依存症を呼び込む因子 〜依存症としての摂食障害〜






ネット依存や恋愛依存も含めて、
まず現実社会が面白くない、不満がある、
コンプレックスがある、プライドを傷つける、
いろいろな目を背けたい現実空間があるのかもしれない



その現実空間から逃げて、
実際に非現実空間でちやほやされたい。











現在の日本では「他人に負けるもんか」という気持ちがすごく低下していると同時に他人に親切にするという気持ちも低下している。



「俺は俺のことだけ」というのが
すごく強くなっている社会に。




それは、ハマる対象となる媒体が
今と昔で違っていることとも関係
があると思います。



例えば昔は多くの人がハマったのは麻雀があります。
麻雀というゲームは他者との比較の上で、試合に勝ったり、負けたりするものです。



勝負に勝った者は
「俺は勝負に勝った」という優越感を持ち、
負けた者は「俺は幾らやっても勝てない。悔しいから一生懸命勉強して勉強のほうで勝ってやる」
と言って勉強を頑張る。




他人に対する嫉妬心が
イロイロな事を向上させるということがありました。



しかし、今、携帯電話やテレビやゲームなどは
他人との比較を殆どせず自分の幸せだけにハマっていくということになり、優越感も嫉妬心も生まれなくなっています。






さらに「社会性」という観点で
「社会性のないハマり方」というのが非常に深刻な問題になっていると思います。








それから、もう一つ、最近の日本人には好奇心がないということが
ある種一番つらいことだと思います。


「好奇心」、それから「やる気、集中力」というキーワード。


ただ、これらと「依存」との関係がまだはっきりしません。


















子どもを育てるのに一番やってはいけない事は
厳しすぎる家庭でもなく、
甘すぎる家庭でもない。



はっきりわかった事は
甘いのと厳しいのを変わりばんこにやった家庭だと言う事。






あるとき同じ行為をやって褒められたのに
次の日はお父さんがむしゃくしゃして殴られたとあっては
子どもは世界に対する態度と価値観が分からなくなって
自分が出来上がらなくなる。



親の顔色が全てになってしまい、
極めて他人に迎合的で依存的な人間に。






・人は報酬を求めて生きる






パチンコで大当たりしたときに流れる音楽、
そういうものも報酬ですし、
あるいは人から褒めてもらう事、
そういうものも報酬になります。


褒めてもらうと自分のプライドを満足させられる。


つまり、そういう報酬によって人間の行動は誘導される。








今の世の中で
依存症が社会的な病理と考えられるのは
あまりにもお金と学力の二つに報酬体系が集中しすぎていることが
原因ではないかと思います。










ここまで
(依存学ことはじめ 船橋新太郎 編 晃洋書房) 参考引用



依存学ことはじめ―はまる人生、はまりすぎない人生、人生の楽しみ方

依存学ことはじめ―はまる人生、はまりすぎない人生、人生の楽しみ方










☆☆







豊かで多様化した価値観の中で、
方向性を失い、疎外され、生き甲斐を喪失し、空洞化した心を持つ現代人には、心のバランスを失い、心の問題や悩みや「依存症」や病気を抱える人が増えてきました。



人間というのは常に幸せを求めて努力するものですが、
すでに衣食が足り、家庭の環境が幸せあると、
その幸福であることが実感できなくなってしまうもののようです。



自分の将来、生き甲斐、目標を失ってします。
そのために、目先のものにのめり込んでしまう。


それらの気持ちを埋めようとするところから
アディクション行為に走る。




依存症を招く心の問題は
「空虚さ」「自信のなさ」「人から何かしてもらいたい」です。






買い物依存症では、
心の空虚さをモノで埋めています。
どうしてもそのものが必要というわけではなく
買うこと自体が快感となるのです。





ギャンブル依存症もコレに似ていて、
賭けていること自体が快感になっています。


もう一ついえることは、
人格的に情緒が不安定で、未熟だという点です。
いつも愛情に飢えている状態なので、人間関係が往々にしてうまくいきません。












ここまで、(依存症がよくわかる本 榎本稔 主婦の友社)参考引用


依存症がよくわかる本―家族はどうすればよいか?

依存症がよくわかる本―家族はどうすればよいか?




