書評:『北京の秋』ボリス・ヴィアン著

 中国の新富裕層のうたかたの日々を描いた『日々の泡』(『うたかたの日々』とも訳される)の続編ともいうべき、仏人作家ボリス・ヴィアンの新作『北京の秋』がこのたび刊行された。その題名どおりオリンピック開催後の中国に焦点をあてたものである。
 とはいえ、著者はすでに1959年に亡くなっている。実は、今回刊行されたのは、数年前に『日々の泡』とともに発見された彼の遺稿なのだ。本作が書かれたのは、調査により1947年と判明したが、注目すべきは中華人民共和国の建国の2年前だということである。執筆当時、中国はまだ共産党と国民党による内戦のさなかだったが、著者は驚くべき慧眼をもって、人民の100年の夢だったオリンピックをひとつの頂点とし、世界に勢力を拡大する21世紀の中国の姿を予言していたのだ。
 ……と、いいたいところだが、ヴィアンは根本的な部分で中国の行く末を見誤っていた。現実には内戦において共産党が勝利し、国民党は台湾に去らねばならなかったわけだが、『北京の秋』の作中において内戦は共産党と国民党の和睦により終結、新生中国は社会主義と資本主義を共存させた「一国二制度」を標榜して誕生する。この一国二制度というのも、現在の中国でいわれているそれとは大きく異なり、本作においては社会主義と資本主義の止揚を意味する。すなわち、経済の自由競争が奨励される一方で、福祉制度が充実した格差のない、いわば一種のユートピア(当然ながら、表現の自由基本的人権も守られている)がここには描かれているのだ。だが、あまりにも理想が達成されたがゆえに、人民、とりわけ若者たちは閉塞感に苛まれ、なかには退廃に耽る者すら現われるというのはなんというアイロニーだろうか。
 作中における建国後の中国の歩みもまた興味深い。内戦で荒廃をきわめた国土だが、その復興にはめざましいものがあった。対外的にも米ソ冷戦下にあって中立を貫き、絶妙なバランスを保って国際社会に地位を築く。1960年代には、建国者の一人である毛沢東を崇拝する若者たちがプロレタリア文化大革命なるクーデターを引き起こし、一時国内は混乱に陥るも、周恩来を中心にした政府は事態に冷静に対処して危機を乗り越える。その後、国内で石油が採掘されたこともあり、名実ともに経済大国として仲間入りを果たした。21世紀初頭のオリンピック開催もその延長線上にあった、というわけである。
 ただ、そんな中国とは対照的に、原爆投下により国土の半分を失い、資源の乏しさから復興もままならなかった「敗戦国」として日本が描かれているのは、さすがに日本人として唖然とさせられるが(まあ日本が中国との戦争に敗れたことはまぎれもない事実なのだが)。この作品が書かれた当時、ヨーロッパ人が日本をどう見ていたかを示す一つの典型例ともいえるかもしれない。
 なお、本書は当の中国では例のごとく発禁となっているが、海賊版が出回り、若者たちのあいだでひそかなベストセラーになっているという。若い読者たちは果たしてこの本からなにを学び、そしてオリンピック後の母国をどう動かしていくのか、おおいに気になるところだ。(2008年12月)
※本日は4月1日です!

ボリス・ヴィアン全集〈4〉北京の秋

ボリス・ヴィアン全集〈4〉北京の秋