Hatena::ブログ(Diary)

老兵は黙って去りゆくのみ

2017-03-30

じじぃの「もやし危機の真相・もやしはなぜ安いのか!ゆうがたサテライト」

06:08

もやしのニンニク炒め 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=9vXu7V1JR_g

もやし

(株)旭物産 小美玉工場(もやし)

目指したのはもやし本来のおいしさを損なわずに、その品質のばらつきをなくすこと、そして”人のカン”に頼る生産方法から脱却することです。

そのために豆は中国ミャンマーで当社の高い基準をクリアするものを厳選し、つねに安定した品質で買い付けています。

http://www.asahibsn.co.jp/info/fac_omitama.html

"もやし1袋1円"も…「お客さんが来さえすればそれでいいのか」生産者たちが悲痛な叫び 2017.03.21 abematimes

もやし生産者の旭物産経営企画室次長の阿部能高さんによると、ここ十数年でもやしの原料である緑豆の価格が約3倍に高騰した一方で、小売価格は年々下落。そこに最低賃金の上昇が加わり、「生産に関わっている会社が、極端なことを言うと数年後に半分になってしまう可能性も現状ではあり得る」とし、「世界でもやしを一番安く売っているのは日本。安売りの目玉商品として使われることも多く、仕入れた価格より安く販売されることまる、やはり適切な価格で販売するという形にしてほしい。何も100円にして下さいといいことではなく、お互い損がない価格にしてほしいということ」と訴えた。

同じく旭物産代表取締役の林正二さんは「取引規模が大きいのはスーパーマーケットだが、もやしは、いわば低価格商品の代名詞となってしまっていて、もやしを1円でも安くできるかがが、そのスーパーマーケットの価格全体のイメージにも繋がるため、スーパーマーケット側もなかなかもやしの価格を上げられない現状がある」と話す。

https://abematimes.com/posts/2161795

ゆうがたサテライト 「“もやし危機”の真相とは」 2017年3月29日 テレビ東京

キャスター】進藤隆富、狩野恵里

物価の優等生に異変 もやしが食卓から消える1?

都内のスーパー(東京練馬にあるアキダイ)の野菜売り場。

群を抜いて安いのはもやし。1袋28円。家計の強い味方です。

どこかの奥さん、「安いので結構、使います」。

いつの時代も安定して安い。しかし今、消えてしまうかもしれないピンチになっている。

ここに運ばれてきたもやしは、茨城県小美玉市小美玉工場で作られたもの。

この工場では原料の豆の発芽から袋詰まで、365日24時間体制で稼働。1日20万袋(200g換算)を生産。首都圏中心に出荷している。

室内で水だけで育つ。天候に左右されず、価格が安定している。

もやし生産者協会の会長でもある旭物産代表取締役の林正二さん、

「昔は、手作業でいろんな管理をしていた。今は人の手がかかっているのは、最後の検査、袋詰だけ」。

販売価格は、100グラム当たり、15.61円。1977年よりも安い。最近の原料価格の高騰などでなかなか利益が出ないという。

緑豆は、9割以上を中国から輸入している。2005年に比べ、緑豆は約3倍の価格になっている。一方でもやしの小売価格は、10%下落。カット野菜で利益を出して、もやしで損をしていると林さんはいう。コストが上がっても小売価格が上がらないため、生産者はこの3年間で100社以上が廃業している。なぜ、もやしの小売価格は上がらないのか。

林さん、「スーパーでは戦略的に安く売っているため。もやしの価格でイメージづけしている」。

スーパーの店長、「利益はない、赤字覚悟で売っている」。

もやしの生産者団体は、今月窮状を訴える声明を発表。適正価格での販売を呼びかけた。理想は、もやしメーカーとしては、40円前後の販売価格になってほしいという。

もやしは物価の優等生で居続けることはできるのか。

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/you/smp/hatsudashi/

どうでもいい、じじぃの日記。

昨日スーパーで、「もやし」1袋 19円で買ってきた。

もやしって、味噌汁に入れると、結構かさばって、ボリューム感があるんですよね。

番組スタッフ、「もやしが40円になったらどうしますか」。

どこかの奥さん、「40円だと割高感がある。30円だったら、また買うかも」。

とか言っていた。

じじぃの「人の生きざま_739_武内・忠男(医学者・水俣病)」

06:05

水俣病(みなまたびょう)」 を発症した患者たち 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=GZXuntHBq04

武内忠男のオリジナルTシャツ

武内 忠男(たけうち ただお、1915年11月22日 - 2007年5月24日)は、日本の医学者、熊本大学名誉教授。大分県出身。

1941年、満州医科大学を卒業。1950年熊本大学医学部病理学教室招聘され、一貫して病理学の研究と後進の育成に努めてきた。

http://up-t.jp/info.php?type=item&id=9910000640181&PHPSESSID=q240cgecd2jt351um8h3hvmoa6

文藝春秋 2017年4月号

明治百五十年」美しき日本人 私を捨て公のために生きた50人

武内忠男 水俣病研究に懸けた生涯 【執筆者】衞藤光明(元国立水俣病総合研究センター所長) (一部抜粋しています)

熊本県水俣市で、手足のしびれ、ふるえ、脱力、視野が狭くなる、耳が聞こえにくい、言葉をはっきり喋れないという症状を訴える患者の公式発見は、1956(昭和31)年5月1日のことです。

この奇病は当初、伝染病ではないかとも言われ、原因を巡って社会的な混乱も招き、果てには、差別問題にまで発展しました。結局、国が公害認定したのは、1968年。発生から12年も経過していました。

