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深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

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2017-07-26

手をつなぐ/老道・66

手をつないでいた老婆。

相手は、還暦をとうに超えた娘である。

その傍らを、紙袋を抱えた若者が自転車で通り過ぎていく。

よろけそうになる老婆。

すると、娘が、「大丈夫、手は決して離さないからね」と――。

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beatjwbeatjw 2017/07/26 22:41 ▲『鉄条網、切れる』(写真)
 写真では分かりにくい。
 が、鉄条網が切れていた。
「へえ」

 わたしは、少しだけ嬉しくなっていた。


【それぐらいはする】
 貧乏人、つまりは金なしでもすることがある。
 例えば、葬儀。
「せめて、お弔いぐらいは…」
 それが人情というものである。

 であるが故に、喰いっぱぐれがないからと、貧乏人が葬儀屋を仕事にしようとしても、何ら不思議ではない。
 事実、わたしも想ったぐらいだ。

 それにしても、資格社会である。
 掃除業務にもあるとか。
「てえと、この先も、なかなかに厳しいのか、就職するのは」

 ふと、想い当たる。
 医師という存在を。
 病の情報を専有化し、金持ちになった方々。
 ま、良心的な方々が多いのも、確かなのではあるが。

 ともあれ、弁護士なども含め、不幸産業の自覚を持てば、そうそう、偉そうにはしていられないのだが…。
 葬儀屋さんが、偉そうにしたら、まず、キャンセルされるだろう。

 そうした中、友人の葬儀終了後、「また、よろしくお願いいたします」と言われたことがある。
 そのときには、苦笑するしかなかったものだが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ううむだわな」】
 またしても鍵を落としてしまった。
 んで、家族の帰宅を待つことに。
 たまに9時台に帰宅したのに…。

 佳き今夜を。

 それにしても、スマホにロックがかかっていて、メールが来ていたのに気づけなかった。
「意味ないじゃん」

2017-07-25

介護労働者たちと出逢う/この領土で・419

介護の賃労働は、日本では、こけにされている。

が、「嘘を言わない、まともな仕事だよな」と。

基本は直面することに向かい合う。

これだ。

高額所得者にみられるような嘘がないだけでも、安心できるのだった。

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beatjwbeatjw 2017/07/25 18:27 ▲『女の子がいた』(写真)
 自転車で走っているとき、子どもたちの声が。
 想わず止まり、覗いた。

 すると、きゃっきゃっとやっている女の子たち。
「へえっ、今もいるんだな」

 場所は境内。
 夏休みらしい場所だ。


【パワハラ野郎め】
 過日、某大手企業でのパワハラ事件について、お話をうかがった。
 パワハラした者は今、ちょっとした有名人らしい。
 わたしは、名前さえ知らなかった。

 帰宅後のことだ。
 ウェブで、パワハラ野郎の著作を調べてみた。
「利益ばかりに注目する奴だな。
 冗談じゃねえや」
 そう、痛感を。

 人を人として扱わないことで、自分を保つ輩は、まだまだいるのである。
「ケッ」

 驚いたのが、そうした一連のことがバレていても、一向に気にはしないといった点だ。
 むしろ、自らの肥やしにしているかのようなのだった。

 驚いたものだ。
 唾棄すべきことである。
 関わりたくはない、関わらさせたくもない。
 そう、実際に呟いていた。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「逆に、不幸を生産しているってか」】
 高額所得者で資格を持つ者としては、医師や弁護士等々が挙げられるだろう。
 が、しかし、人の不幸で食べていることを思えば、不幸産業を担う職種ではある。

「偉そうな手合いは、ご免だね」
 そう体感する由縁だ。

 佳き今日を。

 相変わらずの寝不足だ。
 賃労働の峠が視えないのだった。

2017-07-24

忘我の朝/些事の日々・236

洗面所で蛇口をひねる。

水道水が渦を巻いて流れ落ちていく。

理由については諸説あるらしいが、一瞬見惚れてしまう。

視えない力の視覚化といったようなことはまあいい。

慌しい中、薄目で洗顔をしたのだった。

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beatjwbeatjw 2017/07/24 22:30 ▲『影』(写真左)と、『花火』(写真右)
 花火の音がした。
 そこで、音のほうへ。
 自転車を走らせたのである。

