2012-02-01
韓流ドラマで日韓交流−歴史、文化、ジェンダーが見える!
富山サンシップにて、山下英愛さんによる、次のような企画があります。雪の中ですが、ふるってご参加ください。
連続講座「韓国併合100年」第二期 第5回
韓流ドラマで日韓交流−歴史、文化、ジェンダーが見える!
中高年女性たちの「冬ソナ」と“ヨン様”への熱狂ではじけた日本の韓流。それはどのような意味をもっていたのでしょうか。また、韓流現象を朝鮮半島に暮らす人々と良き隣人関係をつくるために役立てるにはどうすればよいでしょうか。
今回は、そのための基本知識として、韓国ドラマの大まかな歴史、「冬ソナ」をはじめとする韓流ドラマの特徴、最近のドラマの面白さの秘訣などを、映像を交えてお話したいと思います。“嫌韓”現象や商業主義的な流れにのまれることなく、主体的な視聴者になるための方法を一緒に考えてみませんか?
講師 山下英愛(よんえ) さん
日時 2012年 2月 4日 (土) 13:30〜16:00
場所 サンシップとやま 704号
参加費 1,000円
<講師プロフィール>
津田塾大学国際関係学科卒業、同大学院を経て、韓国の梨花女子大学大学院女性学科で学ぶ。博士(国際関係学)。韓国留学中、日本軍「慰安婦」問題解決運動の活動に参加。最近は韓国ドラマの講座やエッセーの執筆活動を通して、韓国社会のジェンダーや文化について語っている。
著書に、『ナショナリズムの狭間から−「慰安婦」問題へのもう一つの視座』(明石書店 2008)など。
主催 コリア・プロジェクト@富山
https://sites.google.com/site/kankokuheigou101/
連絡先 090-5175-3756(堀江)
2012-01-14
富山県のパープルリボン・キャンペーン
先日、ハッピーウーマンプロジェクトの方から、DV被害者支援サポーター養成講座「暴力の種を発見すれば、救える命があります」というチラシを渡された。
医療、福祉、教育分野で働く学生向けに作ったので、出講している看護学校や保育士養成学校の授業で学生さんに渡してほしいと頼まれたからだ。ご覧のように、味がある。
「暴力の種」
分 布:家庭、職場学校など。
発芽時期:気の向くまま
特 徴:毒性が強く、生命力も強い。枯れたように見えても注意が必要。
自己尊重トレーニングやアサーティブネス・トレーニング、あるいは(DVの)相談を受けた時にどうしたらいいか、という内容の講座のお知らせでもあり、同時に、それに出られなくても、DVについて関心をもってもらうためのチラシでもあった。デザインもいい感じだ。「種」が気の向くまま、毒を吐いて育っていくイメージを、おどろおどろしくなくイメージで描いている。このデザインは、富山市のKさん作とか。
もう一枚、これは、このブログでも何度か紹介したことのある、高岡DV被害者自立支援基金パサパのチラシだ。これは学校にもっていって掲示してもらってほしいと頼まれたものだ。カラー刷りでメリハリがあり、人目に付くようになっている。自立しようとする被害者さんに生活用品を提供したり、生活資金を貸し出したりして助けているグループだ。
パサパについては、他に、http://d.hatena.ne.jp/discour/20111016/p1
:title=こんな記事]も参照ください。
こうした地道なDV被害者支援の活動グループが年間100万円の助成金でいろんな活動を工夫してやっておられるのは、ほんと頭が下がる。
最近、とやまパープルリボン・キャンペーンというサイトがあることを知った。富山県が「女性に対する暴力をなくす運動期間」(平成23年11月12日(土)〜25日(金))を中心とした11月の1箇月間を「とやまパープルリボンキャンペーン2011」と位置づけ、テレビCMなどを流し、DV防止普及啓発に取り組んだという。なお、パープルリボンについては、こちらを参照ください。
わたしがテレビをあまり見ないからかどうなのか、サイトにあがっているyoutubeのCM映像は見たことがなかった。そこで、さる学校でDVについて講義をする機会があったので、パープルリボン・キャンペーンのサイトをみてもらって、そこに載っているDV防止のCMを実際にみたことがあるか、どうか、聞いてみた。
すると、今の学生さんは忙しいせいか、見たことがないという声が多かった。中には、インパクトがなさすぎ、という声もあった。確かに、全面うすいピンクで、パサパさんのカラフルに比べると大人しい。タレントさんの呼びかけなども、ハッピーウーマンの「暴力の種」などと比べると、インパクトは強くない気もする。
しかしながら、この事業、調べてみると、DV防止普及啓発事業に係る公募型プロポーザル総額1400万の事業である。県が公募して北日本放送が受託されたようだ。その[採択理由として、「地元出身の若手女性タレントをメッセンジャーに起用し、テレビ、ラジオ、新聞、WEB、ポスター掲示など各種広報媒体を集中的かつ効果的に活用し、統一的な広報を展開することで、県民への認知効果を高めるもの」とか、「趣旨に適したかつ話題性のある出演者を起用したイベントを企画するなど、県民の積極的な参加を促すもの」であったようだ。
どうなんだろう。啓発に力があったんだろうか。このCM放映やイベントの予算額は、県のこれまでのDV予算としては桁はずれに大きいので、気になるところだ。
一方、これまで地道に支援活動をやってきた団体への今年度の支援額は、それぞれ100万である。例えば、DV活動支援事業として総額100万円。
県の予算としては、ハッピーウーマン、パサパなどの5団体に、それぞれ100万ずつで団体への支援額は、総額500万円ということのようだ。【新】DV被害者の自立支援事業 DV被害者自立支援事業やDV防止普及啓発事業を実施する。500万円
小さなグループが知恵を出して考えたチラシには、関わっている人々の志がにじみ出ているように思った。
2011-10-16
八丁道のおもしろ市でのパサパさんのフリマ
今日は、年2回(?)開かれる八丁道のおもしろ市に行ってみた。すぐに、パサパさんのフリマがどこかわかった。人が異常に集まっているところを探すとそこがパサパのフリマですよ。全品500円だけど、いいものが多いらしい。みんなそういう情報は知ってるのよね、と思った。
ウオーキングの行きも帰りもいつみても人がいっぱい。声をかけるのすら躊躇するくらいだった。お店で売っている女性たちもみなはつらつとした笑顔のステキな方たちばかりってのも人気の秘訣かなと思ったけどね。
おもしろ市にいかれる方はぜひどうぞ。
高岡瑞龍寺の前でやってます。
2011-10-07
小沢一郎氏の裁判における「市民参加」という手法の運用問題
小沢一郎氏の検察審査会による強制起訴、裁判、そして小沢氏の記者会見から入院に至る過程が大きなニュースとなっている。その一連のニュースをみていて思うのは、強制起訴を議決できる検察審査会が「市民参加」の制度であること、そしてその強制起訴の議決がどのように決められ、それが妥当だったかどうかを判断する人や組織がどこにもないことだ。実際、その制度がどのように運用されたか、についてもどれだけ公開されているのか、疑問である。なぜその制度の運用過程が問われないのだろうか。それは「市民参加はいいこと」とされているからだろうか。
しかし、小沢の強制起訴がこれだけ問題とする声が多いのであれば、「市民参加」がうまく運用されているかどうか、だれかの意見にひっぱられないか、など検察審査会の「市民参加」の内実についても議論すべきではないか。強制起訴の権限はあまりに大きい。
「市民参加」がなんだっていいわけではない。「市民参加」はだれか声の大きい人やそれらしく聞こえる声にひっぱられるかもしれない。「市民参加」の内実や限界が個別具体的な事例において論じられる必要があるのではないか。だが、検察審査会の「市民参加」については、どのように参加するのか、といった制度の表面的な説明にとどまり、その制度設計自体にある「市民参加」の運用の仕方について、あまりにも議論されていないことに危機感を覚える。
それは、地方自治体の男女共同参画政策や条例において、「市民参加=市民のエンパワーメント」「市民参加=絶対善」という価値によって運営されてきたが、さまざまな混乱やバトルが生じ限界を感じていたことをわたしがこれまでずっと見てきたから思うことでもあるのだ。
市民参加を制度化した男女共同参画推進員がジェンダーにかかわる図書の排除を提案した福井県のユー・アイふくいの事例しかり、パブリックコメントや公聴会という「市民参加」の手法で反対派が活躍し条例が改定されることになった都城市の男女共同参画社会づくり条例もそうだ。性的少数者の人権を認めた旧都城市の条例も、審議会への「市民参加」によりつくられたものであった。どれも「市民参加」を自分たちの価値に引きつけて活用しているように思われた。運用の仕方に対する歯止めやチェック機能がまったくないのである。運用がどのようにでもできるということに問題を感じるのだ。「市民参加」ということ自体が悪いということでは決してない。それは誤解されないように願いたい。
「市民参加」は最初導入された時は、導入した側の一定の方向の価値に向かって運用されることを期待されていたのかもしれない。実際、そのように運用されていたことも事実だろう。しかし、今やなんでも「市民参加」を導入ということになっているが、その運用の課題も同時に論じないと大変なことになるという気がする。
「市民参加」がもっとも先鋭化しているのが、なぜか司法の世界である。検察審査会や裁判員制度は、「市民参加」が法律で制度化されている。男女共同参画条例、自治基本条例などよりはるかに甚大な影響力や結果をもたらす案件に、「市民参加」が制度化されているのである。そのもたらす影響を考えると運用状況を放置するわけにはいかない。しかし、放置されているのはやはり「市民参加」というプロセスが、専門家が決める制度より、よりよい民主主義のプロセスだという前提があるからだという気がしている。
小沢一郎氏の検察審査会による強制起訴、裁判という具体例において、司法における「市民参加」の運用プロセスをもっと公開し、論じられるべきだと考える。もし、どこかで論じられているのであればぜひ知りたいものだ。
2011-08-11
朴賢緒さんの講座、富山戦争遺跡フィールドワークのお知らせ:コリアプロジェクト@とやま
コリアプロジェクト@とやまのお知らせをいくつかします。
9月3日、朴賢緒さん(81歳)が来日され、日韓の歴史と韓国の民衆運動について話されます。 チラシをサイトにアップしておりますのでご覧ください。ふるってご参加ください。
また、8月20日には、富山に残る戦争遺跡を訪ねるフィールドワークがあります。
7月9日に行われた第二回講座の報告もあがっておりますので、ご覧ください。ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