実は、1956年に患者が確認されてから3年後に早くも真実に迫っていた研究者がいました。

その人こそ、私の師、熊本大学医学部教授(当時)の武内忠男さん。武内さんはこの病に「水俣病」と名付け、その原因を究明したのです。

武内さんは徹底した現場主義者。現地に赴き、亡くなった患者をはじめ、似たような症状のネコカラス、ネズミ、水鳥に至るまでを綿密に解剖し、原因特定を急ぎました。

水俣病の原因究明の決め手となったのは、海外の文献でした。ドイツ語ロシア語に精通した武内さんは海外の文献を渉猟し、その過程で、有機水銀を使用する労働者に見られる有機水銀中毒症ハンター・ラッセル症候群について書かれたドイツ語論文を見つけました。ハンター・ラッセル症候群の患者の大脳小脳の病変が水俣病と酷似しており、その原因は有機水銀でした。

――水俣病も、汚染された水俣湾の魚介類を食べることで発症する症状ではないだろうか。

武内さんはこのような結論に至ります。そして、1959年熊大研究班は、水俣病の原因は有機水銀だと公表するのです。汚染源としては、以前から日本衛生学会が疑っていたチッソ新日本窒素肥料水俣工場である可能性が濃厚になりました。

ところが、チッソは真っ向から否定。さらに誰の意向が働いたのか、「有毒アミン中毒説」など攪乱させる情報が流布されます。

しかし、武内さんはそれを意に介せず、水俣病の正体を突き止めるために解剖と分析を重ね続けました。そして、1968年厚生省(当時)が水俣病チッソ水俣工場から出たメチル水銀化合物が原因だと発表したのです。

     ・

しかし、1973年朝日新聞有明海に第3水俣病有明海でも患者10人」と報じたことで、武内さんの運命は一変します。1965年新潟県阿賀野川付近で確認された新潟水俣病、通称「第2水俣病」に次いで、福岡県大牟田市有明地区の住民に水俣病と類似する症例が見つかった、と報じられたのです。

第3水俣病の発覚は、他メディアも後追いで取り上げ、社会騒動になりました。報道の直後、有明の漁師たちが長靴姿で武内さんの研究室に「あなたのせいで魚が売れなくなった」と怒鳴り込んできたこともあります。しかし、武内さんは丁寧に説明し、漁師たちと酒を酌み交わし、取れた魚を一緒に食べて、親身になり、最終的には仲良くなりました。

そして、第3水俣病の原因究明を進めようとしていた矢先のことでした。武内さんの所属する熊大が、水俣病研究班を葬ろうとするような動きをみせます。当時の熊大医学部長が「(社会問題を取り扱い過ぎると)アカデミックな雰囲気を壊すから、もう水俣病を大学に持ち込むな」との考えを持っていたのです。そして、研究班は解体されてしまいました。武内さんを大学から放逐する意図まであったといいます。最終的に武内さんは、熊本県水俣病認定審査会会長の職を辞することになりました。

武内さんは当時、京都大学医学部から教授として招聘されていましたが、「自分が逃げたと思われるから」とその誘いを断固拒否し、終生熊本に留まりました。

武内さんの人生を一変させた「第3水俣病報道」でしたが、あれ以降、水銀農薬などに規制がかけられ、全国の河川や海がキレイになったことを「せめてもの救いだ」と喜んでいたのを思い出します。

2017-03-29

じじぃの「人の命の堪えられない軽さ・赤ん坊を金に換える?トリハダ・スクープ映像」

06:08

EXCLUSIVE: U.S. Citizens Arrested at Airport for Refusing Border Patrol Questions 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=_koO3eXwaCA


中国は今も囚人から臓器を摘出している? 2016年2月2日 ニューズウィーク日本版

中国、そして世界で、患者たちが切実に臓器を必要としているのは周知の事実だ。そして中国政府は、ありとあらゆる理不尽な理由から、健康な囚人を何万人も監禁している。そして増加する臓器需要を満たすため、また移植を求めて西側諸国からやってくる「臓器ツーリスト」に移植を提供するため、これらの囚人たちを密かに利用している、と専門家たちは話す。

中国の外科医が、政治犯に対して摘出手術を行っていることはわかっている。『ドナー』が手術中、まだ生きていることもある。臓器摘出手術が彼らの命を奪っている」とカトリーナ・ブラムシュテット教授はインタビューのなかで語った。同教授は豪ボンド大学の研究者で、囚人の臓器摘出を批判してきた。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4454.php

トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン 2017年3月27日 テレビ朝日

【MC】石原良純 【ゲスト】石丸幹二三田寛子川平慈英、新井美羽

地獄の沙汰も金次第! 衝撃の実録映像3時間スペシャル!

▽300商品24万円がタダvsクーポン5000枚命がけケチ買い物主婦 ▽家賃140万滞納3年大家vsモンスター親子 ▽アメリカ国境警備隊5000万円分麻薬&人骨 ▽ターゲットは高齢者女サギ師の犯行激撮! ▽トルコ仰天TV番組人気美人キャスターvsドロ沼W不倫の清算で10歳息子を殺害容疑の疑惑母vs不倫相手の母

http://www.tv-asahi.co.jp/torihada/

『WILL』 2013年12月号

韓国よりひどい!? 中国の呆れた情報50 【執筆者】福島香織ジャーナリスト より

中国ではもともと凌遅(りょうち)刑と呼ばれる、いかに死ぬまでに時間をかけて長く痛めつけるか、工夫を凝らした刑罰があった。それは見せしめであると同時に、「見せモノ」的興奮を提供するショーでもあったようだ。その伝統がいまでも続いているのか、拷問や虐待に関する残虐系ニュースは日常に溢れている。

     ・

赤ん坊売買事件も多い。7月16日、陝西省富平県の農村の産婦人科医院(婦幼保健院)で取り上げられた赤ん坊の両親が、女医から「先天性疾患と感染症を患い、障害をもっている」と告げられたため、赤ん坊を捨てて病院に処置を依頼した。

