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2015-12-11

セルフ・ナラタージュ #04 柴幸男(ままごと)



2010年、柴幸男が岸田國士戯曲賞を受賞した夜のことは今も覚えている。前年に観た『わが星』はラップ、時報のメロディが重要な位置を占める上演形態だったが、インターネットで受賞の速報を目にした時は「やっぱり……」と、新しい風の到来を実感したものだった。
しかし、ままごとはその後1、2年で、東京の小劇場シーンから距離を取るようになる。次の舞台に彼らが選んだのは、瀬戸内海に浮かぶ小豆島だった。私は彼らを追って毎年小豆島をおとずれ、東京から離れた彼らが、自由かつ強靭な作品を生み出すのを目撃してきた。そして、ままごとが島にやってきて3年目の2015年7月、ついに代表作の『わが星』が、小豆島高校の体育館特設ステージで上演されたのだ。
これまでの3年間のあゆみについて、『わが星』上演を終えた翌日に、体育館でのバラシの音が響く中、柴幸男に話を聴くことができた。

(聞き手:落 雅季子 小豆島写真:濱田英明 象の鼻テラス写真:池田美都)



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『わが星』小豆島公演


― 3日間の『わが星』公演を終えてみて、手応えはどうでしたか。

柴 とりあえず、観てほしかった島の人にはほぼ来てもらえたので嬉しかったですね。劇場にいざなって、客席に座ってもらうところまでで3年かかりました。小豆島には、ホールはあるんですけど、いわゆる「劇場」はないです。当然、劇場に行く習慣も日常的にはない中で、90分間の現代演劇を観てもらうのは遠い道のりでした。



▼2013年・はじめての小豆島

第2回瀬戸内国際芸術祭は、2013年の春・夏・秋の3会期にわたって、分散して開催された。ままごとはすべての会期に参加し、小豆島にその活動の場をひろげ始めた。


― ままごとと小豆島のかかわりは、2013年3月、瀬戸内国際芸術祭の春会期から始まりましたよね。

柴  春会期はリサーチも兼ねていました。瀬戸内国際芸術祭の感じもぜんぜんわからなくて。瀬戸芸に来る(島外の)人だけがお客さんなのか、どれくらいの人が来るのか、地元の人は観るのか観ないのか……。まず僕らが何者であるかも浸透させなきゃいけなかったし、一か所に人を集めて演劇を観てもらうのは難しいと思っていたので、町を散歩するタイプの「おさんぽ演劇」をつくったんですよね。
とにかく初年度は思いついた人がアイディアを具現化する方法を取りました。リサーチから発表までのサイクルをできるだけ早めて、試行錯誤をした方がいいと思ったんです。それでつくったのが、僕が出演した『赤い灯台』です。いっしー(大石将弘)にも、単独でおさんぽ演劇をつくって上演してもらいました。

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おさんぽ演劇の様子


― 私は、夏会期に初めて島に来たんですが、その時には、同年のあいちトリエンナーレでつくった『日本の大人』を上演されましたよね。

柴  上演場所だった遊児老館という場所は、もともと島の幼稚園だった場所です。幼稚園をそのまま生かしてあの場所に合うものが上演できましたね。60分くらいでしたけど、お客さんが座って観てるのはすごくおもしろかった。でも客席で小豆島町民だった人は半分より少ないかもしれない。あとは瀬戸芸のお客さんとか、ままごとの観客でした。


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『日本の大人』公演より



▼転機となった秋会期

― つづく瀬戸内国際芸術祭の秋会期では、どのように作品づくりをしたのでしょうか。

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柴  秋会期に、劇団員総出になりました。それまでは演目が「おさんぽ演劇」しかない、手探りの黎明期でした。

― 劇団員以外では、俳優の名児耶ゆりさんも初参加されましたね。名児耶さんを島に誘ったのは誰だったんですか?

柴  ……あれ、どうして名児耶さん誘ったんだっけな?

