Hatena::ブログ(Diary)

老兵は黙って去りゆくのみ

2018-07-19

じじぃの「中国製造2025・激化する米中貿易摩擦・世界経済リスクと日本!プライムニュース」

06:08

激化する『米中貿易摩擦覇権争奪戦の先にあるもの 中国からの輪 5050億(7 月 19 日 ニュース) 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=reLhux_926I

習近平体制に“異変”あり 個人崇拝を抑制 北戴河会議で突き上げも 2018.7.16 産経ニュース

香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは、「中国共産党支配の正統性は好調な経済に支えられてきた。貿易戦争で経済危機が起これば、その正統性は確実に揺らぐ」とする上海政治学者のコメントを引用し、米中貿易摩擦で効果的な手を打てない習氏は「体制発足後最大の試練を迎えた」とみる。

8月には、党最高指導部や長老らが出席し人事・政策を調整する恒例の北戴河会議が開かれる。すでに長老らが習氏の個人崇拝などを批判する書簡を党に提出したとの噂も流れている。

https://www.sankei.com/world/news/180716/wor1807160051-n2.html

プライムニュース 「激化する米中貿易摩擦 覇権争奪戦の行方は? 世界経済リスクと日本」 2018年7月18日 BSフジ

キャスター斉藤舞子、松山俊行 【ゲスト】山際大志郎(元経産副大臣 自由民主党衆議院議員)、リチャード・クー野村総合研究所未来創発センター戦略企画室主席研究員・チーフエコノミスト)、柯隆(東京財団主席研究員)

アメリカのトランプ政権は10日、中国製品に対して2000億ドル規模の新たな追加関税リストを公表した。米中両政府は既に340億ドル規模の制裁・報復措置を発動済みで、今回のアメリカの追加関税措置に対し、中国も報復措置を取る方針を表明しており、終わりの見えない米中貿易摩擦はさらにエスカレートする気配を見せている。

こうしたなか日本とEUはすでに大枠で合意妥結していたEPA経済連携協定に17日、署名する予定で、2019年の発効を目指す。菅官房長官は「世界で保護主義の動きが強まる中、自由貿易体制を力強く前進させるために日本とEUが協力していく」と述べ、日本が自由貿易の旗手を担う姿勢を強調した。

激化する米中貿易摩擦 新たな“冷戦”?ハイテク競争

リチャードクー、「中国には中所得国のワナがある。一人当たりの所得が3000ドルから1万ドルの間で経済の勢いが止まってしまうのではないか、という不安を持っている。7000ドルを超えたぐらいになるともっと安いところがあるのではないか。アジアで中所得国のワナを抜けた国はシンガポール台湾韓国、日本しかない。どうやって抜け出せるか。できるだけ早く技術を取り入れるしかない。『中国製造2025』という目標を立てた。それなのに中国米国貿易戦争が起きてしまった」

提言 「日本が取るべき通商政策」

柯隆 「知己知彼 百戦不殆」

 孫子にある言葉、「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」。中国はトランプについてあまりにも知らなかった。日本にとって今回の貿易戦争は安倍さんにとって1つチャンスだ。仲介役を果たす。トランプと習近平に説得して、日本の経験は習近平にプラスになるはずだ。

リチャードクー 「KEEP COOL」

 米国中国はかなりカッカしている部分がある。日本は冷静に、なぜ米国はこういう方向に行ってしまったのか。あれだけ40年も赤字を出し続ければこうなることは必然だった。こんな状態で今までのように自由貿易をやれといってもやれるはずがない。日本の経験を中国に支援してもいいのではないか。

山際大志郎 「多極化への対応」

 中長期的に見た場合、これから世界は多極化に向かう。米国中国EUと多極化していくがこれは日本が置かれている宿命だ。日本は国を開いて貿易を大きくしていかないと生きていけない。だとすればルールを作って主導的な役割をしていかないといけない。

前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d180718_0

後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d180718_1

プライムニュース 「米露首脳会談を検証! トランプVSプーチン 最悪関係改善の行方は」 2018年7月17日 BSフジ

キャスター竹内友佳、松山俊行 【ゲスト】中谷元(元防衛大臣 自由民主党安全保障調査会会長 衆議院議員)、中山俊宏(慶應義塾大学総合政策学部教授)、小泉悠(公益財団法人未来工学研究所特別研究員)

16日にヘルシンキで開かれる米露首脳会談は、就任から1年半の経験しか持たないトランプ大統領と、事実上18年間にわたってロシアを率いてきたプーチン大統領直接対決となる。

トランプ大統領北朝鮮に「非核化」を求める一方、今年2月発表した「核態勢の見直し」ではロシアへの対抗策として核戦力を保持し近代化することを表明し、今月11日のNATO首脳会議でも対ロシア戦略として加盟国に防衛費の大幅増大を強く求めている。

一方のプーチン大統領も3月に最新鋭兵器の開発が進んでいることを自らプレゼンテーションし、トランプ大統領の別荘があることで知られるフロリダ半島に新型核ミサイルが落下していくイメージ映像を上映して見せた。

いずれ劣らぬ「強硬路線」元首の会談は、世界の平和と構造にどんな波紋を広げるのか?その中で日本はどんな立ち位置で、何を見据えていくべきなのか?

