愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

遠征

ちょっと前になるが大人は私ひとり、ティーンエージャーを何人か引率して外国で3日間剣道三昧をしてきた。

出発前日、銀行からRevolutの自分の口座に送金したらなぜか不正送金のFalse Positiveが出てしまい、カードを一時的に止められて大慌てで電話したり、空港でのんびりご飯を食べていたらゲートが閉まる時間が迫っていることに気づいて慌てて走ったり(実際は余裕で大丈夫だったが焦った!)到着前からちょっとしたハプニングもあったが(笑)現地に着いたらお天気も良く、環境も良く、皆さん暖かく受け入れて下さってそれはそれは楽しい時間を過ごすことができた。

ここからは自分の色々覚え書き。

  • まあみんな大きい子なので子供といっても大して世話をする必要もないので引率といっても楽だった。宿でのご飯作るのや片づけも自分たちでやってくれたし。
  • ただし彼らは時間を逆算して動く、ということはまだまだなので、道場に向かうために宿を出る時間とか経路とか、ご飯をどこで食べるかとか、大人が常に時計を見て、先回りして考えないといけないので、そこはまだまだ子供やな、ふふふと思うなど。
  • ちょっと観光する時間もあったけれど、ほぼだいたい剣道。春なのに寒いロンドンに比べて、気温が結構高かったので、防具つけて熱中症にならないかちょっと心配だった。私も剣道して、色々アレンジして重い防具袋持って走り回ってかなり疲れた。しかーしそんなことも練習始めるとふっとんでしまう。ただ今回は追い込みの後に(!)周り稽古という慣れないルーティーンで、かなり息があがってしまった。
  • 中年の日本人だということで、すごい経験者だと思われて、ごっついでかい先生たちに「ナンダンデスカ」とか聞かれて困った。この歳だけどまだ始めてそんなに経っていない級レベルなんです!!女子がやはり少ないので、稽古の相手も大人もジュニアもでっかい男の人ばっかりな上に上段の人とまで対戦する羽目に!(苦笑)
  • でも道場の先生や現地の剣道家の皆さん、そしてジュニアの保護者の方々などと交流できてとても良かった。なんだかんだ言って欧州の剣道界は狭いので、これからもどこかで絶対会うことでしょう。
  • ひとりでもなんとかなったけど、まあ多分やっぱりもう一人ぐらい引率者がいたほうが楽かなー。
  • 意外と気を付けないといけなかったのが、水の調達。これは本当に国や場所によってまちまちなのだけれど、道場として使っている体育館やスポーツホール的な場所、給水所が必ずあるわけではないから、特に飲み水事情がはっきりしない場所に行くときには、事前に水を手に入れる手はずも、行動計画に入れておかないといけない。電車やバス乗って移動するので、そこらへんはちょっと大変だった。

しかし本当に楽しかったなー。みんなでワイワイ合宿風、今でもそこであった人たちや、対戦した時のことなど話題にのぼるくらい、子供達にはインパクトの大きな経験になった模様。観光とはまた違い、現地の人達と一緒に汗を流したり、ワイワイご飯食べたり、またその国や場所への思い入れや見方も変わったように思う。

剣道は流派があるわけでもないので、旅先や出張先に防具と竹刀持って行って出稽古、ということも結構できる。実際そうやって各国で剣道している人の話も聞いたことがある。もっと練習を重ねて、ぜひもっといろんな国で剣道やってみたいね。

友来たる

イースターの春休みは意外に来客の多い時期

去年も2家族アメリカから遊びに来たけど、今年も15年来の友人家族がやってきた

子供が生まれる前からの長年の友人、アメリカに帰るたびにも家に泊めてもらったりしているが、ロンドンでもワイワイ合宿状態

さらにベイエリアから欧州の他の国に引っ越した共通の友人も弾丸一泊でやってきて、みんなで久しぶりの再会

ロンドンの観光地を回るのもいいけれど、我が家やその周辺での日常、近くのパブに行ったり、公園でキャッチボールしたり、スーパーやパン屋さんに行ったり

建築関係の友人から見るロンドンの普通の建物の特徴を聞くのも面白く

また友人いわくロンドンの人は歩くのが早い、背の高い人が多い!

