佐々木正美先生の講演会の感想

2011/10/02 @練馬区立勤労福祉会館にて、日曜クラブta-a-taの主催で行なわれた、佐々木正美先生(川崎医療福祉大学特認教授)の講演会「自閉症の人が地域で生活するために 理解者に恵まれて/弱点を修正するのではなく、長所を伸ばす」に申し込み、運良く拝聴する事が出来た。収容200人と聞いた会場は満員だった。漏れ聞く会話から、保護者よりは、教師や福祉職の方々がグループで参加されているようだった(Q&Aの内容で保護者も多かったと思われるが、自分同様、個人単位のように感じた)。開始前に、主催側から挨拶があり、講演会を企画して4年目にようやく実現した事、先生の予定は2年先までしか予約できない事を聞いた。ちなみに、娘の学校の先生(担当ではないので直接は知らない)が司会だった。この先生は、佐々木先生のノースカロライナへのTEACCHの視察にも同行されたそうだ。

最前列に座ったが、最前列中央の青年がデジカメの件で注意を受けていたようだ(その後、会場内は撮影禁止の案内がされた)。

配布資料は、当日の内容を箇条書きにしたもの、先生の紹介、先生のHPから抜粋したTEACCHの紹介文、平成13年の講演内容(「わたしの中の自閉症療育論の歴史−自閉症の人々と30余年」、偶然、webで前週に読んだものだった)、別冊で平成18年の講演の記録(手書きのイラスト付きでおそらく先生のHPかその時の主催者が起こしたものと思われる)、それに、主催団体、ネッコカフェ、のパンフレットだった。

先生は、午前中に日本小児科医師会で講演をされてから、直接、来られたそうだ。

当日のレジュメは以下の通り(そのまま)。

1.発達障がいのスペクトラム
自閉症スペクトラム、広汎性発達障がい、高機能自閉症アスペルガー症候群、注意欠陥多動性障がい(ADHD)、学習障がい(LD)
中枢神経の一極集中的な機能(能力)と同時総合機能不全(統合機能障がい)

2.統合機能不全
視覚的、具体的、個別的、規則・法則性
 想像力、応用性、抽象性、比喩的/空気を読む、相手の気持ち・立場
狭いところに強い(大きい)興味・関心・認識/一度にひとつ
 同時総合機能の弱さ
予期しない事への恐れ
 スケジュールを求める/変更への恐れ・苦痛
肯定が意味になる
 否定は意味を失う
忘れる事ができない/PTSD
 タイムスリップ、フラッシュバック
シナリオを求める/アドリブを恐れる
 生活シナリオの意味/時間と空間

3.行動特性
自分のやり方で行動する/生きる
常識が身につきにくい
得意・不得意の差が大きい
優れたもの(非凡なもの)を、社会的に発揮できない
相手の気持ち・立場の理解が悪い/共感しにくい
話す事より、相手の話す事を理解するのがへた/雑談に入れない
字義通りの理解/冗談や比喩は通じにくい
臨機応変、応用的な事が下手/鬼ごっこドッジボールができない
視覚的なことが得意/ジグソーパズル、ブロック遊び、カルタや神経衰弱が得意

補 ギャップ
走る事なら速い/短距離も長距離も
跳び箱、縄跳び、鉄棒などが苦手
暗記型の勉強はできるが、応用問題が苦手

4.養育・教育/治療的に治すような対応はしない
視覚的・具体的に
言葉は短く、一度にひとつ
無理を強いない/安易な統合やインクルージョンはしない(後遺症への配慮)
聴覚・触覚・味覚などの特性を配慮する/安易に偏食などの矯正をしない
みんなと同じ事を求め過ぎない/苦痛体験が消えない
表面的な出来・不出来に一喜一憂しない/後遺症予防への配慮
理解者に恵まれて、成功体験によって自尊心・自己肯定感情を育てる
優れた能力は必ずある/それなのに謙虚である
周囲の満足より、当事者本人の安定を心がける

5.二次障害を防ぐ
勉強や努力を放棄する/自信を失う
親や教師への反抗/いらだち
他者への攻撃/劣等感
不登校・ひきこもり/存在感を失う、自己不全感

補 ローナ・ウイング
彼らは時間と空間に自分自身を位置づける事(organize)ができない。そのために彼らの方から、私たちの文化や世界の中に入ってくることはできない。私たちの方から、彼らの世界や文化の中に入って行く努力をしながら、私たちの方に導かねばならない。
それができない人は、彼らを導こうなどと考えない方が良い。
彼らの世界や文化への入り方や、私たちの世界や文化への導き方を、具体的に教えてくれたのが、TEACCHである。

補 パトリシア・ハウリン
彼らは自分の周りで起きていることの意味が分からない。自分の気持ちの伝え方が分からない。状況の推移への見通しを立てることができない。さらにそういう状況から脱出するための想像力を働かせることができない。
もし私たちがそういう状況に置かれたら、一体どのような行動をとるのだろうか。