2011-08-09
研究に入り込む研究者の視点
これも大変遅まきながらのお知らせなんですが、bogus-simotukareの日記さんが「歴史評論」8月号について紹介されている中で、井本三夫著『水橋町(富山県)の米騒動』の書評についてご紹介くださっています。ありがとうございます。
歴史評論の8月号の内容については、歴史評論サイトにも載っています。なにせ特集が院政期王家論の現在というものです。わたしは、このテーマにはとても疎いのですが、黒田俊雄氏の提唱された「王家」をキーワードに中世日本の権力構造を考えようというものとか。ご関心をお持ちの方はぜひ図書館などでお読みください。
黒田俊雄氏は『村と戦争 兵事係の証言』 (桂書房、1988年)を書かれたことを知っていたが、王家論の方ということは今回初めて知りました。
ちなみに黒田氏は富山県砺波市大門のご出身である。ちなみに、大門は、「だいもん」と読むのではなく、「おおかど」と読み、「おおかどそうめん」が知られています。全国的にも珍しいまるまげ状の素麺で、全国一長いそうめんともいわれています。
本題に戻ります。井本氏の『水橋町(富山県)の米騒動』については、何度か当ブログで触れていますが、上記の書評を書いた時に新たに気付いたことが2つあった。一つは、米騒動研究というかより広くいうなら社会運動研究は、変化を求める時代に盛んになるということだ。よりリベラルな空気が強い時に、米騒動はどうして起きたのか、どうやって政府を倒すうねりが起きたのか、といった変化の潮流に対する関心がより強くなっている時に、研究が盛んに行われてきた。例えば、1968年は米騒動50周年にあたっているさのが、研究が盛んだったこの時期は、ご存じのように、学生運動やベトナム反戦、その他もろもろ社会運動が渦巻いていた時期である。そうした時代に米騒動研究は活性化するのであり、ずっと安定している時期にはそう関心が持たれていないように思う。
二つ目に、研究者が生息している時代背景が研究の視点にも大きな影響を与えているという点がある。米騒動が「主婦の哀願運動」とかいわれたのは、戦後近代化が進む中で主婦が増えてきた時代になってのことだ。大正期に富山で米騒動を起こした女性たちは、「主婦」というアイデンティティも持っていないし、当時の報道でも「主婦」は使っていませんでした。当時の「主婦」とは、「一家の女主人」という前近代的な意味が主流でした。大正期には「主婦の友」が創刊されたので、今に通じる「家事をする女性」という意味も付与されつつあったのでしょう。
しかし、富山の沿岸の猟師町ではその時代感覚はまだ表れていなかった時期のことで、研究者には時代感覚のズレが見られたのだった。「主婦の運動」と呼ばれるようになったことには、研究者の回りで主婦が増えてきた時代のことで、自分の生きてる社会の視点をまったく異なる時代の女性にあてはめたのであった。今から見るとどうしてそんなことになったのかと思うくらいだ。研究の視点、特に歴史の場合は難しいと思いました。
研究は、決して客観的でございます、というものではなく、人がするものである以上、その人がもつ価値観や信念などの影響を免れることはないということだけは肝に銘じておく必要を感じる。
なお、関連記事はこちらを参照ください。
2011-08-07 遅まきながら、フェミニズムとインターネット問題を考えるサイトの趣
先頃、 フェミニズムとインターネット問題を考える サイトを有志でつくり、公開した。
フェミニズム運動は、1995年の北京女性会議に際してインターネットの威力を知ったと思う。メールやHPを活用して北京会議で話し合われたことをさくさくと発信できることに気付いた。このように最初の取り組みは、ほんとに早かったのだが、その後はJJネットというFAX通信が活用されたり、さまざまなMLが作られたりといった具合が長くつづいた。そして、現在はというと、ネット活用は、決してうまくいっているとは言い難い状況にあると思う。
わたしの回りをみても、情報交換にはもっぱらメールやメーリングリストを頼り、ブログ、mixi、twitter,facebook,といったSNSの活用は、遠ざけている人がほとんどといった感じがする。まあ、ぶっちゃけ、インターネットの便利なツールがあるのに、効果的に利用できていないのはもったいないなあという感じがしている(自分自身がうまく使えているとは決して思ってはいないのだが、使おうともしない、興味も持たないという人が多いのは、ちょっと理解しがたいのである)
数少ない活用の中でも、ウェブ発信の作業が、特定の「ネットに強い人(若い人?)」の負担となって過重な労働を招いて却って運動から離れてしまうという問題もあった。さらに、ネット発信の中で、ネット発信について一部の人にお任せで、不適切な発信をしたり、それが人権侵害を引き起こしたりしたこともあった。そして、ネット上のことなので、それが他のブログや掲示板にリンクされたりして大きな波紋を起こしたりしていることにうとく、理解もできず、放置して問題が拡大してしまうなど、ネット発信特有の課題も孕むので、問題は複雑である。「ネットはわかる人にお任せ」といって済む問題ではなくなっている。
そこで、「館長雇い止め・バックラッシュ裁判」の支援団体である館長雇い止め・バックラッシュ裁判を支援する会(略称:ファイトバックの会)で起きた事例を振り返る研究会を、関わった現・元会員の有志で、2008〜9年に東京や関西で連続4回開催した。サイトでは、会のホームページ、ブログ、MLなどのネットメディア、およびチラシや会員ニュースレターなどの紙媒体も含め、詳細かつ総合的に分析し、関わった者たちで議論を行った。上のサイトは、その研究会の成果をまとめたものである。
研究会から2年がたち、裁判の方も2011年1月に最高裁にて高裁判決が確定し、終了したし、支援の会であるファイトバックの会も7月末で解散された。そんな現在、改めて、今の状況や視点から再度当時の発表内容を振り返り、サイト用の原稿をつくり、それをまた議論して今回サイトとして公開することになった。
わたしたちとしては、ファイトバックの会のネット発信を検証したのであるが、それは(もう解散されている)この会を批判するためではなく、フェミニズムや市民運動団体がインターネットを活用する際、同じ間違いを繰り返さず、より効果的に発信でき、かつ人権侵害をひきおこさない方向性をめざそうという思いからであった。この趣旨はどれだけ強調しても足りないくらいだと思っている。こうしたテーマについて、今後とも議論をしていかれたらと思っている。
内容についても紹介したいと思っているが、まずはこのようなサイトを作った趣旨の紹介をしておきたいと思う。それと、ネットでの発信は、いろんなツールがこれほど出てきているんだし、失敗しながらでも、やってみるしかないと思っている。逆説的かもしれないが、そういうメッセージもこのサイトには込めているとわたしは思っている。
このサイトについての記事としては、山口智美さんがすでに、フェミニストの論考で書かれているのでご参照ください。フェミニズムの世代間の権力関係についてなど、興味深い記事についてはまた論評するかもしれません。
2011-07-07
中学校の新教科書を考える「韓国併合100年」@富山
9日土曜日に、次の講座を開きます。ぜひご参加ください。分厚い資料が準備されているようですのでお楽しみになさってください。
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「韓国併合100年」連続講座第二期 第2回講座
中学校の新教科書を考える
報告:松浦晴芳さん(子どもと教科書ネット21富山 世話人代表)
日時:7月9日(土)13:30〜16:00
会場:サンフォルテ303号
参加費:1000円
主催:コリアプロジェクト@富山
共催:子どもと教科書ネット21富山
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2011-06-11
ミスコン反対運動への署名
ICUのミスコン企画に反対する運動への署名をするサイトがありますので、ぜひご覧になってください。よかったら署名をお願いします。
「国際基督教大学(ICU)におけるミスコン開催に反対する共同声明」賛同署名
よろしくお願いします。
久々のミスコン反対運動の盛り上がりとtwitter,facebook
先週からツイッターとfacebookで、大学でのミスコン反対運動が異常な盛り上がりを見せている。70年代リブ運動以降のフェミニズムがミスコン反対!とやってきた流れは、もうどこへやらと思って、最初はちょっと醒めたトーンで遠目にみていたのだが、あれあれという間に、ミスコンへの関心が異常盛り上がりを見せたという現象に、俄然興味がわいてきたところだ。
6月3日から今日までに、twitter での議論数は2700を越えているのです。「【時間逆順】ICU (国際基督教大学)でミスコン!?【下から上に向かって読んでね】」というミスコンの議論を全部探してまとめてくれてるサイトで、読めます。
ICUのミスコン企画に反対する会というウエッブサイトもできました。
しかし、それよりはるか以前に、facebook上で、http://www.facebook.com/pages/ICUのミスコン企画に反対する会/226968790662680:title=ミスコン企画に反対する会]のページや、ミスコン企画に反対する会のグループができていて、多くの人があれこれと意見を積み上げているのであった。
今回、ミスコン反対運動が盛り上がりを見せていることに、オールドフェミニストとしてはいたく感動しているのだが、それにくわえて新規参入の方々がtwitterやfacebookというツールをつかって、ぞくぞくと、ほんと続々とミスコン談義に新規参入を果たされていることに、この反対運動をめぐる議論の盛り上がりの異常さ!?に驚いているところだ。
しかも、ご覧になっていただければわかると思うが、その議論が幅広くておもしろいことだ。このブログをご覧になっておられるわたしと同じ世代の方に、この際、ミスコン議論の今をみてやろうと思って、ツイッターや(フェイスブック)をぜひちょっと覗いてみてください。
2011-06-04 「在日コリアン ルーツ探しの旅」@富山サンフォルテ
コリア・プロジェクト@富山では、6月25日富山県民共生センターサンフォルテにて、「在日コリアン ルーツ探しの旅」と題して、「在日」とは一体何かを考えるために、ルーツ探しをしていく、、といった映像を見る機会を設けます。ご参加ください。
詳細は、コリア・プロジェクト@富山サイトにあげておりますのでご覧ください。
2011-05-20
福島原発を考える連続講座@富山
福島原発を考える連続講座@富山 第三回が行われます。主催者の方の了解を得て、お知らせをしております。
奮ってご参加ください。
原発防災とは何か?