― のちにお嫁さんになる方なのに(笑)。
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柴  いや……「名児耶さんいいんじゃないか説」が何となく劇団内にあったんですよ(笑)。春会期に遊びに来てくれてたし。

― 秋会期では、春会期に始めたことを積極的に町にひろげたんですね。

柴  春と秋に、ほぼ毎日おさんぽ演劇をやりつづけたことで、相当浸透しましたね。ありがたいことにお客さんも毎日ひとりかふたりはいて、決まった時間に必ず上演はできたので。上演している様子を町の人が垣間見てくれて、何かがちゃんと成立してることが伝わった。
決定的に大きかったのは、新菜さんが紙芝居をやっていた時に、とあるおばさんから「うちのおばあちゃんは、足腰が弱くて出られないから、うちまで来て紙芝居をやってほしい」っていう依頼を受けたことですね。ご家族だけだと思って気軽に行ったら、そのおばさんが、まわりの婦人会の人を呼んでくれて、土間に客席がずらっと並んでた(笑)。「こりゃまずい!」ってなって、急いで相談して、1時間くらいの出し物をしたんです。演奏して歌う、紙芝居をする、名児耶さんも踊れるし、『そうめん体操』っていう演目もあるから、上演の構成が組み立てられるレパートリーはあったんですね。その時に土間が「劇場」になった感覚はすごく印象に残ってるし、劇団の中でも、町に活動が届いてる感触が得られた時期だと思います。

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小豆島というステージになじんでいったままごと



▼横浜・象の鼻テラスにて「演劇とすれ違う」

横浜・象の鼻テラスで、2013年4月から始まった柴幸男のワークショップは、年間を通して継続的に行われ、その年の12月にTheater ZOU-NO-HANA(シアターゾウノハナ)『象はすべてを忘れない』という公演に結実した。それは、象の鼻パークに流れる時間と風景の中に演劇がひょっこり現れるような、ダンスや紙芝居、ラジオやミニ映画をちりばめた新しい上演のかたちだった。翌2014年もTheater ZOU-NO-HANAは開催され、「演劇とすれ違う」をコンセプトに、誰もが演劇を身近に触れられるパフォーミング・パーク(演劇的公園空間)を、象の鼻パーク&象の鼻テラスに生み出した。

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Theater ZOU-NO-HANA2013の様子


― 2013年春、小豆島の活動と同時期に、横浜・象の鼻テラスでの活動が始まったのは大きいことだと思います。

柴  2013年は、常に小豆島と横浜を往復する感じで、小豆島での成果を象の鼻テラスのワークショップにフィードバックしていきました。12月のワークショップ発表会で、あの方法論をそのまま横浜でやってみようと思ったのは、小豆島で鍛えられたおかげだと思います。もともと、4月の段階では、象の鼻テラスを劇場化して作品をやる方向で動いてたのですが、どんどん分解されて、ああいう催しになりました。

― スイッチが生まれたのも2013年の象の鼻テラスでしたね。

柴  そうなんです。あれは都市型というか、人通りがないと難しい作品なんで。

― 2014年7月には、小豆島でスイッチのワークショップがおこなわれたり、肝試し型のツアースイッチが生まれましたね。

柴  光瀬指絵さん(ニッポンの河川・スイッチ総研)に小豆島スイッチをつくってもらえないかと思って呼んだんですけど、都市じゃないのでかなり難しかったみたいです。2014年の7月は、僕が都合がつかず小豆島に行けなかったんですが、メンバーのみでスイッチの可能性をひろげてくれましたね。ツアー型スイッチの発明があって、それがのちに象の鼻や、六本木アートナイトで上演されたりすることにもなって、相互的な流れが生まれていると思います。



▼2014年・醤の郷+坂手港プロジェクト

― 翌2014年に「アート小豆島・豊島2014醤の郷+坂手港プロジェクト」が開催され、また小豆島に来ることになりましたね。2年目にはどういう変化がありました?

柴  瀬戸芸が開かれた2013年と比べると、観光客の比率がぜんぜん違ったので、町の人をメインでお客さんのターゲットにしました。大きかったのは『うたう火の用心』ですね。2013年秋にも、島に点在する瀬戸芸作品の道案内をする『島めぐりライブ』という弾き語りの催しをやって、音楽ライブしながら町を歩くのが面白かったから、概念(星野概念実験室)さんと宮永(琢生)さんが会議して、「火の用心!」って言えば、島をめぐってもおかしくないんじゃないかって(笑)。坂手地域は消防車が入りづらい地形で、昔から「火の用心」が大事だったみたいなんです。なので、ままごとで火の用心の文句に曲をつけたり、新曲をつくったりしました。拍子木も地元から借りましたよ。歌いながら家のあいだを巡っていくと、ガチャッて玄関あけて「ご苦労さまです」って挨拶してくれる人がいました。「ご苦労さまです」ってことは、火の用心だって伝わってたんですよね。うるさくないように路地では音絞ってましたけど、歌を家の中で聴くっていうのはありだなって。より、町の人のために作品をシフトできた一例だったと思います。火の用心はどの地域にもあるし、スイッチに続く、いろんなところで活用できる作品だと思ってます。
で、さっき言った土間の家のおばちゃんから「今年もやってほしい」ってリクエストもらって、第2回公演もやりました。ほかにも、地域の幼稚園のお泊まり会でのワークショップとか、島の中で僕らが認知されつつ、自分たちの作品を上演している感じの浸透した面白い1年でしたね。2年続けて行ったことで、できる限り島での活動を継続したほうがいいかもしれないと思うようになりました。

