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2014-03-30

ロードマップ指向とエコシステム指向

IT業界の世代間ギャップを「ロードマップ指向 VS エコシステム指向」という図式でまとめるとうまく整理できるような気がしてきた。

他の業界でも、常に勉強してないと仕事にならない所では、似たような問題があるかもしれない。普通の人は「ロードマップ」の中では真ん中を進むべきで、「エコシステム」の中では真ん中を避けるべきだ、という話。


私は、80年代からずっとプログラマをしていて、今でも現場でコードを書く仕事をしているので、同世代の人から、彼らと現場の若い人との仲裁役というか通訳のようなことを期待されることが多い。

確かにそこには微妙なギャップがあって、自分はどちらの言い分にも共感する所があるので、なんとかそれを言葉にしたいのだが、なかなかうまく言えなかった。

プログラマという仕事は、今も昔も勉強をしてないと普通の仕事も成立しないのだが、その勉強の仕方というか意味づけが、違ってきていると思うのだ。単純に言えば、量の問題である。今は勉強すべきことがずっと多い。

しかし、量の問題としては、何年も前に現場を離れて管理職になっている彼らも認識している。いやむしろ、俯瞰できる立場にいる分だけ、勉強の必要性もその必要量が拡大していることもわかっている。

では何がズレているのかと言うと、それがうまく言えなくてモヤモヤしていたのだが、ここに「ロードマップ指向 VS エコシステム指向」という図式をあてはめればいいのかもと、思ったのだ。

90年代くらいまでは、IT業界には「ロードマップ」という長期計画があった。基本的には、コンピュータメーカが顧客に対して「うちは、今後数年間、こういう技術でこういう問題を解決していきます」という見込みを述べて、セールスのプロモーションに使うものだ。

しかし、これは単なる売り込みの口上ではなくて、技術者サイドに計画的なスキル開発を促すものでもあった。

たとえば、私が仕事を始めた頃は、RDB(リレーショナルデータベース)という技術が導入され始めた時期だった。そうするとロードマップには「次のバージョンからはRDBを標準サポートして、従来はできなかったリアルタイムのレポートを作れるようになります」とか書いてあった。

私の上司は、これを見て、チームの中で誰にこれを勉強させて、どの顧客を実験台にしてRDBを試すのかとか計画する。そして、重要な顧客がRDBに切り替えるタイミングまでに、自分の部下の大半がこれの経験を積んでおけるようするためのストーリーを組み立てる。

つまり、ロードマップは、スキル開発のガイドラインになっていて、これを頼りに、誰が何をいつどれくらい勉強すべきかを考えるのだ。

この時代を経験している人は、今でもこの「ロードマップ」があるかのように、プログラマの勉強について考えているような気がする。つまり、これに従えば確実に見返りがあって、これに遅れると確実に失業するような計画表がどこかにあって、それを読みとることが成功で、それを読みきれないことが失敗であると。

しかし、今の業界は、「エコシステム」の時代だ。熱帯雨林のように、食いあいつつ共生しあうさまざなタイプのプレイヤーが、自分の為だけの個別の意思決定をして、その相互作用で技術が発展していく。

「エコシステム」は矛盾だらけで、ある技術が発展するのと同時に、そのアンチテーゼとなる技術も伸びる。たとえば、今は、RDBが標準化して、その次の NOSQL というタイプのDBが普及しはじめている時期だが、一方でRDBを NOSQL に適した分野で使うための「Web Scale SQL」という技術が開発され ていたりする。

「数年後に、みんなで一緒に RDB から NOSQL に乗り換えましょう」などという、整合性のあるストーリーを考えてくれている人はいない。

「Web Scale SQL」でも「NOSQL」でも仕事はあるだろうけど、あなたにとってどちらがいいかを教えてくれる人はいない。

問われているのは、「Web Scale SQL」と「NOSQL」が熾烈な生存競争を繰り広げる中で、あなたは、どこに自分のポジションを持とうとしているのか?ということだ。プログラマが勉強すべき技術のあらゆる項目に、こういう行方の見えない生存競争がある。

