でえと

昨日は久しぶりにでえと。
昼過ぎに落ち合ってから昼食を食べて、それから腹ごなしのお散歩ついでに骨董市をぶらつく。
「つくばい」を並べて(「つくばい」は「蹲」と書くのを今初めて知りました、IMEって時々こういうマニアックな変換がちゃんと利く癖にどうして「如何に変える」を「烏賊に蛙」などというものすごい誤変換しちゃったりもするのだろうか、あ、「蹲」がなんだかわかんない人は各自辞書引いてちゃんと調べるように)・・・なんだったけ、ああ蹲を並べている店、だ、そこでこよりが立ち止まって、蹲の水面に浮かぶ金魚をじっとみていた。ややあって、「あ、これ本物じゃない・・・」って、君の見ている蹲の横にビニールの小袋に入れて1個300円、二個500円で売ってるじゃないか(苦笑)実際、上からみている分には金魚は本物と見まがうばかりによくできているのだけれど、いくらなんでも水深たかだか10センチ、表面積80平方センチそこそこの蹲じゃ、金魚も生きてはいけまいよ。よほど気に入ったのか、こよりはその金魚のまがい物を5つほど、「いや、5つで1000円でいいよ、それより蹲買ってくれたら金魚付けてあげるよ、横のだんなさんにおねだりしてみたら?50000円だけどもうおしまいだから28000円にしてあげるから」などという露天商のおじさんの言葉に曖昧な笑いを浮かべながら購入していた。俺はそっぽ向いて知らぬ顔。

「・・・あとでラブホのお風呂にでも浮かべてみますか?(笑)」
「いやですぅ、これは甥っ子や姪っ子にお土産にするんですもの・・・」

それでもってやっぱりお風呂は二人で並んではいればいっぱいになるほどの広さしかなくって金魚を泳がせる隙はさすがになかった。

からんころんぽとんでさようなら

9月30日の土曜の夜に、俺の祖母のサワ子さんが亡くなった、89歳だった。
通夜をやって葬儀をやって斎場へ行って、もともと小柄で華奢なつくりだったけれども、小さい骨壷一つと中くらいの骨壷二つ、しかもそれを白い布で弁当か何かのようにまとめて包まれているという、非常にコンパクトになってしまったサワ子さんがやっと家に戻ってきたのは31日の2時過ぎだった。
じゃあこれから納骨に行きましょう、と喪主であるところの俺の従弟に促されて、親父と埼玉在住の弟を乗せて、従弟の車の後について寺に向かった。
寒々とだだっ広い本堂でお経を上げてもらって、ああこれはあれだな、永代供養というやつだ、俺の母親のときは確か四十九日が済んでからだったという記憶があるのだが、地方によって、あるいは宗派によってそれもいろいろなんだろうなあ、などと、とりとめもなく考えていられるくらいに長い長いお経で、〆は俺の大好きな(大好きとかそういうもんか?)蓮如上人の「白骨の御文」だったのだが、これで宗派はばればれである(笑)浄土真宗だよ、でもここはお東さん(浄土真宗大谷派)ではなくってお西さん(浄土真宗本願寺派)なので、坊さんが御文を読むときの節回しが、いつも聞いてるのとはちょっと違ってたりするのだけれど。
じゃあ納骨堂へどうぞ、と坊さんに促されて、本堂の外の納骨堂に向かったころには日もとっぷり暮れて、薄暗い蛍光灯の明かりの中、10人も入れば身動きできないような、小さな骨壷を載せた蓮の花型の台座とその奥の中央の仏壇と、その両脇には位牌が所狭しと並んでいる狭いお堂の中で、またもや読経だったのだが、坊さんの言うことには「今度のお勤め(お経のことだよ)は存外短いから、皆さんもう順番に焼香してくださいね」言葉どおり、最後に家の親父が焼香するかしないかの間にお経は終わってたのだった。
「じゃあ、今から納骨してもらいます、喪主の方からどうぞ」
坊さんが蓮の花型の台座から骨壷を取り上げると、その台座の底にはぽっかりと穴が開いていて、俺たちは交代でサワ子さんの遺骨を箸でつまんではその穴の中に落としていくのだ。
すっかりコンパクトになったサワ子さんは箸でつまんでも頼りないほど軽く、穴の中へ落としてやると、からんころんぽとんと乾いた音を立てた。喪主の従弟がからんころんぽとん、おばたちがからんころんぽとん、俺も箸でつまんでからんころんぽとん、従妹の連れ合いがからんころんぽとん。俺の弟がからんころんぽとん、順番の最後にうちの親父がからんころんぽとん、をやっても、骨壷の中にはまだ骨が余っていた。
「もう皆さん、お済ですか?」そうきいてから坊さんは喪主の従弟に骨壷を渡して、穴の上でさかさまにして振るように促した。残っていたサワ子さんがからんころんぽとん。骨壷の底を覗き込んでは何度か穴の上で骨壷を振って、最後に骨壷の底をぽん、とたたいて、それでサワ子さんはすっかり、納骨堂に納まってしまった。
「じゃ、これで納骨は終わりです、ここもまあお墓と一緒ですから、たまには参ってあげてくださいね」と坊さんが言って、軽く合掌した。
さようなら、サワ子さん。