 ご高齢の方々が嫌がるのも当然かなと。
 空爆の音そのものだったからである。
 遠くに視えたのだとしても。


【姿勢正しくではなく、姿勢よくいきたいよなあ】
 月曜日だ。
 労働の追い込みの時期である。

 そうした折、ふと想い出していた。
 団塊世代は、ビートルズ世代ではないとの件を。
 確かに、当時、聴いていた方々は少数派だったのである。
 不良という言葉が、まだ生きていた時代だ。
 牧歌的だったとも言えるが。

 とはいえ、少数派とはいえ、団塊世代は、今の少数派より多かったのだから、単純に今とは比べられない。
 ましてや、ロックが白眼視されていた時代ではもはやなく、ロック・キャピタリストさえ増えた時代なのである。

 ふと、「今の多数派、例えば現政権を支持している連中の総量にしろ、本当に多いのかどうか、不分明だよな」と。
 事実、個別化した事態は多い、多過ぎる。

 そうした中、「んじゃあ、お前は?」と自らに。
 せめて姿勢よく歩いていきたいだけかも知れない。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「疲れがなあ…」】
 相変わらず、働いている。
 おしゃべりに打ち興じている手合いを視ると、暴力衝動には駆られないが、「おいおい」とは想う。

 いやはや。

 佳き今日を。

2017-07-23

「間違えちゃった」/車内慕情・5

高齢の女性と孫が電車で愉しそうに会話を。

結果、下車すべき駅をどうやら間違えた様子だ。

気づいたのは、孫のほうである。

が、慌ててはいない。

女性が、「多く乗れてよかったわね」と笑い、孫は頷くばかり。

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beatjwbeatjw 2017/07/23 00:40 ▲『竹林で深呼吸』(写真上)、『植物園にいるだけで落ち着く』(写真中)、『水が消え、蓮が』(写真下)
 過日、労働前に歩いた場所である。
 自然と接し、身心が自然と、静かな心持ちに。
 いやはや、若いころは頓着しなかった光景か。
 が、30代も半ばを過ぎて以降、街中へ出るより、愉しいと体感するようになったのである。

beatjwbeatjw 2017/07/23 00:40 【死からの解放(後編)】
 さて、死ぬときの苦しみの多くは、亡くなっていく人と、残される家族との対立として、多くは現れるという。
 理解できる話だ。

 それ故、仲直りすることが、解放へとつながっていくのだそうだ。
 仲直りの中で、元の関係に戻っていくプロセスが、苦しみを解決してくれる場合もあるというのである。

 ある母親は、小さな子どもたちに、亡くなっていくことを、当初、「伝えたくない」と。
 が、実際に話をすると、子どもたちが逆に元気になったという。
 嘘ではなく、本当のことを伝え、関係が修復されたわけだ。

 子どもと死ぬ事実を分かち合う――。
 そのことで、自分の死を、自ら明確に体感する。
 そうして、死ぬ苦しみから解放への一里塚へと導かれていったそうである。

 いわば、たとえ死ぬ状況になったとしても、心は普段どおりに生きることができるのだと。 
 そうして、親が死ぬ苦しみからの解放を成し遂げていくことが、子どもの成長に大切なことなのであるとも。

 専門家は言った。
「亡くなっていく方から、残された方に、感謝の言葉を伝えることが大切なのです。
 その逆ではありません」

 いずれにせよ、死は必ず、訪れる。
 つまり、特別なことではないのだ。

「そもそも、死ぬことは、することが少なくなっていくこと。
 その中で、私たちは、することがあるだろうと。
 やはり、本当のことを伝え合うことを、大切にしてほしいですね」
 その言葉に、わたしは、静かに首肯するばかりだった。

 どうか、今日も、ご無事で。

 実は、またしても、疑問符が。
 分別の二項対立から解放され、無分別の世界で、死ぬ苦しみから解放されていくのだとしたら、それは、かつての戦意高揚とどう違うのかといった点である。
「近代・超近代の二項対立を超えられるかいな」
 そう、ふと。

beatjwbeatjw 2017/07/23 00:42 【追記/「気分はさ…」】
 夏である。
 できれば、人の中にはいたくない。
 木々の中にいたいものだ。

