私の男

私の男

私の男

傑作である。今年刊行された小説の中でトップクラスの出来栄えと申し上げても過言ではなく、おそらくは著者の作品の中で完成度も最も高い。だが、この作家の最高傑作と言うには躊躇いが残る。
桜庭一樹は『赤×ピンク』(ファミ通文庫)以降、ほぼ一貫して現代、あるいは現代や未来を含む〈時代〉という得体の知れない存在と格闘する作家だった。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(富士見ミステリー文庫)然り、『少女には向かない職業』(東京創元社)然り、『ブルースカイ』(ハヤカワ文庫JA)然り、『赤朽葉家の伝説』(東京創元社)然り。『青年のための読書クラブ』(新潮社)にもその片鱗は残されている。殊に『赤朽葉家の伝説』の第三部は、この作家が〈現代〉と格闘しようとしているからこそ書かれねばならなかったパートではなかったか。世評において『赤朽葉家の伝説』の第三部は、第一部や第二部と比べ面白さが一段劣るとされているようだが、桜庭一樹の真の特異性を示していたのは実は第三部ではなかったか、と思う。語るべき物語をなにひとつ持たない第三部の主人公は、語るべき物語が無いからこそ第一部と第二部の物語を辿り直し、やがて終結部において自らの語るべき物語を見出そうとする。そこに、現代の空気を的確に切り取り、ささやかな突破口を示そうとする、他の作家には真似のできない独自性が確実に現れていた。そして、『私の男』には、その〈時代〉との格闘が見られない。
赤朽葉家の伝説』がシュヴァルの理想宮のように奔放な小説なら、『私の男』は八畳間を圧倒的に濃密な空間にしてみせた小説だと思う。どちらが優れているとは一概に言えないが、個人的には、完成度を高めるのは他の作家に任せておいて、天才にはやはり理想宮に挑み格闘し続けてもらいたいと思うのだ。
とは申し上げたが、しかしやはり『私の男』は傑出した作品であり、桜庭作品で言えば『荒野の恋』(ファミ通文庫)ラインの頂点ではないかと思う。