しかし、自宅に帰って冷静になると、どのように処理されたのか、どこに埋められたのか、気になって病院に確認したが、曖昧な返答しかなく、その後、女医が停職処分となったと聞かされた。両親は7月20日、赤ん坊を騙し取られて売られたのではないかと疑い、警察に通報。

捜査の結果、女医はその赤ん坊を2.6万元で仲買者に売り、その後、3万元で罰の人身売買組織に転売されていたことが判明。少なくとも5人の赤ん坊が、同様の方法で売りさばかれたことがわかった。

     ・

大の男が女性に虐待される事件もあった。安徽省六安市の「再婚夫圧力釜ゆで事件」。

再婚した夫が、自分の前夫との間の娘に猥褻行為を働いたことに腹をたて、6月14日、妻が夫の食事睡眠薬をまぜて眠らせたあと縛り上げて、車庫に監禁。3日間にわたり食事や水を与えず、鉄鍬(てっしゅう)などで殴打して衰弱死させたあと、6月18日、死体を鋸(のこぎり)で解体し、圧力釜で原型を留めないほど煮込んだあとに破棄した。

夫の職場には「夫を医者に連れていった」「夫が行方不明になった」と嘘をついていたが、周囲の人間に疑われ始めたので、1ヵ月後に警察に自首したという(8月31日、財形ネット)。

ちなみに、殺害遺体を圧力釜で煮る方法はわりとポピュラーで、2011年11月に、湖南省株洲市で強盗殺人犯が被害者女性の遺体を圧力釜で3日3晩煮て、八角・桂皮などのスパイスも加えてスープ仕立てにしたという猟奇事件も発生している(7月23日、長沙晩報)。

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どうでもいい、じじぃの日記。

3月27日、テレビ朝日 「トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン」を観た。

アメリカ国境警備隊5000万円分麻薬&人骨】

アメリカ国境警備隊の役目は、主にアメリカメキシコ国境沿いの不法な外国人と麻薬密業者流入を食い止めることだ。

その他に空港や港湾で、外国からのテロ対策や人身売買、麻薬密輸の取締りを行っている。

ロサンゼルスの空港に、中国から送られて来た荷物があった。荷物には中国語で意味不明の文字が書かれていた。検査官はX線で中を検査。どうもあやしい。

荷物を開けて見ると、中には人間の骸骨が数個入っていた。

検査官の話では、中国国内で犯罪があり、死体を始末する方法として、外国に送り付けて処分ということが考えられるとのことだった。

じじぃの「人の死にざま_1756_エルンスト・ヘッケル(生物学者・系統発生進化説)」

06:06

Theory of Recapitulation 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=YbmJFZSxtOM

刺胞動物

カメラのない時代、精密で詳細な生物画を描きあげたドイツ生物学者「エルンスト・ヘッケル」 カラパイア

エルンスト・ヘッケルという人物がいる。1834年2月16日、 ドイツポツダムで生まれた生物学者であり哲学者医師であり教授であった。85歳でその生涯を閉じるまで、チャールズ・ダーウィン進化論を広めるのに貢献した。

そんなヘッケルは繊細で精密な美しい生物図解を書くことでも知られており、フィールドワークに使える高性能カメラが無い時代、彼が描いた美しい生物画「生物の驚異的な形(Kunstformen der Natur)」は今日でも高く評価されている。

http://karapaia.com/archives/52220521.html

『ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学 本川達雄/著 中公新書 2017年発行

サンゴ礁共存の世界――刺胞動物 (一部抜粋しています)

刺胞動物は内胚葉と外胚葉しかもたない動物であるが、これは原腸胚の段階(つまり、中胚葉ができる前の段階)で発生が止まっているのだと見ることができる。原腸胚が、口を上にして反対側で岩に付着すれば、まさに(触手を縮めた時の)ポリプそっくり。また、口を下にして海中を漂うなら、これは(同じ刺胞動物の仲間の)クラゲそっくりになる(図.参照)。

この考えを最初に述べたのがエルンスト・ヘッケル(ダーウインと同時代の生物学者)だった。これは卓見で、今でも支持者が多い)。ヘッケルはダーウインの進化論を、動物の発生と結びつけて考えたわけだ。現在、進化と発生を結びつけた学問であるエボデボ(発生進化生物学。エボ=進化、デボ=発生)がきわめてさかんになっているが、150年ほど前、進化論が唱えられてすぐにその発想にいたったのだから、ヘッケルはすごい。

彼は大変想像力に富んだ人間で、「個体発生は系統発生を繰り返す」という名言を吐いた。系統発生とは、進化の歴史において単純な生物から複雑なものへとだんだん進化していった過程のこと。個体発生とは、個体が受精卵から親へと発生していく過程のことである。私たち一人ひとりが、卵から親になっていく過程において、生物進化の歴史を繰り返しているというのがヘッケルの主張である。ヒトは胎児の時代にエラ孔をもっているが、これは祖先の魚の時代を、発生において繰り返している証拠ともみなせる事実である。現実には、個体発生が進化の歴史を厳密に繰り返しているわけではないので、この有名な言葉は、そのままでは正しくない。しかし自分自身が生命38億年の歴史を再度経験しているのだというイメージをもつこと自体は、自身の存在の重みを感じさせ、まことに結構なことだと私は思っている。