自分が「エコシステム」の中のどういう位置にいて、何と協力して何と戦うのか、そういう自己認識がないと、これから何を勉強したらいいか、何を勉強させたらいいか考えようがない。

「ロードマップ」も「エコシステム」もプログラマにとって適応すべき環境であることは同じだが、その適応のしかたは随分違っている。「ロードマップ」は、相手の意図を読み取ることが重要だが、「エコシステム」には意図がない。意図を持つのは自分の方で、自分の意図が明確にならないと、方針が決められない。

「ロードマップ」には全体像があって、全体像を把握した上で自分に関連する部分の詳細を見ていくことが必要だが、「エコシステム」は人間の理解を超えていて全体像は見えない。むしろ、最初に自分の回りを見て、必要に応じて、視野を少しづつ拡大していく見方の方が有用で現実的だ。

「ロードマップ」が指し示す未来の方向と違う方向に進むことは致命的な間違いだが、「エコシステム」はむしろ中心部がレッドオーシャンで、周辺部に生き残りが容易なブルーオーシャンがある。「エコシステム」の中で王道を進むには、並みはずれた他の者にはない強みを持っている必要がある。

普通の人は「ロードマップ」の中では真ん中を進むべきで、「エコシステム」の中では真ん中を避けるべきだ。

どんな仕事でも「知識」が大事になっていると思うけど、その「知識」の体系が、人が考えたものなのか自然発生したものなのかによって、取り組み方が違ってくる。「知識」のフロンティアにはいつも予測不能のエコシステムがあったとは思うけど、一般の人の普通の仕事にそれが関係するようになったのは最近のことで、これは結構、混乱の種ではないだろうか。

「知識」と言うと、人が体系化したロードマップがあるはずと無意識に想定して、それを読みとろうとする人が多いけど、これは、自分もその一員である「エコシステム」として理解すべきものなんだよ、きっと。


一日一チベットリンク【国際情勢分析 矢板明夫の目】中国人権活動家に批判されるオバマ夫妻+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

2014-03-10

Bitcoinの何が革新的なのか?

なんとなくbitcoinがわかったような気がしたので書いてみる。

P2Pで取引のデータベースを管理する」と聞いて、最初に不思議だったのは、「なぜみんなそれに自分のコンピュータを提供するのだ?」ということだった。

多数のコンピュータで分散処理をしてDBを管理すれば、やり方によっては効率的で確実な管理ができることは想像がつくが、誰がそのコンピュータを提供するのだ? 金がからむとなれば、それは儲けようとしてやる以外に考えられない。

しかし、P2Pというのは、単なる分散処理ではなくて、身元保証の無い分散処理だ。ネットワークを構成するノードの大半のコンピュータの所有者は、どこに住んでいるか誰なのかわからない。それをわかるようにしたら登録制度が必要になり、その登録制度を運用し管理する主体が必要になる。そういうのは普通、P2Pとは呼ばない。

だから、P2Pという限りは、ノードの中に、インチキのプログラムを仕込んで不正を行う奴が当然いる。そういう前提で考えないとうまくいかない。金がからむ処理でP2Pをやるということは、インチキ野郎をたくさん集めて、信頼性のあるDBを構築するということで、そんなことができるわけないと思った。

公開鍵暗号をうまく使うと、そういうことができるのだろうか?