じじぃの「科学・芸術_549_ウズベキスタン・棉花と灌漑開発」

06:06

Horrors of Cotton Production in Uzbekistan 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=KbwlUgvaYPM

ウズベキスタン

アラル海の縮小

ウズベキスタン世界銀行が関係する強制労働 Human Rights Watch

世界銀行は、強制労働および児童労働に関与するウズベキスタン農業事業に5億米ドル融資していると、ヒューマン・ライツ・ウォッチおよびウズベク・ドイツ人権フォーラムが、本日発表の報告書内で述べた。

世銀との融資契約の下で、ウズベキスタン政府は強制労働および児童労働を禁ずる法を遵守することとされており、世銀は違反に関する信頼性の高い証拠があれば融資を停止することができる。

https://www.hrw.org/ja/news/2017/06/27/306035

ウズベキスタンを知るための60章』 帯谷知可/編著 赤石書店 2018年発行

社会主義建設と開発 棉花モノカルチャー化とその顛末 より

1917年の10月革命から間もない1918年5月、ヴラジーミル・レーニンは「トルキスタンでの灌漑事業への5千万ルーブルの拠出と右作業の組織について」という指令に署名した。そこには、フェルガナ盆地やゴロードナヤ・ステップ(直訳すると「飢餓のステップ」)での灌漑開発、ザラフシャン川でのダム建設と棉作目的の灌漑開発などが明記されていた。1916年のトルキスタン暴動や革命後後の内戦の影響でトルキスタンでの灌漑地面積が大幅に減少していたことが背景にあったが、この指令により、ボルシェヴィキにとって中央アジアでの開発とは第1に灌漑だということを、黎明期社会主義国家は世に示すことになった。

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ウズベキスタン文脈社会主義建設と開発の結節点となったのが棉花栽培である。すでに帝政ロシア時代から植民地トルキスタン、さらに保護国のヒヴァやブハラでも農業の棉花モノカルチャー化が進んでいたが、ボルシェヴィキ政権下でそれがさらに推し進められた。1928年に第1時5ヵ年計画が始まり、ソ連国内で急速な工業化が目指される中、ウズベキスタンは繊維産業の原料たる棉花の供給基地として位置づけられた。気候的な要因と水資源の豊富さから、ウズベキスタン(及びその周辺地域)よりも棉作に適した地域はソ連国内で他になかった。1935年には棉花の国家による調達価格が引き上げられ、収益性の高い作物になった。1955年にはソ連は棉花の輸出国となっている。

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スターリンの死後、自然改造計画は即座に中止される。フルシチョフ時代以後は、短期的に農業生産を大幅に増やすことが追求され、牧草と休閑を含む輪作体系は放棄され、棉花の単作に移行することになる。同時に、前述のゴロードナヤ・ステップの開発に本格的に着手するなど、灌漑地の外延的な拡大が行われた。利用された灌漑地の面積は1960年から1988年にかけて約1.6倍増加した。これは増え続けるウズベキスタンの若年人口の就労対策の意味合いもあった。働き口がなければ共産主義建設などあり得ないからである。アム川下流域を中心に、湖畔に近い圃場では棉花に加えて稲作の振興も行われた。

このような状況の中、ウズベキスタンを含むアラル海流域では、経済的に利用可能な水資源の最大限の確保とその合理的な配分、ソ連のことばで言い換えるならば、「水資源の総合的利用・保護」が焦点となってくる。

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灌漑地の拡大を急ぐあまり、運河の構造は掘っただけの単純なもので圃場に水が届くまでにロスが多く、農薬や化学肥料が混じった灌漑排水の排水路の整備は後手にまわった。この灌漑地の拡大による水資源の利用量の増大と非効率な灌漑用水利用がアラル海の縮小とその後の災害化という「20世紀最悪の環境破壊を引き起こしたことは論を待たない。輪作の重要性が再認識されたのはペレストロイカの時期になってからのことである。最終的にウズベキスタンの灌漑地のほぼ半数が塩害に悩まされる結果となった。このように、先進的な科学技術に立脚して質・量を兼ね備えた開発を行うというソ連方針は成功せずに終わり、1991年にはソ連という国そのものが解体してしまった。

2018-07-18

じじぃの「3万年前の航海・台湾から丸木舟で日本列島に渡った人たち!人類誕生」

06:05

台湾から日本列島へのルートasahi.com HPより)

