じじぃの「人の死にざま_1484_ジェロニモ」

Geronimo: The Last Free Apache 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Eum4xW4c4X8
Geronimo: An American Legend (1993) trailer 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=3exHtIOscGo
ジェロニモ

ジェロニモ ウィキペディアWikipedia)より
ジェロニモGeronimo、本名:Goyathlay、1829年6月16日 - 1909年2月17日)はアメリカインディアン、アパッチ族のシャーマン、対白人抵抗戦である「アパッチ戦争」に身を投じた戦士。なお、部族の酋長と誤解されている例も多いが、実は酋長ではなく部族の「指導者」でもない。
メキシコ軍に家族が虐殺されたのを機に、アパッチ族の戦士たちとともに対白人のゲリラ戦に従事した。ちなみに戦士集団だったアパッチ族には「酋長に戦士が服従する」という義務も風習もない。戦士は結束はしてもすべて個人行動で動くものであって、戦士たちはジェロニモ個人を慕って抵抗戦をともにしたのである。ジェロニモが軍事的な指導をしたこともない。

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『世界史映画教室』 家長知史/著 岩波書店 1997年発行
ジェロニモ 1993年 アメリ (一部抜粋しています)
1492年にコロンブス西インド諸島の1つに到達して以来、ヨーロッパ各国から次々に移住してきた白人たちは、そうするのが当然のように先住民の土地を奪い、彼らを西へ西へと追いやっていきました。白人にとっての西部開拓史は、先住民にとっては白人による略奪と抑圧の歴史でした。大自然の中で平和に暮らすことを望む先住民も生活の場を奪われ、追いつめられていくなかで、いくつもの部族が結束し、武器を手にして白人たちと対決していきました。次の文章は、1811年7月にキスポコサ族の族長チクムセが仲間たちに白人への抵抗を呼びかけたものです。
 「いま、ペクォートはどこにいるか。ナラガンセット、モヒカン、ポカネット、そしてわが民族の、他の強力な部族のかずかずはどこにいるか。かれらは。白人の貪欲と抑圧のまえに、あたかも夏の日をうけた雪のように消えてしまった。我々は、我々の民族にふさわしい努力をなすこともなく、こんどは自分たちの番だとして、破滅させられるままになろうとするのか」(藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』 朝日新聞社
しかし、こうした先住民の抵抗は一時的、部分的に勝利することはあっても、大勢としては敗北を重ね、彼らはますます追いつめられていきました。そして1890年のフロンティアの消滅とともに、先住民の組織的抵抗は終わりを告げることになります。
この先住民の抵抗の最終段階において、最後まで頑強に白人を相手に戦ったのがアパッチ族の戦士で指導者のジェロニモでした。アパッチ族の中のチリカウワ族はアメリカ南西部アリゾナの保留地で生活していましたが、1876年合衆国政府は彼らをサン・カルロス保留地に移住させようとしました。こうした動きに反発した約半数のチリカウワ族はメキシコ領内に逃げ込みましたが、そのときの指導者の一人がジェロニモでした。ジェロニモは仲間とともにメキシコ人を襲撃していましたが、やがて逮捕され、サン・カルロスへ送られてきます。しかし、1881〜82年に仲間を引き連れて保留地を脱出し、再びメキシコへ向かいました。
映画「ジェロニモ」は、1884年から86年までのジェロニモ(ウェス・スチュウディ)の最後の戦いを史実にそって描いています。映画はアパッチ族の対策に乗り出したジョージ・クルック将軍(ジーン・ハックマン)とジェロニモとの話し合いの結果、投降することを約束したジェロニモをゲートウッド中尉(ジョイソン・パトリック)とディビス少尉(マット・ダモン)が迎えに行くところから始まります。
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映画は捕虜となったジェロニモがマリオン刑務所へ列車で移送されるところで終わりますが、その後ジェロニモオクラホマのシル砦に送られ、そこで1909年に肺炎で死ぬまで戦争捕虜としていきました。80歳の波乱の生涯でした。ジェロニモの本名はゴヤクラ、あるはゴヤスレイといいます。「あくびをする男」という意味ですが、そののびやかともいえる名前がジェロニモ(その意味、由来ははっきりしません)と呼ばれて恐れられるのは、1850年ごろ母親と妻と3人の子どもをメキシコ兵に殺され、その後メキシコ人に対する復讐の戦いを始めて以降といわれています。
西部劇も時代とともに変化しています。かつてアメリカ先住民は、西部劇において善良な白人を襲う「野蛮で恐ろしいインディアン」という敵役、あるいは白人ガンマンや騎兵隊の活躍の引き立て役でしかありませんでしたが、この映画は名実ともにジェロニモが主人公となっています。土地を奪われ、愛する者たちを殺され、追いつめられた先住民が、みずからの誇りを持って白人たちに戦いを挑む最後の姿が、彼らの憤り、悲しみ、無念さとともに描かれています。白人たちの理不尽さと狡猾さもまじえながら。