公開鍵暗号とは、簡単に言えば

  • 正しい答を出すのは途方もなく困難だが、検算するのは超簡単な計算がある
  • ある特定の数字を知ってる人にとっては、簡単に答えが出せる
  • だから、その計算の正しい答を見たら、それを誰が書いたかすぐわかる

という仕組みだ。これを使えば、「私がAさんに50$払います」というハンコつきのデータを作ることができる。そして、これを書いたのは私であることを、誰にでも簡単に確かめることができる。

bitcoinの中に記録されるのは、こういうデータだろうということは、簡単に推測できる。

これを私が送信して、悪人Bの運用するノードを経由して、bitcoinのネットワークに流したとする。

悪人Bがこれを「私がBさんに50$払います」に改竄することはできない。「特定の数字」を知っているのは私だけで、それ以外の人にとっては、これは途方もなく困難な計算だからだ。

しかし、改竄は不可能だとしても、悪人Bは、データを捨てることはできる。というか、自己の利益にしか関心がない悪人Bにとって、改竄できないからと言って、これをそのまま流す動機がない。そこがどうなっているのか?

これについては、「採掘者は、正しい取引データブロックを生成することで(その計算をすることで)、報酬としてbitcoinをgetできる」というような説明があった。

最初、私は、これを「悪人Bが私の取引記録に公開鍵暗号でハンコを押すことで報酬が得られる」と勘違いして理解した。確かに、取引DBの維持には、取引記録が本人が書いたものであるという保証だけでなく、「それが記録された」という保証も必要である。手数料と引き換えにその保証をさせることで、ネットワークを維持するというのは、一応、筋が通る。

しかし、悪人に自分の伝票を裏書きしてもらっても、ちっとも嬉しくない。というか不気味だ。

公開鍵暗号によって、そのハンコが悪人Bのものであることは確定できるが、その悪人Bが何者であるかはわからない。これに何らかの意味があるのか?

つまり、ノードの中には多数の悪人がいて、それぞれ自分のコンピュータパワーを提供して、取引データにハンコを押していく。そして手数料を得る。しかし、悪人がハンコを押した取引記録同士がどうやってつながるのか?そこがよくわからなかった。

そのアルゴリズムもわからないし、悪人同士が合意して一つの台帳を維持する動機もわからなかった。

わからないのは、公開鍵暗号の延長だけで、これを考えていたからだ。bitcoinは、公開鍵暗号の応用だけでなく、新しい手法が含まれていた。それは、「Proof of Workによるビサンチン合意問題への現実的な解」とでも言えばいいのだろうか。

  • 正しい答を出すのは途方もなく困難だが、検算するのは超簡単な計算がある
  • たまたま特別運のいい奴だけが、そこそこ簡単に答えが出せる
  • だから、その計算の正しい答を見たら、それを使うか見なかったことにするしかない

という種類の計算を使うらしい。

「私がAさんに50$払います。悪人Bが手数料として1$受取ります」という取引データに、この計算を使ってハンコを押す。悪人Bだけでなく、ノードを構成する悪人どもが全員競争でこの計算を行なう。みんな、「私がAさんに50$払います。」という所は同じだが、次の「悪人Bが」という所は、それぞれ自分の名前になる。

手数料受取人の名前だけが違う似たような計算を全員が競争で行なうと、この計算の難易度がその名前によって違ってくる。10分ほど待つと、世界中の悪人の中で、一人だけが、この計算の答を出すことができる。その運のいい奴が悪人Cだとすると「私がAさんに50$払います。悪人Cが手数料として1$受取ります」というハンコつきの取引データがbitcoinネットワークの中を流れる。

そして、ここで他の悪人どもが、どうしたら利益になるかということが、bitcoinのアルゴリズムの一番巧妙な所なのだが、ここで、この悪人Cが保証したデータを捨てるより、これを承認した方が得になるのだ。

モラルは低いが、自己の損得を計算できる悪人であれば、ここでデータを捨てるより、検算をした上で次の取引記録を作った方が得になるのでそちらを選択する。

悪人Dが「私がAさんに50$払います。悪人Dが手数料として1$受取ります」というデータを作って流すことはできる。しかし、悪人Dは悪人Cほど運がよくないので、この計算に途方もない時間がかかる。そのためにコンピュータパワーを使うなら、むしろ、そのパワーを次の取引記録ブロック「XさんがYさんに○○$払います。悪人Dが手数料として1$受取ります」のハンコの生成に回した方がいい。