丸木舟

復元丸木舟で無事航海 国立科学博、京都舞鶴沖で検証 2017年10月13日 京都新聞

海部陽介人類史研究グループ長が代表を務め、台湾国立台湾史前文化博物館が共催する。日本列島に渡ってきたホモ・サピエンスの一部は大陸と地続きだった台湾から琉球列島に渡ってきたと考えられ、プロジェクトは2019年に航海の再現を目指し、草や竹など当時あった素材で舟を作って各地で実験を繰り返している。

http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20171013000037

おはよう日本 3万年前の航海 沖縄の海で大実験 2016年7月5日 NHK

国立科学博物館海部陽介さんです。

人類学が専門で、日本人のルーツを研究しています。

近年、沖縄の島々からは、およそ3万年前の遺跡が次々と見つかっています。

最大の謎は、そもそもどんな舟だったのか。

沖縄遺跡からは木を加工できるほどの石器は見つかっていないため、木で舟を作ることは難しかったと考えられています。

さらに、台湾からもっとも近い与那国島でも、その距離はおよそ100キロ。

2つの島の間には、当時も黒潮が流れていた可能性が高いと考えられています。

http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/07/0705.html

人類誕生第3集 「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」 2018年7月15日 NHK

【司会】高橋一生和久田麻由子 【ゲスト】海部陽介国立科学博物館人類研究部研究主幹

私たちヒト=ホモ・サピエンスの人口は、今や世界に76億。地球上のあらゆるところに生息し、生物史上、類を見ないほどの大繁栄を遂げている。かつてホモ・サピエンスより前に、生息域を広げ始めた人類たちもいたが、世界中に拡散することは出来なかった。なぜ、サピエンスだけが世界中に生息域を広げることが出来たのか?実は、その謎を解くカギが日本にあった!

およそ8万年前、誕生の地・アフリカを出て、世界へと拡散を始めたホモ・サピエンス。大きな障壁となったのが、大海原と極寒の大地だ。日本へ至る道は、大海原を渡るルートと、極寒の大地を越える北ルートのいずれか。つまり日本は、当時の地球上で「最も到達困難な場所」だったのだ。

ホモ・サピエンスは、進化の中で獲得した能力に磨きをかけることで、この快挙を成し遂げた。日本への旅によって、強く、たくましく、そして賢くなっていったのだ。その後、地球上のあらゆる場所に進出し、数を増やすことができたのは、日本列島への道のりで見せたような、困難を乗り越える力をホモ・サピエンスが持っていたからだった。

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180715_2

どうでもいい、じじぃの日記。

7月15日、NHKスペシャル 人類誕生第3集 「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」を観た。

台湾から与那国島まで100km以上もある海が広がっている。

この付近には黒潮も通っていて海を分断し、自然漂流で到着したとは考えられない。では、どうやってこの広い海を渡ったのだろうか。

人類が最初に石器を作ったのは約250万年前といわれる。

沖縄遺跡からは木を加工できるほどの石器は見つかっていないため、木で舟を作ることは難しかったと考えられていた。

ところが、石を丸く削り、その石と木の棒を括り付けたと思われる石(中心部がへこんでいる)が発見されたのです。

海部陽介さんたちは、丸木舟を当時の石斧で作る作業を再現してみました。

草や竹で作った舟で黒潮を渡って日本列島に向かうには不可能だったのです。

たぶん、好奇心旺盛な人(サイコパス)たちが、丸木舟に乗って日本列島に向かったのでしょう。

映像では、丸木舟に乗り日本列島に渡った人たちの姿が流れます。

来年、復元丸木舟で実際に航海を行う予定だそうです。

じじぃの「科学・芸術_548_映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』」

06:03

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 予告編 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=-PlgZBJe0eU

The Curious Case of Benjamin Button

  

見ないと絶対損する!感動の名作映画-ベンジャミン・バトン 数奇な人生 MemoriesOfMovie

舞台は現代のアメリカ

病院のベッドの上で老婆が見舞いに来た自分の娘にある男の話を始める。

その老婆の名前はデイジー・フューラー(ケイト・ブランシェット)。

https://www.memories-of-movie.com/%E6%B4%8B%E7%94%BB/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E/the_curious_case_of_benjamin_button/

『ヒトはなぜ病み、老いるのか―寿命の生物学 若原正己/著 新日本出版社 2017年発行

老化のしくみ より

誰でも経験することだが、年をとると体のいろいろな部分が衰える。年をとるとガンの危険性は増すし、皮膚にはしわがより、髪の毛が薄くなり、白髪となり、物理的な力も衰える。永遠の若さなどというものはない。

老人として生まれ、時の経過とともに若返っていく、という不思議な物語を描いた映画があった。人気俳優のブラッド・ピットケイト・ブランシェットが主演した映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年、米国デヴィッド・フィンチャー監督)だ。現実にはありえない物語だが、老化を考える上では大変身につまされる。特殊メークアップを施されたケイト・ブランシェットの顔、特に死ぬ直前の年老いた顎やのど、節くれだって震えるての表情など、99歳で亡くなった私の母の最期の様子と重なってしまった。

老化に関しては、テロメア短縮説、すり切れ説(いわば酸化ストレス説)、突然変異蓄積仮説、早期老化遺伝子説、サーチェイン遺伝子仮説などたくさんの仮説があるが、まだすべてのヒトを納得させる理論はないようだ。

2018-07-17

じじぃの「ジュラシックパーク・恐竜を甦らせることは可能か?理系の知識」

06:06

ジュラシック・ワールド 2』日本版予告 (2018年) 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=7cxH6pjd1YU

ジャック・ホーナー:鶏から恐竜を生み出す 動画 TED

https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20170202-00001163-ted

カラフルな恐竜たち

文系の人にとんでもなく役立つ! 理系の知識 日本博識研究所/編 宝島社 2016年発行

恐竜を甦らせることはできる? より

ジュラシック・パーク』では琥珀(こはく)という宝石に閉じ込められた蚊から、恐竜の血を採取してDNAを抽出し、恐竜を甦らせた。この方法は本当に可能だろうか?

