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2015-11-05

Degica に入社しました

11/2付けで 株式会社デジカに入社しました。

2013年秋から2年間、フリーランスのプログラマをやって、うち後半の1年間はデジカで契約社員として仕事していましたが、この度、社員としてデジカに join することになりました。ご挨拶を兼ねてちょっとこの会社の宣伝をしてみようと思います。

契約社員として外から見ていて、次のようなところで、私はデジカに魅力を感じました。

  • リモート勤務を積極的に進めている
  • 意思決定がシンプルでスピーディ
  • 地に足がついたアジャイル
  • 普通に毎日の仕事をしていることがそのまま勉強になる

リモート勤務を積極的に進めている

私は家庭の事情で10年以上前からリモート主体の勤務をしてきましたが、他の人が face to face で仕事をしている中で自分だけがリモートで仕事をするという形態に限界を感じてきました。

もちろん、リモートで仕事をして給料をもらえるというのは、それだけでも十分ありがたいことなのですが、自分が関わっている仕事そのものが face to face で動いていると、リモートでは仕事の流れが見えなかったり、担当できる仕事内容が限られてきてしまいます。

デジカでは、仕事そのものが github や slack などのツールの上で動いているので、リモートで仕事をしていてもそういうギャップを感じることがあまりありません。

他のメンバーも週一回はリモートで作業をしているし、語学研修制度を利用してスペインやカナダで仕事してる人がいたりします。

リモート勤務を認められれても、仕事がそれで回る基盤がなければ、結局、自分だけが「浮いた」存在になってしまい、チームの一員としての仕事はできません。一時はそれを考えて、ずっとフリーランスでやっていこうとも考えたのですが、こういう会社であれば、十分チームとしての仕事をしていけると思って、今回、join することにしました。

意思決定がシンプルでスピーディ

これは、デジカの特色というより、日本の会社と外資系の違いかもしれませんが、余計な神経を使わないで仕事が進められるので楽です。

デジカでは、誰が何を決めているか、何かを聞いたり頼んだりする時誰に言えばいいか、そういうことがわかりやすい。会議に関係ない人は来ないし、自分がなぜ呼ばれたのかわからない会議に呼ばれることもありません。最初は、逆にそれがちょっとカルチャーショックで戸惑いました。

別にすごいことではないし、当たり前のことなんですが、私の過去のキャリアではその当たり前があまりなくて、仕事を進める時に「関係ないけど口を出してくる人」って普通にいるもんだと私は思っていました。だから、自分が直接話をしている担当者に理解してもらうのは最初のステップで、大抵は、その人と一緒に別の人を説得する方法を考えたりそのための資料を作って、ようやく仕事が始まる、という感じです。

仕事の障害がないのではなくて、仕事の障害をクリアした時の徒労感がないという言い方がいいのかもしれません。誰かを説得する必要があるとしたら、必ず明解な理由があって何故その人なのかもよくわかる、だから、説得するための努力が無駄に感じられないし、仮にこちらの意向通りにならなくても納得できます。

感覚的にしか説明できませんが、「誰もいいとは思ってないけど、そうなって変えられないルールがあって、それを変えるコストよりそのルールを回避するためのコストの方が低くて、そのために神経や頭を使う」というようなことですね。そういうことがあるのが当然と思っていたけど、そうでない会社があって、そこでは大事なことだけに神経や頭や体力を投入できる、私にとってデジカはそういう会社に思えました。

地に足がついたアジャイル

デジカでは決済ゲートウェイサービスやecシステムをRailsベースで開発し、自社運用しています。普通にアジャイルです。

特別なプロセスやプラクティスがあるわけではないんですが、開発のスピードが速く、ついていくのはなかなか大変です。

契約社員として働いている間に、私は、Blue Green Deployment のシステムを構築したのですが ( これについては後日、デジカの技術ブログで紹介します)、これもすぐに活用して、さらに deploy のスピードが上がっているように感じます。

普通に毎日の仕事をしていることがそのまま勉強になる

あと、デジカでは開発のコミュニケーションは、Slackやgithubの上で、英語で行っています。

「普通にアジャイル」で「普通に英語」の会社で仕事をしていると、あまり無理しなくても、自分のエンジニアとしてのスキルが日々向上している感覚があります。

これも過去の経験ではあまりなかったことです。今までは、自分が身につけるべきスキルはわかっていても、それを仕事とリンクさせるのが大変だったのですが、今の環境では、目の前の仕事をこなしていくことが自然にスキルアップにつながっている感じがします。

まとめ:力を入れずにそのままでそこそこいい会社

まとめると、私にとってのデジカの魅力は「自然体で(そこそこ)いい会社であり(そこそこ)いい仕事の環境である」ということですね。

無理をしてない、全力疾走ではないということは重要で、振り返り改善していく余地はそこから生まれます。背伸びをしてたり誰か一人のスーパーマンが引っ張っている会社では、つまずいた時の反動が怖いですが、自然体であれば、おそらく少しづつですがさらに良くなっていくと思います。