「運」は数学的に公平に分布しているので、次の取引記録を狙った方が、自分に回ってくる確率が高いのだ。

そして、次の取引記録を狙う為には、検算をしてから悪人Cが作ったデータを他のノードに回すしかない。これが次の記録の基点になるからだ。

  • 正しい答を出すのは途方もなく困難だが、検算するのは超簡単な計算がある
  • たまたま特別運のいい奴だけが、そこそこ簡単に答えが出せる
  • だから、その計算の正しい答を見たら、それを使うか見なかったことにするしかない
  • 見なかったことにするより正しい答を使う方が儲かる(次は自分の番かもしれないので)
  • 各ノードが自己の利益のために、正しい答を「使う」ことで、一意のDBが維持されていく

この部分が、公開鍵暗号の応用から一歩はみ出したbitcoinの核心で、この仕組みによって、利己的なプレイヤーだけで構成されたP2Pネットワーク上で、多数のノードが取引データの正当性を確認しながら、新しい取引を記録していくことになる。

つまり、bitcoinは、基礎技術レベルの重要な革新と、それを適用したインパクトの強いアプリケーションが、同時に出現した、と見ることが一番重要だと思う。普通に考えると、いかに今目にしている応用が画期的であっても、この基礎技術の本当の使い道は、まだ我々が目にしていない可能性が強いということだ。RSAが生まれた時に、その本当の使い道を誰も知らなかったように、bitcoinの本当の使い道はまだ誰も知らないのだと思う。

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2013-10-02

Big brother is A/B testing you

一年前くらいから、「グリーっていう会社はみんなが思ってるよりずっと凄い会社なんだぞ」という趣旨のエントリを書こうと思っていて、書く内容はほぼ頭の中でまとまっていたのだが、書かないでいるうちにこんなことになってしまった。→グリーが希望退職を200人募集、業績悪化で | Reuters

普通なら「ああ、書かないで良かった!」と思う所だろうが、私はブログを書く上で「これを書いてる奴はこんなにふうに馬鹿なんです」という情報開示がすごく大事なことだと思っているので、こんなチャンスを見逃す手は無く、忙しい中で無理して時間をひねり出して、あえてそれを書くことにした。


グリーで一番注目すべきことは「商売する上で客のことを知る必要はない」という考え方だと思う。この思想がグリーの根幹であって、これを失なわなければ、ゲームを捨ててもグリーはグリーとしてやっていけると思う。

客を知らずにどうやって商売をするのかと言えば、「客を測定する」ということだ。ネットで商売をすると客の動きが全部ログとして残るので、予断なくそれを見張って、そのデータに従って動けばよい、ということだ。

A/Bテストという言葉が、Web業界ではだんだん流行り出しているが、これはネットショッピングサイトなどで、ページの内容(やその背後にあるプログラム)を修正する時に、いきなり改良したページを表示しないで、(ランダムに選択した)一部のユーザだけに見えるようにすることだ。いきなりAをBに切り替えるのではなく、AとBを同時に動かして、Aを見た客とBを見た客の反応を見比べる。Bを見た客の方がよりたくさんの金を落とすことが確認できたら、その時はじめて、Aを捨ててBに切り替える。もし、そうならなければ、そのままBはお蔵入りになり、サイトはAで運用したまま新しい改良点を探る。

プログラム的には、二つのバージョンを並行稼動することはちょっと工夫がいるが、特別な無理難題ということではない。

Webサイトを運営する上では、これが常識になりつつあるが、それを早い段階から徹底してやっていたのがグリーなのだと思う。

A/Bテストを導入した会社が口を揃えて言うのは、「当初の予想と実際の顧客の行動には驚くほどの違いがある」ということだそうだ。顧客のことをよく知っているつもりでも、A/Bテストによる確認は不可欠と言えるのかもしれない。

これには、「消費者の行動がネットに乗る割合が増えてきた」というシーズ的な側面と、「価値観が多様化して他人が何を考えてるか知るのが前より一段と難しくなった」というニーズ的な側面の両方があるだろう。