☆☆








自分の本当の欲求は、ずっと満たされることはなく、
できた空洞は大きな空虚感となり、
だんだん楽しみや痛みをともなうようになってきます。


そのため、悲しまないですむよう、痛みを感じないですむように、
知らず知らずのうちに何かにのめりこんでしまいます。







たとえば、気分を変えてくれる物質。
高揚感をもたらしてくれる行為。
心を満たしてくれる関係。



これがエスカレートしていくと「依存症」へと転がっていくのです。
つまり、依存症は「自己喪失をベースにした苦しい生き方」なのです。



依存症の患者さんに、何をやっているときが一番楽しい?と聞いても
特に何も、寝て居る時が楽しい、といった感じの答えが返ってきます。
もしも本当に自分が何をしたいのかわかっていれば、その目的に向かって
建設的なことをするはずです。




わかっていないから、手当たり次第にいろんなものに
依存をして自分を見失ってしまうのです。


何をしているときが、楽しいですか?
好きなことがありますか?




あるのなら依存どまりです。
ないのでしたら夢中になれることをみつけるのが
必要であり、依存症に陥らないための予防策です。





ここまで、(疲れが取れないのは脳が原因だった/姫野友美)








☆☆
















■依存症の原因と考えられる事(上述資料からの推察)











・他者性の排除、他者からの承認欠如



『他人との比較を殆どせず自分の幸せだけにハマっていくということになり、 優越感も嫉妬心も生まれなくなっています。
「社会性」という観点で「社会性のないハマり方」と言える』










現代人は他者の目線を気にしなくなっている。



過大自己とか仮想的有能感という他者の存在を排除した
自分だけの温かな世界、自己愛の世界で生きていているのだ。


他人の迷惑を考えない公共の場での振る舞いが
若者のそれを物語っている。







ただ、他者は気にならないしどうでもいいのだけれど、評価をされたいという思いは持っている。
正しくは「他者からのマイナス評価は感知しないが、プラス評価は得たいと考えている」と言った方がいいだろう。



「批判は受け付けないけど、肯定的な評価は大歓迎だよ」と言っているのだ。







ミクシーに 「肯定的なコメントだけでお願いします、それ以外は速攻削除します」見たいな事を書いているのを見ると、いかに現代の若者が批判を恐れ、肯定してくれる存在を渇望しているのが垣間見れる。












人間は他人に認められて承認されることで
自己効力感が高まって自尊心を、存在している意味を感じられる。
だとすると、他人との関係なくして人間は満たされることはない。


そうした他者を自己承認の道具としか見て居ないような人間が
他者から承認されるわけがない。


承認される機会が無くなり
なんとなく満たされなさや生きている手応えを感じられるずに
刺激や快感を得られるものに依存しているのではないだろうか








他者は自分を不快にする邪魔な存在であると思っている反面、
他者からの評価を得たいと思っている。


けど、他者とは交われない。楽な人生だけど、なんだか満たされない。
だから、人以外のモノで心の空洞を埋めようと思って依存物にハマっていく。



現実を見ないように。
現実の人間関係では得られないから仮想の満足を味わおうとする








そう考えると
他者との関係から逃げている限り、依存症は増える。



なぜなら人間は他者から認めてもらって始めて満足するから。
他者を無視していては結局、自分を殺す事になるのだ。


そんな当たり前の事にも気付けないほどに、
自己の世界に潜り込んで自分を守ろうとしている。
けど、そうやって閉じこもることで守ろうとしても結局は空しくなるだけ。

自分を満たす道具として他者が役に立たないと分かれば、
人間以外のお手軽に自分を満たしてくれるものへと手が伸びるのは、
ある意味で自然な流れなのではないだろうか。













人間は、一人では幸せになれない。
他者の評価を排除した自己愛世界に閉じこもって
他者からの愛を求めてばかりいては人間関係はうまく行かず、いつまでたっても埋まらない心を抱えたままで過ごす事になり、埋まらない心でバランスをとる為に依存物(アルコール・薬物・セックス・過食など)に心の拠り所を求めていく人間が、
このコミュニケーション不全の時代には増加の一途を辿るのだと思う。



