自分の日常になってしまっているものを、違う視点で見る面白さ。

翌日にはさらに別の共通の友人も、たまたま春休みの旅行でアメリカからやってきて、ここぞとばかりに来客時にしか行かないアフタヌーンティーにも突撃

もともとご近所さんだった3人、場所は変われど昔のまま、いつもと変わらない地元での散歩やおしゃべりの延長線にいる気分。

大人になって引っ越しを繰り返し、離れ離れになってしまった友達も多いけれど、意外と会おうと思えばすっと会える。それはいつでもどこでも簡単に、というわけにはいかないけれど、とにかくつながることを怠っていなければ、タイミングが合えば結構実現するものだったりする。友は宝~。

それにしても年をとるとみんな植物や植木の話になるね~(苦笑)

2年前のフランス旅行話⑥コロナ渦の旅あれこれ・パリ

(もう3年前2021年夏の記録)

イギリスへの帰国数日前に、再度コロナの陰性証明を取らなければならなかった。AirBnBのホストの人が教えてくれて、宿の近くで検査が受けられる場所を予約して出向いて行った。クリニックの中庭みたいなところに通されて、お約束の綿棒で鼻ほじほじ、喉にグッ、である。思えば当時は子供が学校に行くのにも定期的にこうやってテストしては、アプリで報告していたな。

テストをしてくれた人は、夫や子供には英語で対応していたが、私のBonjourの発音だけ超絶良いので、私にはフランス語だった。心の中で少しガッツポーズをしたが、ややこしいことを言われてもわからないので、それはそれで困る。

結果はメールで送られてきた気がするが、こういうのはたいてい国境で陰性だという情報を携帯画面をちらっと見せれば良いだけで、送られてきたバーコードを誰かがスキャンする、といったことも特になかったと思う。まあ日本以外の国ではみんなそんな感じだった。

ストラスブールからパリ行きの電車に乗るときはコロナパス(陰性証明みたいなの)を見せて、中ではずっとマスクをつけていた。そんな時代も、あったのね・・というくらいもう何年もマスクしてないな。

パリ東駅近くの凱旋門だけど、みんなが考える凱旋門とはまた違う凱旋門。もともとは中世、パリの街を守る城壁がここにあり、そこから出入りする門があったのが始まりらしい。

パリの街は住むのは面倒くさそうだが、やはり歩くだけでウキウキする。ブラタモリでもやっていたが、建物の高さが均一なのと、近くでとれる石灰岩を使った全体的に白っぽい見た目がとても良い(ロンドンだとこれがレンガで全部茶色になる)。

モンマルトルの丘へ。サンフランシスコでの生活が長かったので、これくらいの傾斜の階段は脳があまり坂と認識してくれない。

教会はミサの真っ最中で歌声が聞こえてきた。

この界隈は芸術家の街だったのもあり、周囲にはアトリエや美術品を売るお土産屋さんみたいなのがたくさんあったのだが、今見返してみるとかたくなにそういうところで写真を撮っていない(苦笑)

サクレクールのすぐ横にもコロナテストができるテント。防護服の人。こういうテントが当時はあちこちにあった。

ディナーは東駅近くにあるイタリアンLibertino。多分オンラインで見つけてオンラインで予約していった。当時はレストランに入るにも陰性証明が必要だったと思う。持ってない人は、外のテーブルで食べるというオプションがあった。

ここのお店はお皿やプレゼンテーションが楽しかった。

パパはトリッパ(いわゆるハチノス)を食べてご満悦である。

後で気が付いたのだがこのお店、欧州の色んな都市にイタリアンレストランを展開しているBig Mammaグループ系列のお店だった。ロンドンで友達が似たようなお皿と雰囲気のレストランの写真をポストしていて、おおこれは・・となったのだった。

このころから、レストランではテーブルにQRコードが付いていて、そこからメニューを見て注文、お会計もそこから携帯で済ませちゃう、という形式が増えたような気がする。こうやって見るとコロナでロックダウンしてたのつい最近と思ってしまうけれど、もう遠い昔ですね。

2年前のフランス旅行話⑤:コルマール

年をまたいで書いているので、今はもう3年前のフランス旅行話である。

ストラスブールから電車に30分ほど乗ってコルマールに向かった。中世の街並みが残る街、ジブリみたいな景色の街(ハウルの動く城に出てくる建物のモデルになった場所があるということで)とよく言われている場所である。

駅から旧市街までは徒歩で15分ほどかかる。観光地の周辺にある、地元の人が普通に生活している現実の世界を見るのも結構好きだ。

途中シャン・ド・マルス公園というのがある。戦争の神様マルス神にちなんだ公園には、コルマール出身のナポレオン時代の海軍大将の銅像があった。よっ、地元の名士!