それで、普通は、ここから「ビッグデータ」というバズワード的な話に展開するのだが、私は「ビッグブラザー」の話につなげたい。

20世紀には「Big brother is watching you」と言われていたが、21世紀には「Big brother is A/B testing you」と言うべきだと思う。政府も多国籍企業も、あなたを監視するのではなく測定するようになるだろう。

これはそんなに悪いことではない。測定することはだいたいサービス向上につながる。建前に左右されないで、本音のレベルで多くの人がしてほしいことが、誰も何も言わないうちに実現されていく。

これを「多数決の自動化による少数者の排除」みたいに見るのは間違いで、少数者を生かすも殺すもアルゴリズム次第だ。A/Bテストをする上で重要なことは、何を指標として採用するかということで、たとえば閲覧数を増やしたいのか、登録者数を増やしたいのか、有料会員を増やしたいのか、有料会員一人あたりの利益を増やしたいのか、指標の選択次第で、A/Bテストの結果も変わる。

政治的なものごとに測定が使われるようになったら、指標をどうするかが政治の全てということにもなって、他は全部自動的に進むかもしれない。

測定というものは、データ数さえたくさん集めれば、感覚的に予想するより、ずっと良い結果を産むので、測定という考え方自体を拒否することは難しくなる。そうなれば、測定や指標やアルゴリズムの中にある思想について議論することが重要になるだろう。



というようなことを書こうと思っていたのですが、私はソーシャルゲームというものをやったことがないので、さすがに一回はしてから書くべきだろうと思っていたら、やる機会がないままグリーがあんなことになってしまいました。これをどう読むべきかは、みなさんの判断におまかせします。



一日一チベットリンク国内外から中国ジャーナリズムを眺めて〜反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(上)(ふるまいよしこ) - 個人 - Yahoo!ニュース

2013-09-20

放射脳と御用学者はどちらも「論文」の価値を見直せ!

原発問題についての議論が混迷するのは、一般の人と学者コニュニティの相互不信が一因になっていると思う。「御用学者」という言葉を乱用する人たちと「放射脳」という言葉を乱用する人たちだ。

両者が完全に合意することはあり得ないと思うが、今のレベルのすれ違いが宿命的でどうしようもないことだとも思わない。見逃されている重要なポイントがあると思う。

そのポイントとは、「論文」というものの価値を再認識して、それを対話の糸口とすることだ。

放射脳は学者が100%政治的な発言しかしないと思っているし、学者は「論文」というものの社会的な意義について無自覚だ。

「論文」を理解できるのは学者だけだから、これは学者同士のコミュニケーションには使えるけど、啓蒙の役には立たないというのが普通の見方だろう。

しかし私は、「論文」とは「自分の弱さをさらけ出すフォーマット」だと思っていて、その点において、むしろ、「論文」を読まない人にこそ価値があるものだと思っている。

と言っても自分では論文なんてほとんど読んだことがないが、なぜそんなことを断言できるかと言えば、ソフトウエアの世界がアカデミズムの世界の知恵の一番大事なことを拝借したものがオープンソースという方法だと思っていて、そのポイントが「自分の弱さをさらけ出すフォーマット」だからだ。

ソフトウエアの「弱さをさらけ出す」とは二つの意味があって、一つは、第三者がセキュリティホールバックドアを調べられること、もう一つは、本家と同等の派生ソフトを誰もが(とは言えないとしても比較的少ない労力で)作れることだ。

たとえば、Google Chrome には、Iron という派生ブラウザがある。

Googleは信用できない会社でインターネットのさまざまな分野で大きな支配力を持っているが、何でも好き勝手にできるわけではない。度がすぎたプライバシー収集や自社サービスへの誘導をやれば、自然とこのIron ブラウザが有名になって、みんなこれを使い出す。

