おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ケンヂの育った町はどこなのだろう?  (20世紀少年 第5回)

 
 導入のお話しも一段落した。いよいよ第1巻第1話から、もう一度読み返しつつ、感想や疑問を書いていこう。巻頭の第1話のタイトルは「ともだち」。何と云う不吉なオープニング・テーマであろうか。この作品を読んで以来、Facebook の「友達」も、アメリカ軍が震災に際して展開してくれた「トモダチ作戦」も、言葉そのものを何だか素直に受け取れなくなってしまった。困ったものだ。早く治らないかな。

 この物語は、1973年の中学校を舞台にして始まる。あとで分かるが、主人公ケンヂの回想として描かれている。彼は放送係の娘さんを縛り上げるという暴挙に出てまでして(これを正当化する理由は、「昼休みは自由な時間」だから」)。かくして校内放送で「T.レックス」の「20世紀少年」を流す。

 昔懐かしい45回転の黒いシングル・レコード、どうやら大音響でかけたようなのに、そして彼は「何かが変わると思った」のに、「何も変わらなかった...」。では、本当に何も変わらなかったのか? どうやらそうではない、という所で物語は終わってしまうのだが。


 ところで、ケンヂが通学していた中学校の名は、この章の11ページ目(単行本にページ数がないときは、「目」の字を書き足すことにする)に「第四中学校」とある。こういう番号が付いている小中学校というのは、おそらく公立の学校で、その市区町村に複数の学校があると考えてよかろう。東京にも多い。

 ケンヂたちが生まれ育ったのは、東京で間違いないと思うが、これから随時、その傍証を挙げていく。例えば、ケンヂたちもその親の世代も全く訛りがないので、おそらく東京であって、まさか関西ではないなという見当ぐらいはすぐにつく。


 ところが、東京も首都圏も広い。ケンヂたちが生まれ育ったのはどの町なのか、どの辺りなのかを突きとめようと思い立った私は、これまでの読書において、例えば電信柱や店の看板に、電話番号や地番の表示がないかというところまで、老眼を酷使しつつ確認作業を行ったが、確たる証明ができずにいる。


 幾つかのネット・サイトによれば、作者の浦沢直樹氏(以下、なれなれしいが、「浦沢さん」という)は、1960年1月に東京都の府中市にてお生れとあるので、府中かどうかはともかくとして、この点からもケンヂたちの生まれ故郷が東京である確率は高い。

 府中市といえば、後にヴァーチャル・アトラクションの中で、ケンヂは子供たちに「三億円事件」の犯人扱いされているが、あの大事件が起きたところでもある。律令制のころより「県庁所在地」に相当する地域だったらしく、このため府中と呼ぶ。

 府中市役所の公式サイトによると、「西暦645年、大化の改新により武蔵国国府が置かれ、早くから政治、経済、文化の中心地として栄えてきました。鎌倉時代末期は合戦の舞台となり、江戸時代には甲州街道の宿場町として栄え、明治以降は郡役所が置かれるなど、多摩地域の中心として歴史的役割を担ってきました。」という由緒正しい土地柄である。


 ともあれ、1960年代後半とはいえ、近所に秘密基地を作れるような草地や、伝説のライ魚が住むと人がいう砂利採掘場の跡地があるくらいだから、都心ど真ん中ではあるまい。高度経済成長が進行し拡大していった、あの時代の替り目に、東京の郊外のどこかでケンヂたちは生まれ育ったのであろう。

 私は地理が好きだし、東京都民でもあり、昔は世田谷に住んでいたので府中は近所だったし、やはり場所が気になるので多少しつこいかもしれないが、20世紀少年たちの故郷の特定作業は続けたい。すべては、そこで始まったのだから。


(この稿おわり)

 

Q: そもそも、なぜ今ごろ「20世紀少年」の感想文なのか                               (20世紀少年 第6回)

 
A: 私が時代遅れだからです。

 手元の単行本「20世紀少年」第1巻によると、週刊ビッグコミック・スピリッツ誌上で連載が始まったのは、1999年第44号からとある。私はその前年から、当時の勤務先の駐在員としてカンボジアに長期滞在していたので、長年の浦沢作品のファンでありながら連載開始を知る由もなかった。

 その後、2000年に本帰国したが、まことに多忙な部署に配属されたうえに慣れない中間管理職を仰せつかり、波乱万丈目の毎日で、漫画雑誌も映画も楽しむ余裕などなくしてしまった。


 私は運命論者ではないが、この世にご縁というものがあることも、信じて疑わない。2011年3月下旬、その直前に起きた巨大地震と大津波による未曾有の災害、それに続く原発事故の被害報道のさなか、私は当初の計画どおりとはいえ、東京から脱出するかのように新潟まで温泉旅行に出かけた。

 宿泊先の温泉宿では、震災以降キャンセルが相次いだそうで、私が初めての地震後宿泊客であったらしい。この旅館のロビーの一画に、宿泊者用として置かれていた「20世紀少年」の単行本をふと手に取らずして栃尾又温泉を去っていれば、このブログ・サイトは開設されることもなく終わっていたであろう。

 
 第1巻の冒頭では、前号で触れた第四小学校の場面に続いて、西暦の記載は省かれているが、国連に友民党の幹部が招かれるシーン、次は2015年、艶やかなお姿で寝たり起きたりしているカンナが、巨大ロボットを呆然と眺める姿などが、まるでサブリミナルのように断片的に挿入されている。

 これでは、初めて読む者には何が何だか分からないが、読み手の好奇心と混乱を置き去りにしたまま、物語は先に進んでしまう。19ページからようやく始まる本格的なストーリー展開の時代設定は1997年とあるから、連載時より2年ほど前の日本が舞台になっている。

 どこかでインタビューに応えて浦沢さんは、2000年の血の大みそかで東京に大爆発が起こる設定だったにも拘わらず、2001年9月11日の同時多発テロの発生を受けて、描写を変えざるを得なかったと語ってみえたのを覚えているので、そうであれば連載時、2000年までの物語は過去の出来事として、そして2014年以降は当然ながら未来の出来事として、語られたことになる。


 私がこれを書いている2011年6月の段階で、「2015年に西暦が終わる」という「しんよげんの書」の予言を待ち切れないかのように、日本は地震津波の被害、原発の事故、財政難、少子化、政界の混乱、長期的な不況等々、幾多の試練を同時に抱えて、一体あの国はどうなることか、他国を巻き添えにはしまいかなどと、世界中の注目を浴びている。事実は漫画より奇なりとなるか、いかがでしょうか、神様?


(この稿おわり)

 
栃尾温泉郷 (2011年3月18日撮影)