・自尊心を保つ術が無い


『依存症が社会的な病理と考えられるのは
 あまりにもお金と学力の二つに報酬体系が集中しすぎている』




お金と学力以外に自尊心を預けられる場所が少ない。
学歴競争に敗れてしまい社会的に認められる会社に属すことが出来なかった人が


「自分は価値のある人間だ」
「学歴・会社はだめだったけど、社会でも認められる長所を持っている」


という事を感じにくい社会。





もしも、学力が身に付かなくてお金を獲得できない場合、
こういう資本主義の競争に敗れてしまった人が
自分が自分の価値が在る!という事を感じられない社会
になってしまっている。




空虚な心。自己肯定感が欠落している。
だから、埋めようとする。


自尊心を預けられる場所が少ない。





学力における点数とか会社での成果とか収入の多寡とか
見えるものばかり、序列がハッキリしていることでしか、
自尊心を感じる事が出来なくなった。




目に見えないものに価値を感じれなくなると
目に見えるもので自尊心を保とうとする。



だけど、学歴も収入も絶対に敗者が生まれてしまう。


その敗者たちが自分の価値を自分で感じ、周囲の人にも自分の価値を認めてもらえているって感じれる場面があまりにも少ない。






人との間にある、見えないけ安心感が根付いて居ないから
現実に見えている、分かりやすい形で目に映るものに
忠誠心を発揮していく
のではないだろうか。






分かりやすく、手軽に、相手の評価を必要とせず、自分だけで自分を満たせる方法。


これらの条件を依存物は
全て満たしてくれている気がする。













自分だけの絶対的な価値観の中で満足できて、
他者からの評価を忘れられる世界に連れてってくれるのは
依存物が最適なのだと思う。













・責任逃れ




『「好奇心」、それから「やる気、集中力」というキーワード。』





自分の抱える不安でイッパイイッパイ。



「自分は何者なのか?何で孤独なんだ!」って
常に心が不安だから集中など出来ない。



ふとした瞬間に自分の存在への疑念が湧き出てきて
意識が不安に支配されてしまう。


常に不安で、不安を闘っていれば他の事に意識を向けることなど出来ないだろうし自分の不安以外に好奇心とやる気を持つことも難しいだろう。








そして、そんな自分を忘れる為に
ある人たちは食べ吐き、摂食障害によって不安を吹き消そうとする。
忘れようとする。










また、「何にも興味を持たない人が多い」というのは、
恐らくだが責任を取りたくないっていう現代人の思いが見え隠れしているような気がする。








たとえば、
ある会社でブレストをしたときに、
アイディアは出すけど、言いだしっぺに責任や仕事を回さないで下さい、って言った社員がいたそうだ。




興味が無いというか、自分を煩わす面倒、
興味が無いフリをしていた方が安全、ということなのだろう。







興味を示したら責任が伴うかもしれない。
自分の特になるかどうかもわからない、現状にさらに重さが加わることは
ちょっとリスクがある。




だから、興味が無い、
あっても無いフリをするのが得策だと考える。







失敗を許さない社会、減点主義で
リスクをとると損をするという社会になっているのかも。






そんな風に興味があっても
これ以上傷つきたくないという
ギリギリの自尊心を持っているのが現代人。



「これ以上、傷つきたくない」
「自分のやった事で責められるのは嫌だ」


こういう思いの方が成功への意欲より勝りリスクを抱える事を敬遠させ
責任を逃れる。




自分の責任を責められて
自尊心が傷つくことは
何よりも避けたい事態なのだ。





そうやって全ての事は自分の責任外のところで起きていて
被害者意識が加速
してしまうと

「漠然と満たされない自分のモヤモヤにも
 責任を持ちたくない。だって、社会のせいなんだから」



っていう気持ちが深層には隠れているのかもしれない。






傷つかない事が最大の目標であれば
好奇心もやる気も集中力も
持ち合わせる必要はないし
責任なんて邪魔なだけだ。








なんで、社会のせいなのに努力して解消しなきゃいけないの??という
心境を抱える。



しかしながら、気分が良くない・満たされなさを感じているのは事実。
だったら、手軽に簡単に出来る方法を…と依存物に満たして「もらおう」とする。









こういう主体性の無さ、他責傾向の増加が
依存物へと走らせる
のでは。













・感情という自己表現を失った



『子どもを育てるのに一番やってはいけない事は
 厳しすぎる家庭でもなく、甘すぎる家庭でもない。
 やっていいことと悪い事の境界が育たなければダメ』







アダルトチルドレンを作る要素も親のアンビバレントな指示だった。
同じ事をしているのに親の気分で善悪が入れ替わってしまっては
何が正しいのかわからずに常に不安だし、親の機嫌で世界が変わるんだなって学んでしまう。