 日々、出稼ぎ気分だもの。
 そうして、出たとこ勝負の、日雇いの心持ち。
 あ、現実か。

 佳き今日を。

 後、数時間後、労働か。
 せめて、夜には水の森、プールで歩きたいものだが。

beatjwbeatjw 2017/07/23 00:51 ※貼り付けた音楽は、加山雄三氏のもの。
 中学生のとき出逢って、たまげた。
 最近読んだ新聞ガミには、「ロックをしたかった云々」と。
「そうだったのか、やっぱり」
 フォーク・ロックではなく、フォー・クロック、つまりは4時のこととか。
 オフロックは誤植だと想われる。

2017-07-22

いつも途中、最期まで途中/死を想う・24

人は最後には死ぬ。

いや、途中でか。

要は死んだから最期なだけだ。

途中なのだ、最後の最後まで。

最期の向こう側へ行き、周囲は最期だったのだと理解するのである。

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beatjwbeatjw 2017/07/22 08:13 ▲『お盆』(写真)
 お盆の祭。
 悪くない。
 が、単なる商店街の販促には、昔から興味がなかった、持てなかった、残念だった。
 静かに合掌できれば、それでいい。


【死からの解放(前編)】
 少し前、人生最期の日々であっても、普通に暮らせるというお話をうかがった。
 終末期医療に携わり、死と向き合ってきた専門家からである。

「人は、死の苦しみから解放されるのだろうか」がテーマだった。
 彼は、喝破したものである。
「たとえ死ぬ状況になったとしても、普通というと妙だが、今までどおり、暮らしていくことはできる」

 実は、告知が始まり、死と向かい合い、結果、「死にたくない」といった苦しみの声が、どんどん出て来たという。
 確かに。
 告知がされるようになって、苦しみがやっと、自覚した苦しみに変化したというわけだ。
 つまり、思い通りにならない現実を、思い通りにしたいといった欲望が働き、苦しみとなったのだと。

 そも、最先端の手術がうまくいっても、亡くなっていく方たちがいる。
 そこで、辿り着いたのが、ホスピスケアとは、わたしにも理解できる。
 ところが、うまくいかないこともあるという。

 どうしてなのか。
 欧米人と日本人とでは、死ぬ際の苦しみ方が違うからだという。

 つまり、欧米の場合、神を信じて、その意志を受け入れようとする。
 いわば、神と私の関係を正しくするのだと。
 間違っている私を、正しい私へと変えていき、死の苦しみから解放されていこうとするのである。

 しかし、うまくいかない場合は、どうするのか。
 ここに、許しと和解という概念をもってきたわけだ。

 ところが、日本の場合、どうか。
 無我という考え方もある。
 そもそも、正しい・間違っているという考え方とは違うのではないかと。
 いわば、善と悪、生と死、美と醜など、分別の二項対立から解放され、無分別の世界で、死ぬ苦しみから解放されていくのではないのかというわけだ。

 相反するものが同一化して、境界は不明瞭に。
 私らしさというこだわりを手放し、捨てて、こだわらなくなっていく結果、死ぬ苦しみから解放されていくのではないのか――。
 笑い、怒り、騒ぐ中で、こういうときはこうでなければいけないというのは、「やめようよ」と専門家は言ったのである。

(この稿、明日へ続く)

 どうか、今日も、ご無事で。



【追記/「相変わらず、あぢいなあ」】
 このところ、毎晩帰宅は、早くて10時過ぎだった。
 そこで、昨夜、「もう帰ろう」と。
 太極拳教室があることを想い出したのだった。

 たどり着けば、それでも8時。
「うへえ」
 とはいえ、快汗な小一時間を過ごすことができた。

 今日は労働。
 その前に、井戸水プールへ行くかと。

 佳き今日を。

2017-07-21

消えていく笑顔/この領土で・418

厳密に取り締まっても、意味がないときも。

突発的なことに安心や安全はないのだから。

無論、原発のことではない。

自由が怖いのは理解できるが、まずの前提だ。

実際、厳しくあればあるほど、笑顔は遠ざかる。

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beatjwbeatjw 2017/07/21 13:12 ▲『そそられる木っ端置き場』(写真上)、『「いいなあ」と呟いた、花を求める心性』(写真中)、『またしても、自転車が消えた日』(写真下)
 亡き愚母が暮らした界隈で撮った。
 少しだけ寛ぐことができたものだ。


【自転車の講習を受けた】 
 ギリギリに来て、わが物顔で席についた若い女性。
 よりによって、わたしの隣に座った。
「ケッ」

 案の定、スマホを取り出す。
 そうして、脚を組み、キョロキョロ。

 場所は、自転車講習会の会場である。
 100人以上も参集していた。
 遅くなったことにより、開会が遅くなったことに、反省の色なし。
「ま、そういう手合いなんだろうな」