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2014年『港の劇場』の様子


▼作品を「手離す」ということ

― 小豆島や象の鼻テラスでの創作を観ていると、以前のガチガチに固めて演出する柴さんのスタイルからずいぶん変化したなと感じます。メンバーの自主性に委ねて、柴さんは時々アドバイスをしてコントロールする役目に徹していますね。メンバーがつくる作品は、いつ頃から柴さんの手を離れたのですか。

柴  2013年の秋の段階で、ほぼ手は離れていたんですが、さっきお話ししたとおり、2014年の夏、僕のスケジュールが合わなくて島に行けなかったんですよね。1日か2日来て、何となくアドバイスしただけで、肝試しツアースイッチも実際見ていないんです。完全に任せました。

― そういうことが、昔はできなかった?

柴  できなかったですね。想像もできなかった。……でも実は、2012年くらいから、自分の作品への関わり方が、緩やかにほどけていくような感触はあったんです。はえぎわの『ガラパコスパコス〜進化してんのかしてないのか〜』(ノゾエ征爾 作・演出)に出演したのもすごく大きかったですね。他の演出家の仕事の様子を見て、役者側から作品に介入するっていう体験をしたことで、他人に任せても大丈夫なのかなって思いましたね。はえぎわ、すごく楽しくて不思議な経験でした。あのタイミングで俳優をやらせてもらえたのはよかったです。でも、まだ自分の作品を人に委ねるまでではなかったかな……。

― それで自分の演出スタイルだけじゃない可能性がちょっとずつほどけてたところに小豆島に行く話が来たんですね。



▼劇場作品を島の人に

― 一昨年と去年と、『うたう火の用心』やおさんぽ演劇が島の人たちに認知されてきつつも、劇場サイズの『わが星』のようなものを見せたい思いはありました?

柴  ありましたね。やっぱり、一度は大きな作品を見せたかった。そして、それを観ている演劇が好きな人たちを、島の人たちに見せたいというのもありました。

― それはどういう意味ですか?

柴  島の人たち全員に、演劇を好きになってもらいたいわけじゃないし、そんなことはありえない。だけど演劇を好きな人たちがこの世にいて、その人たちは、演劇にすごく価値があると思ってることを知ってほしかった。「私はわからないけど、あの人たちにとっては大事なものらしい」ってことが分かってもらえたら嬉しいなって。

― 今年『わが星』の公演があったことで、3年連続で小豆島に来ることができたんですね。

柴  そうですね。2年間の活動で出会った人たちが足を運んでくれて、嬉しかったですね。人を動かすというのがいちばん難しいし、大変だと思うので、それはすごい結果だったと思います。

― 小豆島には電車がないけれど、『わが星』で山手線が出てくるシーンなどは、どう受け止められたんでしょうね。

柴  それなんですよ! どうなんでしょうね。僕は「山手線」を「船」に置き換えて観てましたよ。フェリーで毎朝高松の高校に通ってる子もいますし、島の人も、そうやって観てくれるんじゃないかなって何となく思いました。


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島を去るままごとと、見送る島の人々(2013年秋)


▼地域コミュニティとアート

― ある地域で活動するアーティストとして、ままごとはかなり成功してると思うんです。島の人と話す中で、私も「ままごとさん」ってみんなが普通に呼んでいるのをよく聴きます。そういうふうに受け入れられるために、何が重要だったと思いますか。

柴  これについては……よくわかんないことも多いんですけど……運が良かったなとは思います。2013年の瀬戸芸では、他のいろんなアーティストたちがいたので、彼らのリサーチの仕方、町の人とのコミュニケーションの仕方とか、いろんな作品の成立のさせ方を見て、ちょっとずつ使わせてもらった感じはあります。でもやっぱり大きいのは続けることじゃないですかね。一回で結果を出すのは難しいと思うんですよね。

