あしたのジョーの方程式 島本和彦 ササキバラゴウ

内容(「BOOK」データベースより)
あしたのジョーとは力石だった!?ジョーが勝てなかった3人の敵。間違っているのはどっちの「あした」だ!?我々はホセの時代を生きている。平和に健康に暮らそうよ。そうだったのか!炎の漫画家・島本が読み解く、名作漫画の隠された法則。

日本一情熱が感じられるあしたのジョーの分析本。これはすごい。島本和彦の、あしたのジョーへの思い入れが十二分に伝わってくる。

ジョーはどういう対戦相手には勝つことが出来て、どういう対戦相手には負けてしまうのか。なぜジョーは力石には勝てない(構造)なのか、力石とは一体なんだったのか、マンモス西とは何だったのか。読み応えがあって良かった。基本的に島本語りを堪能できるだけでも嬉しい人間なのでそういう贔屓目はありますけども、愛情を持って熱心に細かく細かく語っているところにも大いに好感を持つところであります。

終盤で語られる、ジョー・少年院的価値観とホセ的価値観の違いという指摘も面白かった。少年院的価値観を志向したジョーは、同じく少年院的価値観を持ち先に進んでいる力石に向かっていったけれど、それは「ボクシングのチャンピオンになりなかった」からではないという。ジョーにとってのあしたとは何だったのか。これこそがあしたのジョーのキーポイントであり本書の核たる部分でもあるので詳しくは書かないけど、非常にしっくりくる結論であり納得がいくものだった。

我々はあしたのジョーの生き方に憧れつつも、現実的にはマンモス西やホセのような、家族を持ち、平和に生きていくことをより望んでいる。これはいいことなのか悪いことなのか。社会的に言えば別に悪いことではないんだけども、じゃあなぜジョーに憧れる部分が多々あるのか。『あしたのジョー』は、カタギの人間を思いっきり揺さぶる物語であるなあ。B+

〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター ササキバラゴウ

内容(「BOOK」データベースより)
まんが・アニメに溢れる美少女像はいつ生まれてどう変化したのか?「萌え」行動の起源とは?七〇年代末から今日までの歴史を辿る。

アニメ・マンガにおける美少女のルーツからその変遷を辿る1冊。全体を俯瞰するにはなかなかバランスがいいかなと。
富野・宮崎監督がそれぞれ描いてきたものの違いの指摘がなるほどと思った。「戦えなく(あるいは戦わなくなった、戦いたくない)なった男性」を富野監督はとことん描き、宮崎監督は「戦う女性」をとことん描いている、というもの。富野監督はほぼ一貫して男性を主人公に据えてその生き方や成長を描き、宮崎監督は女性を主人公に据えて戦わせたり冒険させたりする。そのとき、男性キャラは基本的にサブ的な立ち位置である。
昨今のアニメでも、女性が主役のアニメは非常に多く、男性のメインキャラクターは『涼宮ハルヒの憂鬱』における「キョン」のような「巻き込まれ型」タイプが目立つ。その原理とは一体どういうものだったのか、などの考察があり面白く読めた。B