモな 『交渉』 なんてしたことが無いでしょう。 「米政府を激怒させた」 、 「日系xx(クソ)議員がxxxと言っている」 なんて報道を見ていると恥ずかしくなります。おおせごもっとも、の40年。今まで何でも通してくれ、まさかの全交渉満額獲得だったからこそ、あせっているのでしょう。薄っぺらいアングロサクソンの 『交渉術』 の恰好のエジキ。その 「思い遣り」 の何分の一でもよいから沖縄に向けていれば、40周年、50周年はもっと楽しくて実りのあるものになっている筈ですがね。


沖縄返還40年:戦闘機墜落事故など再現の映画を製作
  毎日新聞 2012年04月10日 10時33分(最終更新 04月10日 11時40分)

  −−−7月中旬には沖縄ロケを開始し、来年1月に東京や沖縄で公開する予定。 (記事終わり、引用終わり)



本来おめでたい記念日の筈なのに特に華やかなイベントが企画されていないことが、40周年の意味をよく表しています。ほぼ絶望的ではありますが、北方領土が 「返還」 されても同じでしょう。今日は、無知を馬鹿で糊塗するようなコメントが多く出されるでしょうね。例えば;


 「日本の沖縄」欠落した視点…置き去りにされた国防の島
   産経新聞 4月23日(月)19時8分配信


   −−−沖縄の本土復帰40年。ある革新系の地方議員は、「日本政府は沖縄のことを知らな過ぎる上、自立した国家観がないから、戦争被害者と米軍基地というカードを切られると、すぐに沖縄を聖域化して何も言えなくなってしまう。それが、沖縄の被害者意識を助長しているということに気づいていない」と一刀両断にしたあと、返す刀で、沖縄側にもこう注文をつけた。 / 「沖縄自身も、そろそろ、自ら、戦争や基地に対する被害者意識の呪縛を解き放すべきだ。被害者意識からは何も生まれない。真の復帰は被害者意識を取り除くことから始まる」−と。(那覇支局長 宮本雅史) (ヨタ作文終わり、引用終わり)


自立した国家観が無いのは対米従属の産物であり、米軍基地はその象徴。喜んでケツを差し出し続けるこの右翼アホメディアも 『ある革新系の地方議員』 も長年政権に居座った某政党も外務官僚も、旧いコトバで表せば皆 『国賊』 では? 天下国家の名の下、自分らの利益しか考えていないだろう。飲み屋でウダをあげる酔っ払いとさして変わらない、情けない。


沖縄および本土が沖縄の被害者意識を助長している、と言うなら、まずテメエら自身家族ともども例えば普天間の滑走路のすぐそばで暮して見ろ、と言いたいですね。この玉ナシどもはどうせ出来ない理由を並べ立てて逃げるだけ。そんなことを口走っただけで家族からは愛想を尽かされるだろうし。言い方を変えましょうか、 「国家のため」 なら沖縄ではなく率先して自分の家族を犠牲に出来ますか? たま〜に落っこちるヒコーキやヘリの心地よい轟音と震動を愛せますか? 自分のムスメ (相手の好みによっては息子でも可) を、ヤりたくて仕方のない可哀想な異国の兵隊さんに差し出せますか? 沖縄が何の被害も受けていないと言うなら、身を以って示してみろよ。お偉くて何をやってるか知らないが忙しい政治屋や木端役人にはそれが難しいってなら、ブンヤがやれよ。サラリーマンに転勤はつきものだろ? 出世の近道だろうし。


沖縄の真の復帰は、なんて言い方自体をこがましい。琉球あるいは沖縄を真に日本に取り戻すことは、何より沖縄の問題を自分たちの問題として捉えることからしか始まらない。 『被害者にも非がある』 なんて加害者お得意の詭弁。強姦されるのはスキがあるから、泥棒に入られるのは戸締りをしていないから、犯罪に遭うのは正しく生きていないから −−− どこまでうちなーんちゅを馬鹿にするのか??? 現実を見ずしてヨタを飛ばすなよ、私的なブログじゃぁあるまいし。



辺戸岬にある 『祖国復帰闘争碑』 の碑文を以下掲載して、知らん顔をし続けたこの40年を総括しましょうか;


  
    出典


以下、改行や字下げは 碑文写真 を参照しています。誤字脱字などあったらご勘弁;

全国のそして全世界の友人へ贈る。


吹き渡る風の音に  耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ


  “鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は
  米軍占領に引き続き 一九五二年四月二八日
  サンフランシスコ「平和」条約第三条により
  屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた


米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた
われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬された


  しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ
  全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた


見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二七度線を断つ小舟は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ


  今踏まえている 土こそ
  辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ


一九七二年五月一五日 沖縄の祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された


  しかるが故に この碑は
  喜びを表明するためにあるのでもなく
  ましてや勝利を記念するためにあるのでもない


闘いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確め合い決意を新たにし合うためにこそあり


  人類が永遠に生存し
  生きとし生けるものが 自然の攝理の下に
  生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある


復帰40年 原点見つめ 「闘争を語る会」辺戸岬で座談会<
  2012年4月17日、琉球新報


そんなことが無いことを祈りますが、これでもわからない輩のために以下、上掲書籍中の 【23.小指の痛みを、全身の痛みと感じてほしいのです】 にも紹介されているドイツの神学者 マルティン・ニーメラー の詩 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき を紹介しておきます;

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。


社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。


彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。


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彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。
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そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


50周年は楽しく盛大に祝いたいものです。