あなたの研究に一番影響を与えた理論家の名前を教えてください

リンチは最近は言わないが90年代繰り返しこういうことを言っていた。

 一九七五年夏のある学会で、ハーヴィ・サックスは、ある種の質問-解答連鎖の組織に関する公開講義を行った。講義後、聴衆の中のある紳士が立ち上がり、「もし私があなたの頭に銃を突きつけて、『あなたの研究に一番影響を与えた理論家の名前を教えてください』と言ったら、あなたは誰の名前をあげますか」といったような質問をした。サックスはタバコを吸いながら(当時はまだアメリカで喫煙が許されていた)、黙っていた。彼は、うつむき、タバコを灰皿の縁に置いて、ずっと押し黙っていた。この状態が一、二分続いたのだが、それは永遠に続くかのようにも感じられた。この沈黙は何かを生み出すためのものだったと言うのでは不十分である。この沈黙の時間は、子供を生み育て上げられる時間ほどにも思われたのである。ようやくのことで、サックスは顔を上げ、質問に答えることはできないと静かに言った。

………

 この出来事は、理論化に対するエスノメソドロジー固有の---人によっては‘尊大な’と言うであろう---態度を象徴するものである。ここで「理論化」ということで、私は、著名な著述家、基礎的な文献を讃える知的系譜を構築する作業のことを意味している。これは、文献群に経験的研究を指示するという、より広範な努力の一部をなすものである。この指示の作業は、抽象的な主題や問題を同定し、命題や公準を定式化し、共通する問題を明確化し、仮定や前提をある著者、ある学派に帰属させようとする学問的努力によって促進される。この作業は、ある文献データを入力したり解読したりするということに限定されるものではなく、それは方法論、つまりは研究構想を学問的伝統に結びつける基
準、決定規則、モデルの使用にも関わっている。このような試みの要点は、基本的規則を取り出し、社会思想における何らかの文献伝統に対して知の歴史を構築することである。自然科学や社会科学には、このような要約的定義に合致しない理論の実例がたくさんあるかもしれないが、私は、これは社会理論や、社会科学の哲学の支配的なスタイルにあてはまると思う。
 この理論化の要請をエスノメソドロジストはいつも拒絶しているわけではない。我々はほとんどみな、文献の系譜を再構築し、エスノメソドロジーの研究が一般的な社会学的、哲学的問題にどのように関連しているのかを議論することが必要であり、興味深いことでさえあると考えるときがある。サックス自身、折に触れてこれを行った。
 しかしながら、エスノメソドロジーの研究プログラムを哲学や理論や経験的研究の先行者へと遡及させようとする試みによっては、サックスの拒絶が明確化したことを解き明かすことはできないと私は思う。サックスは単に自分の思想の源泉を明らかにできなかったのではなかった。そうではなく、彼は、思想の源泉が学問的系譜の中にあるに違いないという対話者の前提を受け入れることを拒絶していたのである。
 理論的に語れ---社会思想の文献伝統に同一化せよ---との要請に対するエスノメソドロジーの沈黙は、あまりにも容易に、エスノメソドロジーは非論理的だという見解を助長してしまう。以下論じるが、仮定や前提を明らかにしたり、文献的系図を描くことを不作法に拒絶し、沈黙することは、前提なしに研究しようという素朴な試みによって動機づけられるものではないし、また、エスノメソドロジストは世界をいかなる先入観も偏見も持たずに何とか探求するのだという、考えてみればいい加減な示唆を表すものでもない。私見では、この拒絶はそのようなことではなく、文献的知識という特異な、そして徐々に受け入れがたいものとなっている概念と結びついている。理論的に語るべしという要請に応じることの拒絶は、エスノメソドロジーが前提を持たないなどということではなく、その要請、つまり「あなたの考えが何に由来するのかを述べよ、もしその知識がないなら、我々がそれを述べられるようヒントを出せ」という要請にまつわる居心地の悪さと関係があるのである。このような要請は、「思想」というものは一つの、もしくは二、三の簡潔な文で表現されるべきだということを要求しており、さらにこの要請は、今ある思想は学術書を書いた有名な著作家によって表明された、関連する思想に由来しているということを仮定している。この要求が人間科学において支配力を有している限り、エスノメソドロジーがこの要求を拒絶しても、他の者がエスノメソドロジーに成り代わって文献伝統を構築しようとする機会が生み出されるだけなのである。