5月29日13:30-16:00
富山県民会館 707
コメンテーター淡川典子さん (元能登原発運転差止訴訟原告)
東日本大震災から二ヵ月が経過しました。 多くの人々が犠牲になったばかりか、いまだに+数万人の方々が避難生活を余儀なくされています。被災地の方々のご健康と早くの復興を願ってやみません。 とくに東京電力福島第一原発の事故は、人々に恐怖と生活基盤、ふるさとを奪ってしまいました。 人間の命ほど尊いものはなく、もっとも大切にしなくてはなりません。そのためにも人間の健康と命を奪う放射能を野放しにしておくことは許されません。
わたしたちは、福島原発事故を考えるなかで、安心で安全で自然と調和し平和な日本をつくっていくための政策への転換をほかっていく必要が求められています。 これまでの原発事故にたいする報道の問題をはじめ、防災対策の問題、さらに今後の方向性などもともに考えていこうと三回目の講座を企画しました。一人ひとり がこの間の原発事故を通して感じたこと考えたことを出し合って、原子力発電につ いての科学的な理解を深めていきましょう。
多くの方々のご参加を期待します。
参考文献「原発防災を考える」山本定明(桂書房)<再版されました!>
主催:福島原発事故を考える連続講座(連絡先(09O-7080-9103槇)
在日コリアン関連のソーシャル・メディアについての研究会 講師:金明秀さん
ネットと市民運動研究会では、第一回公開研究会を行います。
日時:7月1日(金)18:00-21:00
場所:東京ウィメンズプラザ(地下鉄表参道駅徒歩7分)第一会議室B
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/contents/map.html
講師:金明秀さん(関西学院大学教授 社会学)
題:「インターネット利用史にみられる2つの《グレシャムの法則》−ハン・ワールドの体験を中心として」
インターネットにおける在日コリアン関連サイトや掲示板、MLなどの流れと、ネット上でのバッシングについて、現在までの流れを金明秀さんに個人的に関わってきた足跡をたどりつつ振り返っていただく予定です。
問い合わせ先:斉藤 suzuransakura@gmail.com
ネットと市民運動研究会サイトでも挙げています。
2011-04-30
80年代富山での反原発運動ーCWAN
80年代前半に能登原発反対運動で北電に出かけたり、「風下の会」というグループに加わったりしていた。もうかれこれ30年近く経つので、知らない人も多いから、当時のことを思い出して記しておくことにする。
1980年に富山県に戻ってきてすぐに、当時進行中だった能登原発の構想を知り、能登原発の予定地の一坪株主運動に参加したり、その後北陸電力の株を購入しての意見株主運動にも関わったりしてきた。高岡は能登原発から30キロなので、「風下の会(原発はいらない風下住民の会)」というのにも参加していたが、今回の福島原発の震災により皮肉なことに、原発から30キロが避難区域であることを改めてまざまざと見せつけられた。地元の人はどれほど忸怩たる思いを抱えておられることだろうか。
しかしながら、反原発運動もチェルノブイリ以後は、なかばあきらめのような感覚が強まり、88年の「まだ間に合うのなら」という伊方原発の出力テスト反対運動をピークに、次第に活動自体がだんだんしぼんでいったように思う。「まだ間に合うのならー私が書いた世界一長い手紙」という甘蔗 珠恵子さんの書かれた冊子が50万部も売れたと聞く。当時の運動は、チェルノブイリ事故にショックを受けた子を持つ女性たちが多く参加していたのは、当時の反原発運動が会社などの組織に属している人間には入りづらいほど「異端」的なニュアンスがつきまとったこと、当時の子育て世代は「寿退社」を選択するトラックにあった均等法以前の世代であったため組織から外れていたことがあったかと思う。
当時の反原発運動の盛り上がりについては、「日本にも反原発運動があった」という記事を参照する。
88年2月、伊方原発出力テストには「まだ間に合うのなら」を合言葉に、全国から数千人が高松に集まり、「原発サラバ記念日」と称して祭衣装に身を包み、路上ダイ・インや「原発無くしてもええじゃないか」の歌と踊りに興じた。更に4月には東京1万人デモの呼びかけに、華麗なる2万人の春風パレードが銀座を練り歩いた。
ちょうどその頃、富山の女性たちと故山本定明さんとで能登原発を止めるために、CWAN(Concerned Women's Association of Noto) というささやかな活動をしていた。チェルノブイリ事故以後世界初となる「能登原発」が着工されようとしているのを止めたい、一旦事故が起きると世界中にその影響は及ぶのだから、北陸電力社長と石川県知事に着工に反対だという意志を世界中から送ってほしいという呼びかけを行った。当時、協力を依頼しに原子力資料情報室に代表の高木仁三郎さんを訪ねたことを覚えている。そして、北電や石川県知事に反対の声を届けたというお知らせが国外の市民から当方にも舞い込んだものだった。
しかしながら、能登原発はそうした表に出た一部の反対の声にも躊躇せず、着工された。その後、能登原発差止め訴訟が行われたが、その頃はもはやわたしはあまり関わっていない。能登原発への反対運動については、こちらの年表を参照ください。
反原発運動から距離を置いたのは、やることをやったけどなかなか事態は動かないという、あきらめにも似た思いと、自ら関わったCWANも例外ではなかった、母性主義的なところに頼る運動に対する言葉にならない違和感も多少あったように思う(今から考えると、この運動には、海外頼みという面もあったが)。次第に「反原発」運動から遠ざかり、より足下の問題と思えた「性差別」問題に取り組むようになっていった。
このようにかつて反原発運動に関わっており、そして運動が大きく成果を得られないまま諦め的な気分が募り、運動から距離を置いてきた。そうした中、今回のように深刻な事態を迎えたことになんとも言えない思いを抱えている。東電の原発事故以来、なかなか原発に関して物を言う気分になれなかった。しかしながら、こうした運動があったこと自体は、いくばくかの継承にもなるのかならないのかわからないが、ここにかすかに留め置くことにしたい。
2011-04-16
高岡伏木古民家「よへさ」のサクラとツバキがすばらしい
昨日お訪ねした高岡伏木矢田の古民家でアートイベントを行っている「よへさ」さん。しだれ桜は、きのうの異常な暑さによって、急に咲いてくれたそう。しかしまだ満開とはいえないものであった。 (昨日私の車は外気温として27度を示していました)
しかし、室内では、ツバキがほんとキレイに飾られていて、息をのんだ。ツバキの活かし方がすばらしい。
Goy工房の小作品も人気でバカ売れのようすだった。わたしは五嶋さんの新作の小皿を購入。蛸唐草のレンゲもとても気に入って買ってきました。みなさまもぜひ足をお運びください。
詳しいことは、よへさのしだれ桜イベントをご覧ください。
2011-04-13
能登原発「命のネット通信」のこと
元能登原発運転差止訴訟の原告団が解散し、「命のネットワーク」という組織が生まれた。そこでは「命のネット通信」を刊行している。
命のネットワークは、「裁判闘争22年の成果を引き継ぎ、これまで羽咋郡市・七尾鹿島など志賀原発地元の集まりだった命のネットワークを石川、富山にまたがる運動体に広げる方針を決めました」とある。
少し前に、このネットワークに参加するかどうかを問い合わせるハガキが来ていたのに、返事を出さずじまいであった。その矢先に、東京電力の事故が起きたのであった。そうした方針転換により、従来から原告団ニュースを購読していた人には全員新たな通信も届いているのだろうと納得した。
命のネット通信 no.21 によれば、さっそく、羽咋市長に対して、北陸電力に対してプルサーマル計画の即時中止を申し入れ、原発からの撤退を要求することを申し入れている。ここ高岡市は能登原発の風下30キロなので、今度の東電の事故に当てはめると、ちょうど飯館村の位置くらいだ。60キロの福島市でも、数日で被曝は軽く1ミリシーベルトを超える程度だとすれば、地震大国の日本ではどこに住んでいても原発事故の被害を免れるのは難しいとも思う。
「命のネット通信」の内容を一部紹介しているサイトをみつけた。80年代からずっと原発の行く末を案じて行動していた方達の活動があり、その資源がある。これからの活動や対策にも参考になると思うので紹介しておきたい。
これからも富山および周辺での原発に関する動きを紹介していけたらと思っている。
よへさのしだれ桜イベント
もう一つお知らせです。恒例の「よへさの枝垂れ桜2011」が今週末4月15-17日に高岡市伏木矢田のスペース”よへさ”で開催されます。
五嶋直子さんの藍九谷の器の新作、宮脇春美さんのパステル画&革の花、浅井康博さんの写真 ポストカード、金屋町前掛屋の手作りエプロン(新保ハウス)、手作り家具GOY工房の小物、安達真理さんのビーズジュエリーなどに出会えます。その他、鈴木優子さん朗読会、きときとバハマのライブコンサートなど、いろいろと楽しい催しが、美しいしだれ桜の観覧とともに楽しめます。時間は、10時から18時。
