3年前の自分に

 数日前(一週間ほど前?)にここを見て、ここの存在に「気づいた」。
 更新していないってどころの話ではない。初めは意図的だったけど、もう最近では忘れていた。
 ……06年の私は必死だったんだなと良く分かる。
 あの頃、私はまだ、04年〜05年の、或いはそれ以前の高校時代の気分を引きずっていて、ネットに対してもそれが抜け切っていなかった。
 ここの存在と06年の経験が自分を大きくしてくれた。その後肥大化した自己を再び小さくするという過程が必要だったんだけど。漸く適度な人間になれたかなと思うよ。同じこと何度も書いているような気がするけど。ここを弄り回すのをやめてからもう一年以上経つなんて実は思えないんだ。
 迷惑トラバかけ放題になってたみたいだね……。管理しないとね。というわけでまたちょろちょろ来ます。
 私は先日23歳になった。黒い歴史のページが増えていくだけだけど…もう残っていないサイト達がたまに少し懐かしくなる。あの頃はずっとあるなんて勘違いしてた。自分自身のもね。

連休明け

連休明けの月曜日です。
単位に余裕があるので、早いうちから家に帰り、ゆっくりしていました。
精神的なコンディションを整えるためです。


わたしが家が汚いとあまり言っているものですから、母は連休を潰して掃除をしてくれました。
有難いと思いました。
他の、楽しかった出来事は青色の楽天ブログに書き留めましたので、そちらを見て下さい。
URLを知らない方は請求してくださいね。


自己愛人間という本を読みました。
その中に中流意識への言及があり、前日に聞いた格差社会の問題を取り上げたラジオ番組の内容と、感じたことが思い出されました。
格差はあるけれども、生活水準が低いと指摘される側にとっては愉快ではない。
それで、気を遣わざるを得ないそうです。
これは、まるで自分の心の動きを言い当てたようでした。
やはり自分は、意識していながら見ないようにしているのだな、と感じました。
本には、自分への愛を壊されないように、現実を見ないで心地よい幻想の中にいる人たちのことが書いてありました。
社会の流れの中で、そのような人たちが増えているそうです(本は85年に出版されたものです)。
みんなが平等であるということも、新しく現れた幻想の一つだといいます。
わたしも人はみんな平等であるべきだとは思いますが、その理想に合わせて現実を歪めるような見方をしていてはいけないのだろうな、とつくづく感じました。
今更のように、ですけれども。
現実を理想的な状態にしようと、真っ向からぶつかっていけば、疲れてしまうし、反発もされるものなのです。
それで、現実を見ないようにしたり、都合良く歪めていた部分があったと思います。


学歴のこと、自分が女性であること、小説家のような特別な職業にはつけそうもないこと。
不安になりたくないために、敢えて見ないようにしていた部分がありました。
格差社会を考えるときも、今のこの気持ちを忘れずに取り組もうと思うのでした。




他人様のブログやmixiをよく見るようになりましたが、友達というものに言及した部分があると、胸がざわめきます。
〇〇は誰よりも大切な友達で憧れだ、とか、何でも話せるのは〇〇だけだとか…。
自分自身はそんなふうに言われたことなど無いので、複雑な気分になります。
反対に大切な友達を失ったと書いている人もいる。
失ったと言えるほどに深く付き合ったり、仲良くしたりすることが、実はわたしにはないのではないかと感じてしまったり…。
友達というものを考えると、何も手に付かないほど、不安になってしまいます。
昔から、そうなのです。

試験が一つ終わった。

試験が一つ終わりました。
毎度のように弱音を吐いて、周りに迷惑をおかけしたことを謝っておきます。すみません。
勉強も碌にせず怠惰に過ごす毎日。福田に現れた論客(p氏。)に言い返すこともできず、温めの掲示板で火照りを冷まします。
論客さんは、口調は尊大とも取れるものなのですが、意見は至極真っ当なので反論のしようがありません。それで大人しくしています。争いはわたしの望むところではありませんので…。けれども頭が良ければ更に切り込むことも可能なんだろうな、と思うと、欝憤晴らしに出かけた掲示板で逆に欝憤が溜まるのでした。
小説家気取りのf氏の記事が乱立していたときも同様でした。自分の能力を客観視できないで、設定や小説の断片を書き込み、質の低さに叩かれるf氏と、小説家になりたいと言いながら碌な話も書けない自分とを、重ね合わせて見てしまったのです。才能のある人がつくづく羨ましくなりました。
四月に入ってから再び関心を持ったmixiでは、ひょんなことから、プロデビューした同い年の小説家氏と出会ってしまい、落ち込んだものでした。
本当に小説家になるのが夢ならば、その為の努力のみをするべきだったのか?と思ったのです。それができない自分の中途半端さが嫌です。

試験は、勿論、簡単ではありませんでしたが、問題が正直言って、下らなかったです。選出が恣意的作為的だとまでは言いませんが、この問題が解けたからといってだから何なのだ、と強く感じさせるものでした。そう思った瞬間に急にどうでも良くなりました。

試験ができなかった言い訳と思って下さって構いません。けれども、正直な感想なのです。
福田の代わりに入り浸っている板があまりに温すぎるせいか、わたしも長年の苛々や自責の念というものを忘れてしまいますが、それが心地よくて仕方がないのです。