………

 エスノメソドロジーは過去40年間少しずつ分裂していき(Maynard & Clayman,1991)、かつて緊密に統一された研究プログラムであったなどとは信じがたいほどである。恐らく、ガーフィンケルエスノメソドロジーのプログラムを代表して語ることは適切であろう(Garfinkel,1996)。結局のところ、エスノメソドロジーは彼が産み出したものなのだ。しかし、ガーフィンケルの著作を洞察し得る者がほとんどいない以上、そして彼の教えを一貫して追求してきた者はさらに少ない以上、ガーフィンケル以外の者にとって相応しいのは、エスノメソドロジーを説明する方法を修正してゆくことでしかない。そこで、私は、私がいかにエスノメソドロジーのプログラムを理解するようになったかを詳述し、これによってエスノメソドロジーの理論に対する拒絶を論じてみたいと思う。


このリンチの言葉は、「お前はマルクスを知らない」と言われたフーコーが反論して、「お前らは『ある「作者」がいる』ということ、『ある一冊の「本」がある』ということがどういうことか、そこにどれほどの実践がなされているか、考えたことはあるのか」と言ったという逸話を想起させる。こんなことをリンチが言っていたということを、EM研究者(を自認している者)は憶えているだろうか? 知っているだろうか? リンチが指摘する問題を真面目に考えたことがあるだろうか? 恐らく、ほとんどのEM研究者は、こうしたリンチの問題提起を真面目に考えていないと思う。

昔々リンチを読み始めた院生の頃、先輩のNSZK氏に「リンチってEMの極左でしょ」と言ったら、「極左か極右か分からないけどぉ、過激派ではあるねぇ」と返された記憶があるが、伝統の破壊という点ではやっぱり極左だと思う。正確には、恐らくリンチはその伝統(学説史)とやらを否定するつもりはなく、それが一つの実定性を獲得する際の実践を研究せよというだろうから、リンチの立場は手続き的にはデリダ的「脱構築」、内容的にはフーコー的「系譜学」に近いと言うべきだろうが。




EMは突き詰めれば人々の理解の方法に関する研究だ。そして、その着眼の基礎は、活動の自己解明性(自己組織性)だ。人々は自らの活動を自らの活動の中で自らの活動として理解可能としている。我々の社会の客観的事実はこうした活動を(フーコー流に言えば、その「実定性」の)基礎としている。この方法手続きをその人々と同じ身分において詳述することがEMのポリシーだ。ガーフィンケルが、『EM研究』第1論文「EMとは何か」の最後で、定冠詞をつけて語るEMのポリシー(The policy)は、まさにこのことだろう。こんなこと、EMをちょっと勉強すれば、誰だって分かるし、語ることができる。

ところが、こんなEMの基礎ポリシーを、ほとんどのEM研究者は自らのEMの実行それ自身に応用することができない!ガーフィンケル流に‘誤読'された「社会的事実の客観的現実は社会学の根本原理である」というデュルケムの言葉は知っていても、それを様々な学問、そしてEMそれ自体に応用することができない。

EMも、それとして一つの実定性を持つ以上、それは活動の方法手続きとして「まず最初に」考えられねばならないはずだろうに、これを考えられない。そして、この問題をすっ飛ばして(あるいは無視して)、「EM」と「X」との関係とか、「EM」に対する「X」の影響とか、(リンチの言い方では)「社会思想の文献伝統」とやらを「まず最初に」考えようとする。そうした問題が「EM」にせよ「X」にせよ、まずは活動の方法として存在している学術集体であるということを忘れて問題化する。こうした問題を立てるとき、すでに「EM」の存在、「X」の存在が前提され、かつ「EM」と「X」とを包括する一つの空間が前提されているということを何も考えない。こうした前提を暗黙裏に立てることが、「学問」というものを立ち上げる一つの手move(実践)になる、「社会思想の文献伝統に同一化」することなのだと気づかない。サックスがデュルケムの自殺の定義、ウェーバーの客観性の定義が彼らの専門的学問を開始する手になっていると指摘したことは、知識としては知っていても、自らの実践にまったく反映させることができない。





恐らく、多くのEM研究者は、「こんな問題を考えて何の役に立つんだ」「何でそんな問題を考えねばならないんだ」と反論するのだろう。しかし、これはEMのロジック、ポリシーの帰結だ。だから、こういう反論をしたい人は、EMのロジック、ポリシーよりも優先するものがあるって自認しているようなものだ。つまり、実はEM研究者ではない。

