日本映画状況とそのインフラを考えるにあたって、一九八〇年代に立ち上がったビデオレンタル市場を抜きにして語れないだろう。とりわけ九〇年代に入ると、Vシネマというジャンルが急速に台頭してくる。Vシネマとは劇場公開されないビデオレンタル専門映画のことで、それは当初東映のレーベル名だったが、その分野を包括する名称となっていった。
そしてビデオレンタル市場の成長とともに、Vシネマの制作は活発となり、低予算、短期間での撮影、新人監督や俳優の採用、B級ジャンル映画のイメージがあったにもかかわらず、量産化によるプログラムピクチャー作品の質とボルテージは上がる一方で、予想外の領域からの日本映画の豊饒さを知らしめることになった。
こちらに引きつけて言い換えれば、劇場公開映画とVシネマが混住することによって、日本映画が異化され活性化し、ひとつの思いがけない黄金時代がもたらされたのである。それはVシネマが逆に劇場公開される作品になっていったことにも表われている。
当然のことながら、そのようなVシネマの中から突出した映画的才能をうかがわせる監督と俳優が生まれてくる。しかも彼らはコラボレーションするようなかたちで。その監督として三池崇史、俳優として哀川翔の名前を挙げることができよう。それに九〇年代に最も親炙した映画の監督と俳優を問われれば、私は即座にこの二人の名前を発してしまうほど、実際に多くを観ているし、彼らは彼らで実に多くの映画を監督し、出演しているのだ。
しかも三池は私が混住映画と名づけている「黒社会」シリーズ三部作『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(九五年)、『極道黒社会 RAINY DOG 』(九七年)、『日本黒社会 LEYLINES』(九九年)を監督し、哀川は『極道黒社会』で主演、『日本黒社会』では共演の位置を占めている。
それゆえにここでは、三池監督、哀川主演で、台湾の風景と雨のシーンがいつまでも記憶に残る『極道黒社会』を取り上げるべきかとも考えた。だが「黒社会」シリーズ第一作にして、三池作品で、初めて劇場公開された記念すべき作品が『新宿黒社会』(以下この表記とする)で、またこれは本連載27、本連載28でたどってきた大沢作品の『毒猿』、馳星周『不夜城』と時代状況やトポスやテーマがまったく重なるものであるので、今回はこちらを選択することにした次第だ。
なおこの脚本は藤田一朗で、彼は『日本黒社会』も含め、三池の「第三の極道」シリーズなども担当しているが、どのような人物なのか、そのプロフィルは伝えられていない。脚本と藤田について言及したのは、この「黒社会」シリーズが原作を有していない事実を喚起したかったからだ。もちろんこれらの映画の成立は、これまで挙げてきた小説やノンフィクションの出現、難民や流民をめぐる社会問題、及びタイトルやコンセプトはチョウ・ユンファ主演、テイラー・ウォン監督『黒社会』(九〇年)、役所広司主演、馬場昭格監督『極東黒社会 DRUG CONNECTION』(九三年)の延長線上にあることも付記しておくべきだろう。とりわけ日本の「黒社会」が必然的に混住社会化してしまうことも。
しかし三池崇史の出現によって、その「黒社会」を描いた混住社会映画は、それまでの凡庸な物語と映像からきっぱりと切断され、新たな世界を提示したといえる。それは谷村ひとしの何の変哲もない極道パターンコミックが、凶々しくも美しい『極道戦国志 不動』(九六年)へと仕上げられたプロセスと共通しているように思える。
そうはいっても、『新宿黒社会』もまた二十年近く前の映画であり、DVDレンタル市場にもほとんど見出されないと考えられるので、表層のストーリーだとしても、ビデオジャケットに付された内容紹介を示しておいたほうがいいだろう。
あらゆる犯罪の坩堝新宿。異常なまでの残虐性で急激に勢力を伸ばしつつあるチャイニーズマフィア〈龍爪〉。彼らを追う新宿署の一匹狼・桐谷龍仁は弟の義仁が〈龍爪〉に関わっていることを知り、愕然とする。歌舞伎町のあらゆる利権をめぐり、男たちが想像を絶する残虐な殺し合いを繰り広げる!! 臓器販売、売春、麻薬、殺人、賄賂、ホモセクシャル、そして家族愛、何が正義で、何が悪か、人間の二面性を斬新な演出で描いた、ピカレスク・バイオレンス・ムービー!