2017-03-28

じじぃの「ポッカ・自動販売機・爆笑問題の雑学王が5年ぶりに復活!雑学大全」

06:09

ポッカ 自販機 動画 Youtube

https://www.youtube.com/watch?v=shfRBL8SnaI

古代エジプト 「聖水自動販売機

神殿の自動ドア・聖水自動販売機〜古代アレクサンドリアの超技術〜 三晃システム株式会社

紀元前215年頃にエジプトアレキサンドリアの寺院に置かれた聖水自販機が世界で最初の自販機と言われています。

この自販機はてこの原理を応用したもので、投入された硬貨の重みで内部の受け皿が傾き、その傾きが元に戻るまで弁が開いて水が出てくるという仕組みでした。この聖水自販機の仕組みはアレキサンドリア科学者ヘロンが著した「気体装置(Pneumatika)」に図解入りの記述がありますが、彼の発明によるものか、彼の師の考案によるものかはわかっていません。

http://sankousystem.co.jp/alexandria/

爆笑問題太田 「雑学王」復活SPで大はしゃぎ「生きがいだった」 2017年3月22日 お笑いナタリー

爆笑問題がMCを務めるバラエティ特番「芸能人雑学王最強No.1決定戦2017 5年ぶり大復活SP」(テレビ朝日ABC系)が、来月4月3日(月)に放送される。

特番として「雑学王」が5年ぶりに復活。かつてのレギュラー出演者・伊集院光をはじめ、ずん飯尾、アンジャッシュ児嶋、タイムマシーン3号・関、南海キャンディーズしずちゃん清水ミチコ、パーマ大佐、馬鹿よ貴方は・平井“ファラオ”光光浦靖子パンサー向井ら30人が“今すぐ使える豆知識”を盛り込んだクイズに挑戦する。

http://natalie.mu/owarai/news/225405

2017年3月25日 テレビ朝日 爆笑問題の「雑学王」が5年ぶりに復活 より

【問題】

道路の脇に並ぶ街路樹は街の景観を良くするのはもちろん、CO2の削減効果や野生動物の生息場所など、さまざまな理由から人が意図的に植えたものです。

街路樹の歴史は古く、奈良時代に当時の天皇が街道に木を植えることを命じたのが始まりとされ、その理由は意外にも旅人のためだったのです。

その目的は2つあり、1つは夏場に木陰ができて暑さがしのげるため、もう1つ、特に遠出をする人のために「XXX」を解消させる目的があったのですが。

では、日本で街路樹が植えられた元の目的は?

【正解】

食べられる実のなる樹を植えた。(空腹を満たすため)

東京都葛飾区 水戸街道沿いには「みかんの樹」が街路樹として並んでいる。

宮崎美子と、あと女性2人が正解。

【問題】 決勝ステージ

自動販売機の温かい缶コーヒー。今では当たり前のように夏はコールド、冬はホットの機能が付いています。

この種の自販機が登場したのは、1973年(昭和48年)。

日本で初めて開発したのは、飲料メーカー「ポッカ」の創業者谷田利景さんです。

谷田さんはある場所で、寒さを我慢して冷たい飲み物を飲んでいるある職人の人を見かけます。

温かい缶コーヒーを売る自販機が必要だ。手軽にしかも短時間で手に入れば喜ばれると思い、試行錯誤の末、完成したホット飲料の販売もできる日本初の自動販売機が完成。

その1号機は、ヒントをもらったその場所に設置し、またたくまに全国に普及したのですが。

温かい缶コーヒーが出る自販機。第1号が設置された場所とは一体どこだったのでしょうか。一般正解率 6%。

【正解】

高速道路サービスエリア

1970年代の名神高速道路養老SA。トラックのドライバーを見て思いついた。

宮崎美子が正解。

雑学王宮崎美子

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『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行

世界初の自動販売機は取り放題!? より

世界初の自動販売機は、古代エジプト神殿に置かれた「聖水自動販売機」。これは、神殿を訪れた人たちが身を清めるための水でした。

現存する最古の自動販売機は、17世紀イギリスで使われていた煙草販売機。現在の自動販売機とは形が異なり、金庫のようなものでした。お金を入れると蓋が開き中に入っている煙草をとれる仕組みです。

しかし、いったん蓋が開けば煙草煙草は取り放題。そのため、「正直箱」などという異名もあったそうです。

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どうでもいい、じじぃの日記。

自動販売機での缶コーヒーは当たり前のように思われています。

ホットとアイスを混在できる自動販売機というのは、器用な日本人だからできたような気がします。

じじぃの「科学・芸術_132_海の商人・フェニキア人」

06:05

Phoenicians 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=hLHNh4caX4Y

海の商人がつくった地中海の楽園 3/26(日)『世界遺産』「イビサ 生物多様性と文化(スペイン)」【TBS 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=lKEZo6aLU9w

海の商人 フェニキア

フェニキア文字

上段がフェニキア文字、下段がアルファベット

THE世界遺産 「イビサ 生物多様性と文化」 2017年3月26日 TBS

ナレーター藤原竜也

●3000年前の海の商人“紫の人”

イビサ島に高度な文明を持ち込んだのがフェニキア人。

地中海の東の果て、現在のレバノンから海に乗り出し、耐久性に優れた木材や、当時珍重されたカイムラサキで染めた絹を輸出し、地中海交易を支配した。

ムーレックスと呼ばれる巻貝。イビサ島フェニキア人の集落の貝塚から大量に見つかりました。この貝、食用ではなく、貝からわずかに採れる紫の色素で、絹を染めました。フェニキアとは、ギリシア語で「紫の人」という意味なのです。

スペインイビサ島幾何学模様の遺跡。最古の「海の商人」、フェニキア人の集落跡です。フェニキア人は地中海全域の交易を担いましたが、残った遺跡は少なく、ここはとても貴重なのです。

http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20170326/

『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行

ソロモン神殿の崩壊 より

BC950年ごろ、エルサレム大神殿を作ったのはソロモンである。ヘブライ人の神を祭るこの壮大な神殿に雇われた職人は、ほとんどシリア人フェニキアだった。ソロモンの宮殿と神殿の建立は、ヘブライ人の国勢と威信の頂点であった。

