人生を花開かせるための3要素

 昨年の夏は、日本の若者が、オリンピックで大活躍しました。そこでメダルを取った選手たちに共通に見られる光景があります。彼・彼女らは一様にコーチや監督と抱き合って喜んでいるのです。メダルは選手一人では決して獲得できません。才能が開花するためには、必ず優れたコーチが必要です。これは何もオリンピック選手に限らず、どの分野にもいえることでしょう。
 人生において可能性の花を咲かせるためには、3つの条件が必要です。優れた指導者、才能、努力。これら3つのどれが欠けても、道は開かれないでしょう。例えば、バスケットボールの神様といわれたマイケル・ジョーダンでさえ、一時期プロ野球に転向した時は、まったく芽が出ませんでした。彼は厳しいトレーニングを重ねて努力をしただろうし、良いコーチもついていたでしょう。しかし、彼にはバスケの才能はあっても、野球の才能はなかったのです。
 また才能があって、努力をしたとしても、良いコーチにつかなければ、よほどのことがない限り、行き詰まってしまうでしょう。スポーツを我流でやって、フォームにおかしな癖がついてしまっている人は結構見受けます。これでは、ある程度はできても、それ以上伸びることは決してないでしょう。そしてコーチが三流なら、選手はがんばってもせいぜい同じレベルでおわることになります。オリンピックで日本女子マラソンに初の金メダルをもたらした高橋尚子選手には、小出義雄という名監督がついていました。
 しかし、才能があって、良い監督やコーチに恵まれたとしても、本人が努力しなければ、もちろん結果は出るわけがありません。才能、優れた指導者、そして努力。これら3つが不可欠なのです。スポーツに限らず、学問においても、どの分野でも、道を拓いていくためには、才能、優れた指導者、努力のどれが欠けてもいけません。
 自分で、自分にどんな才能があるのかが分からないことは結構あります。自分で勝手に思い込んでしまっていて、実は別なところに才能がある場合もあります。良い指導者は、このような時に適切なアドバイスを与えてくれるでしょう。また自分勝手に努力をしても、その方向性が間違っていて、無駄に終わることも多いでしょう。人生を我流で生きても、なかなか芽は出ないのです。人生の良き師にめぐり合えた人は幸せです。
 そこでまず、一流の指導者とどうやって出会うかが鍵となります。もちろん運良く出会うということもあるでしょう。しかしやはり探す努力は必要です。とはいえ、こちらがたいした人間ではないのですから、相手が優れた指導者かどうかを見抜けないことのほうが多いかもしれません。そんな中でも、一つだけ間違いのない基準は、「謙虚」ということです。一流の人は、決して頭が高くなく、常に誰に対しても謙虚です。

良き師はどこにいる

 ブランド品があると、必ず偽ブランド品が出回っています。アジアの国々を旅すると、精巧なコピー品が安価でたくさん売られています。いつの世にも、本物とにせ物はあります。また、物に一流品から三流品まであるように、人にも一流の人から三流の人まであるのは当然でしょう。とはいえ、こちらが一流じゃないのですから、相手が一流かどうかを見抜くなんてことは、とても出来ることではありません。それに、そもそも自分がたいした人間ではないのですから、「類は友を呼ぶ」といわれるように、周りにはそれ相応の人しか集まってこないのは当然でしょう。しかし、それでも一流の人を見つけ出して、自分の良き師としたいと思うのです。
 一流の人がどんな人かを明確にいうことは難しいことですが、一つだけ確実にいえることは、一流の人は謙虚である、ということです。「実る穂ほど頭をたれる稲穂かな」と言われている通りです。ちょっとでも威張っているところがあれば、一流とはいえないでしょう。世間で先生と呼ばれて、頭が高くなって、鼻が伸びている人たちを見かけますが、師とすべき人ではありません。どんな人も、ただの人なのですが、自分を偉いと錯覚してしまっている人はどこにでもいます。そういう人を鏡として、己の姿を正していきましょう。
 私にとても親切にして下さり、この人は本当に一流だなと思った方の一人は、元日本銀行総裁三重野康先生です。日本銀行総裁といえば、われわれ庶民には雲の上の人ですが、私のゼミナールの学生の2年生や3年生をも相手にして、丁寧に応対してくださった姿はさすが一流だなと感心しました。
 二流、三流の人ほど、なんとか自分を大きく見せようとして、えらそうにする訳ですが、一流の人にはその必要がありませんから、実に謙虚で、一見すごさを感じさせません。宮本武蔵にはこんな話があります。まだ修行中で諸国を回っていたときに、あるお寺のお坊さんに「おぬしは強すぎる」といわれたのです。つまり武蔵はまだ修行途中で二流だったので、殺気立っていて、それを相手に感じさせてしまっていたのです。その後、修行を重ねた武蔵は、相手に自分の強さを感じさせない達人のレベルに達して、再びそのお坊さんに会いました。すると今度は「ずいぶん立派になられて」とお坊さんに認められたそうです。一流の人は、一見するとそのすごさを相手に感じさせないのでしょう。
 いつも謙虚で、ちょっと見た限りではただのおじさん、おばさんに見える人の中に、素晴らしい師がいるのかもしれません。「吾以外皆吾師」といわれるように、常に周囲の人から学ぶ姿勢を持ち続けることが大切なのでしょう。