じじぃの「人の生きざま_627_アマルティア・セン(経済学者)」

『議論好きなインド人』

アマルティア・セン 明石書店
1933年、インドのベンガル州シャンティニケタンに生まれる。
カルカッタのプレジデンシー・カレッジからケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに進み、1959年に経済学博士号を取得。デリー・スクール・オブ・エコノミクス、オックスフォード大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスハーバード大学などで教鞭をとり、1998年から2004年にかけて、トリニティ・カレッジの学寮長を務める。
1998年には、厚生経済学と社会的選択の理論への多大な貢献によってノーベル経済学賞を受賞。2004年以降、ハーバード大学教授。
主な邦訳書に、『福祉の経済学』(岩波書店、1988年)、『貧困と飢饉』(岩波書店、2000年)、『不平等の経済学』(東洋経済新報社、2000年)、『議論好きなインド人』(明石書店、2008年)、『正義のアイデア』(明石書店、2011年)、『アイデンティティと暴力』(勁草書房、2011年)などがある。
http://www.akashi.co.jp/author/a31348.html
自由・平等とケイパビリティ -アマルティア・センの倫理思想
アマルティア・セン(Amartya Sen, 1933 -)は,厚生経済学の分野で重要な業績をつくり出すとともに,経済学を倫理学に結びつける研究を行った。センの業績は多岐にわたる。個人の福祉を実現する社会的決定を研究する厚生経済学では,社会的選択理論が重要なテーマとなる。
センはこの分野で,先輩のケネス・アロー(1921-)の業績を受け継ぎながら,彼自身が重要な発見を行った。それは,個人の自由な選択を認める「リベラリズム」と,全員一致の選好を社会的決定とする「パレート原理」とは,両立しないという「リベラル・パラドックス」の発見である。そして彼はその解決も探求した。
http://www.ronsyu.hannan-u.ac.jp/open/n001938.pdf
『インド・アズ・ナンバーワン』 榊原英資 朝日新聞出版 2011年発行
おしゃべりインド人――神話と現実 (一部抜粋しています)
国際会議の議長として成功するためには、2つの条件があるというジョークがあります。1つはインド人を黙らせること、もう1つは日本人をしゃべらせることです。たしかに、特に公式の場でインド人はよくしゃべりますし、多くの日本人はあまりしゃべりたがりません。筆者はよく外国で「日本人らしくない日本人」と言われることがありますが、それは筆者がよくしゃべり、しかも、議論をかなり好むからでしょう。
インド人のおしゃべり好きの例として、しばしばあげられるのが、V・K・クリシュナ・メノンの国連での演説です。1957年1月23日、彼は国連で、実に、8時間も演説をし続けたのです。人間が集中して人の話を聞けるのは30分前後だといわれていますから、8時間のほとんどの時間、聴衆は聞いていなかったか、眠っていたのでしょうから、それでも話し続けたということは、余程、彼自身にも忍耐力があったのでしょう。
ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センは有名な『議論好きなインド人(Argumentative Indian)』という本を2005年に書いています。もっとも、本は彼が過去に書いたエッセイを集めたものですから、個々の文章は1990年代から2000年代の様々な時期に書かれたものです。センはインド人の議論好きは古い昔からの伝統的なもので今に始まったことではないと言っています。例えば、インドの古い叙事詩、『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』は大変長いもので『マハーバーラタ』はホーマーの『イリアド』よ『オデッセイ』を合わせたものの7倍もあると指摘しています。
また、インド仏教も大変議論を好んだとも述べています。というのは、ゴータマ・シッダールダ、つまり釈迦の入滅後、何度も仏教会議(buddhist Council)が開かれているからです。
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アマルティア・センは、こうして寛容と討論の伝統が現在のインドの世俗主義的政治(Secularism)につながっていったと論じています。インドの世俗主義は宗教的寛容とその多様性をベースに持っているというのです。ジャイナ教ユダヤ教キリスト教イスラム教・シーク教・バーハイ教等々です。こうした宗教はしばしば当該国で迫害を受け、宗教的に寛容なインドへ入ってきたのです。
独立後に制定された憲法世俗主義を正式なインドの政策として認知していますが、これは知的多元論を基本とするインドの伝統をベースにしたものです、ただ、このインドの世俗主義は、欧米、例えば、フランスの世俗主義とは異なったものです。フランスの世俗主義は衣服等による宗教的表現をしばしば禁じますが、インドのそれはどんな宗教的表現でも許容します。