自分の軸が育たなくなってしまう。



こうやってACの人は
自分で決める事が出来ないから他人に寄りかかって生きていくし
他人に合わせようとするから他人の顔色うかがって生きていて生きづらさが蓄積される。







そうすると、親が全てに判断基準となって
子ども達は自分の感情を要圧することを覚え、
感情を、自分を表現することを忘れていく。


幼い頃から感情を出さない事が普通になっていれば
物心がついたときに感情を出さないといけない必要性を感じられなくなる。




その場に即した適切な喜怒哀楽が出せないので
常識ではとても理解できないような怒りや攻撃性が
心のスキマから噴出してもおかしくない。




感情表現の能力を失った子ども達は
自分の感情を他人に思うように伝える事が出来ないから
漠然とした不安感や空虚感を持ちやすくなる。



ただ単に心の中の不安や葛藤を適切な形で言葉として
表現できないのはもちろんのこと、
不適切で好ましくない感情の表現方法をとる。


それが行動化という暴力とか非行であり、過食・嘔吐という
摂食障害なのではないだろか。心の中の感情を適切に言語として表現できない。

感情を言葉でで伝える事を放棄しているから、
代わりに感情を放出させてくれる存在が必要。
でも、訓練は嫌。言葉とか自己主張とか
身につけようとするものダルい。


だから、短期的に気軽に、気軽な依存物によって
スッキリした(錯覚の気分)になろうとする。







ストレス負荷を処理できずに衝動行動としての
過食嘔吐によってバランスを取ろうとするのかもしれない。












・欲求不満耐性が脆弱




今のアラサー以下の世代は空気を読むのは大得意。しかし、自己表現と欲求不満耐性が不備だから、
たとえ正解が分かっていたとしても正解を表現できなかったり
不正解を表現しちゃったりする。自己統制できなければ高度な空気読みも絵餅。




表現できない。
抑制できない。


空気だけ読めても行動で示さないから
誰にも認めてもらえずに「どうして能力が在る自分が認められないんだ!!」って、これも自己愛的な世界で怒りを溜めていく。






挫折を知らない。
あるいは自分の挫折の原因を人のせいにして、挫折を挫折と
思わずに生きてきたから
自分の思い通りにならないと耐えられない。


思い通りなら無い自分の人生に出会ったことがなかったので
激しい憤りを感じてストレスを抱える。


努力をして現状を打破した経験がないから、
現状を忘れる方向に逃げて自分のプライドを守ろうとする。




その逃げる自分を最大限にアシストしてくれのが依存物なのではないだろうか。




現実と向き合わずに直面している現実を忘れる事で自分を楽にするには
依存という世界に浸るのが最も効率よくて手っ取り早い。















・人間関係による安心を得られない







他人と付き合っていくには
相手の事を理解しようとする想像力が必要だ。


しかし、感情について、自分の事について自分で分かって居ないのだから
相手の状況など推し量れるわけが無い



感情を無くしてしまっている。
自分の感情が分からなければ、
他人の気持ちなど分からない。




だから、他者と安定して温かな関係を築くことが難しくなる。





寂しいから人と関わりたい。
だけど、うまく付き合えない。
他人がそこそこうまく付き合っているのに
自分は人間関係をうまく出来ない。


うまく付き合えない自分を感じるのは嫌だ。
傷つきたく無い。



けど、一人は嫌だ。だから浅く傷つかない程度の付き合いを
お互いが望む。
けど、それで満たされる事は決してない。




せいぜい現状維持で、
小さく淡々とダメージが蓄積されていくだけ。








だけど、そんな無理をして相手に合わせて空気を読んでグループに
所属したところで本音は言えないし関係は深まらず
満たされなさは増幅していく。
だから、寂しさを埋めたくて依存物にハマっていくのかも。