夜桜は15日のみフリー参加可ということです。ちなみに”よへさ”は、よへいさんち、という意味の屋号です。昔、苗字がなかった時代の名残です。古い古民家も”よへさ”の魅力の一つです。
詳しい問い合わせは、ムカイさん(090-8746-3050)へ。
これまでの”よへさ”でのしだれ桜イベントは、以下をご覧ください。
2011-04-12
富山での「福島原発事故を考える連続講座」
4月17日13:30-16:00富山県民会館707号室で「福島原発事故を考える連続講座」が開催されます。講師は淡川典子さん(元能登原発運転差止訴訟原告)で、テーマは「原子力発電所とは何か?」です。
第一回は、3月21日に「緊急報告会」ということで開かれており、そちらには参加いたしました。今回は、「そもそも原子力発電所とはどういうものなのか」という基本的なところについて話をされるということです。
多くの方が誘い合ってご参加くださいますようにということですので、お知らせします。連絡先は、槇さん(090-7080-9103)です。
2011-04-09
武田邦彦さん、読売テレビに登場で思い出したこと
今朝8時からのウエークアップにわれらが武田邦彦先生がでておられて、きのうの橋のばあちゃん登場に続いて、またびっくりした。「原発は全部あぶないんですよ」と具体的で明快なお話しぶりはとてもすっきりした。「原子力安全委員会は官僚に牛耳られているんですよ、情報をブロックして。しかしそんなこと言っていては国民に責任が果たせません」と、これまた明快。しかも、ご自身の体験を踏まえてお話しなのである。他の出演者やコメンテーターとは一線を画する明快さにほれぼれでした。武田邦彦(中部大学)さんのサイトは、これまでわたしが放射能の影響などについて、不安になった時によく参照させていただくところだ。サイトで漏れ見えるお人柄にも惹かれていたので、テレビ出演にはとてもうれしくなったものだ。
これまでのようななんでも安全、安全、ただちに健康に影響を及ぼすことはありません、という学者ばかり出演させていた放送局も、少しポジショニングを変えたのかな、変えざるを得なかったのかなという気がした。ただ、日本テレビのサイトには武田先生の出演は予告されていない。きっと、出したい側、出したくない側と制作者側も両方あるだろうから、ぎりぎりのせめぎあいで決まったことなのかなと思った。このあたりのことは事情がわからない。武田先生のサイトでもこういうことについては書かれていないからだ。
これで思い出すのは、かつて某テレビ局の番組審議委員をしていた際に、某電力会社が番審委員を押し込んでこられたことがあったことだ。県内すべての局に入れているからというのがその理由として挙げられていた(全然理由になっていないのは明白だった)。チェルノブイリ事故からあまり年数が経っておらず、反原発運動の残り火もくすぶっていた頃だったろうか。番組のお目付役(放送法では一応そういう役回り)という番組審議委員に電力会社の副社長クラスが入ることが、局の制作側の人間にどのような影響を与えるか、もちろん十分に考えられていたことだろう。
入ってこられた役員の方自体は、別にことさら何かを言挙げされたり、圧力をかけるということはなかったように思うが、番組審議をする側にそうした立場の人が入ること、そして放送局各社にそういう仕組みが作られていることに愕然としたことを覚えている。反対できなかった私の非力さも含めて苦い思い出として胸のうちにある。当然ながら、メディア制作に際して原発に対してどういった立場の人を出演させるかという判断にも大きな影響を与えるはずである。
もちろん、番審の問題に限らず、放送局や新聞社の広告主の中で電力会社が大きなウエイトを占めている。放送局としては経営を考えると、原発が危険ということを表立っていうことはできなかったり、原発の安全性に疑問をもつような番組が作りづらいだろうことは十分に想像できる。しかし、そういう体制ができているにしろ、いつまでも自社の経営優先というメディア会社の論理に甘んじていては、この事態をなんと考えている!と視聴者離れが激しいこともまた事実だろう。そういう中で少しずつほんとうのことを語る番組や報道が増えているとしたら少し前向きな気分になれるかも、という気がした。
震災以後、なにも書く気になれない状態が続いていたが、少しずつでも前に向かうことを書いていきたい(これまでを振り返りつつ)と思えるようになったとしたら一歩前進かもと、うれしい。
(固有名詞の間違いをなおしました)
2011-04-08
今日のKNB金曜ジャーナル・原発特集に、反原発運動の橋たきさんがでていた
1980年に富山県に戻ってきた。すぐに、当時進行中だった能登原発の構想を知り、能登原発の予定地の一坪株主運動に参加したり、その後北陸電力の株を購入しての意見株主運動にも関わったりしてきた。高岡は能登原発から30キロなので、「風下の会(原発はいらない風下住民の会)」というのにも参加していた。今回の福島原発の震災(人災という意味で「震災」と言いたいです)によって、皮肉なことに、原発から30キロが避難区域であることをまざまざと見せつけられた。志賀原発から30キロの高岡は、そして北西の風が吹くと特に、風下ドンピシャになるエリアであることを多くの人が強く認識したことだろう。
メディアが電力会社に頭が上がらないことについては、上杉隆さんはじめいろんな人が語っており、また日々、戦時中の大本営報道かと思うような、真実に迫らない報道に接して正直、途方にくれる日々である。
ところが、今日たまたまみた北日本放送の金曜ジャーナル(数家直樹キャスター)で、80年代反原発運動ではみんなが知っている、志賀町赤住の橋たきさん(86歳)を取材していたのをみた。原発から1キロの場所に住んでいる。当時、富山からも現地に通っている人たちから「橋のばあちゃん」の話はよく耳にしたものだった。とても懐かしい思いを抱いた。また、86歳になられた今もかくしゃくとしてその発言はみじんもぶれておらず、力強かった。
その橋たきさんが長い間画面に登場していたのにはちょっとびっくりした。反原発の闘士が民間放送の番組にでて原発反対についてこんなに時間をとって語るというのは、これまであっただろうか。一般に、原発について厳しいコメントを発する研究者、運動家は番組にでて声を発することはほんとに少ない。
しかし、この特集では、橋さんがもっとも多くの声を発していたように思えた。「二重三重に安全というものがこわれたけど、地元住民の意識は変わっていない」「しかし、孫・子に影響を与えるんだから、原発をもういっぺん見直してほしいな」などと語った。また、除草剤を使わない野菜作りをしていること、その野菜が人気だとも言っていた。当初は70人くらい反対している人がいたが、今はもうだれも反対という人はいなくなっているとナレーションで言っていた。ほんとに気骨がある橋さんが健在だったのはうれしく思うと同時に、原発立地に住み続けることはさぞかしきつかっただろうとも想像した。
さらに、福島瑞穂社民党党首が高岡市内で県議選の応援に来て、脱原発に向けた国の政策の転換を訴えたことを放映した。これまで脱原発を掲げてやってきたが、力が足りず政策転換ができなかったために、今回の事故が起きて、慚愧に堪えません、といった趣旨の演説をしているところを長く放映していた。
いやはや、久しぶりに、多くの市民が感じている脱原発の方向を示唆する報道に接することができて、なんかほっとする感じがした。また、橋のばあちゃんも健在でほんとに懐かしかった。そして改めて、脱原発は進めていかなければならないと強く思った。
次回は、1988年頃にピークになっていた「まだ間に合うのなら」という子どもをもつ女性たちが中心になって進めた反原発の運動やその頃の私たち富山の女性たちが取り組んでいた反原発の運動について書こうかと思う。
2011-03-31
井本三夫『水橋町(富山県)の米騒動』から思い出して拙稿をアップしました
富山・米騒動に関する拙稿(「女一揆としての富山・米騒動ー女性運動という観点からの読み直し」)を以下にアップしましたので、関心のある方はお読みください。
「女一揆としての富山・米騒動ー女性運動という観点からの読み直し」『インパクション』166号(2008年12月号特集「米騒動90年 いま食と貧困を問う):pp.38-47)
いまだに、米騒動は、漁民の主婦らの哀願運動であり、自然発生的な非組織的な活動であるという主張が根強いのですが、決してそうではないことを書いたものが少ないのでネット上にあげておきたいと思います。
なお、井本三夫『水橋町(富山県)の米騒動』桂書房は、一九一八年七月上旬、富山県下新川郡東水橋町(現・富山市)の陸仲仕(おかなかせ)の女親方がリーダーの集団で米移出商にかけあってきたことを米騒動の発端とすることを、当時の米騒動に参加した女性たちの証言から明らかにしている本です。今ごろ、当事者の語りが文字化されて刊行されるのはほんとに奇跡ともいえることだという気がしています。
