大機小機(混沌)
バブルと国力の混同を憂う
日本経済は、株価と地価と賃金に代表される価格破壊を徹底し、購買力平価を切り上げて内外価格差をほぼ解消した。
<中略>
不況知らずの優等生と持ち上げられる英国の躍進は北海油田の石油収入とシティーの金融力を背景にしたポンド高だった。
ロンドンの物価高はかつての東京を彷彿(ほうふつ)とさせ、英国の住宅価格の正常値との乖離(かいり)は米国以上といわれる。
<中略>
時間の経過に耐え得る議論を望みたい。
(日経新聞朝刊)
わたしの場合は、「向うの声で立つ」―「向うが立てば立つ」、しかし立った瞬間には、あくまでも機先を制している―換言すれば、いわゆる「後手の先」で、立った瞬間には自分として十分な体勢になっている、そういう立合だったといえましょう。以上二つの「受けて立つ」は、外形上、結果的には同じようにみえても、内実的には確たる差異がひそんでいるのです。
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080120#1201224651
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080115#1200352238
西尾先生が仁斎と山本七平をなぞらえて、両者がビジネス文明に追随した形でしか孔子の文献を解釈していない、存在論が欠如している、つまり浅い、ときっぱりとおっしゃるあたり、たいへん面白いと私は思いました。司馬遼太郎や山崎正和に対しても西尾先生は批判的ですが、要するに、ビジネス文明に受けがよい形で、儒学に対してにせよ歴史に対してにせよ、薄められたことしか語らない思想家を先生は概して非常に嫌われているのだなあ、と妙に納得する思いを感じました。
かつて江藤淳は「ユダの季節」という論文で、「左翼とは何であるか?」という問いについて、「徒党」と「私語」という言葉を使い、人格論から「左翼とは何であるか?」を説明しました
「徒党」=同して和せず。
「悪党」とはいうが、「善党」とはいわない。悪人は一人でも徒党を組む性質を有している。
何でもかんでもかまわないので、日本という国を否定するテーマを選び「徒党」を組む。そして「徒党」の中でもちあげあい、かつ相互検閲して、彼らの中だけしか通用しない「私語」を語り合う。やがてその「徒党」と「私語」を国民的に拡大しようとする陰謀ならぬ陽謀をたくらむ。
「左翼」は実は「人格」の問題である
最近は、ポストモダンに移行して、相手に合わせて価値を相対化している。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080121#1201315982