― 町に入って行く過程で困ったことや、トラブルなどはありましたか。

柴  具体的にトラブルになったことはないんですけど、メンバーが参っちゃうというか、どうしていいかわかんなくなっちゃう時はありましたよ。それは、みんなそうです。10日しか滞在しない人も、1か月いる人も、その期間に絶対起こる。自分が何者なのかとか、町の人たちとどう付き合って行けばいいのかとか。人との関わり自体に疲れ果ててしまうことが、みんな一度は起こるんじゃないかなあ……。でも、ままごとではうまくバランス取ってやってきたし、向いてない人は無理する必要ないので距離を取ってもいい。適切な距離の取り方というのは、常に難しい問題です。
僕らは、いろんな町との行き来をしていくから、ちょうどいい関係を保ててる。小さな島では常に人間関係の論理が働くし、逃げ場や個人的な活動を維持することにはストレスがかかる。誰とも話をしたくない日があっても、島の中だとちょっと許されないというか、心配されてしまう。その心配自体が重荷ということはありえますよね。東京に近づけば近づくほど、誰とも挨拶しなくても、部屋に閉じこもっても誰にも心配されない。そうやってそれぞれ勝手に生きていけるように都市は生まれたので。演劇を観るっていうことは、集団で観ていたとしても個人的な活動なんですよね。小豆島でのままごとは、そういう個人の抜け道というか、都市的な部分をアシストするような存在になれたらいいなって考えてます。島の人たちは昼間職場や学校に行ってるけど、歌って芝居してる僕らはどう見ても働いてるように見えない(笑)。そういう存在がいるだけで、可能性が一歩ひろがるイメージが、僕にはあるんです。存在そのものが、小豆島とか、もっと言うなら日本のルールと違うものが存在するんだということを伝えられる。

― 町のすべての人がアート、芸術を必要とするわけじゃなくて、それ以外の楽しみを持ってる人もたくさんいる。それでも、柴さんは芸術をやるわけですよね。

柴  厳密な意味での「芸術」の役割は、既存のものを破壊するとか、問題を投げかけることだと思うので、今起こってる問題や土台を解決するためには、芸術がそもそも役立っちゃいけないと思うんです。それは芸術ではなく、デザインの領域。小豆島でやるぶんには、僕の演劇は芸術である必要はなくて、それよりは道具・ツールとして機能したらいいなという思惑があって、町全体の問題に、演劇を使って変化を起こしたいんですね。町の人に応援してもらったぶん、島外の人を観光に呼ぶとか高校生に見せるとか、行政や町の問題解決のために公演を考えている部分もあります。

― 町の人から「何だ、あんなもの。アートなんて」とか言われたこともあります?

柴  や、みんな言ってます(笑)。初期の頃は特にそうだったんですけど、で、2つ思ったことがあって、何だろう……だから……(しばし長考)……そう言ってる人たちは、僕らが小豆島でやることを知ってくれてるからまだいいと思ってますね。「俺はわかんないから」って、言葉で言ってくれる人は、まだ表に出てきてくれている。で、そういう人たちも、自分の興味に合う作品に出会うと、いいとかおもしろいとか、言うんですよね。だからまったく遮断してる人は少ないと思います。むしろ、島にいて生活してるんだけど、家から出てこなくて僕らとまったくすれ違わない人たちはどうしてるのかなって想像しますね。もちろん、全員と出会わなきゃいけないわけじゃないけど……。
もう1つは、みんなが鑑賞者にならなくてもいいと思うんです。人の作品に興味ない人も、「じゃ、おじさんは何やってるんですか?」って話を訊くと、すごい喋ってくれる(笑)。人の話を黙って聴くよりも言いたいことがたくさんある人をむりやり鑑賞者にする必要はなくて、「あんなの俺だってできるよ!」って言って、自分でやっちゃうほうがいいと思うんです。観客を観客で居させつづけようとするのは、演劇を独占的な感覚で捉えてるし、ある種の権力構造があるというか、つくる側が権力を持っていて、観る側がそれを享受するという発想につながる気がします。だから喋りたい人たちに、演劇をしてもらえないかなって思いますね。やりたがってくれるかはわからないですけど、観るより何かアウトプットしたいっていう気持ちが潜在的にはあると思うんで。僕らみたいな未知の人に昔話をする人はやっぱり、知ってほしいんですよ。そういうおじさんたちの方がよっぽど表現欲求持ってると思います。

― それが、来年以降に構想があるという小豆島の劇団ですね。

柴  そうなんですよ! できるのかなあ(笑)。できるといいなあ。



▼演劇を「クックパッド」に!