参考まで、当ブログでの米騒動関連の記事は、以下の通りです。
2011-03-28
気仙沼の斉藤貞子さんと斉吉商店
東北・関東の大震災と東京電力の原発震災と続きました。最初は起きたことが自分の中で整理がつかず、心がざわつき集中できずにただ右往左往して生活していたような気がします。そして、時間が経つにつれ、わたしがどんな言葉を発しても何も意味がないようなそんな気持ちが続いていました。そして、ブログも止まっていました。
三陸沿岸には何度かお邪魔してその時にいただいたご縁で気仙沼の斉吉商店の斉藤貞子さんとはささやかながら交流を続けておりました。貞子さんは、気仙沼の「つばき会」という女性団体の会長さんとして活躍していらっしゃるようです。会の事務局長をされている和枝さんが貞子さんの娘さんで斉吉商店の店長さん。
斉吉商店には、最初、近くのビジネスホテルに泊まっていた折りに「さんま寿司」ののれんをみかけて立ち寄ったのがきっかけでした。お茶をご馳走になり、そのうち、富山のマグロ、秋刀魚などの遠洋漁業の船の太平洋側での管理をされているとのことで(今なんというのかわからないが、昔の廻船問屋のような仕事)、富山の船主さんの名前をたくさん挙げられた中に知人の名前があり、偶然に驚き、話が弾んだのでした。先代からの長いつきあいだということでした。わたしは、富山の反対側の気仙沼にも、富山の船が行ってお世話になっていることにちょっと驚いたのでした。その時、確か5月の連休だったので、お店の屋根の上には、「鯉と緋鯉」ではなく、「マグロと鰹」の鯉のぼりがはためいていました。貞子さんがお孫さんに作ってあげたと言われていました。気仙沼では、鯉ではなく鮪の鯉のぼりをするんだと聞いた時の青い空を今も覚えています。
今回、貞子さんご家族はご無事だということを地震発生後数日後にネットを通じて知ることができたのですが、かつて、「気仙沼は自然の良港でねー、台風が来てもなんともないんですよ。」と漁港で船のお世話をしてこられた貞子さんのだんなさまがさんまの水揚げにつれて行ってくださった折りに語ってくださったのを思い出しています。「津波」という言葉は発せられなかったけど、外海の荒れが大島があるせいで気仙沼の漁港までに響かないというふうにおっしゃっておられたのでした。それがあのようにすべて流されるような大津波になって、気仙沼の漁業関係の方々はさぞかしショックを受けておられるだろうなと思います。
それと津波の映像を見て真っ先に思い出したのは、「井波の獅子頭」も流されたんだなあということだった。というのは、貞子さんとだんなさんが富山に来て「井波の(木彫の)獅子頭」をたいそう気に入られて、お世話している漁師さんたちが頭になり、家を新築されたら、床の間に飾るのにと井波の獅子頭を送ることにしているという話をされていたからです。
斉吉商店さんの商品は、さんまをはじめどれもとびきりおいしいのです。大ファンでした。最近は、東京でも人気らしく、東京駅の駅ナカショップや伊勢丹などでもみかけるようになっていました。この記事を読むと、貞子さんのご実家が佃煮やさんをやっておられたということが大きいんだなと思います。貞子さんには、毎年お手製の鰹の糀付けや三陸のひじきや昆布などを、それこそ実家からの宅配便のように送っていただいていました。「売り物じゃないんだからね」「どれだけもらってくれる?」と東北人らしい、実直そうでやさしさがにじみ出る声で聞かれました。
地震と津波があった夜、冷凍庫から貞子さん特製の鰹の糀付けを出して、ちびりちびりいただきながら、気仙沼と貞子さんに思いを馳せていました。しかし、テレビのニュース映像を見過ぎて、その後ネット情報で、テレビでは映されないもっと厳しい現実についての報告を見るに及んで、気分がふさぐまでになったので、この間ぼそぼそと役にも立たないけれど、思ったり考えたりしてきたことをぼちぼち外へ向けて発信していくことに決めました。
先週末か、次のようなお知らせが斉吉商店のトップページに載っていました。ご家族だけではなく従業員さんも全員ご無事とは、きっと避難の誘導がよかったのでしょう。ほんとこんな情勢の中ではとびきりよい知らせです。
3月11日の大地震による大津波により店舗及び工場が壊滅的な被害を受け、只今営業困難な状況にあり、皆様には大変なご迷惑をお掛け致しております。申し訳ございません。また、多くの方々から多大な支援を承り、大変感謝しております。誠にありがとうございます。しばらくの間は営業できませんが、従業員は全員無事ですので、必ず再開することをお約束いたします。今しばらくお待ちください。
あれだけのものを積み上げてこられたのに、全部流されてさぞかし無念だろうに、「申し訳ございません」という言葉を発せられています。わたしたちこそ励ましをいただいているように感じました。
写真は、ホタテの稚貝を木綿の古布と合わせた貞子さんの作品。木綿がだいすきとのこと。使い込んだ木綿を端切れになっても活かしきっておられるなあと思いましたもの。今となれば、富山にあったから気仙沼のホタテと古木綿が残ったことのだ思うので、大事にしていきたいと思います。
ひとり一人が被災された方達にできる支援をしていくしかないと思います。なんにも役に立たない文章なんですが、これを書かないと、3.11以後へとスタートできないような気がして気仙沼への思いをつぶやきました。
次回は、80年代前半に能登原発反対運動で北電に出かけたり、「風下の会」というグループに加わっていたりしたことを振り返りつつ、3.11以後を考えることを遅まきながらですが、始めたいと思います。
2011-02-26
高岡市職員の不祥事、特に性暴力事件が多すぎな件
拙ブログを「高岡市職員」でぐぐってくる方があるが、先頃、高岡市の29歳の職員が市役所5階の印刷室でコピーしていた女性職員の後ろから近づき、スカートの中などをデジタルカメラで盗撮していたという事件があった。ここでニュースが見られますが、高岡市、あんまりにも不祥事が多すぎて、言挙げするのもいやになるくらいだ。市民は、またかとうんざりだ。北日本新聞(読めない方が多いと思いますが)ですら、「高岡市では賭けゴルフや無免許運転、万引き、盗撮など職員の不祥事が続いている。」と呆れたように書いているくらいだ。しかも、これらの職員が29歳とか39歳と比較的若い年齢層であることが余計気がかりだ。よく言われる、旧来の体質というものが高岡市では何代も市長が変わっても相変わらず引き継がれているのか、あるいは仕事に打ち込む職場環境が別の要素からできていないのか。いずれにしろ、よい職場環境でないことだけは確かだ。
昨年10月には、「盗撮で処分受けた高岡市職員、今度は強制わいせつ」という事件があったばかりだ。電車内で女子高生の体を触ったとして、強制わいせつの疑いで同県高岡市市民生活課主任が逮捕されている。しかも、この方、一昨年3月に、盗撮事件で市から停職1年の処分を受けていたという始末。なんだか、盗撮、強制わいせつと女性への性暴力が横行しているのは許せない。足下の職員が女性になんでもできると思っているとしたら、高岡市は2008年に男女平等都市宣言しているのは単なるポーズ? 女性をバカにするのも休み休みにしてよ、と思ってしまう。市の男女平等・共同参画課は、まず櫂より始めよで、職員を対象に男女平等を進める必要があるのではないか。こんな性暴力がまかり通っている市役所が「男女平等・共同参画社会の形成に向けての取り組みを総合的、計画的に進める」とか、「男女平等・共同参画の推進に関する施策を総合的に進める」と言っても空念仏のようで、市民の気持ちは離れるばかりだ。
ちょっと前に、市職員が勤務中に県迷惑防止条例違反で逮捕されたとかで(どの事件のことだろうか?)、「職員に対しては、職員の意識改革、能力開発を総合的、計画的に推進するための基本事項を盛り込んだ「高岡市人材育成基本方針」を平成19年度に策定し、これに基づき毎年度の研修実施計画を定め、継続的・計画的に職務遂行に必要な知識、技術の習得を図るとともに、公務員としての倫理観の育成に努めてまいりました。」と市のサイトで弁解したばかりだが、その時から何も変わっていないということを今回また如実に示してしまったのではないか。
北日本新聞によれば、「昨年10月には別の男性職員が強制わいせつの疑いで逮捕され、市は綱紀粛正したばかりだった。高橋市長は24日、全職員に対し「市政や市職員に対する信頼を著しく損ない、誠に遺憾。市民に信頼される行動を強く求める」とする文書を出した。」という。「綱紀粛正」って何をしたんだろう? また、「遺憾」という文書を出したからといって、一体どういう効果があるのだろう。とりわけ、ここんところ度重なる性暴力に関する不祥事に対して、庁内での新たな取り組みを求めたいと思う。
ニュージーランド地震の被害者報道に思う
