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【正論】作家・深田祐介 第1回重光賞受賞の光栄に酔う

昨秋、上智大学名誉教授の渡部昇一氏から突然、お手紙をいただいた。

 「実はこの度、元副総理で外相の重光葵(まもる)ご一家が、基金1億円を準備され、重光葵賞を制定された。選考委員は私、渡部昇一岡崎久彦氏、工藤美代子氏、田久保忠衛氏の4名があたることになったが、第1回目は遺族側のご意向によってドナルド・キーン氏とあなた、深田祐介さんが受賞者と決まった。あなた、受けてくれますか」という内容であった。

「小さな意見の違いは決定的違い」ということ(八)

 日本人は反省好きで、とかくに先の大戦の原因は日本にのみあるように叙述されてきた。満州事変、国際連盟脱退、支那事変、三国同盟調印、インドシナ半島進駐、そして真珠湾攻撃……という順序で日本は国際秩序の撹乱者の役割を演じた、と日本人自らが思いこんでいる。

 しかし、アメリカの「戦意」が戦争を成立させたもう一つの重要な要素なのである。そしてその戦意にもそれなりの「歴史」があるはずである。

 私の言いたいのは両サイドの戦意の歴史を並立的に比較しつつ、叙述しない限り、公平な歴史叙述には決してならないだろうということである。その意味で日露戦争以後にアメリカに兆した反日感情は見落とすことのできない戦争誘因の発端である。

私の履歴書
アラン・グリーンスパン
真珠湾の名前は聞いたこともなかった。当時はおそらくハワイの住民しか詳しくはしらなかったのではないだろうか。
 攻撃されたからといってすぐに戦争になるとは思わなかった。・・・しかし、状況はしだいに変わっていく。配給制が始まり、日本や日本人を攻撃する大量のプロパガンダも始まった。

日経新聞朝刊)

【正論】再論・沖縄集団自決 良心の欠けた不誠実な弁明 現代史家・秦郁彦

軍命がなかったことはかなり前から専門家の間では定説となっていた。文部科学省が今年春の検定意見で軍命説を排し、教科書会社や執筆者も抗議ひとつせず従ったのもそのためだが、2人の「名誉回復」が遅れたのには秘められた事情があった。
 軍命があった形にすれば厚生省の援護法が適用され、自決者の遺族に年金(1人200万円)が支給されるので、村当局に頼み込まれた2人の隊長は世間の悪罵(あくば)に耐え沈黙を守ってきた。だが死の直前に名誉回復を訴えた赤松氏の遺志もあり、今回の訴訟となったのである。事情を知る両島の村民たちが、貧しい村の経済を助けてくれた2人の隊長を「恩人」として遇しているのも当然といえよう。

『昭和の動乱(下)』
P109

共産党は、日本の鋒先きを極力ソ連より避けしめ、支那にける他の帝国主義国家、主として英国に向けんことを努力した。即ち、彼等の所謂一つの帝国主義勢力をもって、他の帝国主義勢力を駆逐し、両者ともに亡びる状態に導かんと計画したのであった。従って、支那事変の進行とともに、日本の武力をして北進を停止し、南へ南へと進出せしめ、英米との衝突に導くことは、彼等の心血を注いだところであった。
<中略>
米国における共産党は、米国政府及び世論を動かすために、極めて有効なる裏面的の活動をした。彼等の目的は、日米交渉を成立せしめずして、遂には日米を戦争に導くことであった。
<中略>
 尾崎は、捕えられた後に、検察当局に述懐して・・・「自分等の日本赤化運動は、すでにその目的を達し、日本は遂に大戦争に突入し、擾乱は起り、革命は必至である。自分の仕事が九分通り成功しながら、今その結果を見ずして死ぬのは、残念である」と述べた。
<中略>
 ゾルゲ事件は、この種事件の判明した一事件に過ぎない。共産党の世界にわたる組織は、政治、文化、経済の各部門に、或いは第五列として、或いは間諜として、あらゆる手段を用い、その目的を達するために、信念的暗躍を行っていることが、戦後次第に世界の人々に知られるところとなった。