しかしそのあとで国の衰退が始まり、イスラエルの12支族は2つの王国に分裂した。多数派は、サマリア首都を置くイスラエル王国に拠った。しかし南のユダ王国は、首都、聖都としてエルサレムを擁し、ダビデソロモンの正統な後裔をもって任じた。

ヘブライ民族はやがて、アッシリアバビロニアの2大勢力にはさみうちにされる格好になった。サマリアは、BC722年、アッシリアサルゴン2世の攻略倒れ、イスラエル人2万8000万人が流刑に処された。彼らが、のちにいう”失われたイスラエルの10支族”である。サマリアの人工補充のために、アッシリアは他国の流刑囚を移した。この移住民と追放を逃れたイスラエル人が結婚して生まれた子孫が『聖書』に記された、”よきサマリアびと”である。

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ヒッタイト帝国―消えた古代民族の謎』 ヨハネス・レ-マン/著、内野隆、戸叶勝也/翻訳 佑学社 1979年発行

楔形文字象形文字 より

純然たる象形文字大きな長所を持っているが、絵による言葉の多くは非常にたくさんの符号に広がることを恐れて、中国語とは別の道をたどった。

つまり絵記号に音標記号をあてはめたのであった。エジプト象形文字は、今日でも女、男、目、水などのように、すぐわかる絵からできているが、音標記号をあてはめる場合には、決定的なことだが、そこに表わしている意味とはもはや関係がなくなる。たとえば雄牛の頭の絵は、もはや雄牛を意味せず、雄牛にあたる単語<Alef>は<A>で始まるので<A>の音を表わす。家は<Bait>なので<B>の文字を表わす。したがってこの両方をいっしょに書けばABとなり、我々がフェニキアから取り入れたように「アルファベット」となる。

個々の符号をさまざまな音のために選択するという、我々ドイツ人にとっては当たり前の方法によって、実際文字の数は自然と制限された。しかし短所としては、文字は言葉に結びついているし、その言語を話せる人にしか理解されないことである。つまり私は、troisとかthreeとかがどんな意味か習わなければならなくなる。

象形文字を読むということは多少雑な判じ絵を解読するようなものと思ってはならない。エジプト人は首尾一貫していなかったから、事は本質的に複雑なのである。同じ絵記号が1つの本分の中で異なった役割を持っていることがある。一方は、花の絵が花を意味するように実際その物を表わしている。しかし他方多くの場合、その絵は個々の子音あるいは子音のつながりを表わす音標記号として使われている。たとえば、「農耕用の鍬」が描いてある場合は、実際の農耕用の鍬を意味することもあるし、同時に「愛する」という意味にもなる。なぜなら、農耕用の鍬を意味する話し言葉が、愛するという語を意味する子音のm-rからできているからである。

さらに読むときの補助手段として絵記号と音標記号の他に、書かれているだけで読まれない、いわゆる限定記号が考案された。それは子音が同じ意味内容のものが混同されるのをさけるために使われた。たとえばm-n-hという語はパピルスの草、青年、蝋という3つの意味を持つが、このm-n-hがなにを意味するかによって、その概念を明らかにするために植物、男、あるいは鉱物の象形文字が描かれたのであった。したがって同じ絵記号でもその本来の意味を表わしたり、1つの音標記号を意味したり、時には限定記号としてまったく無声の存在にもなる。

このことに気がつくまでは、当時の言語慣習にしたがって、象形文字は「読めないもの」とされていた。ところがフランスシャンポリオンは1822年に2ヵ国語で書かれた碑文(特にロゼッタストーン)から、プトレマイオスクレオパトラという2つの名前を読むことに成功し、その結果だんだんと象形文字の解読にも成功していった。

     ・

紀元前2000年代にメソポタミアで発達した楔形文字は、今では信じられないことだが、エジプト象形文字と同じ絵文字から発生した。

それはユーフラテス左岸ウルクで見つかった絵文字で最も古い有名な文字である。裂けたアシを使い、うまく記号が刻めるように湿った粘土を使ったため、渇いてだんだんと尖った形になったのである。それによってこの文字の名前となった特徴的な「くさび形」が発生したのであった。

楔形文字は構造がエジプト象形文字にとても似ていて、絵記号、音標記号、(無声の)限定記号と同じような記号を用いている。ただ楔形文字には、子音だけでなく音節も表わせるという違いがある。つまり母音も書き表わせたのである。

原理は同じであったが楔形文字の解読には長いことかかった。1802年ドイツの言語学者グローテフェントが数人の支配者の名前を読み、最初の鍵を見つけたが、その後やっと1860年頃になって楔形文字を使っているいろいろな言語を読むことが可能となった。今日多くの言語がラテン文字のアルファベットを使っているように、当時シュメールアッカドエラムヒッタイト、古代ペルシャ、及びその他の諸民族が楔形文字を使っていた。

このいわゆるバビロニアアッカド楔形文字は、発端が同じであるにもかかわらず、純粋な字母に発展しなかった。一方ペルシャ楔形文字は、やっと紀元前500年頃になって、ついに字母音節文字が融合し41の文字(36の音標文字と5つの限定文字)が発生するに至った。それは楔形文字で書かれた唯一の純粋なインドヨーロッパ語である。

楔形文字は、象形文字と同じように、時がたつうちにその煩雑さから、純粋な音標文字を切り離してしまった。象形文字草書体(いわゆる民衆文字)の最後の手紙は紀元前470年頃のものである。その間にフェニキア人は、最初から字母アルファベットを使う新しい書き方をすでに「発見」していた。

ヒッタイトは固有の象形文字を持っていた。それは記念碑(ハマトの石のように)や封印のように、特に祝い事のために使われた。しかしヒッタイトは彼らの固有の言語を書き表わすために、バビロニアアッカド楔形文字をも使っていたのである。