だから、Googleを信用できなくても Chrome (正確にはその元になっているChromiumブラウザ) は信頼できる。

グーグルが自社製品をオープンソースにするのはどういう意味かと言えば「俺を信用する必要はない。俺の製品を信用しろ」と言っているのだ。

学者も、「俺を信用する必要はない。俺の論文を信用しろ」と言った方がいいと思う。

グーグルが Chrome でやりたい放題ができないのと同じように、いかに政治的な発言をする学者でも、全く論文を意識せずに発言することは難しい。恣意的な学説を論文として発表することは難しい。

論文が、論文誌にのるには、「自分の弱さをさらけ出すフォーマット」で書かれている必要がある。つまり、再現実験をしてデータの正当性を確かめたり、推論の過程をチェックすることが、同業者には簡単にできるような書き方をしないと論文は論文として認められない。

アントニオ猪木は、相手の技を無理によけず、あえて受けて、それでも倒れないことで、自分の強さを観客と対戦相手に見せつける。それと似ている。

今の総合格闘技は、相手の技を殺す強さ同士の戦いだが、一般書籍の優劣はそれに近いと思う。一般書籍では、自分のテリトリに読者を引きこむことで評価が決まる。

論文の強弱は、猪木の強さのようなもので、自分独自のロジックの外で勝負を受けないといけない。

もちろん、オープンソースも論文も万能ではない。オープンソースのソフトウエアにもセキュリティホールはあるし、捏造されたデータによる論文が一時的に高く評価されることはある。

だが、「自分の弱さをさらけ出すフォーマット」によって、一定の信頼性を自動的に(ローコストで)担保するという方法論が、どちらの分野でも有効に働いていることは間違いないと思う。

少なくとも、ソフトウエアの分野では「オープンソース」という言葉を「自分の弱さをさらけ出すフォーマット」に従ってないソフトに使うと、怖い人にネチネチといじめられる。私なんかは、いつも、それにビクビクしながらブログを書いている。このことの社会的な意義は大きくて、ソースコードが読めない人でも「オープンソース」であるかどうかを確認することで、ソフトウエアの信頼性や将来性を簡単に評価できる。*1

だから、アカデミズムの人も、「論文」という「自分の弱さをさらけ出すフォーマット」が論文を読めない人も含めた社会全体に大きな意義を持っていることにもっと自覚的になった方がいいと思う。

  • どういう論文を「論文」として認めるか、広く合意された基準を作り、維持する
  • 何が論文として確認されている事実で、何がそれに基く推論であるかを分けて発言する
  • 論文の評価、解説についてセカンドオピニオンが簡単に得られるような仕組みが作れないだろうか?
  • 学者に対する根深い不信を前提として、学者でなく論文の信頼性を回復する努力
  • 論文にできるレベルの事実の認定に誤解がある場合は積極的に誤解を解くべきだが、そこから政策決定につなげるプロセスへの直接的関与は抑制的であるべきでは?(あるいは両者が区別できるような意見表明をすべき)

それで、学者に対する不信が過ぎて混乱してしまっている人に言いたいことは、こうだ。

私も、自分や回りの人を守るために、学者に騙されないことは大事だと思います。でもそのためには、学者というのがどういう生き物かよく勉強した方がいいと思います。学者は専門外のことでも、論文と違うことを言うと我慢できない人が多い。それで、一般の人が家族の健康の心配することを「放射脳」と言って馬鹿にしたりしますが、それは、政府や企業や官僚を守るためではなくて、「論文」と違うことを信じる人が許せないのです。そして、その攻撃性は、御用学者に対しても同じように向けられます。御用学者が一般に向けて嘘を言う時も、そういう在野の科学者、原子力村の外にいる同業者の目を意識しています。

こういう状況で、何が確実に安全か言うことは無理です。でも、「論文」というものを学者がどれくらい尊重しているかを知っておくと、わかる所、安心できる所が少しづつ増えてくると思います。それは簡単なことではないですが、「論文」を読めなくても、学者の生態を知ることはできます。御用学者を自分で攻撃するより、学者同士で戦わせる工夫することが有効で、「論文」をその道具として活用しましょう。