しかし、面倒なのは、あらゆる学術的な実践につきものだが、こういうEM研究者もどきがEM研究者の代表といった顔をしていることだ。確かに、学問は様々な雑多な活動の集体だ。こういうEM研究者もどきがEM界隈にたくさんいて、その活動もEMという統一体に無関係ではない。「エスノメソドロジーがこの要求[社会思想の文献伝統に同一化せよ]を拒絶しても、他の者がエスノメソドロジーに成り代わって文献伝統を構築しようとする機会が生み出されるだけ」というわけだ。恐らく、EMは、EMもどきに対して、その自らの反論がどういう実践的な手となっているのかということを、いつまでも教示し続ける必要があるのだろう。EMもどきは色々な活動の形で限りなくわいてくるに違いない。恐らくだが、リンチとCAとの最近の論争の根は、結局こういうところにあるんだろうと思う。

リンチの『科学的実践と日常的行為』にも先の引用とほぼ同じことが書いてあるが、もうその出版から25年がたった。EM研究者の宿命とは言え、リンチもいいかげん面倒くさいと思っているだろう。




ところで、前から不思議なのだが、日本では「専門はEMとZイズムです」とかいう人がいる。EM研究者であり、かつ学問的に政治的Zイズムの主張もしてるとかいう感じで。例えば、リンチが自身を「EM研究者でありかつ革新派モラリストだ」とか言ったら、後者はプライベートの問題なんだろうと理解するわけで、研究者として両者を両立させているなんて誰も思わないだろう。EMって研究者の能力の半分でできるほど、チョロいものなのか? そんなバカな(と思うでしょう?)。でも、日本では、こういう人が存在するし、これを要求する人もいる。どうして頭の中にEMと構成的分析が共存しているのか、それを要求するのか? 訳が分からない。結局、自分のやっていることをよく考えていない、あるいはEMを実践することをなめているんだろうとしか言いようがないと思う。EMもどきの一形態と言ったところか。

昔々、EMとX主義両方研究者としてやっているという某氏と話をしていて、「・・・は、ポストヒューマンの時代が・・・とか言ってる」なんて言うんで思わず「あはは」とか笑ったら、すごいシリアスに「ハラウェイだってそういうこと言ってるでしょ」と説教をされた。「え、今は、EM研究者じゃなくて、X主義者かよ。額の真ん中に点滅式のサインでも出しておいてくれよ」と思った。EM研究者が「ポストヒューマン」の研究してますとか言ったら失笑ものだろうが、X主義者としてはシリアスな話題になるわけだ。この種の人は面倒くさくていけない。




かつて、ある若手EM研究者が、EMを勉強し始めたときのことを話してくれたが、彼は「最初は論文をどう書けばいいのか全然分からないので、一生懸命EM論文を真似て書いては、それを研究会で発表してぶったたかれることを繰り返した」と言っていた。どんな学問もそういうところがあるが、論文作成フォーマットを持たないEMはことさら書くのが難しい。彼のしたことは正しいEMの学び方だと思う。そういう苦労をみんなしてEM論文を書ける、EMを実践できるようになるんだと思う。

で、次の問題は、EM研究者は、まさに様々なEM文献が示すとおり、その時、自分は何をどう考え、何をしているのか、ということになる。つまりエスノメソドロジー的にエスノメソドロジーを分析すること。一体いかにエスノメソドロジー研究家はエスノメソドロジーを書いているのか? リンチがガーフィンケルの提唱した「固有妥当性要求」を「読者に方法を適切に教示すること」つまり「EMを適切に書くこと」と定義したことの理由が分かろうというものだ。聞くと語るは違うが、話すと書くもまったく違う。こういうことをちゃんと考えておかないから、EMのつもりでいつの間にかEMもどきになっちゃうわけだ。

無論、EMもどきの仕事を全否定するつもりはない。もどきをすることも状況によっては必要なときはある(私もさんざんやりました)。そして、EM研究者は、ある部分、必然的にEM研究者もどきでもある。だから、重要なのはもどきの自覚なのだ。そして何かあれば、もどきではないEMを語り、書けるということなのだ。もどきではないEMを書くこともできず、自分のしていることがもどきであることも分からず、真面目なEM研究をしようとする者に対して意見する・・・なんてことは止めて欲しい。そのためにも、EMそれ自体の実践について考える必要がある。これは自分の過去を振り返って思う、自戒の言葉です。



(続)