仮に恐竜DNAを完全な形で採取できたとしよう。しかしそれだけでは恐竜を甦らせることはできない。DNAは生命の設計図だが、部品となる細胞がなければ生命をつくれないからである。

残念ながら、恐竜細胞を完全に手に入れることは、数億年琥珀に閉じこめられた蚊からは、非常に難しいのである。

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『CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見』 ジェニファー・ダウドナ、サミュエル・スターンバーグ/著, 櫻井祐子/訳 文藝春秋 2017年発行

アジア象の遺伝子マンモス遺伝子に変える より

現在ロシア韓国の共同研究チームが、シベリア東部の永久凍土から発見されたマンモスの組織を使って、同じクローンニング手法マンモスを復活させようとしている。

CRISPRを使えば、別の方法で過去の種をよみがえらせることもできる。1993年にハリウッドで映画化された小説『ジュラシック・パーク』に出てきた、絶滅した恐竜を再生させる方法とそうちがわない手法だ。あの痛快なSF物語では、琥珀に閉じこめられた蚊の化石から取り出した絶滅恐竜遺伝子を、カエルDNAに注入していた。残念ながら(恐竜が怖い人にとってはさいわいなことに)、DNA化学的に不安定で、6500万年もの間原形をとどめることはありえない。だが著者マイケル・クラントンのアイデアは、それほど的外れではなかった。

同種の戦略が、ジョージ・チャーチ率いるハーバードのチームによって、ケナガマンモスに用いられているのだ。このプロジェクトの重要な出発点となったのは、6万年前から2万年前頃に死亡した2頭のマンモスの標本から得られた、質の高いゲノムである。これらの全ゲノム配列を決定した結果、マンモスとそれに最も近い現世種のアジアゾウが分化したあとに生じたDNA変化を網羅的に解析することができたのだ。マンモスが寒冷地に生息していたことを考えると驚くことではないが、両者のゲノム間で違いのあった1668個の遺伝子は、温度感覚や、皮膚と毛の生成、脂肪組織の生成を担うタンパク質をコードする遺伝子だった。チャーチのチームは、2015年にCRISPRを使ってゾウの細胞マンモスDNAを組み込み、こうした遺伝子のうちの14個について、ゾウの遺伝子をケナガマンモス遺伝子に置き換えることに成功した。残りについても理論的には、遺伝子編集によって同様に置き換えが可能だろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。

恐竜時代が約1億6000万年続いた。

恐竜というと、トカゲの巨大なものを連想するが、カラフルな羽毛をつけたのが多かったのだとか。

また、ワニとかの卵のようなイメージだが、メス、オスが協力して子育てしたのだとか。

実は、恐竜は全て絶滅したわけではなく小型の恐竜が今の鳥類に進化したらしい。

カラフルな羽毛の恐竜を見てみたい。

化石から恐竜DNAを解読できて、それに似た遺伝子を持つ鳥類を見つけ出し、その鳥のDNA遺伝子編集技術(CRISPR)で改変していけば、恐竜に似た「チキノザウルス(鶏から再現された恐竜)」を作ることが可能かもしれない。

まあ、マンモスが復活できたらありえるかもしれないなあ。

じじぃの「科学・芸術_547_宗教国家アメリカ・反知性主義」

06:04

George Whitefield 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=Xj0DGmwJ1sg

森の中のリバイバル集会

George Whitefield

宗教国家アメリカのふしぎな論理』 森本あんり/著 NHK出版新書 2017年発行

反知性主義」という伝統 より

信仰復興の克明な記録が初めて残されたのは、1734年のことでした。初めは数人の「回心」、すなわち正しい信仰への目覚めをきっかけに、1つの町全体に急速な宗教心の高揚が見られるようになります。風紀が改まり、慈善が増え、酒場が空になる。人びとはこぞって教会に通うようになり、礼拝は悲嘆の涙や歓喜の叫びにあふれかえりました。その興奮は感情的にも身体的にも表現されるようになり、老若男女を問わず人びとを巻き込んで、熱狂の様相を示していくのです。

つまり「信仰復興」とは、ある時期にある地域の人びとが急に宗教心を深めることです。

「集団菱ヒステリー」と言ってしまうと、やや大袈裟すぎますが、それに近いものです。前述したとおり、アメリカでは18世紀以降、リバイバルの大波が何回か訪れました。この運動の指導者となった人びとを「リバイバリスト」といいます。

ジョナサン・エドワーズ(1703-58)という牧師は、最初に1734年から35年にかけて起きた信仰復興を記録し、みずからその指導者となりました。1741年の彼の説教「怒れる神のうちにある罪人」(Sinners in the Hands of an Angry God)は、長くアメリカの教科書に載っていたため、全米でもっともよく知られた説教と言われます。