補 TEACCHプログラム
自閉症の人が自閉症のまま、自立的な活動ができるように、私たちと共生できるように教育や支援をする。視覚的な構造化の方法を大切にする。
個別的な視点を大切にする。
知能指数に合わせるよりも、発達障害の特性に合わせて教育や支援をする。
包括的に、人生全般への支援をする。
療育者・教育者・支援者・協力者は家族と対等な立場で支援する。
居住、職業、余暇活動、家庭生活のすべてを重視する。

実際の講演内容は上のレジュメに沿った形で、先生が自由に話される形であった。当事者に接する際の基本的な心構えが中心だったと思う(会場の聴衆の構成/態度から、これが適切な内容だということは分かった)。
自分のメモの字が汚過ぎて読めず、講演の雰囲気を伝えるだけの文は書けないので、メモと思い出せる部分だけを書き落としてみる。

簡単な自己紹介をされた後は、すぐに本題に入られて、理解を深めないと、当事者は非常に苦しむのだと力説された。昔も今も、自閉症を色々に言うが、いずれも、保護者が受けるであろう心理的な打撃を慮ったもので、スペクトラム、連続帯として、現れるものと説明されて、定義をレジュメで確認された上で、これらを厳密に区別することはできないし、する意味もないと仰った。
例えば、トランポリンは得意だが縄跳びが下手とか、弱点は修正できないと仰る(この辺、文字にすると反発を買いそうな気がする)。
例えば、岡本太郎。TVで見た番組内容から、恐らく、伴侶の方が多大な支援をされたから、芸術家として生きることができたのだろうと。
よく言われることだが、見たら分かることには強い(メモが読めないが、視覚芸術に秀でた人が多いと言うお話だったような)ことの例とも言える。今、東大に支援室ができた。その特性から、勉強が得意だが、人間関係で失敗する学生の中には自閉症スペクトラムが見られるようだと。
また、京大生から手紙をもらったことを話された。(先生の本を読んだことが切っ掛けで)診察を受けてアスペルガーと判明して、ようやくスッキリしたという内容。自閉症スペクトラムの特性として、シングルフォーカス/モノトラック(単焦点)で、見比べることができないことを挙げられた。つまり、思い込み易い。こういった特性のため、話し言葉中心の授業では10分と集中できないが、書き言葉(本など)は忘れない(『忘れる』と言うことが理解できない人もいる)。このため、校内テストよりも範囲の明確な学外模試などの方が点数が高く、教師に苛められた。また『相手が違うことを考える』ということ自体が理解できないとも言う。
対応は、周りに、理解者を増やすこと。(「この子が頑張って何とか」は無理!)
子ども将来像としては、専門家を目指そう(とは言え、営業は無理)。ここで、先生が大学に入られる前に、地元の信用金庫にお勤めになった際の逸話。新人は全員外回りをすることになっていたが、3ヶ月経っても、1件の新規顧客もできず、史上最低の営業だったそうだ。営業その物と成果が上がらないことが余りに辛くて上に相談したところ、特別な計らいで、内勤に変えてもらった。その後、大学に進む際に、内勤の仕事の引き継ぎをしたら、3人分の仕事だったことが判明した。その後、その信用金庫では新人の外回りは必須ではなくなったらしい。自分にも、要素はあるんですよ。自分は家では奥さんから特別支援してもらっているから、何とかやって行けてると。
先生は、色々と話されるのだが、30年前に統合教育をした際の失敗については、「無知のために、安易な統合教育を行なってしまった」、「でも誰一人悪意はなかった、善意ではあったが、無知だった」と何度も話された(自分がそう記憶しているだけかもしれない)。
また、「自分は発達障がいが好きだから」と何度も仰る。なので、自閉症は治療なんてできない、「個性、特性は消えない」、「上手に操ろう」、「本人が示すまで待とう」
みんな得意なことがある。例えば、ノースカロライナに行った時に気付いたが、図書館には必ず自閉症の人が働いている。日本では『接客』が必要だから日本には当てはまらないという投書を受け取ったそうだが、整理と営業で棲み分けを提案した(が回答はなかったそうだ)。
日本は、「一斉」が大好き、なので、当事者は辛い。また、予定の変更は早く伝えること。予期しないことは辛い。
肯定的に伝えること!(XXXしない、ではなく、YYYをしようか、と提案する。例えば、水道を出しっ放しで遊ぶ子には、中でパスルをしようか?と提案するとか)。
町田で行っている勉強会に当事者の青年がいて、リストラの瀬戸際にあった。その際の不安の最たるものはリストラその物ではなく、「もうここに来てはいけません」のような言い回しであったと言う。その代わりに、別のXXX会社に移ってくださいと言われた方がよほど安心できると。
単なる「ダメ」は非常に苦痛だと。他にすべきことを伝えて欲しい。
ここから、不安定な子の周りには、口うるさい否定的な奴がいる筈だと仰る。

