山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

話題のベストセラーなので、昼休みにさくっと読む。
昼休みにさくっと読めるくらい読みやすい。
会計(学)のことはまったく知らないが、これはいい本だわな。
私のようなくそシロウトでも会計に興味わいたもの。
編集者からは「日本には会計入門書といえども専門知識がないと読めないような本ばかりです。そのむずかしい入門書と一般の人とのあいだを埋めるような本を作ってほしいのです――」という依頼があったそうで。
これ、社会調査の入門書にもかなりあてはまるよなあ。
この『さおだけ屋』のような、数学に強くなくても、数字についてのセンスさえあればわかるような社会調査の入門書を書いてみたい。
あと、『反社会学講座』とか『科学哲学の冒険』とかのテイストをミックスして、『さおだけ屋』より密度をもうちょい濃くしてだな......


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そんなもん書けるかっ!>オレ
(つうか、高望みしてないで早く書けという話だな......orz)

梶原しげる「言葉遣いから見えてくる若者心理」

以前、日経新聞(2005年4月15日付、夕刊)に載っていたものだが、ご本人のサイトに記事全文がアップされていたのでクリップ。
東京成徳大大学院に提出された修士論文がネタ元。
http://www.spgroup.co.jp/kaji/column/ のDate: 2005-04-23 (Sat)より。

さてその修士論文だが、私は二年生の春、「言葉遣いから見えてくる若者心理」をテーマと決めた。
 きっかけは文化庁が実施している日本語に関する調査。言葉を扱う仕事柄、若者の奇妙な物言いが普段から気になっていた。そこへ「『お荷物のほう』『話とかしてました』『私的には』など、あいまいにぼかす表現が若年層に広がっている」という結果が出て、研究したくなった。
 若者がこんな表現を使うのはなぜか。当時「対人関係の希薄化」や「伝達能力の未熟さ」が指摘されたが、根拠がはっきり示されない。ならば自分が調べようと思った。

…(略)…

 まず、二十歳前後の若者約五十人に面接調査して「〜系」「なにげに」「みたいなぁ」「になります」など使用頻度の多かった三十三のあいまい表現を抽出。そうした表現を多用する人とそうでない人で、対人関係や伝達能力に違いがあるか調べた。
 大変だったのはアンケートのための質問作り。ただ思いつくまま項目を並べればいいというものではない。何度繰り返し調査しても、同じ結果が出るような信頼性を十分に確保するには、質問項目の予備調査などたくさんの作業が必要だった。
…(略)…

 結果は――。あいまい表現を多用する人は深く干渉し合う濃密な人間関係を好まない傾向があった。これは当時の指摘を裏付けるものだ。しかし自分の言い分を上手に相手に伝える技術を持っている傾向も見られ、「伝達能力が未熟」という当時の指摘を否定する結果となった。

一度、成徳大へ行って修論実物を読んでおきたい。
というか、調査結果をまとめてどこかの学会誌へ投稿してくれているといいのだが。
文藝春秋』81巻14号(2003年12月号)に、「大丈夫だったでしょうか?」という記事は掲載されているようなのだが。
それとも別名(本名?)でどこかに掲載されているのだろうか。
これ↓を買ってみるか。

口のきき方 (新潮新書)

口のきき方 (新潮新書)

このなかの一章分が

第4章 若者言葉の味わい方
「てゆうかあ」「ぶっちゃけ」「私って○○なヒトなんです」等々、
うっとうしい若者言葉に隠された意外な知恵とは?

にあてられているらしいのだが。

むかし書いた読書案内

研究室をちょこっと整理してたら、出てきた。
関大生協『季刊 書評』118号(2001年4月)p.15-7より。

マンガは哲学する (講談社プラスアルファ文庫)

マンガは哲学する (講談社プラスアルファ文庫)

寄生獣(1) (アフタヌーンKC)

寄生獣(1) (アフタヌーンKC)

社会学部 辻大介先生のブックガイド


夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』NHK出版・1997年・880円
永井均『マンガは哲学する』講談社・2000年・1400円
岩明均寄生獣 1〜10巻』講談社・1990〜95年・各500円前後