     ・

時あたかもニューイングランドは、入植から数世代を経て、宗教的にも社会的にも変化の必要に晒(さら)されていました。その実存的な不安を背景に、この地域的な熱狂は燎原(りょうげん)の火のごとく広がっていきます。その主な担い手が、前章でも紹介した「巡回教師」という新しい種類の指導者でした。

当時の教師たちは、みなハーバードイェール大学出身のエリートで、牧師として招聘(しょうへい)されると、その町全体の精神指導者として確固たる地位を築きます。ところが、新手の説教者たちは、大学教育も受けておらず、牧師としての正規の訓練も受けたこともない。つまり、どこの馬の骨ともわからぬ輩が、外から乗り込んできては、広場や河原に人を集め、平穏な暮らしを興奮と熱狂に包んでは、町を大混乱に陥らせるのです。

なかでも、イギリスからやってきたジョージ・ホイットフィールド(1714-70)の雄弁はよく知られています。彼自身はオックスフォード大学を卒業していますが、アメリカでは巡回教師の代表格です。

すでにロンドンで名説教師として鳴らしていたホイットフィールドは、1740年、アメリカに1年間滞在し、エドワーズを含む多くの人からの招きに応じて、東海岸ジョージアからメインまでを回り、何千という聴衆を前にして、ほとんど毎日のように説教を続けました。若い頃は俳優を志していただけあって、彼はよく通る声をもっており、身振り手振りを交えた平易な言葉で、多くの人を魅了します。その語り口たるや、まったく見事なものだったといいます。

ある日の観察によると、彼は旧約聖書のなかの「メソポタミア」という1語を何度も語調を変えて叫ぶだけで、全聴衆を涙にうち震わせたそうです。

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もちろん、客を取られたかたちになった既成教会の牧師たちは、やっきになって巡回教師たちを取り締まろうとしました。「ハーバードかイェールを卒業した者でなければ、境界では説教させない」ことを仲間内で定めたりもしましたが、そんな取り決めは野外で勝手に開かれる集会には無力です。

逆に、リバイバリストたちは牧師に向かって言い返しました。

「神は福音の心理を『知恵のある者や賢い者』ではなく『幼な子』にあらわされる、と聖書に書いてある(「マタイによる福音書」11章25節)。あなたがたは学問はあるかもしれないが、信仰は教育のあるなしに左右されない。まさにあなたがたのような人こそ、イエス批判した『学者パリサイ人のたぐい』ではないか!」

学者パリサイ人のたぐい――これこそ反知性主義の決めゼリフです。

どんな宗教でも、その出発点では、インテリの言葉ではなく、素朴で平易な感覚が尊ばれます。反知性主義の究極の出発点は、「学者」と「パリサイ人」、つまり当時の学問と宗教の権威者をともに正面から批判したイエスの言葉なのです。

その根底には、「神の前では万人が平等だ」というきわめてラディカルな平等意識が働いています。どんなエリートや権威者であっても、神の前ではほかの人と何ら変わりのない一人の人間であり、一人の罪人であるにすぎない。地上の学問や制度の権威は、神の前でのラディカルな平等意識に吹き飛ばされてしまうのです。

2018-07-16

じじぃの「発光生物・謎だらけの渦鞭毛藻(うずべんもうそう)!地球ドラマチック」

06:06

Bioluminescent Waves Explained 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=uqJbUKEPgXc

海岸に打ち寄せる波 渦鞭毛藻

発光生物

星空のような砂浜、プランクトンの光 2012.03.21 ナショナルジオグラフィック日本版サイト

モルディブ、バードゥ(Vaadhoo)島の浜辺に打ち寄せる波。夜空の星々の映し鏡のようだ。「生物発光」現象は海の生物でも良く知られており、一部の植物プランクトンが光る仕組みは解明されている。

中でも、植物プランクトン「渦鞭毛藻(うずべんもうそう)」は代表的な発光海洋生物だ。ヘイスティングス氏らの研究グループは最近、細胞膜に電気信号に反応する特殊なチャンネルの存在を発見した。発光現象に関係していると推測されている。

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5803/

地球ドラマチック 「発光生物 神秘の世界」 2018年7月14日 NHK Eテレ

【語り】渡辺徹 2016年オーストリア

野原に生息するホタルは光を放つことで異性にサインを送り、パートナーを探す。

体内に毒をもつ節足動物ヤスデは光を放つことで、捕食者に対して「近づくな」という警告を行う。

さらにカリブ海に生息するクモヒトデは、光で敵を照らし出すことで他の捕食者から狙われるように仕向けている。そして最新の調査では、暗黒の世界“深海”にさまざまな発光生物が生息していることが明らかになった。

発光生物はバクテリアから魚類まで広く分布する。その分布には一定の系統的な関係は認められない。発光の機構も生物の種類によって異なり、発光現象はいくつものグループで独立に進化したものと考えられている。