誰かと僕を較べないで

誰かと僕を較べないで
それより自分らしくありたいんだ


とある歌詞です。
気持ちの良い程にストレートに言ってくれていて、むしろ、戸惑いさえ覚えます。
2年前に放送されていた、ある深夜アニメのOVAのテーマ曲ですが、話の世界観にマッチした良い歌だと思います。
本を読むよりもアニメの視聴時間のほうが長いというようなことは、もう全く無いと思いますが(どちらも同程度に遠ざけているのですよ、誤解の無きように。)、近ごろ、感傷に浸ってばかりです。
何故でしょう。
物心ついて以来、目に見えるものから逃避を続けてきた自分も、モラトリアムの終わりを自覚せざるを得ない時なのだと思います。
そういう節目なのだろうということは、分かります。


しかし、自分は変化というものが、ものすごく嫌いなのです。
もはや、わたしの才能など知れたものなので、新しい経験は増えなくても良いのです。
「余計」なものにしか感じられません。
前に、人は成長していく存在だと言われても、ぴんと来ませんでした。
わたしの成長はある時で止まっているのだと思います。
だから、それ以上の知識も経験も自分の中になかなか入ってきません。
受容すると、自分が崩壊してしまいそうに感じます。
全体の中に存在する自分を想定すると、ものすごく怖くなってきます。
色々な人と接して思い出を作るのが好きだという人がいますが、自分は無理です。


たとえばmixiでも、ついつい自分と比べてしまうのです。
しっかり文章を書いていらっしゃったり、沢山のお友達とお付き合いがあったり、就職活動を明るく表現したり、皆様、様々なのですが、そういった優れた方々を見るたびに「自分は何をしているのだろう」という気分になってしまいます。
そういう気分にならないために、本やメディアや、人を遠ざけてきたのですが、一度、バランスが崩れると今度はそういったものが却って目につくようになるのです。
惨めな思いをするから、本当は、あまりリアルで密なお付き合いはしたくないのですが、mixiはそれを目的としたサイトなので仕方がありません。


歌詞は「光は平等に降り注ぐ」なんて言っていますが、嘘だろ…
自分に光が当たったことなんてあったの?
光が当たると、本性が見えてしまうので、光を避けて生きているようなところがあるので当たっていなくても構わないのですけどね。
ファフナーは良い作品でした。
単なるやおいアニメだと言う人もいますが、そうだとしても、おもしろいと感じた自分がいるので、それを率直に書くことくらい許してくれるような場所が欲しいです。
感想を言う/書く場は無数に存在しますが、感性が合わないと容赦なく叩かれたりするので、敢えて書きますが、自分にはそれは苦痛です。

福田を去る

自分は何をしていたのだろう…。
福田というヴァーチャルが与えてくれる世界に、どっぷり漬かり込んでいた。
傷を癒すことを口実に、楽しいと思えることだけを選んで、暮らしてきた。
それを後悔するわけではない。むしろお客の皆さんには感謝していると言っていい。
しかし、覚めない夢が悪夢に変質する前に、わたしは福田を去りたい。
たぶん、「卒業する」などと言っても、板などがある限りどうしても行ってしまうだろう。
でももう自分に福田は必要無い。むしろ悪影響を受けすぎている気がする。
なのに惰性で今日も訪れてしまう。


趣味の話がしたい、自分の異質性を許容してもらえる場が欲しいというのが自分の願いだった。
具体的に書こうか。本質的に、アニメやゲームなどのサブカルチュアが好きなのが自分である。
最近は枯渇したけれど設定を考えることも好きだった。小説も2年前までは書いていた。
でも、気づくと自分は一人ぼっちのような気がした。誰も話を聞いてくれない。
誰かに認めて欲しい。
それを叶えてくれたのが、ネットの片隅に存在する福田だった。
しかし、段々と(本当に少しずつではあるが)福田以外の場でも、素を出すのが恐ろしくなくなってきているような気がする。
気がするだけなのかもしれず、現実は何一つ良くも悪くもなっていないのかもしれない。
人に嫌われることはとても怖い。
今ですら、「同人界」(敢えてかぎかっこ)から仲間外れにされていると感じれば、どうしようもなく苦しいと感じてしまう自分がいる。
でも、少し離れて考えることができるようになって、その苦しさには理由が無いのかも、と思い至れるようにもなった。


就職試験の為に仕方なく勉強をし始めた。遅すぎることなんて分かっているけれど。
久しく忘れていた「勉強」にあまり意義を感じられず、少し苦痛なのだが、その苦痛と戦いながら、徐々に昔の自分に戻って行けたら良いと思う。

昨日の夜から、land.toのサーバーが落ちてしまっている。
画像等がアップロードできなくなり不便だ。

数年ぶりに、産業祭りに行った。
前に行った時には移動動物園が来ていたらしいのだが、今年はもう来ていなかった。
ウルトラマンの怪獣の人形劇を後ろでこっそり見て帰ってきた。
懐かしかった。

二か月ぶりの近況報告

昨日から某サイトのゲームや画像のミラーをとっている。
正男ランド避難所 ←成果
管理人が急に閉鎖宣言をしたため、住民がデータが消えることを心配しているのだ。
自分で保存すれば良いのではないかと思っちゃうけど(爆)。

松任谷由実の「砂の惑星」をやっと聴くことができた。
某少年Aが好きだった歌らしい。
どの星を想像した歌なのか分からないが、砂の惑星なのに乾いた感じはあまりしなかった。
心の中に浮かびくる幻想の世界ではあるまいか。
聴いていると切ない気持ちになる。

ポケモンクリスタルはやばいくらいにおもしろい。
DS買えない腹いせだけど。
勿論、電車内でもイヤホンでしっかり音を聴いている。
まだジョウト地方をさまよっている。
これは進路の決まらない腹いせでもある。

「あぁ、憧れのポケモンマスターになりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやる!」
憧れがあるのは羨ましい。
だがしかし、頂点を狙うことだけを目標にして生きると、いつかは絶望に突き当たるぞ。