 講習会の内容は、「交差点では、右左前後、そうして今一度、右を確認して渡る」など、あらためて勉強になるものばかりだった。
 というのも、自転車の事故は実に多く、映像で見せられた現場は、「ううむ」と唸らざるを得ないものだったからである。

 講習の間、隣りに座った若い女性は、スマホとにらめっこ、ついには電話さえしそうだったが、「親が死ぬ間際なのか」と言いたくなっていた。
 何のことはない、ゲームをしているだけなのだったが。

 大学ではもはや、ノートをとるものなどいなくて、スマホで撮影と聴いたこともあるが、さもありなん。

 ただ、ふと疑念が。
 ながら勉強ではないが、わたしより理解度は深いのかも知れないと。
「んなわけないか」
 というのも、見当違いの資料を視ていたからである。

 ともあれ、どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「こえええっ」】
 トラックの内輪差を見誤り、轢き殺される例もあるという。
 くわばらくわばら、鶴亀鶴亀である。

 必要性があり、参加した講習会だったが、勉強にはなった。

 佳き今日を。

2017-07-20

汗をかく、かき続ける/この領土で・417

黙々と頑張る人が。

宣伝などせずに。

そも、忙しくて、アピールしている暇もなしか。

もったいないとは想うが、だからこそ続けられる側面も。

額に汗することは少なくなったが、汗は視えない場所でかいている。

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beatjwbeatjw 2017/07/20 20:06 ▲『川3葉』(写真)
 小石を撮ったわけではない。
 実は、川である。
 水が少なく、かつ澄んでいたので、川の流れが視えないのだった。


【呆れてもあきれても】
「それにしてもなあ…」
 最近、痛感することしきりである。
「何とかならないのか」

 時の為政者たちの間抜けぶり、いや、人非人ぶり。
 呆れてもあきれても、愕然とできるものだと、あらためて知った。

 いっそ全否定し、眠っているほうがまともなのかしらんと。
 それほどに、精神衛生上、よくない。
 実によくない。

 だから、「今日もまた、どうか、ご無事で」と、お伝えしたい。

 監視カメラやGPS捜査、あるいは恣意的現場主義等々。
「やべえよなあ」、「冗談じゃねえよ」、「怖いじゃねえかよ」と。


【追記/「汗をかいている」】
 今日は歩いた。
 仕事も、何となくだが、前進を。

 どうか、佳き今夜を。

2017-07-19

記事の書き方/情報前線時代・24

記事は、結論をいち早く書くものだ。

長々と説明してから、ようやく結論を示すものではない。

労働の報告と同じことである。

情報社会である、読むべき媒体は増えた。

なお一層、守りたいことになってきたのだ。

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beatjwbeatjw 2017/07/19 22:11 ▲『露天風呂で、ゴロリとすれば』(写真)
 過日、露天風呂から出て、ゴロリと。
 当然、全裸、気持ちがいい。
 空を眺めようとしたら、写真の情景と出逢ったのだった。
 紫陽花に赤い葉、そうして東屋の屋根。
「へえっ」


【生活習慣病だなんて】
 生活習慣病という考え方。
 確かに、必要な発想だったのだろう。

 が、実は、その視点だけでは、まずいのではないのかと。
 食生活も含め、概ね同じ暮らしぶりをしていて、健康な人もいれば、病気になる人も。
 極端に言えば、ふしだらな暮らしぶりでも元気な方がいれば、健康的な日々を送っていて若くして亡くなる方もいるのだった。

 とはいえ、生活習慣は大切だと想う。
 何故か?
 あえて言えば、元気に病の日々を送れるケースがあるからだ。

 どうか、今日も、ご無事で。
 そう想う。
 
 105歳の医師が亡くなったという。
 かつて、車中で、お話をうかがったことがある。
 話をまとめ、お送りすると、赤字を即いただき、驚いたのだった。

「年齢なんか関係ねえよ」
 そう想うが、いやはや、そうでもない領域があるなと。

 合掌。


【追記/「眠いぜ」】
 梅雨明けだとか。
「何だか涼しいじゃん」

「暑さが続けば、さすがにまいるな」と想っていたところでの涼。
「何よりだわな」

 佳き今夜を。

2017-07-18

タンメン万歳/街歩き・1

中華屋へ。

かつて、小銭があれば通った店である。

よく食べていたものを注文、支払いの段となり驚く。

「へえっ、値上がりも、ここまできたのか」

が、同じ味という、当たり前の幸を味わえたのは、幸運だった。

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beatjwbeatjw 2017/07/18 23:51 ▲『真っ直ぐ』(写真上)と、『曲りくねって』(写真下)
 過日、働く前に訪れた場所。
 木の上を歩く――。
 絶妙なアイデアである。
「こうした技術なら、いいなあ」と。