 学生のための読書案内といえば、学術書や文芸書を紹介するものとだいたい相場が決まっている。でも、そんなカターイ本を小脇に学生がキャンパスを闊歩していたのは、もう遠い昔の話。ご年配の教授陣はよく「最近の学生は本を読まない、読むのはマンガくらいのもんだ」というお小言を口にされる。そうですねえ、と相づちをうちながら、私は内心つぶやいている。マンガもバカにしたもんではないですよ、と。(以下、心の声)。
 マンガってのは子どもでもわかる単純で幼稚なもんだ、と決めつけていらっしゃいませんか。マンガを読んでる私たち自身もふだんはあまり気づかないんですが、実はそこにはいろんな複雑な表現技法が盛り込まれているんです。夏目房之介の『マンガはなぜ面白いのか』を読めばそのことがよくわかります。線の描き方や余白の使い方ひとつで、がらりと印象が変わってしまうほど、マンガの表現ってのは繊細なんですよね。ひょっとすると文学や芸術よりも高度な技術が必要かもしれません。そんな高度な表現読解力を子どもが身につけられるはずないですって?そんなことないですよ、外国に移住した子どもは大人より早くその国のことばを覚えるじゃないですか。それと同じで、「マンガ語」もたぶんすぐに覚えてしまうんですよ、子どもは。その意味では、この本は「マンガ語」の語彙と文法を楽しくやさしく解説した入門書と言ってもいいでしょうね。
 それに中身だって幼稚だとは限りません。永井均という哲学者は『マンガは哲学する』という本で、いろいろなマンガを紹介しながら、そこにきわめて哲学的な問題が提起されていることを指摘しています。いや別に、文学色の強いマニアックなマンガばかりじゃなくて、“ドラえもん”や“天才バカボン”なんていう誰もが知ってるようなマンガにもですよ。彼は「マンガは子どもが読むものだという通念が…大人の常識に惑わされない問題提起を許している」のではないかって言うんですけど、私も賛成です。常識に惑わされずに自分の頭で問題を考えることって、哲学だけじゃなく、どんな学問にとっても、すごく大事なことだと思うんですよね。私は大学って、知識を学ぶだけじゃなくて、こういう姿勢を身につけるためにあるところだと思うんです。それにはマンガもいい教材になるんじゃないでしょうか。あ、ちなみにこの本、哲学の本としてはこれだけ読んでもピンとこないところも多いと思うんで、同じ著者の『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版・2000円)あたりと併読した方がいいでしょう。
 え?具体的にはどんなマンガが君のオススメなのかって?岩明均の『寄生獣』あたりはどうでしょう。その名のとおり、人間に寄生する知的生命体と寄生された少年が主人公の話なんですけれど、エンターテイメントとしても一級品だし、人間という社会的存在について深く考えさせられるシーンがあちこちにあります。それこそ、ある意味では、作品全体が「どうして人を殺してはいけないの?」という究極の倫理学的問題を提起していて、しかも“大人の常識”でごまかさずに取り組んでいる。それに対して、著者が作品のなかで出している答えというのは、私には、今の大人が子どもに対して示すことのできる最良の答えの一つのように思えるんですよね。いや、ふつうに読めばロマンチックでおセンチな結末のように思えるのかもしれないけれど、普遍的・抽象的な道徳倫理をむやみにふりかざすことなく、功利主義一辺倒に陥ることもなく、何とか血の通った答えをだそうとしているような気がするんです。まあ、話を始めると長くなりますから今はやめておきますが。他にもいいマンガはたくさんありますよ。(以上、心の声おしまい)
 学生諸君、いいマンガを読んでください。そして、いい本も読んでください。どっちの方が上ということはありません。大切なのは、マンガか本かではなく、そこから自分が何を感じ、何を考えるかだと私は思います。


他に各学部の先生方が原稿を書いておられるのだが、そこで挙げられている本は。
論語』とか、『茶の本』とか、『手にとるように環境問題がわかる本』とか、『山椒魚戦争』とか、『火車』とか、『南方熊楠』とか、『ITユーザの法律と倫理』とか。
おいらの原稿は、思いっきり浮いてるような気がする。
つうか、半分ケンカ売ってるような......