城郭紹介/石友I君と訪れた出石城

今月の中旬、久し振りに石友I君と兵庫県北部の採集へ出掛けた折に出石城へ立ち寄った。丁度昼時と有って出石名物「出石皿そば」を折角だから食べようと二人で賞味した。国内で蕎麦の本場とされる信濃上田藩の第3代藩主、後の出石藩の初代藩主となる仙石政明が、わざわざ職人を連れて来て広めた程のお殿様こだわりの「そば」だけ有って、なかなか食べ応えが有り美味で有った。さて本題のこの城の簡単な歴史であるが、この城は、元、南北朝時代に全国66ヶ国中11ヶ国の守護職を占め、「六分の一殿」とまで称されて権勢を誇った山名氏の系統の山名時義が此隅山城を築いた事に始り、長らく山名氏の本拠で有ったが、戦国時代、織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城した。その後は江戸時代に入ると、此隅山山麓に近世城郭として築城し、小出家→藤井松平家→仙石家と4〜5万石前後の出石藩とし明治維新に至る。特に江戸末期の藩財政の逼迫に伴う藩重臣らの権力争いが発端で、藩主暗殺まで持ち上がった仙石騒動は余りにも有名。