生物の発光は、自らが生産する発光物質による自己発光と、共生するほかの生物による共生発光とがある。自己発光にも、ヤコウチュウ(夜光虫)やホタルのように細胞内で発光がおこる細胞内発光と、ウミホタルツバサゴカイのように発光物質が細胞外に分泌されて発光する細胞外発光がある。

渦鞭毛藻類は2本の鞭毛を持つ単細胞藻類である。

夜の海の波打ち際で刺激を受けると青く光る藻で、一般に夜光虫などといわれているものと類縁な種である。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/183/2340522/index.html

どうでもいい、じじぃの日記。

7月14日、NHK Eテレ 地球ドラマチック 「発光生物 神秘の世界」を観た。

ヒカリキンメダイ」は眼の下に半月形の青白色発光器を持っている。ヒカリキンメダイ自身が発色しているのではなく、発色バクテリア共生している。

「渦鞭毛藻」は見た目はミドリムシのような藻だ。

鞭毛藻は夜に刺激を受けると光る。海岸の波に揺られると青く光る。

ホタルイカ」は富山湾で見られる。産卵のため海岸に上がるときに発色する。

2008年 ノーベル化学賞は日本の生物学者下村脩氏が受賞した。

下村博士は家族総出で5万匹以上のクラゲを捕り続け、17年かけてその発光メカニズムを解明した。

発光生物はまだまだ、謎に包まれているのだ。

じじぃの「科学・芸術_546_文明・シュメールの都市ウルク・ウル」

06:04

Mesopotamia - The Sumerians 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=FokczN6Fb3A

トリポリ

Sumerian Civilization

『馬・車輪・言語(上) ─文明はどこで誕生したのか』 デイヴィッド・W・アンソニー/著、東郷えりか/訳 筑摩書房 2018年発行

印欧祖語の原郷の場所―言語と場所 より

本章は印欧祖語の原郷の場所について、言語学的な証拠を挙げてゆく。この証拠は私たちを、踏みならされた道を通って馴染み深い目的地へと連れてゆくだろう。今日のウクライナロシア南部に相当する黒海カスピ海の北にある草原であり、ポントス・カスピ海ステップとしても知られている場所だ。マリア・ギンブタスやジム・マロリーをはじめとする一部の学者は、過去30年にわたってここを原郷とする説得力のある主張をしてきた。それぞれいくつかの重要な細部が異なる基準を用いているが、多くの点では同じ根拠から同じ結論に達している。近年の発見は黒海カスピ海仮説をいちじるしく強化したもので。ここが原郷であるという仮説は無理なく推し進められる、と私は考える。

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『馬・車輪・言語(下) ─文明はどこで誕生したのか』 デイヴィッド・W・アンソニー/著、東郷えりか/訳 筑摩書房 2018年発行

メソポタミアとステップの関係 より

ステップとメソポタミアの文明との接触はもちろん、トリポリの社会との接触にくらべればずっと間接的なものだったが、南側の扉はステップに車輪付きの乗り物を最初にもたらした街道であったかもしれず、したがって重要なものだった。南方とのこうした接触に関する私たちの知見は近年、完全に塗り替えられてきた。

前3700年から前3500年にかけて、世界最初の都市がメソポタミアの灌漑された低地に出現した。ウルクウルなど、古い神殿のある中心地は、建設プロジェクトのためにイラク南部から何千人もの作業員を集めることができたが、彼らがなぜ神殿の周囲に恒常的に住み始めたのか、確かにはわかっていない。地方の村から主要な神殿へのこの人口移動が、最初の都市を生み出した。中期から後期ウルク(前3700ー3100)の時代に新しい都市と外部との交易は、貢物、贈り物の交換、条約終結、都市の神殿と地上の権威の賛美といった形でとてつもなく増大した。貴石、金属、木材、原毛などが輸入品となっていた。織物と金属器は、輸出品に含まれただろう。後期ウルクには、牛の引く車輪付き乗り物が陸上の交通の新たな技術として登場した。輸出入と税金の支払いを記録するために、新しい会計方法が開発された。封をした荷物や、密閉された貯蔵庫の扉に印を付ける[封泥を付けて開封されていないことを証明する]ための円筒封筒や、梱包物の中身を伝える土器トークン、そして最終的には筆記が考案されたのである。

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マイコープの文化(黒海カスピ海の間に栄えた文化)は前3700ー3500年ごろ、ポントス・カスピ海ステップを見下ろす北カフカ―ス山脈の山麓に出現した。マイコープの首長の巨大なクルガンの下に埋葬されていた半王族的人物は、メソポタミアから手に入れた装飾品をこれ見よがしに身に着けていた。メソポタミアにすら類を見ないほどの遺物が保存されていたのだ。墓のなかには、金のライオンと牡牛[の装飾品]で覆われたチュニック、純金と純銀の牡牛が据えつけられ、銀で覆った杖、および銀板から鍛造された杯が納められていた。轆轤(ろくろ)で成型された土器は南方から輸入され、ベリクルデイービとアルスランテペ察伸今舛埜つかった一部の土器に似たものをマイコープでも製造するために、この新しい技術は使われた。新しい高ニッケル砒素を使った砒素銅と、新種の銅合金の武器(スリーヴ付きの斧、有茎式短剣)もやはり、南方から北カフカ―スへ広がり、南方からの円筒印象はマイコープの別の墓ではビーズとして身に着けられていた。この接触が始まったとき、北カフカ―スにはどんな社会の人びとが暮らしていたのだろうか?