『続 人間維新』
(邑心文庫版の)P162

ともかく、今度の大東亜戦争第二次世界大戦が非常な謀略戦、国際スパイ合戦であったということをまずは指摘しておきたい。

P170

というのは、日本の国策は、大体ドイツと呼応してソ連・共産政権を打倒し、日露戦争の結末をつけるということにあった。これをさかさまに日本の方がやられて、向こうから日露戦争の結末をつけられた。日本が降伏したときにスターリンが大演説をやった。「これで日露戦争のかたきを打った」と演説しておる。・・・とにかく日本の国策の主流を成しておった考えを見事に転換させて、南へ向かわせた。つまり英米に鋒先を向けさせたということの殊勲甲は確かにゾルゲである。
<中略>
 同時にこの手はアメリカに伸びて、ルーズベルト及び国務省の中に盛んにスパイが入った。・・・
 それを感づいて摘発し逮捕するのに非常な努力をしたのが、あのニクソン及び死んだケネディ
<中略>
だからアメリカは中国共産党などに対しても錯覚して大変好意を持ち、かえって国民党政府・蒋介石を憎んで、・・・。
 その毛沢東が戦後一九五〇年、猛然として北鮮軍を先鋒に立てて南鮮に侵略を始めるに及んで、アメリカは愕然とした。魂消た。・・・それで初めて“これはいかん、我々は誤解しておった。日本の方が正しかった。とんでもない”というわけで、今までぶん投げて踏んづけておった日本をにわかに助け起こして「おい兄弟、しっかりしてくれ」と言って塵打ち払って仲直りというわけだ。だからこの間の機微を何もかも知っておる者からいうと茶番狂言というか、喜劇みたいなものだ。知らぬが仏ということがあるが、何も知らない連中が、何かえらく四角張った議論をしておるんだが、真実を知るというとおかしなものだ。

私の履歴書
アラン・グリーンスパン
ミッドウェー海戦によって状況は大きく変わるが、そうした変化を当時は実感できなかった。日本が戦況をどう国民に伝えていたのかは知らないが、米国でも報道検閲のせいで、本当のところはよくわからなかったのだ。

日経新聞朝刊1/6付)

大川周明の従順な回答
今、大川周明を論じることにそれ程意味があるのか?
満州国の建設までは、孫文も認めていたし、出口王仁三郎北一輝石原莞爾らは神勅を受けていた。
だから、道院紅卍会も協力した。
ところが、そこから中原に拡大していったのが(国家神道体制の)間違い。
張作霖王永江の制止を振り切って山海関の中に入って失敗している。

【グローバルインタビュー】ヒュー・コータッツイ元駐日英大使「日本の人種差別撤廃条項を米英が否決したのは誤り」

 「同盟の共通の利益はロシアに対する牽制(けんせい)にあった。不凍港を求めてロシアが朝鮮半島に進出するのを日本が恐れていたのと同じように、中央アジアでロシアと“グレート・ゲーム”を繰り広げていた英国も植民地だったインドにロシアが南下してくるのを警戒していたのだ」

第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃条項を、米英が反対して否決したのは誤りだった。米国の日系移民らに向けられた黄禍論が背景にあった。しかし、いずれにせよ、日英同盟の解消は不可避だっただろう。日本で軍国主義が台頭してきたからだ。軍部が政治を支配し、明治の秀でた元勲たちが築いた栄光の時代は終わりを告げた」

【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 歴史問題は時事問題である

昭和12年の夏、上海あたりにいたのは日本陸軍ではなく、日本人居留民保護のための陸戦隊が3000人程度いただけだった。日本の陸戦隊というのはアメリカの海兵隊とは違って、水兵さんたちが軽武装で居留民保護に当たるのであって、本格的戦闘部隊ではない。その陸戦隊が、数個師団の蒋介石の精鋭主力陸戦部隊に攻撃をしかける可能性はゼロだ。この戦争はユン・チアンとジョン・ハリデイの『マオ』によって、張治中将軍がスターリンの命令で始められたことが説得的にのべられた。

日華和平の妨害

現在までで最も有力と思われる史料は先にも紹介したユン・チアン、ジョン・ハリデイの調査による『マオ』である。
 二人の調査によれば、またたく間に華北を占領した日本軍を見ていたスターリンは日本に脅威を感じた。そこで上海で全面戦争を勃発させて、日本を南下させておく手を打った。この裏では周恩来もひと役かっている。かねてより極秘に中国共産党入りを志願していた国民党軍南京・上海防衛隊司令官の張治中将軍をそのままスパイとして蒋介石の傍に置き、工作運動をさせていたというのだ。

ライシャワー教授
防衛大学校長 五百旗頭 真
カーター政権の在韓米軍撤退方針に対し、私が「米国のアジアにおける威信は失われる」と批判すると、教授は色をなして怒った。「日本人はずるい」。自分で安全保障を担おうとせず、アメリカにばかり責任を押しつける、と。

日経新聞夕刊1/25付)

私の履歴書
アラン・グリーンスパン
 当時、米国と世界にとって最大の問題になっていたイラク戦争は私から見れば、石油の問題だった。イラクフセイン大統領が中東の原油やホルムズ海峡を支配しようとしているのは明白に思えた。・・・フセインが引きずり降ろされたときはほっとしたのを覚えている。

日経新聞朝刊1/27付)