じじぃの「未解決ファイル_244_細胞シートと臓器の再生」

最先端の再生医療 〜組織工学〜 先進医療推進機構(AMPO) 動画あり
http://www.ampo.jp/movies/vol10
fMP〜flexible Modular Platform_ 組織ファクトリービデオ 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ultxxibGho8
細胞シート工学 (CSTOF HPより)

『21世紀はどんな世界になるのか』 眞淳平/著 ジュニア新書 2014年発行
細胞シートと臓器の再生 (一部抜粋しています)
iPS細胞の研究は、他の医療技術と組み合わされることで、そこから新たな医療技術が生まれる可能性も指摘されています。
たとえば「細胞シート」を使った「臓器再生医療」と呼ばれる技術があります。その代表例の1つが、東京女子医科大学・先端生命医科学研究所などで進められている研究です。
同研究所では、体の細胞を培養してシート状にする技術を研究しています。
そこでは、直径3〜6センチメートルほどの培養皿の底に、温度によって性質の変わる「温度応答性高分子」を敷き、その上に、iPS細胞から分化させた細胞や、筋肉のもととなる筋芽細胞(きんがさいぼう)などを載せ、養分となる培養液を与えて、シート状に育てる、という手法が採られています。
シート状に育てられたこの組織は、「細胞シート」と呼ばれていますが、細胞シートを数枚重ねて作った「積層化細胞シート」は驚異的な能力を持っています。
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近年、東京女子医科大学の清水達也教授らのグループは、細胞シートの中で、血管網を形成させることに成功しています。
2013年3月に、ラットの心筋細胞から作った細胞シートを3層に重ね、そこに欠陥のもととなる「内皮細胞(ないひさいぼう)」などを混ぜて、栄養分を含んだ土台の上で培養したところ、細胞シート内で、血管の機能を持つ組織が数時間のうちに伸びてきた、というのです。
血管が伸びていけば、細胞内に栄養分を供給することができます。
これまでは、細胞シートを厚く重ね、人工臓器のような厚い組織を作ろうとしても、できた細胞に血液が行き渡らないため、細胞が死んでしまう事態が懸念されていました。
しかし、血管を伸ばす技術が確立すれば、状況は変わります。
将来的に、細胞シートを厚く重ねることで人工臓器を作り出せる可能性が見えてきたのです。
こうした研究成果が上がる中で、東京女子医科大学・先端生命医科学研究所では、所長の岡野光夫教授、清水教授らが、「組織ファクトリー」と呼ばれる設備を作り上げています。
これは、ヒトの筋肉から細胞を採取した後、①採取した細胞から筋芽細胞を取り出すなどした後、②それを培養して、③細胞シートを作成し、④さらに細胞シートを何枚も重ねて「細胞シート積層化」を実現するという一連の行程を自動で行うための複合装置です。
現在はまだ研究段階ですが、近い将来、この組織ファクトリーで作成される積層化細胞シートが、さまざまな内臓の治療に使われることになる、と思われます。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『21世紀はどんな世界になるのか』という本を見ていたら、「細胞シートと臓器の再生」があった。
「ラットの心筋細胞から作った細胞シートを3層に重ね、そこに欠陥のもととなる『内皮細胞(ないひさいぼう)』などを混ぜて、栄養分を含んだ土台の上で培養したところ、細胞シート内で、血管の機能を持つ組織が数時間のうちに伸びてきた、というのです」
すげえなあ。
自動車の部品を交換するように、人間の臓器も細胞シートで作られた臓器と入れ替えるという時代にきているんだ。