beatjwbeatjw 2017/07/18 23:52 【いくつかの肝心なこと】
 国立がんセンターが抗がん剤に疑問符を――。
 その姿勢を礼賛する記事も散見できた。

 が、元の記事を読むと、75歳以上、わずか20症例で、抗がん剤を使ったときと、緩和ケアとでは大きな差はなかったというようなことだったのである。
 と同時に、今後、調査をと。
「何だ、随分と違うじゃあないか」

 もっとも、抗がん剤に関しては、手放しで喜べないあれこれもあり、我田引水で礼賛したくなる気持ちも、分からないではない。

 いずれにせよ、自然治癒力がアウトになったとき、人は壊れていくのだろう。
 そう体感している。

 そうした中、多剤投与など、問題は山積である。
 大手マスコミはあまり書かないが、最近では、書かないメリットが少なくなって来たのだろうか。
 そも、業界が患者を作る等、巷間、指摘され始めてもいる。

 いずれにせよ、抗がん剤推進派・反対派、どちらも、不安・恐怖につけ込むのだけは、やめにしてもらいたいものだ。

 自力更生もいいが、まずはその前に、身体に関して、徹底的な教育が必要ではないのかとも体感している。
 心に関しての教育もまた、重要だ。

 わたしたちは、勉強の方法さえ習わず、いきなり勉強させられている。
 順番さえ無視というわけか。

 まあ、とはいえ、あれこもれも、無理な相談か。
 そも、東大ができたのは、法学部からとか何とか、聴いたことがある。
 つまり、発生が、取り締まるための学問だったのだ。

 企業は官僚の天下り先としては、打ってつけなのだろう。
 中には、票田のための組織も、いまだにあるではないか。

 どうか、今日も、ご無事で。

 病気の消費者として、学ばないといけない時代であることは、今も確かだ。
「ヒデーもんだ」

beatjwbeatjw 2017/07/19 00:00 【追記/「あぢいあぢい」】
 今日は、天気が荒れたという。
 ゴルフボールの大きさの雹?
 たまげた。

 佳き今夜を。

2017-07-17

休日歩行/歩く・40

人々に囲まれるとうっとうしい。

木々なら話は別、快適なのである。

考え方はいくつもあるが、現実は1つだ。

歩く、歩き続ける、汗を拭うという現実を生きながら。

木々を目指しながら、木々の中を歩いていた。

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beatjwbeatjw 2017/07/17 13:34 ▲『緑の聖地』(写真上)と、『大きな緑』(写真下)
 どこで撮ったか、記憶なし。
 夏である。
 緑が燃えている感じがしていた。


【手のひらを合わせる日々に】
 正岡子規には、次の言葉があるという。
 こうだ。

「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」

「なるほど」と。
 病で苦しんだ子規ならではか。
 問題は、生きているからこそである。

 それにしても、お坊さんには、分かる言葉で、ちゃんと伝えて欲しいものだ。
 分からない言葉だから、ありがたいのではない。
 分かって、なおかつ沁みてくるからこそ、大切であり、指針となるのだ。

 周囲の1人ひとりが師匠。
 子でさえ、師匠なのである。
 そう想う者にとって、お坊さんも少しは、師匠としての言説をと。

 どうか、今日も、ご無事で。

「死にゆく人は死んでいる人と会っている」との発言がある。
 想い当たる節がいくつもある。
 合掌の夏。


【追記/「元気だぜ」】
 昨夜は、SNSで知り合った方たちとの宴会へ。
 総勢11人。
 愉しい一夜を過ごせた。
 とりわけ、あれこれ話してみたい方たちだっただけに、「へえ、いいもんだな」と。

 今朝は案の定、お酒が残っていた。
 最近分かったのだが、ピロリ菌も悪影響しての慢性胃炎のため、致し方なしか。

 ともあれ、佳き今日を。