赤ん坊の生まれる日

山田がわらじを脱いで久しい現代詩フォーラムに、盟友佐々宝砂が『チアーヌさん「かわいい匂い」に関する私見http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=22389というタイトルの「私見」と本人は言い張っているけれどもどう見たってやっぱりこれは詩評だろ、見たいな文章をのっけていて、これがまたいろんな人々の間で喧々諤々と、主に母性とはなんなのか、みたいな問題で取り上げられていたりするのだった。
俺も一応隅っこのほうにこっそりと「あえて何も言わない」、などと今から思えば言わずもがなのコメントつけてポイント入れてたりするのは、やはり佐々の「フォーラムの総合ポイントランキング2位を死守したい」という悲願のささやかな一助のつもりだったりもするのだが、いい詩評であることは間違いないと思うのでぜひご一読のほどを。
これほど盛り上がっているのだから、俺も一発便乗して詩評のひとつも書いてみればいいのだろうけれど、何せ作者が「山田さんが本気で、わたしのことを無責任で覚悟のないもの書きだと思うのであれば、どうぞわたしの詩など読まないでください。わたしはどの詩もわたしなりに本気で書いていますが、そう感じられないのでしょう?だからそんな風に言うのでしょう?それならば、そんなもの読んでもしょうがないでしょう?」などと評書いたこっちが「え?」とか言いたくなるほどプリミティブな逆切れぶりを見せてくれた方でもあるし、なんとなく気がすすまねえなぁ、などともごもごといってみたりもする今日この頃だったりするのだが、実はこの詩の評を書けない理由はもうひとつあったりするのだ。
ご存知の方はご存知だとは思うが、うちの妻はただいま妊娠中で、予定日は来年三月だったりもするのだけれど、さらにいえば彼女か彼かはまだ知らないその子は一番上の男の子とは一回り以上離れた我が家の第四子でもあったりして、先日フジテレビの「トリビアの泉」でやってた「2003年度までの人口の推移から推測すると1000年後だかにわが国の人口は二ケタ台になる」という恐るべき未来を回避すべく、ひたすらわが国の出生率向上に尽くしていたりするわけでもあるのだが、先日の夕食後のひと時、妻がせり出し始めた腹をさすりさすりしながら言うことには「この子は今までの子とは違って実家ではなくって近所の病院で産むことになるのだから、あなた、一度出産に立ち会ってみれば?」などと。
なんともはや空恐ろしいことを言うものではある。
俺は即座に飲みかけの食後のコーヒーのマグカップを置いて丁重に妻の提案をお断り申し上げたのだが、その夜の妻はいやに執拗であった。