2017-03-27

じじぃの「目からウロコの新学説・シムズ理論とは!プライムニュース」

06:09

アベノミクスとトランプノミクスの今後!新学説「シムズ理論」はアベノミクスの新たなカンフル剤になるのか?! 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=FXYmh__y1B8

クリストファー・シムズ

シムズ教授本人が解説、デフレ脱却の新手法「シムズ理論」 2017.2.10 ダイヤモンド・オンライン

金融緩和の限界が明らかになった今、安倍政権経済ブレインである浜田宏一・米イェール大学名誉教授が注目しているのが“シムズ理論”だ。日本は何をすべきか、クリストファー・シムズ・米プリンストン大学教授を直撃した。

http://diamond.jp/articles/-/117435

プライムニュース 「アベノミクス救世主?目からウロコの新学説社会実験か愚挙暴論か」 2017年3月16日 BSフジ

キャスター秋元優里、反町理 【ゲスト】浜田宏一内閣官房参与イェール大学名誉教授)、早川英男(富士通総研経済研究所エグゼクティブフェロー)、片山さつき自民党政調会長代理)、大塚耕平民進党政調会長代理)

米国の利上げや新たな経済政策EUに見え始めた微妙な亀裂、高い経済成長をひたすらに追い求める中国世界経済が新たなフェーズに差し掛かろうとする今、アベノミクスはどこに向かうのか。

これまで大規模な金融緩和などにより、結果として進んだ円安は企業業績の回復雇用環境の改善など様々な効果をもたらしてきた。

その一方で、安倍政権が目指す消費拡大や2%の物価上昇は実現できていないのも事実。ここにきてアベノミクスの手詰まり感を指摘する声もある。

そんな中、いま新たな学説「シムズ理論」をめぐる議論が熱を帯びている。

異次元の財政出動デフレ脱却を実現するという、これまでの常識を覆すもの。

アベノミクスの理論的支柱となってきた浜田内閣官房参与に「目からウロコが落ちた」と言わしめた学説だが、政権内部からは麻生財務相が「おいしい話を聞いたら危ないと思う。

評価が二分する中、シムズ理論はアベノミクス救世主となりうるのか、リスクはないのか。

●シムズ理論(物価水準の財政理論)の考え方

2011年ノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学教授クリストファー・シムズ氏が発表した学説で、まず政府が財政規律を一時放棄する。つまり増税をしない。巨額な財政出動や減税を行う。そうすると増税はないので国民の家計は安心できる、貯金をしてもお金の価値が目減りして損してしまうので使った方がいいと考えて結果、消費が増える。その結果物価が上昇する。

反町理、「シムズ理論では最終的に物価が上昇する、と言っているようだが」

浜田宏一、「私は物価が上昇するというのは悪いことだと思う。基本的には物価上昇は目的ではない。消費を上げろとか、国民所得を上げろとか、難しいので物価上昇を通じてということです。うまくいけば、物価上昇もいいということになる。政府が借金を返さないでお金を回した方がうまくいくという、昔からのケインズ理論が成り立つようなことを含んでいるのがシムズ理論です」

前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d170316_0

後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d170316_1

どうでもいい、じじぃの日記。

物価が上昇すると、経済が良くなる。

「風吹けば桶屋が儲かる」も理論化すると、シムズ理論になるのです?

じじぃの「人の死にざま_1755_ヘンリー・ダイアー(イギリスの技師・教育者)」

06:07

The Henry Dyer Collection Part 1 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=c2YqHQCSrF4

Henry Dyer


Scottish Engineering Hall of Fame

http://www.engineeringhalloffame.org/profile-dyer.html

技術者教育の父 ヘンリー・ダイアー 2011/03 ライフビジョン

ダイアー(1848 − 1918)は工部大学校都検を9年間務め、技術者教育制度を整え、多くの優れた技術者を育てた。帰国して母国イギリスで工業教育の基盤整備に努力した他、日本研究の第1人者として多くの著作を残している。しかしながら何故か、札幌農学校に僅か9ヶ月勤めたクラーク博士に比べると忘れられた存在である。

「ダイアーの日本」著者三好信浩氏は、ダイアーを我が国の近代化に貢献した恩人と高く評価しているが、ダイアーとクラーク知名度の違いを工学者と農学者との歴史認識の差であろうと説明している。工学者は過去の歴史より未来の技術開発の方が急務だからだろうと述べているが、少し違和感がある。

北政巳氏はその著書で、1880年代にプロシャが普仏戦争に勝って急速に近代化・工業化する中で、日本政府英国流モデルからドイツ流社会モデルへ傾斜し、工部大学校東京大学合併して東京大学工科大学となる過程で、ドイツ人学者たちによりスコットランド人学者の教育上の業績も消去され、ダイアーの功績も日本近代史から消されたと述べている。

http://www.lifev.com/mag/index.php?MENU=%93%FA%96%7B%89%C8%8Aw%8BZ%8Fp%82%CC%97%B7&DATE=110301&BACK=110301&PAGE=

スコットランドを知るための65章』 木村正俊/著 赤石書店 2015年発行

ヘンリー・ダイアー 日本工学教育の組織化に貢献 (一部抜粋しています)

近代日本が開国するとき、西洋の科学技術や文化を導入するため、数多くのお雇い教師が招かれた。かれらは教育の経営、学事にかかわる献策などという職務を遂行した。ヘンリー・ダイアーこそ、そうした一人である。

「日本は単に完成品を輸入するだけでは西洋の技術を身につけることはできません」。「技術を買うのではなく、技術を持つ人材を育てる教育こそが日本の将来のためになるのです」。「必要なのは殖産興業のための政府機関と技術者養成施設です」。