― 今後は、三重県文化会館でのミエ・ユース演劇ラボなどの場で、市民の人に、演劇をつくるための考えどころを教える機会も増えそうですね。

柴  やっぱり人がつくってるのを見るのが楽しいですね、最近は。だから「観客」を増やそうという発想自体、もういらないかなと思ってまして。「観劇人口」よりは「演劇人口」を増やして、誰でも演劇ができる状況にしていった方がおもしろいと僕は思うんです。その中でトップレベルのプロはいるんですけど。たとえば、サッカー人気は「観客人口」が増えたからじゃなくて、「サッカーやったことある人口」が増えてるからだと思うんですよね。総人口が増えれば結果的にお客さんも増えると思いますし、みんながやれる簡単なことなんだよってことを言う人間がいてもいいんだと思います。演劇ワークショップって、ちょっとお料理教室的につくって、最後の調味料だけとか盛り付けだけを手伝って、「あら、私がつくるのとは違うわ〜」と言ってるのもあると思うんで、もっと根本のレシピから公開していく、クックパッドみたいなことをしたいんです。演劇をつくるのは集団の問題で、本当に難しいので、そこをレシピ化できるのはプロの仕事。僕が試行錯誤してきた創作の過程を、もう少し順序だててフローチャートにして、他の人も使えるようにシェアできないかと。それをさらに、他の人もこうやったとか、俺はこうだとかバリエーションが増えるように。

― クックパッドで言う「つくれぽ」ですね!

柴  戯曲をネットに公開しても、演劇人口は増えないと思うんですよ。だからクックパッド的に、「(1)人を3人用意します (2)ふたりがいる所にもうひとりが来ます (3)話し合って、ひとりが出て行きます……」みたいなことを、レシピにできそうな気がするんだけどなあ。それも、小豆島に来て、演劇は90分じゃなきゃいけないとかいう発想から解放されたのはすごく大きいですね。90分のものは、料理で言うとフルコースみたいになっちゃうんで。でも一品だったら料理が下手な人でもつくれるでしょう。そういう、一品料理みたいな演劇がつくれる状況はおもしろいと思う。



▼「結婚」という変化

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― 今年大きくプライベートでも変化がありましたね。ご結婚と、名児耶さんの妊娠おめでとうございます。島の方々は、結婚を伝えた時どう言ってくれました?

柴  みんなおめでとうって(照れ笑い)。結婚や子どもが生まれるニュースは、島ではすごく嬉しいことっていうか、東京のそれとは重みが違います。ものすごく歓迎すべきことで、僕らも島での経験を通してそれがわかったので、小豆島の人たちにはぜひ報告したいと思ったんです。

― お子さんが生まれることについて、昨日のアフタートークで「誰かが生まれて死ぬ、今はその先を考えてる」とおっしゃってたけど、それはお子さんができたこととも関連しているんですか。

柴  子どものことよりも、どちらかというと、この先数十年の世の中とか、自分自身が気になってる。子どもが今の自分の年になるまでは、何となく自分の経験で見通しが立つんですけど、今から自分が父親くらいまでの年になるこれからの30年間はどういうことを考えていけばいいのか意識するようになりました。具体的にせよ抽象的にせよ、老年期というものを掘り下げていきたいなと思ってますね。

― 自分の結婚は、若い時からイメージしてました?