2018-07-15

じじぃの「プラスチック製ストロー・紙袋にしますか、ビニール袋にしますか?小さな抵抗」

06:08

Sea Turtle with Straw up its Nostril - "NO" TO PLASTIC STRAWS 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=4wH878t78bw

プラスチック製ストロー

スタバ、プラスチック製ストローを廃止 2020年までに 2018年07月10日 BBCニュース

コーヒーチェーン大手スターバックスは9日、プラスチック製の使い捨てストローの使用を、2020年までに世界中の店舗で全廃すると発表した。微細なプラスチックごみによる環境汚染への懸念が高まっていることに対応した。

https://www.bbc.com/japanese/44776177

TIMEが選ぶ20世紀の100人〈上巻〉指導者・革命家科学者思想家起業家 徳岡孝夫/訳 1999年発行

化学者】レオ・ベークランド 【執筆者】アイバン・アマート より

映画『卒業』は、主人公のベンジャミン・ブラドック(まだ若いダスティン・ホフマンが演じていた)が、彼のために両親が開いた卒業記念パーティーに集まった裕福な南カリフォルニアの客たちを、いかにも不慣れにもてなしているシーンから始まる。その場面で、家族ぐるみで付き合いのある知り合いが、20世紀の映画史上もっとも有名なアドバイスをベンジャミンにする。「君にひと言だけ言っておこう。たったひと言だ。『プラスチック』」

そのせりふに、多くの観客がたじろぎ、苦笑した。60年代末、自分の周囲がどんどん化学合成物質で埋められていくことに対して観客が抱いていた複雑な心境を、うまくとらえていたからだ。彼等は安価な、掃除のしやすいフォーマオカ塗りのカウンターを気に入っていたが、同時に、大理石や木の本物が持つ手触りと普遍性をうらやみ、あこがれた。『卒業』のそのせりふの引き起こした感情は、1907年の夏にレオ・ヘンドリック・ベークランドが、わたしたちの世界を形作っている材質を変えてしまうような大躍進を達成してから、60年間でいかに大きな変化が起こったかを裏づけていた。

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ベークランドの死後1年たった1945年米国のプラスチック総生産量は40万トンに達した。『卒業』の12年後の1979年、プラスチックの年間生産量は、産業革命のシンボルである鉄鋼を追い抜いた。1998年の総生産量は約4700万トンだ。今日、歯の詰め物からコンピュータ・チップ(シリコンの代わりにプラスチックを使った、もっと柔軟にたわむことのできるトランジスタの研究が進んでおり、巻物のように居間の壁につけて巻き上げることができる、平面テレビのような驚くべき生本が登場するかもしれない)まで、プラスチックはどこにも使われている。その一方で、もはや1967年当時ほどひどく言われてはいないかもしれないが、相変わらず好き嫌いの激しい対象物であることには変わりがない。食料品店の店員「紙袋になさいますか、ビニール袋になさいますか」と尋ねるたびに、客は、答えるまでの一瞬に、古いものと新しいもの、自然素材と合成素材、自然分解可能かそうでないか、どちらを選ぶべきか、壮大な論議を静かに胸の内で繰り広げるのだ。

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週刊新潮 2018年7月19日号

還暦も文化 小さな抵抗 【執筆者】石田純一 プラスチック製ストロー、クジラスターバックス より

わが家では日ごろ、ある小さな抵抗をしている。プラスチック類を極力拒んでいるのだ。たとえば、プラスチック容器に入った弁当は買わないし、卵も紙の容器に入ったものを選ぶ。プラスチック製のスプーンやフォークも使わず、スーパーで買い物する際は、エコバックを持参する。

コンビニを覗けばプラスチック容器に入った商品は実に多い。その傾向は、特に日本に強いように思う。

言うまでもないが、プラスチックは強力だ。自然界に投棄されると、理論上は数百年から数千年は分解されずに残るという。結果としてなにが起きているか。いまクジラアザラシ、鳥や魚の体内から、大量のプラスチックが見つかっている。生態系に大きな影響が及んでいるのだ。

僕も痛ましい光景を何度も目にしている。北海道沖縄クジラを観に行って、舟で沖に出ると、凪のときは海面が鏡のように輝いているが、その上にいろいろな形のプラスチック類が無数に浮いていた。我々の捨てたプラスチック製品に違いないが、それらをクジラや鳥たちが飲み込んでしまうのである。

この状況に対し、最近いくつかの「小さな抵抗」が報じられている。米西海岸ワシントン州のシアトル市は、市内のすべての飲食店で、プラスチック製ストローの提供を全面的に禁止した。