こんな提言を受けて、明治3年1870年)に殖産興業のために工学省が、4年には工学人材教育のための工学寮が設けられた。工学寮はやがて工部大学校東京大学工学部の前身)へ発展し、日本の工学教育の主役になっていく。この工部大学校の中心になったのがダイアーである。

ダイアーは「鍛冶屋の子より努力立身の人」として知られる。スコットランドの開かれた教育制度を活用し、努力して自分の地位を確立したのだった。父はアイルランドからグラスゴーにやって来てショッツ鉄工所などに勤めた。ダイアーはその鉄工所に付設された小学校に学び、成績優秀につき系列の会社に勤め口が与えられた。やがて鋳物工場に師弟修行に入り、夜間には勤労者の学びの拠点であったアンダソン・カレッジ(今のストラスクライド大学)に通った。5年間の師弟修行が終わると、今度はグラスゴー大学に進んだ。

グラスゴー大学はオックス・ブリッジのような宗教審査などなく、勤労者にも開かれていた。ここでもダイアーは成績優秀につき数多くの受賞に輝き、奨学金をえて勉学に励むことができた。なかでも貧しい技術者高等教育への道を拓いたホイットワース奨学生に選ばれたことは、ダイアーの誇りでもあった。

徒弟修行でも大学でも優秀であったことから、恩師のM・ランキン教授の水仙を受けて日本に招かれた。明治5年1872年)の秋、岩倉使節団英国訪問のとき、副使の伊藤博文がランキン教授に人選を依頼し推挙されたものである。

ダイアーは、明治6年6月に来日明治15年6月まで、工学寮および工学大学校の初代校長(都検)、土木・機械工部教授として勤務し、ランキンの人脈で構成された教師陣を率いて工学教育の組織化にあたった。その際、工学省の要職にあった山尾庸三から全面的な支援を受けることができた。2人はかつてアンダソン・カレッジの夜間課程に学んだ同窓生であった。

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ダイアーの構想と実践は、英国にもヨーロッパにも単独のモデルをもたない独自なものであった。ダイアーを送り出した英国では、1851年と1867年の2つの万博博覧会をきっかけに、学校教育形態での技術教育の組織化が国家的な重要事だとの認識が高まり、他国の実態調査が行われていただけに、早い時期から驚きと賛辞をもって繰り返し紹介された。『ネイチャー』誌や『エンジニア』誌では、英国が体系的なエンジニア教育の点で後れを取っている間に、日本では政府主導による大事業が行われていることや、工部大学校における「作業現場における実務体験と結び付いた高度な科学的教育」こそまねるべきである、などという記事がみられる。

このようななか、明治15年(1882年)にスコットランドに帰ったダイアーは、工部大学校での教育体験を還元させた。たとえば、1887年にグラスゴー・西部スコットランド技術カレッジが創設されると、その理事に就任し、工部大学校の実践にもとづいた専門学の学科ならびに各学科の授業科目を編成するなど指導的役割を果たした。

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ダイアーは帰国後も日本と親密な関係を保ち、日英交流の推進に寄与したことも注目される。たとえば、グラスゴーに機械学や造船学を学びに来た大勢の日本人学生を支援した。グラスゴー大学資格試験に日本語が認定される際(1901年)には、その実現を支援した。東京帝国大学で商船設計製図教育を担当するお雇い造船学教師の選考が難航したときは、適任の候補者を見いだし推薦した。(1897年)。『大日本』(1904年)、『世界政治の中の日本』(1909年)などという日本研究書を刊行して、「日本の国家進化を高く評価」し世界への日本紹介を一段と高めた。浮世絵や楽器など日本美術工芸品の収集と展覧による日本紹介、日本政府の帝国財務及工業通信員を委託され(1902年)日本政府のいわばコンサルタントとしての支援、などという活動もまた注目される。

これらの功労に対し、日本政府は勲二等を授与し、東京帝国大学は名誉教師の称号を贈っている。

2017-03-26

じじぃの「なぜ貝は対数ラセンなのだろうか?数字に強くなる」

06:08

巻き貝

人生80年

10円玉転がし

『ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学 本川達雄/著 中公新書 2017年発行

貝はなぜラセンなのか――軟体動物門 より

立体であれ平面であれ、軟体動物のラセンは巻きながら、巻いている間隔が広がっていく。その広がり方は、1巻きごとの間隔の増加分が、前の巻の増加分に定数をかけたものになっている。つまり、巻の間隔が一定の比率で増加しており、こうしたラセンは対数ラセンと呼ばれる。(対数ラセンはデカルトにより発見されたもので、デカルトのラセンとも呼ばれる。ちなみに蚊取り線香では巻の間隔は増加せずに一定で、このようなラセンはアルキメデスのラセンという)。同じ巻くといっても、なぜ貝は対数ラセンなのだろうか。

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『数字に強くなる 理系脳スキルアップドリル』 護田紀夫/著 楓書店 2016年発行 より

【問題】

人生は約80年。では、80年とはいったい「何時間」あるのだろう?

【解答】

●701280時間

順番に計算していこう。

1年 = 24(時間) X 365(日)= 8760時間。

8760 X 80 = 700800

80年のうち閏年が基本20回巡ってくるので

20 X 24で480時間

700800 + 480 = 701280

つまり、人生というのは約70万時間のことである。

【問題】

10円玉を2つ用意して並べてほしい。

片一方の10円玉を固定して、もう一方の10万円玉を転がしてぐるっと元の場所になるように1周した場合、動いた方の10円玉は何回転しているだろうか。

【解答】

●2回転

同じ10円玉だから「1回のはず」と思いがちだろう。だが、実際にやってみると分かるが「2回転」して、ようやく元に戻ることになる。

一方だけ固定せずに、お互いに噛み合った歯車のように回るなら、たしかに2つの10円玉はそれぞれ1周するだけとなる。しかし一方が固定されているので、そのぶんと合わせて2周分外側の10円玉は回らないと元の位置には戻らない。

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どうでもいい、じじぃの日記。

なぜ貝は対数ラセンなのだろうか?