柴  僕ですか? いやあー、結婚しなさそうだなと思ってましたね……。

― でも、なさったんですね。

柴  そうですね(笑)。それも、2012年以降、人に委ねて任せる考え方になったのはすごく大きいです。人生で、しっかり他人と関わっていかないといけないんじゃないかってことを……思ってしまいましたね。別にね、思わないでもいいと思うんです。生涯芸術家でいたいんだったら、孤独を選んだ方がいい。やっぱり絆って、鎖だから。人と関われば関わるほどしがらみが増えて、できることは減っていくんですね。それこそ子どもが生まれちゃったら面倒を見なきゃいけない。自分ひとりだったら、エネルギーを全部作品に使っても誰にも迷惑かけないし、いいんですけど……。そういう意味でも僕は、もともと僕は芸術家になりたかったわけじゃないんだろうなって。少しモードが変わってしまったなっていうのはあります。でも、そういう道の方が……自分にとっては必要なのかもしれないということは考えましたね。だから人と関わって、小豆島にも来るようになったし、作品を人に任せるようになったし、結婚もしたんじゃないかと思います。

― 芸術家になりたかったわけじゃないなら、何になりたかったんでしょうね。

柴  何になりたかったんでしょうね。わかんないですね。憧れは……研究者とか宗教家……。僧侶とか? ブッダの時代の仏教では、僧侶は家族関係をすべて断つんですよ。奥さんも取らない。生涯何も残さず、誰とも関係を持たず、自分の真理の探究に行くわけです。それはかっこいいなって思います。本当に何かを突き詰めたいんだとしたら、そうせざるを得ないんだろうと思いますけど、難しいなと思いますね。……うん、そうはなりきれなかったですね。そこまで僕は、自分を、強く持てなかったです。

― ……そのことについて、後悔はあります?

柴  そうですね……。最近は適材適所だなって考えてて、僕の適所はそこじゃなかった。でも昔はそうなりたいと思っていたがゆえの、マイナス面の方が大きかったので、いさぎよく路線を変更することのほうが、僕にとっても周りにとってもいい効果があると思って。……寂しさはありますけど、いい方向に進むように動いてるなと思います。

― 3年前からやや距離を置いてきた、東京小劇場市場の中心のことは今どう思っていますか。

柴  大変そうではありますけど……自分はそこには行けなかったので。行きたい気持ちもちょっと……ありましたし、以前はそこにいる人がうらやましかったりとか、自分と比較してしまってたと思うんですけど、……やっぱり、自分の道はそれじゃなかったんだと思いますね。逆に、東京であと1、2年無理してやってたら危なかったと思う。それこそ劇団とか僕自身、活動できない状況になってた可能性は非常に高かったから、いい時期に自分自身を見極めることができたと思ってます。


― 最後に、これからの野望を教えてください。

柴  野望ですか?! さっきも言ったように、自分の演劇づくりの方法を道具化して、世に展開したいっていうのがありますね。世界征服と言ってもいい。誰がその道具をつくったのか、だんだんわかんなくなってもいいんです。みんながみんな、パッと演劇をつくれる世の中になることを想像するのは、ワクワクしますね。まあ、みんなはさすがに無理でも、スポーツが得意な子がいるように、「演劇勘」があるやつ。こいつの言うとおりに劇をつくってると行き詰まらないって認知されてるやつが、教室にひとり、職場にひとりっていう状況をつくれたら嬉しいんですけどねえ。

― 体育の時間にこいつがいると勝てる! みたいな。

柴  ありますね。今は、演劇づくりがリーダーシップ論と一緒になっちゃってるところがあるんで。それとは別に、運動神経みたいな、演劇神経が存在するのは、大学で授業しながらいろんな子を見ていて思う。彼らが必ずしも優れた俳優になれるわけじゃないんだけど。演劇勘がいい子が、僕の道具を使って簡単に劇を組み立てることを、僕の知らないところで同時多発的に起こせたらいいなと今は夢見ています。

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ままごとが初めての小豆島公演を終えてから数か月。今年もTheater ZOU-NO-HANAの季節がやってきた。12月第1週からの公演に向けた公開制作も大詰めの11月最後の日、柴幸男と名児耶ゆりの長男となる男の子が生まれたというニュースが飛び込んできた。
名児耶ゆりのTwitterにアップされた写真に映った柴幸男は、マスクと白衣に身を包み、おだやかな表情で妻と子どもに頬を寄せていた。彼は「孤高の演出家」になることをあきらめたのだろうか? そうではなく「他者とともに生き、ともに創作する演出家」になることをみずから決断したのではないだろうか? 柴幸男の思い描く未来は、これから誰も見たことのない新しい地平へ、演劇を押し広げていくに違いない。
柴さん、名児耶さん、そして赤ちゃん。本当におめでとうございます。







★過去のセルフ・ナラタージュはこちらから。
第一回 神里雄大(岡崎藝術座)
第二回 大道寺梨乃(快快)
第三回 菅原直樹(OiBokkeShi)

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