また別の例として、ニキ・リンコ氏を挙げられた。その翻訳能力を非常に高く評価されながらも、聞くと同時に理解することができないこと、映像情報しか見えないことを仰った。ある講演会では最後に主催者側がQ&Aの時間を急に設けてしまい、ニキ氏は質問は紙に書くことを要求、時間的に無理となると、質問中に「あ〜」や「え〜」等の無意味な間投詞を挟まないよう強く要求したとのこと。その間に、意味を見失ってしまうからだと。

ここで、レジュメの「3.行動特性」に触れ、「下手な指導者は障がいを治そうとして、害を成す」と。行動特性を考えて、周りからの支援が必要。その際には、短い言葉で的確に。

「4.」は、支援のまとめとして1つずつ説明。特に、「無理強いはしない」
ひきこもりは、それまでの苦痛の経験によるもの、怖いから引きこもっているので、無理に外に引き出すのは拷問にも等しい。
ここで、安易だったインクルージョンへの自己批判、でも、みんな、善意だった、からと言って許されるものではないと(資料にある通り、周りの子方が合わせるのが上手くなっただけで、肝心の自閉症児は、何も良くなっておらず、長じて施設に戻ってしまった。この部分、詳細は記憶違いの可能性有り)。TEACCHは、成功体験を最重視する。(失敗は不要。この子たちは失敗から学べることは恐怖の他は無いと)。失敗しているところ(施設)は当事者に無理を求めている。そうした結果の二次障害は、自尊心を失うことから来る。

質疑応答の時間があった。事前にアンケートから選んだことに先生がアドバイスを行う形式。

Q1:中1男子。母も同じくアスペルガー。鬱。どうすれば良いでしょう。
A1:不幸な経験をされた。サポートしてくれる支援グループを探すべし。周りの無理解のために二次障害になったので、アスペルガーのままでいいと肯定してくれる人を捜すこと。理解者が必要。身内が理解してくれると違う。

Q2:高3男子。就職希望。本人への告知をどうすべきか。
A2:告知する際の原則『発達が劣っている訳ではない。優れていることを沢山伝える。その次に弱点を伝える。こういう人のことを発達障がい(発達に凸凹がある)という伝え方をする。』『そのこと(発達障がい)を嫌なことと思っている人が伝えてはいけない』。マイナス感情を持っている人は伝えないこと。得意な方向を伝えよう。

Q3:2歳娘。療育センターに通っている。最近は、外出する度に、周りから直接クレームを受けて、外出が億劫。将来どうすればいいのか。
A3:(直接の回答を聞き損なったか、メモが読めない)グレーの人の方が将来辛いことが多い。グレーだから支援を受け損なっている。(回答になってませんよね?自分のメモがおかしいと思う)

Q4:登校を渋る子にはどうすればいいのか。
A4:行きたがらない学校に無理に行かせるのはマイナス。まずは(学校内でも外でも)『安心していられる場所』を探すこと。両親が間違え易いこと、「高いレベルに行くと、より発達する」と言う間違いを犯し易い。少し易しいことをやらせる位の方が、いい。IQが正常だから普通学級と判断するのは間違い。特性から、易し過ぎる位のところを選ぶのは大事。
(今は)大きくなるに連れてどんどんと大変になっている。よく考えて。子どもの身になって。「親の気持ちを分かって」というのはダメ。保護者に徹してください。

Q5:当事者の青年が会場から。学校時代は支援を受けられたのに、会社では困り続けている(実はネッコカフェの人だった)。
A5:(Q&Aではなく、青年の来歴と現在の対応状況の報告のようだった)先生からは、学校時代に、社会に出てから受けられる支援について教えるべきだとの指摘(会場に教育関係者が多いからか)。やり取りは省略。会社側が理解し始めて、ジョブコーチを導入、上司も支援担当として市に登録。

Q6:会場の母親。小4男子。アスペルガー。登校渋り。担任は良くしてくれているので、中学校をどこにしようかと思案中。
A6:登校を渋るような学校はダメ。渋らなくてもいいように、どうすべきか、教室で何をするか、特別支援を使用するのも考えるべき。「困難を乗り越える」のは傷付くだけで、我慢はさせない。当事者は潰され易く、乗り越えても、フラッシュバックもあり、強くなる訳でもない。
会場の当事者青年からも、中学のことより、今の学校を変えるべきと(別の学校に移ることも含め)。

終わると、当事者青年が素早く名刺を渡していた。先生はそのまま、帰られる位、急いでおられたが、大丈夫だったのだろうか。

会場の外で、自分の母親(よりも上かも)くらいの女性がビラを配って、主催者ともめている。ウッカリ、受け取ってしまった。家に帰って見たら、インクルージョン推進派だった。会場で聞けば良かったのに。

感想を追加する:読み返すと、「治らない」「変わらない」といった否定的なメッセージを多く受けそうだが、実際は違う。隣の人などは、自閉症の世界がこんなに違うなんてと大変感銘を受けていたし、先生ご自身も繰り返されたように、ご自身にもその要素はあるし皆にもあるというのが主張であると思う。何度も、誤解されるかも知れませんが私は発達障がいが好きですから、と仰っていたのが印象的だった。