京都:寺町通二条上がる

docterlecter2006-02-25

京都では北へ行くことを「上がる」南に行くことを「下がる」といいます。またご存じの通り京都の路は東西と南北に碁盤の目のようになっています。そして,「寺町二条」寺町通りは南北の路「二条通」は東西の路です。ですから「寺町通り二条上がる」というと「寺町通りと二条通の交差点から寺町通りを北に行く」ということを意味します。
京都でもっとも繁華な通りのひとつ河原町通,そこから西にいっぽん入ると寺町通に出会います(三条〜四条間は新京極通の西)。その起源は,約400年前,太閤秀吉があいつぐ戦乱で荒廃していた京都を復興させようと聚楽第御土居を建築し,洛中に散在していた寺院を東京極に集めたことに始まります。寺町二条下ル榎木町には,天正11年(1583),六条坊門室町にあった顕本法華宗妙満寺が移転してきました。江戸初期には寺院本末制が完備し,中小本山が多い寺町の諸寺は,経済的に安定を見ます。しかし,たび重なる大火や天災,そして明治の廃仏毀釈の影響で,その面影は徐々に失われていきました。妙満寺は,寛永10年(1633)の時点で296か寺,明治には550か寺の末寺を数える本山で,昭和45年(1970)に岩倉へ移転するまで,200年近く榎木町にありました(寺域に変化はあったかもしれませんが)。明治の近代化の波は,寺々の衰退とはうらはらに,寺町通丸太町〜二条通,さらに東に折れて木屋町まで市電を敷設させることとなり(京都市三大事業),商店街は活気を呈します。大正4年当時の地図(『京都の歴史』第8巻)をみると,門前町として発達してきたと想像される通りの西側には,時代の最先端ともいえる洋品商が軒をつらねています。毎年10月の中旬に行われる「蛭子講」は,あらゆる商売屋が大売り出し期間となり,婦人はこぞって街に繰り出し,その年の流行も左右したほどだったということです。
(京・寺町通り昔語り:http://www.biwa.ne.jp/~ryonryon/street.htm より引用)

お茶の「一保堂茶舗」創業は今から約280年前の享保年間(1717年)。近江出身の渡辺伊兵衛(わたなべいへい)が、京都のほぼ中心に位置する、寺町二条に茶、茶器、陶器を扱う店として「近江屋」を出したのが始まりです。そのうち、近江屋の扱うお茶の品質の良さは評判を呼び、やがて、今から約160年前、弘化3年(1846年)山階宮(やましなのみや)より「茶、一つを保つように」と「一保堂」の屋号となったとのことです。(一保堂茶舗HP:http://www.ippodo-tea.co.jp/index.html

一保堂茶舗はそのお茶の味も素晴らしいが,建物もその歴史を見るものに感じさせる風格がある。個人的にはお茶と言えばこの「一保堂茶舗」のお茶と金沢の「東洋茶館 三國屋善五郎http://www.mikuniyazengoro.com/)のお茶が好きである。



寺町通りにの歩道にはこのような休憩処が。暖かい日などちょっと一休みできる場所である。

骨董品,古道具を扱うお店。寺町通りにはこのような骨董品や古道具を扱うお店が多くある。ちょっと覗いて色々物色すると面白いものが見つかったりする宝の山だったりする。

牛乳屋さん。紙パックやペットボトルが普及している中,このような瓶の牛乳やケースを見るとちょっとほのぼのとした気分になります。

京都特有の細い路地。その奥にも京都の生活が息づいている。

ちょうど細い路地を宅配便屋さんが配達中。

パンの進々堂。中には喫茶コーナーもあって買ったパンをコーヒーと一緒にいただくことができます。

古物商店のディスプレイにあった巻物。これがいかなる価値があってどのような内容のものなのかは不明。

着物や古着の再生生地などを売っているお店。京都の家屋をそのままに使ったいい雰囲気のお店である。


生地屋さんの横に置かれた自転車。店の雰囲気をいっそう高めてくれる,実用的でいいディスプレイだ。

外国からの観光客向けの骨董屋(アンティークショップ)

末廣寿司。暖簾の上の磨りガラスが時代を感じさせる。

魚やおばん菜を扱う「大松」ここは昔,仕事の関係で社長とお話しする機会があったが,ここの社長はこの寺町通りを活気あるとおりにすべく色々な方法で取り組んでいらっしゃる方だ。

書道の道具を扱うお店。寺町通りはこのような書道の道具や紙,古書などを扱うお店が多い。それからも昔からこの通りが芸術文化が活性していたことが伺える。

寺町通りを南から北へ見る。

寺町通りの銭湯「錦湯」いつの時代も銭湯は町衆が集う場所だ。

まだ,夕方前だったがおばあちゃんが銭湯道具一式を持って入っていった。

昔ながらの八百屋さん。スーパーで買うのとは一味も二味も違う。

京都なら何処でも見かける町内地図と看板。看板のおでん屋は今でもあるのだろうか。

「写場」という看板とともにレトロな雰囲気を漂わすスタジオである。

にしんそばの「更科」こういうところでたべる蕎麦はまた格別である。


寺町通りの二条を上がったところには二つのお寺がある。その一つの「行願寺



こちらは丸太町通り側にあるもう一つの神社である「下御霊神社



気にしなければただの汚い窓ガラスなのだが,自分の街を注意深く見て歩くとこういったガラス窓から時代やその街の歴史や深さが見えてくるから不思議なものだ。