この項続く。

石原大介君の訃報に接して

この年になってたいがい人の生き死にには慣れたつもりではあったけれど、それでも俺よりも若い、いい若い衆が死ぬのはちょいとつらいもんが、ある。やはり、まだある。
石原君とはフォーラム上で私信を何度かやり取りしたのと、今年のポエケットに川元緋呂子と連れ立ってやってきたのとが、唯一の接点だった。物静かではあるけれど精悍な顔つきをした、よく澄んだ力のあるいい眼をした、言うなれば今時には珍しいくらいの「いい」若い衆だった。川元嬢に促されるようにして、蘭の会ブースにたむろしてた俺と、何か初対面の挨拶だけをもごもごと交わしたくらいだったか。ブースで販売していた佐々宝砂の個人誌に、著者のサインを入れてもらったときにうれしそうにしていたのを、今になってちょいと思い出してしまったが、後はあんまり記憶がない、いずれ生きてる限りどこかでまた会うこともあるだろうと言う生者特有の思いあがりは、かくも人の記憶をあいまいにするものか。

いずれにせよ、遅れ先立つ世の習い、だ。
あっちに俺が行った時に、今度は少し先輩面をして迎えてくれればそれでいい、もっとも、俺が行く先と、彼が行った先が同じところであってくれれば、というのと、果たして俺が明日行くのか、何十年先になるのかというのは、また別の話になるのかもしれないけれど。

合掌。
南無阿弥陀仏
 

歯を抜いた

今朝、左奥の親知らずを抜いたのだ、今もうそんなに痛くない。まだ煙草すうとフィルタに茶色く変色した血がうっすらとにじんでるけど。
「もう、虫食って根っこしか残ってないからね、先に口の中で解体して三分割してから抜くからねー」って、先生、俺返事できません、口開けっ放しです。
んでもって、ごきごき。麻酔が効いているので痛くはないのだが、歯が歯茎から離れて抜けていく感触はしっかりある。なんとなく小気味いい、爪切ったり耳垢とったり、時々妻のを借りてやるパックで小鼻のところの角栓取ったりするのの延長線上にあるような感覚。

「終わったよー、うがいして下さい」と言われて身を起こすときに、目線がテーブルの上をさ迷ったのを見て取ったのか、先生は「見たい?」とガーゼに乗っかった血まみれで真っ黒の歯の「かけら」を見せてくれた。見せてくれたけれど、「持って帰る?」とは聞かれなかったぞ(笑)言われても持って帰らないけれどさ。

明日は消毒、ついでに末の娘の虫歯の治療の付き添い。
前回、「治療の練習」で口のなかにバキュームノズルやら、ジェットやら突っ込まれただけで半べそになっていたうちの娘は、果たして無事虫歯を削るところまでたどり着けるのでしょうか?

わたくしたちは

気紛れでも何でもいいぢやないの。。。わたくしたちは生きて、そうして互いに愛しあつてゐればそれでいいのよ。。。

太宰治の斜陽をもじった文体でそうメッセンジャーで君に語りかけてみたのだけれど

「あひしてゐる」のと「あひしあつてゐる」のとはぜんぜん違いますもの、、、わたくしにあるのは前者だけ 。。。

と君から答えが返ってきた。

知らないことを
君は知ってる

本当に知らないことと
知っているのを見せないこととは
ほぼ等しくて

見せない内側にぼくは指を伸ばす

その暖かくて濡れていて柔らかい内実に
触れるために


(暖かくて柔らかくて濡れているのは、わたくしの内側だけではありませんわ、あなたの縁の、どちら様でも同じことでしょ?)

詩人会議かなざわのじのかずひろ氏と会ってきた

つか、氏は俺の小中高と一緒だった和夫ちゃん(現在東京在住)のご尊父だったりするのだが(笑)
詩を改めて書き出してから、たとえば山田イズムだとかちょこちょこ送らせてもらってたし、「ネット21」参加後は同人誌ができたら必ず持参したりはしてたのだが、なぜかいつもすれ違いばかりで、なかなかじっくり話し合うこともできなかったりしたのだけれど、本日は都合よく、ご自宅近くの喫茶店で早めの晩酌をなさってるところを捕まえて、しばらく歓談。
懸案だったこといくつか相談する。
結果、詩人会議かなざわの「独標」に入れてもらうことになる、かもしれない。
石川詩人会にはいることになる、かもしれない。
いずれも「かもしれない」なのは、あくまでも俺のほうの都合なので、またいろいろと考慮すべきこともある。