Vicky Cristina Barcelona


ウディ・アレン最新作。
親友同士であるヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)のバルセロナでの夏のロマンスを描くコメディ。二人と関係を持つ画家ハビエル・バルデムの前妻ペネロペ・クルスが登場するまでは「ウディ・アレンの映画」で、クルスが登場した途端にカッコなしの映画になる。統一感に欠ける作品だが、ヴィッキーとその婚約者に代表される、安心だが退屈なアメリカ人と、より冒険的ヨーロッパ的なクリスティーナと画家と前妻の、両方のステレオタイプを笑いつつも、どちらに対しても愛情が感じられる。バルセロナとその近郊の景色もスパニッシュギターを使った音楽も楽しい。
ステレオタイプを笑う作品の意図とは言え、あからさまに「官能的」なヨハンソンよりもお堅いホールの方がセクシーなのが面白かった。そして、圧倒的なペネロペ・クルスの美と、飛び切りの美女だけが持つユーモアの前には誰もが負ける。

GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0


新しく挿入されたCG場面が、オリジナル場面から別の作品のように浮き上がっている。ヒロイン草薙素子のダイビング場面など、CGによって無個性になってしまっており、今年公開とは思えないほどの不器用さだ。
オリジナルをクリーンアップして、コントラストや色調を調節しただけで良かったのに残念。まあ、新しくCGを入れないと、予告編も見栄えがしないし、マーケティングしにくいのだろうけど。GHOST IN THE SHELLスピルバーグが実写化する予定なので、それに合わせたリニューアル版かもしれないが、それならもっと丁寧に作って欲しかった。

CGの難点にもかかわらず、作品の素晴らしさを再確認した。オリジナル公開から13年たっても全く古くなっていないどころか、ますます重要性が増しているハードSFな世界。現実とネット上の出来事の境界の曖昧さという主題は、現実VS記憶や幻想という古典的なテーマでもある。「サイボーグ化された人間の中の、オリジナルの脳」が「ゴースト」と呼ばれるのも、その境界を混乱させる度合いを強めている。文句なしに行動の人であるヒロインは、自分探しをする部分も持ち、隙間の多い内省的な音楽が効果的にそれを強調している。

草薙素子は日本映画どころか、世界でもまれに見る、男の添え物でなく心身ともに強いヒロインだと思う。主役級で知名度が高いキャラクターに限れば、日本映画ではナウシカ、さそり、成瀬作品の高峰秀子くらいしか思い浮かばない(個人的には「豚と軍艦」の吉村実子と「現代やくざ 人斬り与太」の渚まゆみもあげたいが)。アメリカ映画のアイコン的キャラクターの中でも「エイリアン」のリプリースカーレット・オハラ、「羊たちの沈黙」のクラリスに、「イヴの総て」のマーゴ・チャニングくらいだろうか。アメリカのTVには「ワンダーウーマン」から「エイリアス」まで強いヒロインは決して少なくないが、映画では殆ど見当たらない。同性のヒーローに共感したい男性客を考慮した、リスクを恐れるマーケティングに、「キャットウーマン」などの失敗が拍車をかけたのだろう。が、強い女が好きな男は、私の周りにも結構いる。女の客の方が、主人公が同性でなくても共感できる幅が広い傾向はあるかもしれないが、実際の男たちは安全パイのマーケティングが示すよりは馬鹿じゃない。強いヒロインが登場する作品があまりないから、それを演じられる女優も限られている。スーパーヒーロー映画がこんなに沢山あるんだから、そのうち一つや二つは女が主人公でも良いと思うが。

Frost/Nixon


ウォーターゲート事件で失脚してから3年後のニクソンの、デビッド・フロストによる有名なTVインタビューとその内幕を再現した作品。ウエストエンドとブロードウェイで上演されたストレート・プレイの映画化であり、ニクソンフランク・ランジェラ、フロスト役マイケル・シーン共に舞台からの続投で、二人とも役になりきっている。ロン・ハワード監督、台本は原作と同じピーター・モーガン

ニクソンの煮ても焼いても食えない政治家の面と、圧倒的な孤独ともろさを同時に表現するフランク・ランジェラがとにかく素晴らしい。彼は舞台版でトニー賞主演男優賞をとったが、オスカーにも値する演技だ。アンチ・ヒーローとしてのニクソンに、好感とまではいかなくても共感してしまうこの作品は、ニクソン/フロストと呼んだ方がふさわしい。が、フロストがスパーリングの相手としてふさわしくないわけではない。

政治のプロではなく、イギリスのトークショー・ホストにすぎないフロストは、それゆえに、政界復帰をもくろむニクソンが容易に出し抜ける相手と見なされる。が、フロストも落ち目のキャリアと財産を賭けて、ニクソンからウォーターゲートについての謝罪を引き出そうとする。12日間28時間以上にわたるTVインタビューの収録を追った、作品の後半全部を通して、この二人の知力のスパーリングと駆け引きにはらはらっしぱなしだ。最初、ニクソンは余裕でかわすが、フロストもプロデューサーや調査チームの力を借りながら追い上げていく。その過程で、外見は全く違うニクソンとフロストの共通点−プロ意識とエゴ、もろさが見えてくる。ウォーターゲートについてのインタビュー前夜に、ニクソンがフロストに電話する場面は、喰うか喰われるかの戦いであると同時に、ニクソンの不安と孤独をも鮮やかに表している。

実際のフロスト/ニクソンのインタビューを少し見たが、本物のニクソンは、さわやかなフロストと対照的にもごもごしゃべるランジェラ・ニクソンよりもはるかにクリアな発音で、「普通」の政治家に見えた。ランジェラのやや不明確なしゃべりは、歯切れ良いしゃべりよりも、かえって視聴者の注目を集める計算とも取れ、ニクソンのしたたかさを表す演技の一部なのだろう。が、政治家がしたたかでスムースというイメージに大きく貢献しているのは、他ならぬニクソンであり、そのイメージに大きな影響を与えたのが、このインタビューだ。だから、ウォーター事件で権力を悪用したことに対するニクソンの罪悪感のなさと、事件が米国民に与えた政治への失望が描かれているこの作品は、ブッシュの任期が終わろうとする時期の公開に、より一層ふさわしい。

現在公開中だが、ネットからダウンロードしてビデオで見た。元々舞台作品とはいえ、TVインタビュー場面はビデオで見てこそ、その真価が分るかもしれないと思った。TVインタビューでの特質を生かしきった決定的瞬間は見てのお楽しみ。