興味を持たれた方は、下記のページをみてください。

2015-09-07

エンブレムデザインにおいて顧客側の代表者に求められること

これは素晴しいエントリで、特に、対象を絞って書いているのがいいと思います。おかげでロゴデザインが、素人には簡単に口を出せない複雑な作業であることは、よくわかりました。

それで、思ったのは、企業の依頼でこれをやる時、顧客側の担当者が大事だろうな、ということ。

ここで解説されているような、デザインのコンセプトやプロセスとかがわかってて、デザイナーサイドとそのレベルの話ができないとだめ。しかも、決まって類似意匠の調査が終わるまで絶対に外に出せないとしたら、少数精鋭じゃないとだめですね。

そして、それ以上に大事なことは、クライアントの意向や判断を代表できる人であるということですよね。それが担保されてなければ、せっかく苦労して決めたものが、社長のツルの一声でひっくりかえってやり直しになっちゃう。

としたら、一流デザイナー(とても個人ではできないので、チームか組織になると思いますが)だったら、仕事に入る前にクライアント企業のガバナンスがどうなってるか気にすると思うんです。これから打ち合わせして草案を見て、「これとこれがいい」とか「もっとこうしてくれ」という人が、本当にクライアントの意思を代弁している人なのかどうか、デザインのことと同様に、クライアント企業自身のことがよくわかっていて、ガバナンスで担保された形でその人に権限が移譲されているかどうか。そういうことがちゃんとしてなかったら、こういう大変な仕事は受けないと思います。

その人が「よしこれでいこう」と言ったそのデザインを顧客側に開示した時に、企業全体として愛着が持てるデザインにならなくてはいけない。そういう人と話をしなくちゃいけない。

喜んでいるのが担当者だけだったら、担当者が提示した要件を満足して法的問題をクリアしててもそのロゴマークは失敗ですよね。

だから、この問題は、オリンピックのオーナー(主催者)は誰だったんだろう?という問題をクローズアップしたんだと思います。

素人が後から結果に口を出すのは確かによくないと思いますが、それだけにむしろ、密室の段階でオーナーをレプレゼントする方々は、そのことを考えるべきだった。いや、それはちゃんと考えてよくわかっててこうなったのかな?

オリンピックとはあくまでIOCやJOCのビジネスであって、デザイナーサイド(審査委員会と佐野氏)としては、その意向はよく理解して、クライアントが満足できる成果物を作ったのかも。

いずれにせよ、やっぱりオーナーは高級国民だったんだろと応答した2ちゃんねるはやっり核心を突いていたと思います。

でも、あのバッシングは確かにやり過ぎで、むしろ無関心でいるべきなんでしょうね。

2015-09-06

今こそ読もう!「中空構造日本の深層」

これって、天皇=部長、将軍=次長と考えると、サラリーマンならピンと来る話じゃないでしょうか。

つまり、部長がおかざりで、NO2の次長とか部長代理が実権を持って仕切ってる部って、意外と仕事がしやすいということです。もちろん条件はいくつかあって、

  • 部長は大幅に次長に権限移譲している
  • 次長は叩きあげで、現場の細かいことまでよく知っている
  • 部長の「出自」がいい (親会社や銀行からの出向組とか)

これだと、部長と次長が仲良くなくて違うこと言ってても、下の者は迷うことが少ないんです。

部長が、朝礼で何かトンチンカンな方針を言うと、すぐに次長が「あの人は現場のことがわからないから、適当に合わせておいて、今まで通りやればいいんだよ」とかフォローしてくれる。

逆に、部下が失敗して次長から厳しく叱責された時には、部長がフォローしてくれる、みたいな感じで、相互に役割を補完しあっている。

要するに、実務を仕切るリーダーの上に、何もしない人が形だけ立っているっていう形が、日本人にとって受け入れやすいんです。逆に言うと、強いリーダーシップを持った人は、いくら優秀でも一番上に立つと感情的な反発を持たれやすい。ひとつクッションがあった方がリーダーシップを発揮しやすい。

中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

河合隼雄さんはこの本の中で、古事記の中に、このパターンが繰り返しあらわれていると言って、それを「中空構造」と呼びました。

私なりに言うと、「社会のOSとしての神話」という話ですね。OSは起動時にしか自分の存在をアピールするメッセージを出しませんが、マシンが動いている間中、常に裏で稼動しています。同じように、神話は建国というはるかな過去の話のようで、現代の社会の背後で動いていて、アプリケーションプログラムのような今動いている目に見えるシステムの制約となっているということです。