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じじぃの日記。

少し前に、TBSサンデーモーニング」を観たときにこんなことを言っていた。

風をよむ 「プラスチックごみ」

コメンテーター涌井雅之氏

クジラはキラキラ光っているのをエサと間違えるんです。海上に浮かんだプラスチックをエサと間違えて、下からガバッと飲み込むんです」

プラスチック製ストローだけ禁止してもなあ。

という意見もあるが、プラスチック製ストローはその象徴なのだ。

コンビニさん、よろしくね。

じじぃの「科学・芸術_545_文明・馬の家畜化」

06:04

Horses in War 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=-nQZghjC8RU

ポントス・カスピ海ステップ

馬の家畜化

ポントス・カスピ海草原  Weblio辞書 より

ウマが最初に家畜化された地域と考えられている。

クルガン仮説では、ポントス・カスピ海草原がインド・ヨーロッパ語族の起源地と考えられている。

古くから騎馬民族が栄えた。キンメリア人、スキタイテュルク系民族モンゴル系民族などが勃興した。

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『馬・車輪・言語(上) ─文明はどこで誕生したのか』 デイヴィッド・W・アンソニー/著、東郷えりか/訳 筑摩書房 2018年発行

印欧祖語の原郷の場所―言語と場所 より

本章は印欧祖語の原郷の場所について、言語学的な証拠を挙げてゆく。この証拠は私たちを、踏みならされた道を通って馴染み深い目的地へと連れてゆくだろう。今日のウクライナロシア南部に相当する黒海カスピ海の北にある草原であり、ポントス・カスピ海ステップとしても知られている場所だ。マリア・ギンブタスやジム・マロリーをはじめとする一部の学者は、過去30年にわたってここを原郷とする説得力のある主張をしてきた。それぞれいくつかの重要な細部が異なる基準を用いているが、多くの点では同じ根拠から同じ結論に達している。近年の発見は黒海カスピ海仮説をいちじるしく強化したもので。ここが原郷であるという仮説は無理なく推し進められる、と私は考える。

馬の家畜化と乗馬の起源 より

ポントス・カスピ海ステップの完新世前期および中期の遺構には3種のウマ科動物の骨が含まれている。カスピ海沿岸低地では、プロヴァヤ53、ジュ・カリガン、イスタイ犬里茲Δ蔽石器時代の遺構で、前5500年以前と年代測定されたゴミ溜めからは、ほぼ馬とオナガーの骨しか見つからなかった。オナガー(Equus hemionus)は「ヒミオニー」または「半ロバ」とも呼ばれ馬よりは小型の、耳の長い俊足の動物だった。オナガーの自然の生息範囲はカスピ海のステップから中央アジアイラン、および近東まで広がっていた。ウマ科の別の動物、Equus hydruntinusは、やや降水量の多いウクライナの北ポントス・テップで狩猟されていた。前7千年紀後期と年代測定されるギルジュヴォとマトヴェーエフ・クルガンの中石器および前期新石器時代の出土物からも、このウマ科動物の骨は若干の割合で見つかる。氷河期のこの小型動物は当時、黒海ステップの西部からブルガリアルーマニア、さらに南部アナトリア半島にかけて生息していたが、前3000年以前に絶滅した。本家のウマであるEquus caballusは、カスピ海沿岸低地と黒海ステップの双方に生息し、オナガーとE.hydruntinusが狩猟され尽くしたのちもずっと、どちらの環境でも生き残っていた。

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牛と馬の群れはどちらも先導する支配的なメスに従うため、牛の牧畜民であればとりわけ馬の扱いには向いていただろう。牛飼いはすでに、先導する牝牛さえ制御すれば、群れ全体をうまく扱えることを知っており、その知識を簡単に応用して先導する牝馬を制御しただろう。馬でも牛でも、オスは管理面で同じような問題を起こし、どちらも生殖能力と力強さのシンボルとして象徴的な地位を占めていた。ウマ科動物を狩猟して暮らしていた人びとが、家畜の牛を飼い始めたとき、誰かがすぐにこうした類似性に気づき、牛を扱う技法を野生馬に応用したのだろう。それによってすぐに、最古の家畜化された馬が誕生したに違いない。

馬を買い始めたこの初期の段階は、ポントス・カスピ海ステップでは早くも前4800年に始まっていたかもしれない。当時、馬は主として、扱いにくいながらも、冬季の食肉供給源には都合のよい存在だった。これはヴォルガ川流域のフヴァリンクスとシエジジュや、ドニエプル急流域のニコリスコエで、馬の頭部や下腿が、人間の葬送儀礼において牛と羊の頭部や下腿とともに初めて供えられた時代だった。そして馬をかたどった骨の彫刻が、シエジジュやヴァルフォロミエフカなどの若干の遺跡で、牛の彫刻とともに登場した時代でもあった。馬は間違いなく、前4800年には人間にも家畜を飼育する世界にも象徴的に結びつけられていた。馬を飼うことは、経済、儀式、装飾、政治における急激な変革にさらに別の要素を加えただろう。それは前5200ー4800年ごろに畜産が初めて拡大するするとともにステップ西部一帯に吹き荒れた変革だった。