人間では無理って分かってしまったら
自分を拒否しない依存物、
アルコール、パチンコ、セックス、食べものに
救いを求めても不思議じゃない。











心のスキマを感じながら生きるのは耐えられない。
だったら不健康と分かっていても
食べて吐いて、埋めて、すっきりして、現実を忘れたりしたいのだ


現実を忘れる事が出来たら、
現実で起こっている嫌な事はこの世界から無くなった事になる。







寂しさを感じている自分を感じなければ、
寂しさは無かった事になるから。















・努力してない自分に罪悪感




努力を強制されてきて空白の時間に耐えられない




忙しくするのは空虚な今を感じないため。
空白を感じるのがいや。

努力できない瞬間だって必ず訪れる。
球形は必要だ。



そういう”空白の時間を抱えている自分”に人間が必ず付き合ってくれるとは限らない。
自分が空しい時に絶対に一緒に居てくれる人など居ない。




だから、いつでもそばに居てくれて一人で楽しめる依存物に頼るようになる。



空白の自分に付き合ってくれて埋めてくれるものを頼るようになるのではないだろうか。
空白の時間に出会う自分を回避する為に、いつでも付き合って安心感を与えてくれる依存物に
心預け、こころうばわれていくのではないだろうか。















・自意識の過剰が「見られる自分」を過剰演出させる




「最近の若い男性は、人との争いごとや揉めごとを避けたがる傾向にあります。
 仕事でもプライベートでも、意見を戦わせるよりは相手の意見に賛同する
“一見いい人っぽい”タイプが増えています。」






個別的な他人に関心は無いけど、
”全体的な他人からの目線”は過剰に気にしている。

競争は嫌だけど他人を気にする。







良い子と言う包装紙を見につけないと
親から愛されなった人が増えているとしたら
大人になっても評価を受けることでしか自分を感じられない、
「自分は自分だ」という根拠の無い安心感が育って居ない。



だから、評価を過剰に気にして
自分以上の自分になる為に、努力をしないといけない。




だけど、努力はつらい。
満たされて居ない自分を引き揚げる努力が面倒。出来れば避けたい。


しかしながら、イマイチ満足感に欠ける。



だから、お手軽に現実を忘れる為に依存物に走るのかも。







さらに残念ながら、現実を直視する事を(無意識に)避けているから
自分の評価が低いのはどうしてなのか、現実の自分を自覚できずに
改善点も見つけられない。


たとえ見つかったとしても
現実を見ようともしないし努力もしない。



そうして
現実と向き合わずに”錯覚の達成感”に
ますますハマっていってしまうのかもしれない。

















・自我の未熟さ




人格の独立心が乏しくて不安が強いから依存的になる。
心の自律できていない。




社会のシステムが出来上がっていて
システムが成熟していて生存不安は無くなった。


ある程度自分の守られる環境が整っているから
無理に人間として育っていく、強くなっていく必要性がそんなに無い。


そうなると、我慢する事の必要性を感じられないし学ぶ機会も無かった。






ある意味では、
社会背景から生み出されている
といっても良いのかも。









人格の独立心が乏しくて不安が強いから依存的になる。
心の自律できていない。




あまりにも自我が脆弱すぎるから
他人と交わる事が出来ずに
他人を避けているうちに
どんどん孤独
に蝕まれていく。




未熟だから健全に寂しさを抱える自分と向き合えない。
けど、空しさを抱え続けるのはシンドい。
だけど、根本的な方法、人との間でそれを解消できない自分がいることは分かっている。




社会に厳しさに触れる事無く育ち、
欲求不満に耐えるという体験が乏しい。


そのため、
自分自身の問題を自ら悩んで解決する力が不足。
自分自身の未熟さに起因する問題であるにも関わらず、
都合の悪い事は他人のせいにする。






今と向き合えないから未来など無い。


そのため、中長期的な視野を欠き、
目先の楽しさ、目先の刺激を求め、
空虚さを忘れる為に、そこに依存していく事になる。













悩みを悩みとして向き合わず、
依存物という迂回路を使って、錯覚の中に居座ろうとする現代人。





自分の中にある程度しっかりした自分がいないということが
暴力や依存症などの受け容れられ難い行為を
生んでしまっているのではないだろうか。

















・ドーピングとしての依存症




<<




自由であるがゆえに、かえってとまどいを覚え、
自分で進む道を選択して自立することに不安を感じている。
自分で選択したからには自己責任として
最大限の成果を出さなければいけない…という強迫観念に襲われる。