ところで、ことしはまたまた大事件が起きた。そのニュージーランドのクライストチャーチにおける地震に関する報道だが、「富山」「富山」とテレビから呼びかけられるのでどうしても気になり、見る機会が多い。大きな被害を受けたビルにあるキングス・エデュケーションに語学留学で行っていた中に、たまたま富山外国語専門学校の学生さんが多くおられたようだ。地元でも、接骨院に行った時に、(職業欄に教員と確か書いたようなかすかな記憶が、、、。そのせいか)あなたはニュージーランドに関係してないのかと聞かれたり、友人に会ったら、知り合いの娘さんだかお孫さんだかに行っていた方がいらしたとか、ニュージーランドに行くツアーを取りやめたとか、なにかとこの話題を耳にする機会が多い。
これまでの事故報道では、被害にあった方々のお名前、年齢、時には顔写真までがずらりと並んだものだ。一般に、犯罪などの加害者については匿名になっても、犯罪や事故の被害者は実名が当然といった報道が長らく行われてきた経緯がある。富山のメディアの中の性差別を考える会でまとめた『メディアに描かれる女性像ー新聞をめぐって』(桂書房)では、性犯罪被害者が殺された場合は実名、存命の場合に匿名というルールを問題にした。
しかし一連の報道をみていていると、今回は、少なくとも数日間の初期報道では、被害者の実名報道を避けていたふしがある。「富山市女性(○○歳)、高岡市女性(○○歳)、射水市女性(○○歳)」という風に匿名で表示されていた。数日後から実名に切り替わり、中にはfacebookから顔写真を借りてきて貼り付けた新聞もあり、どうかと思った。自分も事故にあったらfacebookの写真が使われるのかなと想像してしまった。このように本人の許可を得ることができないことが明白な中、実名で写真付きで掲載されるように変わった背景にはどういう力学が働いたのだろうか。自身の情報の出され方に有無を言えない場合、だれがそれを管理する権限があるのだろうか。決して、マスメディアに全権の権限があるとは思えない。
ちなみに、親やきょうだいが現地に赴く中、留守を預かる祖母や祖父がよくテレビに登場しており、しかも、素朴に方言で語っている同じ映像が繰り返し流されていた。それを見る度に、画面に出ることの影響を想定できないまま単に目の前に現れたマスコミに対応しただけだろうと思うが、結果的に、祖母や祖父の善意の対応がマスコミの餌食となっている感が感じられて、なんか痛々しい感じがしたし、またそれを見せつけられている側としていやーな感じも味わった。
しかしまあ、初期だけでも匿名報道がなされたという変化は、犯罪被害者基本法の制定も若干影響を及ぼしているのだろうか。あるいは、個人情報保護や人権擁護という流れが関与しているのだろうか。また今回当初匿名の方針を堅持していたことには、富山外国語専門学校が富山市が設立した学校であり、富山市が情報を管理していたであろうことが何らかの形で関係していたのではないと感じている。一私立学校だったら、マスメディアの攻勢にここまで匿名を堅持できただろうかと考える。
考えてみると、犯罪加害者を報道する際に、どう表記するか、という点は推定無罪という原則、ならびにそれと裏腹に新聞・テレビ・雑誌による集中豪雨的な「犯人視報道」*1の実態(例えば、http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no99.htm参照)があることから、これまでそれなりに議論されてきたが、こうしうた災害や事故の被害者、犯罪の被害者などをどう報道するのがよいのか、についてはごく最近まであまり熱心に議論されてこなかったように思う。
ということで、このように、事故の被害にあった方やその関係者を報道の二次被害で苦しめるようなことだけは避けたいと思う。誰もが被害者になる可能性はあるのだから。その点で、言われているように右足を切断した方への報道記者の暴言だけではなく、広く被害者をどう取りあげるか、という点に関心を払いたいと思う。特に今回のように、事故の被害者が現場に埋もれており発言できず、家族も現地に赴くことで精一杯でマスコミへの対応をしきれない場合、だれがこれらの情報開示をコントロールできるのだろうか。
2011-02-01
噴火の都城を考えていたら、動乱のエジプトにも家族が、、
都城に伺う予定にしていたのですが、噴火の風下で砂が風に乗って降り積もって、車の運転すらあぶないという状況と伺い、出かけるのを取りやめることにしました。せっかくお目にかかれると思っていたのにとても残念ですが、都城の方々の状況は、鳥インフルもある中、事態が長期化するという予報が入ったために、「 良かこた、なんもね 」と皆口々に言っておられるとか。気持ち的にも厳しいご様子と聞きました。この状況、なにができるのか。。一刻も早く、元の生活に戻れるようにと祈るよりありません。
そんなこんなな中、家族があの動乱のエジプトに行っているという情報が入り、これまたびっくりしています。記事をみると、1日(もう今日だ)に大きな動きがあるようだ。それまでに出国できるといいのだが。海外生活も長い人たちなので、きっとなんとかして帰ってくるだろうと言っているのですが、世の中、あちこちで混沌としているなあという実感を強めております。
目の前にある、日々の生活を一歩一歩確実に歩むしかないですね。
2011-01-19
フェミニズム・サイトのメディア戦略はオープンマインドに
「インターネットを活用したネットワーク『ウイメンズアクションネットワークWAN』」が全国の男女共同参画社会センターで「フェミニズムの財産目録」(上野千鶴子ら編者)である『新編 日本のフェミニズム』を「若い世代」にバトン渡しするために、全国の男女共同参画センターにでかけて、ネットを活用して双方向性をもったシンポや講演会をするという。
★拡がるブックトーク『新編 日本のフェミニズム』★
全巻完結を記念して、フェミニズムの継承をめざし協働プロジェクト「拡がるブックトーク」を実施します。この協働プロジェクトは、書籍に関わった関係者、女性政策の最前線で活躍するセンターの担い手や女性グループのメンバー、そして書籍からインターネットへと新たな展開を遂げようとしている活動家をつなぎ、2011年6月から約1年をかけ、全国各地で開催する予定です。「拡がるブックトーク」では、開催地が選択した書籍をもとに編者および関係者が参加し、インターネットを活用しつつ双方向性をもったシンポジウム・講演会を行います。
お誘い文をみたら、 「世代を越えて」シンポジウムを開催しますとか、このアンソロジーは、「次世代にバトンを手渡す」ためにつくられました、とか、フェミニズムの財産目録を多様な世代、とりわけ若い世代に、広く深く伝えることを目的とするとか、なんかやたら、ターゲットを「若い世代」にフォーカスしているのだ。「若い世代」って若者?アラフォー?なのかよくわからないが、男女共同参画センターって来てる人が50代以上ってのがふつうなところであるからして、なんかすごいミスマッチ感が漂う。
まあ、ほんとに若い世代(だけでなくてもいいはず。なんで若い世代にこだわるんだろう?)と双方向に議論しコミュニケーションをとりたいなら、ことさらネット環境が悪い男女共同参画センターに出かけるよりも(実際、これまで学会や研究会をしてネット環境が悪いことを痛感している。。)、日頃のWANサイトの活動こそ、オープンマインドで、双方向性をもったものにしたらいいのにと思う。
こんなことを書くのは、山口智美さんのWAN裏方日記へのトラバが削除されたという記事を見たからだ。これを見る限り、WANのネット戦略は、あまりにまずい。いくら、批判的な意見や自分たちに都合の悪いコメントでも、だれがみても真っ当な批判と思えるものまで、削除することはないだろう。自分たちのサイトから見えないようにする、まあ、「ないことにする」というのはフェミニズムのメディア戦略としては、一番まずいことなんじゃないだろうか。公開の場で議論を闘わせてきたことこそ「フェミニズムの財産」だったのに、インターネット時代になってその方針を撤回するとでもいうのだろうか。
ネットでブログを書くということは、当然ながらいろいろな意見が書かれたものに対してくるということでもあるわけだ。しかし、批判的な内容だったら削除とは。外部からの反応を一切なかったことにしながらのネットでの発信って、いったい何の意味があるというのだろう?それとも、私のトラバが削除されたのは、単に批判だったからではなく、WANにとっての労働問題というもしかしたら一番痛いところをついたからだろうか?いづれにせよ、WANは以前にも増して、ますます閉じて行ってはいないかと思う、今回のトラバをめぐる対応だった。
これでは、女性をつなぐというWANが、双方向性を重視していないようにみえてしまう。双方向性だけではなく、批判を避けて安全な空間に閉じこもっていたいようにすら受け止められるだろう。山口さんが書かれるように、都合の悪いものに蓋、という風に見える。こういうことをやっていながら「フェミニズムの財産目録」を届けたいと言ってもネット空間のマナーやルールに馴染んでいる世代の信頼は得られないと思う。
しかも、痛いところを突かれてもそこから議論して新たな展開を得るというのが、フェミニズムの財産だったののだ。そのことをWAN理事のみなさんがご存じないはずがない。WANサイトには、もう少しオープンマインドなメディア戦略をお願いしたい。