アルジェリアとかポリネシア近辺、最後にはカリブ海などあちこちで役職についていたようだが、コルマール出身で海軍大将とは、思えば海のない群馬県から立身出世したようなものではないか。

こちらもコルマール出身のナポレオン時代の軍人さんである、ナポレオンの命を何度も救ったらしい。

日本で言うなら江戸後期の軍人を讃えた公園には回転木馬もあり子供の遊び場もある。観光客が立ち寄るところでもないので閑散広々としていて、なんだか気持ちの良いところだった。

旧市街に入るともうすべてがフォトジェニックである。ここはテーマパークでも何でもない、本当にこういう街なのだ。

綺麗~素敵~かわいい~ともうキョロキョロして写真を撮るしかない。しかしここにきている8割ぐらいの人が同じ事をしているので、やっぱりある意味テーマパークなのだ。

お約束のハウルの建物もこのとおり。

建物の名前はMaison Pfisterというらしい。

1537年に財テクに成功した帽子屋が建てたものらしい。ここにはいつ誰が建てたか、その後誰が所有者になっていつ改修工事があったか、その時々の所有者の名前などが書かれている。これくらいのフランス語なら、読める!読めるぞ!!(ジブリ違い)

コルマールでもフラムクーヘンを食べた。ここでも片言のフランス語で注文をし、トイレはどこだと聞けば店の奥の右側にあるよと言われたのがわかって通じる!通じるぞ!と一人ほくそ笑んだ。

まだまだコロナの時期だったので、歴史ある街にも薬局前にはこういうテントがあった。こういう写真、何十年もたった後で見返すと、本当に歴史の一ページみたいな感じになるんだろうな。

なんだかんだいって、景色の他にコルマールで印象に残っているのは、反ワクチンパスのデモを見たこと。反ワクというよりは、ワクチン証明がないと旅行やら建物に入ったり、色々行動に制限がかかることに反対するものだったのだが、数千人はいたと思う。

ラ・マルセイエーズとかを歌いながら行進していて、それを道端で見ていた若者がだんだん雰囲気に興奮して踊りだし、今にも参加しそうになっていた。アジェンダそのものより、そういう熱気や雰囲気に共鳴して仲間になっちゃうという・・なんとも歴史的に繰り返されてきたであろう事象をまさに目撃した感があった。

浅い外食日記

ここ1-2か月の外食日記。ただ食べたものを羅列するので非常に浅い。

金田家のラーメン

昼はパスタにしようと決めて街を歩いていたのに、あまりの寒さにパスタの口ではなくなってしまい、通りがかったラーメン屋に入った。井之頭五郎だ。

うまかったが、ぬるかった。
アメリカやイギリスで食べるラーメンは、ぬるい。熱々をすすってみたい。
そしてラーメンをロンドンで食べるときは、決して円換算をしてはいけない (日本の約2.5倍)。

記念日ディナー

なんと結婚20周年である。家族3人でカジュアルなお祝いディナーに行った。

ブラッドオレンジの季節です、ということでエンダイブと合わせたサラダが良かった。

メインにはシュニッツェルを頼んだ。和のフュージョン風を頑張っているようで、衣には胡麻入りで、サイドに照り焼きソースが付いていた。
普通にとんかつソースじゃあかんのかーい。

かつて100で抹茶にまみれる

ポルトガル在住のブラジル人元同僚がロンドンに来ていたので、お茶をする。

チーズケーキは上が焦げていればバスクになるのか。

抹茶まみれで夜眠れるか多少心配になりつつ、つもる話をし、ショーディッチをうろうろして、色んな店を冷やかしては、面白いファッションやアイテムを一緒に見てコメントしあった。思えばこういうのも都会のエンターテイメントだな。

夜は思いのほかちゃんと眠れた。

Fabrique Bakery

よく名前を聞くベーカリー、通りがかったのでランチには早いが入ってみる。

甘いものしか残っていなかったのでバニラ・バンをもらった。座ったとたんに、ケースに季節限定のセムラが置いてあるのに気が付いてこっちが良かったなあとちょっと後悔する。隣に座っていた人はバンとセムラと二皿並べて食べていた。隣の人が優勝。

後から英人ジジババ集団がやって来る。客の爺さんの一人は、注文を取ってくれた人、サーブしてくれた人の名前をいちいち聞いては、「ありがとう、〇〇さん」と名前で呼びかけていた。とても良い。

ニューモルデンで焼肉

若者ばかりと韓国人街ニューモルデンで焼肉食べ放題。

この歳では食べ放題は進んで行くことはないが、若者の食べっぷりは気持ちの良いものである。

時間制限があるので、慣れた客はパパっと取り皿を三つぐらい並べて、そこに肉をどばーっと入れて持って行っていた。慣れていない若者は最初からチャーハンに取り掛かろうとしていた。食べ放題とは食べ放題の色んな戦略があるものである。

インド

レスタースクエアの観劇の前、お目当てのお店が長蛇の列すぎたので、近くのインド料理屋Hankiesに入る。名前の通りハンカチのようなロティが出てくる。

写真はパニプーリである。デリーの道端で食べると3つで10ルピーぐらいらしい。10ペンス。ロンドンの一等地で食べると6つで8ポンド。

インド料理をロンドンで食べるときは、ルピー換算してはいけない(インドの40倍)。