この『新宿黒社会』の冒頭を飾るのはベッドの上の全裸の少年、ヘロイン操作のために踏み込む刑事たち、男娼の少年のナイフによって切られる警官、首を切られた死体などで、それらの鮮烈な映像は、これから始まる映画の行方を過剰なまでに暗示している。物語の構図は明確で、新宿歌舞伎町は日本人ヤクザ、台湾と中国のチャイナ・マフィアの三つの勢力に仕切られ、それに対して、椎名桔平が演ずる新宿署の刑事がいる。椎名は捜査の過程で、弁護士をめざす弟がチャイナ・マフィアをめぐる仕事に加わり、所在が不明となっていることを知り、その奪還に身を挺していく。
そうした中で明らかにされていくのは、椎名たちの父が中国残留孤児、母は中国人で、椎名が十六歳の時に帰国してきたことである。つまり兄弟は残留孤児二世で、日本における両親の不遇や病気にもかかわらず、兄は警察学校を出て刑事という道に進み、弟は弁護士をめざしている。これまでの難民たちを描く物語にあって、彼らは必ず日本の法律から裁かれる立場に置かれていたが、ここに至って残留孤児二世であるにしても、その逆の位置へとたどりついたことになる。
その一方で、台湾マフィアに扮する田口トモロヲは台湾で父親を殺し、日本へと逃れてきたのだ。彼はホモセクシャルで、男娼の少年を愛人、あるいは弟のように遇している。また彼は台湾に病院を建てているが、それはそこに収容された子供たちの臓器売買を目的としていた。椎名は台湾に向かい、その事実を突き止める。
この他にも『新宿黒社会』は日本人ヤクザの大杉漣、中国人マフィアのシーザー武志、その愛人の柳愛里などもトラウマを抱えた存在として登場し、自分の立場や国籍をはみ出すかのように、殺戮や性的関係が沸騰して営まれていく。しかしそれらの過剰なまでの映像の背後には、家族や疑似家族、あるいは兄弟や血族との関係、また父親殺しや兄弟の離反に示される近親憎悪といった問題が深く沈んでいるように見えるし、椎名と弟、田口と男娼の少年の関係に象徴されている。それは「黒社会」三部作シリーズのみならず、『極道戦国志 不動』にも表出していた。
『新宿黒社会』において、椎名は日本人の血が混じっているゆえに、中国の農村で兄弟揃って豚小屋に追われたことを語る。田口の父親殺しとその血の記憶は消えず、男娼の少年と父性的関係を築いても、絶えずフラッシュバックしてくる。台湾の病院で臓器を奪われた子供たちの傷痕が映し出されるが、それも彼らのイメージの表象のようにも見える。あらかじめ失われてしまった子供たちよという言葉が浮かんでくる。彼らはそれらのトラウマを抱え、日本へと帰還、あるいは密入国してきたことになる。
そしてそのようなトラウマと記憶を抱えたストレンジャーこそが、バブル崩壊後の日本社会を浮かび上がらせる触媒と化すのである。当然のことながら、彼らがもたらすのは惨劇に他ならないし、それらのトラウマと記憶は惨劇によってしか拭い去ることができない。たとえそれが一時的なものであっても。そのようにして椎名を中心にして惨劇は繰り返され、日本人ヤクザもチャイナ・マフィアたちも殺され、椎名だけが生き残ったかのように物語は終わろうとする。だがそこで中国語のナレーションが入り、テロップが流れる。桐谷龍仁という刑事が新宿の露地で撃たれて死んだと。
だが椎名の弟と男娼の少年は生き残る。続いていく物語は弟たちのそれであることを示唆するように。そういえば、三池の翌年の『極道戦国志 不動』は父と兄の惨劇を目撃した弟の物語に他ならないのである。