双方向だと批判がくるものであり、極力とんでもない批判が来ないように書くとか、批判が来ても建設的な議論をできるように方向づけるとか、ネットでの発信は、やっていく中で失敗しながら慣れていくものだと思う。最初から大成功はない。しかし、もっともやってはいけないことが、言論の封殺だと思う。気にくわない批判を削除して済むというのはもっともまずいメディア戦略である。フェミニズムのポータルサイトとしてはそれだけは避けてほしい。
ブログやツイッター、SNSが盛んな時期に、大型のポータルサイトをつくるというWANをみていると、ネットの活用にあまり慣れていない感じがする。もしかしたら、真っ当でも気に入らない意見は削除ということがどういうことかを認識されていないのかもしれないとも思ったりしてこの記事を書いた。
2011-01-08
つるっつるの雪道にもコロバンド(ゾ)
今朝は今年一番の寒さ。早朝ウオーキングの路面はうっすら雪が積もっていたが、その下は、凍って、つるっつる。途中で出会ったお向かいさんに聞いたら、注意して歩いていたのに5回もひやっとした瞬間があったとか。。あーこわ。
あわてて家にもどり、この日のために(?!)購入してあった、コロバンド(ゾ)という商品名のスパイクつきの滑り止めカバーをシューズにつけてみた(スパイクの跡は雪の中に見えると思うが、コロバンドの方はうまく映ってなくてすみません)。
おかげで、ひやっとしたのは約1回くらいで無事ひっくり返ることもなくウオーキング30分を終えた。これがなかったら、と思うとぞっとする。
富山は雪は降っても温度が高いので、路面が凍って歩けないっていう日は、1月から2月にかけて、せいぜい年に数日くらいしかないのだが。それでも、路面凍結は、芯から怖いと思う。車の運転もそうだが、徒歩でも路面凍結では、歩く気力が失せる。スパイクつきのシューズカバーがあって始めて安心して歩けた。ウオーキングのみなさんにオススメです。
それにしても今日は空がきれいな朝だった。温度も低く、空気がきーんと澄み渡っていて心が洗われるようだった。こんなめったにない日に大地を踏みしめて歩ける幸せを感じた。写真の左側の足跡は動物のものだったが、犬かしら。
2011-01-07
久しぶりの大寺幸八郎商店でお正月気分
お正月に東京より客人があったので、久しぶりに高岡金屋町の大寺幸八郎商店に店主の雅子さんを訪ねた。大歓迎していただいて楽しい時間を過ごした。
久しぶりだったが、すっかり雅子さん選りすぐりの品々からなるセレクトショップ化していた。写真をとってきたのは、たまたま器物が多かった。花器に酒器、菓子器といろいろ。いずれも個性的なお品揃えで楽しめた。
林悠介さんの干支のうさぎもとても繊細でかわいかった。思ったよりこぶりだったので、どこに飾るか場所を決めてからにしたいと思った。
うさぎの写真はこちらのほうがわかりやすいかしら。なお、ゆうすけワールドについては、こちらで詳しく紹介されていますよ。富山市に、ゆうすけさんのお店ができたみたいだ。
雅子さんの個性が際立つ品々がリーズナブルに揃っていた。また寄ってみたいと思う。高岡にお立ち寄りのみなさま、おススメです。
なお、なぜ大寺幸八郎商店なのかに疑問を持たれた方は、高岡金屋町と大寺雅子さんをビデオで撮ったり、高岡の鋳物づくりのことに触れたりした過去記事を参考にしていただけたらと思います。大寺幸八郎商店の店主雅子さんは、わたしの地方からの発信・ビデオ版の第一号だったのです。
わたしの雅子さんを撮った「きときとの女たち」がネット版にあがった
わたしがチューリップテレビ・住民ディレクター・デビューしたという記事
【追記:1月8日】これを書いて、改めて、わたしが、女性の活動にこだわって地方からの発信をしたいと思ってきた原点を思い出せた気がします。今年はやはりいつもより、メディアと女性について多く書いていきたいと思います。それが自分とメディアとのつきあい方を振り返ることにもなれば一石二鳥かなあ、などと考えています。
というわけで、当初書いたものに、後から書き足し、書き足ししています。
こんな感じで、わたしの仕事は人が書かれた文章の翻訳者から、自分で調べたり考えたりして物を書く研究者という方向にと軌道修正してきたし、市民運動としては、原発反対運動や消費者運動から、性差別表現についての女性とメディアの運動へと転換したりと、途中で軌道修正を続けながらの「曲がり道人生」だなあと、うさぎ年のわたしはしみじみ思います。
今年は、軌道修正を続けたわたしの歩みから、メディアとジェンダーを考える記事を、ブログで書いていけたらと思います。
2011-01-04
既存メディアとネットメディアのゆくえ
2011年になりました。今年もぼちぼちといきますので、よろしくお願いします。
保坂展人のどこどこ日記を読んだ。「新聞・テレビという既存メディアが、どんどん元気がなくなり、取材・分析の力が衰えていくと、現状では「ネットの言説」も同時に地盤沈下していく」「2011年は、オルタナティブにネットメディアが確立されると共に、既存メディアが再度立ち直り活性化する道も考えていかなければならない」というのを読んで、はっとした。ネットで頑張るというだけでは、その一方で既存メディアが地盤沈下してしまって、ネットの未来も明るくならない、ということだ。
すると、「既存メディア」が、「既存」すなわち「主流」、として立ち続けることが難しくなってしまうということなのだろうか。そういえば、お正月の間もローカル、全国放送を含め、テレビはほとんど見ていないことに気づいた。見ているのは、BSの番組くらいだ。日本の温泉ルポ、居酒屋番組、歌番組、イタリアの田舎など観光番組などなど、時事性もなく、すごくわくわくもなく淡々と見る番組が多かった。印象に残っているものといえば、2001年に放送されたという松嶋菜々子主演の「百年の物語」の再放送くらいだ(これは、刑法堕胎罪や姦通罪が生きている時代をうまく伝えていると思った)。新聞は特に興味を引くものもなく、そういえば、全国紙は昨年購読を止めてしまっていた。テレビを見たいと思わないし、新聞を読まなくても特に渇望感もなく、日は過ぎていくのだ。
思えば、わたしがそもそもメディアとのつきあいを始めたのはメディアに描かれる女性像の検討であった。それから発展して、女性運動とメディアの関わりで修士論文を書き、批判的ディスコース分析という言説分析にとりくんできた。これらはみな、メディアやメディア言説のパワーを解明したいと思ったためであった。その後、ホームページ「ジェンダーとメディア」を立ち上げたのが1997年頃。2004年からは、2004年7月から ジェンダーとメディアブログでつらつらと思いを述べてきた。ネット発信を始めてもう13年。干支の一回りをとうに超えてしまった。既存メディアに対抗してネットメディアを自分たちでオールターナティブメディアとして活用していけばいいと、軽く考えてやってきた。
しかし、考えてみれば、メディア研究はラジオ時代の「弾丸理論」にはじまり、その後テレビその他のメディアが浸透し、「限定効果」とか「沈黙のらせん」とか「培養理論」とかメディアの効果についていろいろ言ってきたが、ずっとどこかに「既存メディアのパワーや影響力は大きい」という前提を秘めていたように思う。
ネット発信をするにしても、そういう前提がどっかにあるから、既存メディアの足りないところを補うはずだし、既存メディアをよくすることにつながるだろうと、深く考えることなく、そう思ってやってきたところがあったように思う。
しかし、今改めて思うのは、新たなネットメディアについても経済モデルが確立されないままネット発信が盛んになり、新聞やテレビなどの既存メディアは、経済的に立ちゆかなくなっている。もう既存メディアはもはや単純に影響力が大きいといった「強力効果」論では語れなくなっているのだ。それと関係するのかどうかはわからないが、最近の菅政権についてや、小沢氏の政治と金を扱う報道などを見ていると、既存メディアはもう信頼に足るとはとうてい言えないところまで来てしまったように私には思える。
ということで、今年は原点にもどって、既存メディアとネットメディアのありようなど、メディアについて考える機会の多い1年にしたいと思う。補足するなら、新聞やテレビが衰退してまったくダメというのではなく、ふとBSで見た村上龍の「カンブリア宮殿」という番組など、村上龍という新しい視点を導入して突っ込んでいて、テレビらしくないおもしろさがあったように感じた。ニコニコ動画での政治絡みの生番組もおもしろいと思うし(カンブリア宮殿でニコ動の採算化に取り組んでいるという夏野さんをみて、興味をもちました)、シノドスの既存メディアとのコラボにも新たな視点があると思う。既存メディアとネットメディアのつながりを含めて、既存メディアとネットメディアのゆくえに注視していきたいと思う。どういった方向に活路を見いだせるのか、興味をもって見ていきたいということでもある。
2010-11-19
井本三夫、勝山敏一による富山・米騒動研究書の刊行