ここから派生して
「あきらめることの衰退」によるところも
依存症の増加として大きいのではないか。




成熟して大人になると言う事は、ある意味では、
自己愛の傷つきの積み重ね、つまり誇大的な自己イメージを喪失していく「断念」の過程でもあるわけだから、それを拒否している彼らに認められるのは、成熟拒否である。

成熟拒否ゆえに肥大した自己愛的万能感を抱えた若者達が
増殖し他方で、依存症が急増しているのである。



「あきらめない」ことによって要求される努力や苦悩を棚上げにして、
薬物の助けを借りるのがドーピングである。
しかも、依存症という重い代償を伴って。





(やめたくてもやめられない/片田珠美/洋泉社 )参考引用




<<









過食嘔吐が無ければ自分を支えきれない日常を送っている。
身体からの悲鳴を感じていても理想を諦めきれないから、
ドーピングとして過食嘔吐をして自分を奮い立たせて現実に向かおうとしている。


自分の選択を信じ限界を認めないで
自己実現を果たすために…。


















◆まとめの文:依存症の背景として



認められたいけど努力したくない傷つきたくない。
努力なしで幸せでい続けられるという桃源郷の中で生きてきているので
問題を避けていても、なんとなく育つ事が出来たり、当面は対して困らなかったり、という風にボンヤリした人生に慣れすぎている事が背景にあるのかも。




自分が現在置かれている人間関係や生き方には
自分自身の不備があるはずなのに、それに向き合おうとしないっで
誤魔化して、忘れようとしたり、向き合わない理由を作ったり、楽しく生きるだけを目指して生きる人が増えている
と仮定すると、依存症患者は増えていくだろうと予想される。



自分で自分の問題に責任を持って現実に向き合っていく力の欠如が
依存症を呼んでいるのかもしれない。





うまくいかない現実を忘れる為に依存物を使うし、
避けているから解決されず満たされないままに生きるから
空しさや空虚感が湧き上がってきて、それに対処できなくなって
依存物の力を借りて、その場しのぎを繰り返す。


現実の問題と向き合わずに何も解決されていないから苦しみは
いつまでたっても終わらない。



終わらない苦しみの対処法として依存物の使用が常習化し
依存症に進んでしまうのではないだろうか。















■結論(依存症を予防・改善する為に) 



依存症を防ぐ、克服するためには『真面目に生きる


真面目=本来の姿







・あるがままの自分、そこにある現実から逃げずに受け止める。


 真面目に問題に直面化することが大切。
 孤独であったり寂しかったりうまく行かない現実だったりという
 自分に降りかかっている問題に向き合う事を避け本質的な解決ではなく
 誤魔化そうとするから、依存症になる。






・本来の自分の許容量を心得て限界を受け容れていきていく。

 今の生活が苦しいなら依存物に頼らない方法で乗り切れるか
 ストレス度の低い生活に変更しなければならない。










・武器を取り戻す


 強さを見につけるには
 自分を支える武器を取り戻し、身に付けなければならない。
 それは言葉や気持ちのこと。



 ことば・気持ち・からだ=心を支えている3つの柱

 
 思考・感情・感覚が三位一体になっていると折れない。
 逆にどれかが掛けると、脆さが露呈する。

 人間には生きていく為に、自分で自分を支えるだけの機能が備わってい るはず。それを失ったのなら取り戻して
 本来の力強さを取り戻さなければならない。


















自分を偽らず、
自分から逃げず、
自分の人生に責任を持つ。




自分で生きなくても生きれる社会、
自分に起こる嫌な事を自分で解決しようとしない自我の脆弱性
定着しきると、依存症を逃げ場として使ったり、
生きている証として痛みを求める場所になりかねない。




個々人が自分をしっかり生きていく覚悟が
依存症を未然に防ぐのだと結論付ける。