私は、アカデミズムの世界の実態については全く知らないので、オープンソースソフトウエアからの類推がどこまで有効なのか確信がないが、少なくとも、放射能の問題は「論文を読めない人にとっての査読論文システムの価値」が問われている場だと思う。



一日一チベットリンクエベレスト観光客がチベット国旗を掲げたらチベット人ガイドが無期懲役に、中国の厳格な取り締まり(tonbani) : 中国・新興国・海外ニュース&コラム | KINBRICKS NOW(キンブリックス・ナウ)

*1:現在のグーグルやアップルは、オープンソースである製品とそうでない製品を複雑に組合せて高度な戦略を取っているので、オープンソースであることを過信することは危険だが、それでも、内外のオープンソースソフトウエアによって、企業の戦略に大きな制約がありそれが大局的に消費者の利益になっていることは否定できないと思う

2013-09-08

安倍首相は「無主物」に真正面から向きあってほしい

間違った方向に発揮されていると思うが、安倍首相のプレゼン能力とリーダーシップはすごいものだと思う。ネイチャー誌の異例の社説をはね返したのだ。世界に通用するプレゼン能力を持つ政治家を日本が持てたことは、喜ばしいことだと思うが、同時に、よりもよってそっちに頑張るのかとも思う。

日本がかかえる問題が、財政難やデフレ不況であれば、強引なやり方でも人の心を上向かせることを優先することは正しい。政治や経済には慣性があって、いったん回り出せば、小さな問題は自然に解消されていく。政治家の仕事とはそういうものだろう。

しかし、原発問題は人の心や組織のむこうに、露出した使用済み核燃料という「モノ」の問題がある。スタジアムや道路やビルは「モノ」だが、その「モノ」の回りには人がいて、その人を動かせば「モノ」は動く。「無主物」はそうはいかない。

東電は時々、味わい深い独特の言葉の使い方をするが「無主物」という言葉はその一つだ。これは東電の無責任を象徴する言葉として流行語になったが、ある意味、原発問題の本質を突いている鋭い表現だと思う。

溶け落ちた核燃料や、拡散した放射性物質は「無主物」で、それに最後まで責任を持って処理する組織や担当者がいない。

東京電力福島第1原発の廃炉作業で、東電は4日、早ければ2020(平成32)年にも開始するとしている原子炉内の溶融燃料の取り出しについて、燃料を冠水させた状態で取り出す手法の実現が不透明なことから、冠水させずにそのまま取り出す手法について検討を始めたことを明らかにした。

冠水させず取り出し 第1原発溶融燃料で検討(福島民友ニュース)

このニュースは、「東電が正式に格納容器の修復をあきらめた」と読むべきだと思う。そうだとしたら遅いけど正しい判断だが、容器が直せないのに、水という遮蔽物なしで中の燃料を扱うというこの話は、実現性がかなり疑わしい。

除染もそうだが、リーダーが「無主物」に向きあわず人や組織にプレッシャーをかけると、意味がないことや不可能なことでも、とりあえず何かやってる雰囲気を作ろうとするのだろう。そうするしかない気持ちもよくわかる。技術者も組織に所属したら「空気」の中で仕事をしているのだが、自分の扱うモノが「空気」を読んでくれない時、本当にいたたまれない気持ちになるものだ。

「無主物」と組織の「空気」が対立した場合、「モノ」の論理に従う人は、問題を解決しようとする人でなく「とことん空気の読めない奴」と呼ばれる。できないことを「できない」と言わないと対策の立てようがないが、今のこの空気の中でそれが言えるだろうか。

リーダが「モノ」の立場に立って応援してくれないと動きようがない。

安倍首相が今回見せたリーダーシップをそういう方向で発揮してくれることを望む。

一日一チベットリンク消されゆくチベット2013年夏 [科学に佇む心と身体]