米騒動研究にとって大きな意義を持つ本が2冊続けて出た。9月には、井本三夫『水橋町(富山県)の米騒動』が桂書房から出ている。そして11月に、勝山敏一『女一揆の誕生ー置き米と港町』(桂書房)という本が出たばかりである。米騒動から92年の今、新たに刺激的な知見が提示されたことを喜びたい。
井本さんの『水橋町(富山県)の米騒動』は、魚津から始まったとされることが多い1918年富山・米騒動が「東水橋」に端を発したものであることを、だれがどう動いたかという40年前の詳細な聞き書きを甦らせることによって解明している。
なぜ「東水橋」かという点は、米の積み出し港であり、廻船問屋があり、米の移出商もあった。そこで32貫(120㎏)の荷物を1人で運んでいた力丈夫な「仲仕(なかせ)」の女たちがいたこと、そして彼女らの中に、米の移出商の家に出向いて「米をよそへ出すな」と交渉するが絶対に物に手をかけさせない、警察に弾圧の口実を与えないなど非常に統率力のあるリーダーが何人かいたことであった。すなわち、口火を切ったのが東水橋町西浜町の女仲仕たちであり、組織的で統率のとれた行動をとれたことが成功に至った要因としている。「漁師のおかみさん」だからではなく、「仲仕」だからできた統率力であり、知力、胆力にすぐれた女性たちであったようだ。漁師であってもそれだけの統率力は難しいというほどの采配ぶりだったという。当時は、米さえあれば塩か梅干しで餓えがしのげる時代である。ちなみに、角川書店創始者の角川源義は、この東水橋西浜町で1918年米騒動の1年前に生まれている。生家は米屋だったという。
しかも、1918年7月上旬という早い時期からの行動であったことを、参加者が存命中の1968年という年の取材テープから明らかにしている。米騒動から50周年記念に取り組まれた、社会運動家である松井滋次郎氏による1968年時のインタビューを再生させた部分、ならびにその解説が井本本の重要な部分をなしている。というのも、この松井氏が『赤旗』紙上で発表されている貴重な聞き取りの取材結果や取材記録がこれまで多くの米騒動研究から排除されてきたために、こらまで知られてきた史実が偏っていたということがあったようだ。これも研究としてあるまじきことだが、社会運動や政治活動に対する研究者の偏見がなせるわざなのだろう。
他にもいろいろと紹介したい点がある。井本さんのご著書は、富山米騒動研究の決定的な一冊である。1918年米騒動から90年というこの時代に、古いテープに日の目をあててよくぞこれほどの解明がなされたと思う。それと、歴史研究としては、オーラルヒストリーとして大変の労作であることも付記したい。松井氏が、これをしなかったら後に残らないと、社会運動のありようをつぶさに残したいという強い思いから生き残りの方を訪ね歩き、聞き書きをされたことも大きい。また、1980年代以降、この地を足で歩いて回られた井本さんだから、松井滋次郎さんの遺作との出合いがあったのだと思う。井本さんにしても、ごく普通の「おばば」たちの証言を後世に残す意義があるという強い思いがあったからこそ、これほどの豊饒な歴史を甦らせたのだろう。オーラルヒストリーとしても画期となる書だと思った。研究内容と手法については、簡単な紹介しかできていないがいずれも極めて重要な提起をしていることだけは確かである。また、機会を改めて触れたいと思っている。
次に、勝山本である。勝山さんは、米価高騰時に、移出米のうちの一部を難儀の助けにあてるという「置き米」仕法という仕組みが北陸の米移出港で女性たちが起こす米一揆に見られることに着目し、その起源を探っている。そして、明治期佐渡への渡海港として発達し、北前船の寄港地でもあった新潟県寺泊町の町史に、江戸時代、この置き米仕法があったことを発見したというもののようだ。まだこの書を読めていないのでこの内容に立ち入ることはしない。
しかしながら勝山さんは、「はじめに」でわたしの「女一揆と呼ぼう」という主張を引いた、と以下のように書かれている。補足が必要と思われるので、この点だけ、少し触れておきたい。
米騒動のことをこれからは「女一揆」と呼ぼうではないかー斉藤正美氏の提案*があったのは二〇〇八年、私が本書を書き始めた頃である。女性たちの訴えは哀願調で実力行使もない、女一揆という呼び方はお上にたてつくようでふさわしくないとする意見が一部の地元人にあるという。女性たちのそれが哀願ではなく強い抗議であったことをもっと主張せねばならないという斉藤氏に私は賛成である。そういう意味も込めて書名を「女一揆の誕生」とした。
男のするものとされた一揆を、なぜ女がするようになったのか(女性たちは米騒動においてその最初期から導火線的な働きを果たしていたのかもしれないけれど)——まだ誰もその歴史的道筋を指し示していない、これが本書のテーマ。小さな史片も織り込んで一般のみなさんに読んでいただきける書き方を選んだため、史料を原文のまま引用することは控え、江戸期の古文書はもちろん、明治期の新聞記事も多くは現代文に直して記した。再検証できるよう必要な注記は付したので、ご意見をいただければ幸いである。
*斉藤正美「女一揆としての富山・米騒動ーー女性運動という観点からの読み直し」=『インパクション』166号・2008年12月号、「特集米騒動九〇年、いま食と農と貧困を問う」の中の一編。斉藤氏はメディアとジェンダーに関する研究者。
まず、わたしが「女一揆」と呼ぼうといったのは、「哀願ではなく強い抗議であったことをもっと主張せねば」という理由ではなかった。「主婦の哀願運動」ではなく、陸仲仕(おかなかせ)の女性労働者が組織的で統率のとれた行動をとれたゆえにあれほどの影響力を持ち得たのだと考えたからだ。「哀願」か「強い抗議」かという表現形式の問題ではなく、運動がどのような構造的な背景の元に起きたかが重要であるという意味で、「女性運動という観点からの読み直し」という副題もつけていたのだ。しかしながら、勝山さんは、わたしが「女一揆」と呼びたい理由の肝腎な部分を捨象して、単に「女一揆」と呼ぶことだけをご著書で採用されているように、わたしには感じられた。
さらに、勝山さんは、「男のするものとされた一揆をなぜ女がするようになったのか——まだ誰もその歴史的道筋を指し示していない」ゆえにこのテーマに取り組む、と書かれているが、「男のするものとされた一揆をなぜ女がするようになったのか」という問い自体に大きな疑問がある。「一揆は男のするもの」であった、というのは破壊的な行為だけを強調するこれまでの一揆研究者のイデオロギーによるものだということは、わたしが引用元の論文でアン・ウオルソルを引いて書いたことである。わたしの主張を引用したというすぐ後に、それと相反する文章を書かれているのはどうしたことか。
それと関連するが、カッコの中に書かれている「女性たちは米騒動においてその最初期から導火線的な働きを果たしていたのかもしれない」という表記にも、女性は(やっていたにしろ)「導火線的な働き」しかしていないだろうというように、女性の貢献を矮小化する発想がちらちらしているように感じられる。そういう発想のもとに「女一揆」と呼ばれても、単に、著者の新発見探しのために「女性」呼称がネタにされただけという気がしないでもない。
さらに、全編を通じてだが、性別以外に仲仕という職業や細民という階層などが深く絡まっているはずであるにもかかわらず、「男vs女」だけに焦点が当たりすぎているように感じられた。「女一揆」呼称によって、性別以外の要素が捨象されるというのは、わたしの本意ではない。この点も誤解を避けたいと思う。また、先に述べたように、女性の貢献を過小評価する文脈で「女一揆」と呼ぼうという私の主張が引用されており少々困惑している、というのが正直なところだ。
勝山本のテーマとされる「置き米」については、まだちゃんと読めていないので別の機会にしたい。今回、わたし自身の主張が関わっているのでその点の誤解を解くために書いた面が大きいが、井本さん、勝山さんの新刊はいずれも、米騒動研究に久方ぶりに新風を吹かせたものであることは確かである。
【追記】読売新聞富山版が勝山さんの本を「米騒動きっかけは… 港の女の情報力と紹介しています。
2010-11-13
高橋哲哉講演会@富山 のお知らせ
11月27日(土曜)18:30より富山市サンシップにて、高橋哲哉さんの講演会があります。コリアプロジェクト@とやまの連続講座第五回にあたります。お話しいただくのは、「私たちの『戦後責任』」とは?――アジアにおける真の若いと連帯のために」という内容です。
「韓国併合100年」の2010年にちなみ、過去の歴史を改めて振り返り、アジアの未来を考えたいという企画です。ビジネスでの交流が盛んになっている韓国や中国をはじめとするアジアの人々と、今私たちはどのような形で歴史を振り返ったらいいのか、について考えたたいと思い、哲学者である高橋哲哉さんをお迎えすることになりました。
富山の講演会のほか、氷見でも翌28日午後に高橋さんの講演会が開かれます。どうぞ一人でも多くの方とともに、アジアの来し方とこれからを考える際の位置取りを見出したいと思います。
チケットなどのお問い合わせは、<suzuransakura@gmail.com>までお願いします。





