貝がラセン形なのには2パターンがあって、1つは始めは陣傘の形で、傘の角度を変えずに傘の縁を伸ばしていくやり方。この場合は、傘が大きくなっても傘の形は変化しない。

もう1つは、筒の入り口を広げるように石灰をつぎたし、筒の径を太くしながら、筒を曲げて対数ラセンに巻くようにするやり方。

だそうです。

じじぃの「科学・芸術_131_スコットランド・お雇い外国人」

06:04

明治 お雇い外国人とその弟子たち 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=jXnaTapTa6o

日本の近代化

Thomas Blake Glover

http://mcjazz.f2s.com/GloverTB.htm

スコットランドを知るための65章』 木村正俊/著 赤石書店 2015年発行

日本近代化に貢献したスコットランド (一部抜粋しています)

ただ、近代化といっても、その正確な意味さえよく理解されないまま、事実上白紙のスタートとなった。とにかく、待ったなしの日本にとって取りうる選択肢はただ1つ、先進国からの先端知識、技術、人材、いや産業そのものを移入する以外になかった。その先進文明の導入先として、日本が白羽の矢を立てたのがスコットランドであった。それはごく妥当な選択だったことは明白である。なぜなら、スコットランドこそ18世紀後半から19世紀にかけて、ジェームズ・ワットによる蒸気エンジンの改良を起爆剤として産業革命を世界でいち早く達成し、世界の工場としての地位を確立した最先進国であったからである。同国は日本の近代化が最も必要とする人、もの、知見すべてを供給できる立場にあったのである。

しかも、同国は16世紀の宗教改革を機に、世界で初めて国民皆教育制を導入して、人は誰でも意志さえあれば学ぶ機会を与えられ、しかも幼少時から知識の習得とその活用を同時に学ぶいわゆる実学教育を基本方針として育てられた結果、近代文明の利器となるおびただしい発明発見を生み出した。この実学教育をたたき込まれた青年たちが日本の近代化に馳せ参じたのである。彼らは、先端知識を惜しみなく日本に伝授するだけでなく、それを実際に社会の進歩のために活用する術も教えてくれた。このことが日本の近代化のスピードアップにどれほど貢献したか計りしれない。なにしろ維新からわずか30年(条約改正は1899年)の短期間で、先進国並みの近代化を達成し、「日本の奇跡!」として世界を驚嘆させたからである。

さて日本の近代化に貢献したスコットランド人は現在60余名を数えるが、うち約3分の1に当たる人たちが傑出した功績を挙げて、今なお「父祖(始祖)」や「恩人」の称号で呼ばれ、人々の思慕や感謝を集めている。これらの称号は、誰がどのような分野で近代化に貢献したかを端的に示唆しているので、部門別に分類していちべつしてみよう。

まず産業機械(システムを含む)やインフラ事業関連の父祖としては、「灯台」「横浜町造り」「電信、鉄道、港湾、銀座レンガ街などの各種インフラ土木事業」のリチャード・ブラントン、「鉄道」のエドモンド・モレル、「上下水道」のウィリアム・バートン、「北海道農牧業」のエドイン・ダン、「三菱企業グループ」「食品、造船、鉱山貨幣鋳造ビールなどの各種産業」のトマス・グラバー、「国産ウイスキー」のリタ竹鶴、「近代銀行制度」のアレックス・シャンドの名が挙げられる。

次に教育・学術部門では、「高等工学教育」のヘンリー・ダイアー、「ヘボン式ローマ字」「日本語聖書」のジェイムズ・ヘボン、「指紋研究」のヘンリー・フォールズ、「地震学」のジョン・ミルン、「言語学」のバジルチェンバレン、「考古学」「アイヌ研究」のニール・マンロー、「海軍士官教育」のアーチボルト・ダグラスなどのほか、「衛生工学」の上記バートンも付け加えられる。

そのほか文化、社会全般では、「日本開国」のマシュー・ペリー、「日本ジャーナリズム」のジョン・ブラック、「横浜山下公園」のマーシャル・マーティン、「日本建国」のフリードリン・フルベッキらがいる。

上記のとおり、スコットランド人が切り拓いた分野は、およそ近代国家に不可欠なほとんどあらゆる方面に及んでいるが、ひときわ産業・インフラと教育・学術の2部門の功労者が圧倒的に多い。

     ・

なお上記のスコットランド人には、いわゆる「お雇い外国人」(近代化の助っ人)が半数以上含まれているが、そのほぼ全員が政府雇用したいわゆる「官雇」である点は、他の外国人にはない特徴である。当時民間資本の未熟さから、近代化が専ら政府主導でい粉われただけに、一層その貢献度が際立つのである。

彼らお雇い外国人は一般に「近代化の脇役」と見做されるが、その事績や生き様を公平に見れば、決して脇役ではなく、共同のパートナーと呼ぶほうがふさわしいのではないだろうか。彼らのほとんどが、20代の若さで来日し、まったくの異文化の中で、想像を絶する言語やさまざまな文化バリアーと戦いながら、伝道者のような使命感と情熱を傾けて、時代や歴史に耐え得る遺産を残してくれたのである。言いかえれば、創世記の近代日本は、日本人とスコットランド人の合作だったといっても過言ではない。

いずれにしろ、バランス感覚と柔軟な思考、それに適応力を持ったスコットランド人を近代黎明期のパートナーに迎えた日本は、じつに幸運であったといわねばならない。