安倍首相が戦後70年の談話の内容を決める時に、天皇陛下の「お言葉」を強く意識されたという話が伝わっています。この真偽はフォローしていませんが、この話を、ほとんどの人が「あり得る話」と受けとったことが重要だと思います。

天皇陛下が、誰かに政治的な意向を述べられたという話は、オフレコの話としても一切出てきませんが、同時に陛下はリベラルなお考えをお持ちで安倍政権の右傾化に懸念を持たれているのではないかという話は、よく聞きます。

河合さんは「中空」が単なるからっぽではなくて、中心への侵入を許さないという意味の存在感を持ちつつも、何も形や意図やエピソードを持たない存在、としていますが、今上陛下は、日本の歴史の中でも特にピュアな形での「中空の象徴」として、日本という国の中心に存在しておられると思います。

もうひとり、「中空の象徴」としての役割を見事にこなしている(いた)人は、2ちゃんねるのひろゆきだと私は思います。ひろゆきも具体的なことは何もしない人ですが、多くの2ちゃんねらが2ちゃんねるの中心にひろゆきがいることを意識していました。

「おまえら、ひろゆきの前で、そんなマジレスして恥ずかしいと思わないの」

ひろゆきの存在が、2ちゃんねるに最低限の(本当に最低限ですが)抑制となっていたような気がします。ここで言いたいことは言いたいように言うけど、本当はここで言っていることは表に出しちゃいけないことであるというような暗黙の合意が共有されていたように感じます。

それで、河合さんは、こういう日本独特のリーダーシップのあり方と対比して、欧米の社会は、「英雄神話」を基盤としていると言います。

私は、エアフォースワンのハリソン・フォードとかスタートレックのカーク船長のことかなと理解しました。つまり、リーダーは自分でどんどん決断して前に出て行く人がいいということですね。そういうタイプのリーダがなじみやすいし、そういう人に率いられている国には神の庇護があるという感覚です。

「英雄神話」には、「剣でモンスターを切断する」という重要なモチーフがあります。この「切断する」という働きが、科学技術を発展させてきた。科学は真と偽をまっぷたつにすることで、英雄神話になじみやすいんですね。

法治とかアカウンタビリティとか市場とか、そういうルールとプロセスを明確にするという近代国家のベースは、全部この「英雄神話」というOSの上にのっかっているということです。

だから、これを別のOSで動かすには、エミュレータ層が必要になって、このエミュレータはアプリケーションレベルに見えているので「意識高い系」とか揶揄されたりしてしまいます。エミュレータの上で動いているアプリと、OSに直接乗ってるアプリの間では、通信がうまくできないのが、明治以来の日本の宿痾です。

ここまででもお腹いっぱいですが、さらにこの一つ上のメタレベルに河合さんの最も重要なメッセージがあります。それは、「神話を言語化せよ」ということです。

これは、社会契約説のことを考えると、よくわかるような気がします。

これって、神話レベルから実務や学問のレベルに連続的に話がつながっているんですね。

河合さんとか井沢元彦さんとか阿部謹也さんの本て、どちかと言えば学説や論文でなく「面白エッセイ」として読まれていると思います。本の内容でなく読者への受容のされかたが「面白エッセイ」だと思います。

でも、ロックやホッブスだって、出た時は、同じように「面白エッセイ」だと思うんです。「自然状態」とか「一般意思」なんて、典型的な「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」です。河合、井沢、阿部あたりとそんなレベルは違わない。

違うのは、後に続く人たちが、ロックやホッブスに厚みを与えていったことですね。歴史的な検証をして、哲学的にも深めて、その後の時代に合わせてフォローしていった。それによって、「社会契約説」というWikipedia の項目は個人名とは別の項目になっています。脱属人化して実務レベルとのインターフェースが整備されてる。

その結果できた「社会契約説」には普遍性があるので、2ちゃんねるでも自民の憲法草案のスレッドとか見てると、これを解説してる人がたまにいたりします。相対性理論が誰にでも勉強できるよう社会契約説も本読めば誰でもわかるんです、今は。日本人は、河合、井沢、阿部あたりから、同じレベルまで持ってかないといけないと思うんです。

実は、河合隼雄が死んだ時は、私はすごく腹が立ちました。「今こんな大事な時に、河合隼雄が死ぬなんて、そんな無責任なことが許されると思うのか」と思ったんですね。

それで、この文を書き出しに追悼エントリーを書きはじめたんです。「しめしめ、ここからあちこち寄り道しながら強い尊敬の念を表現する所にもってけば、面白いエントリーが書けるぞ」と思ったんですね。

ところが、いくら考えても単純な罵倒の言葉しか出てこなかったので「ああ、自分はどうもこいつが死んだことに本気で腹を立てているらしい」と気がついて、追悼エントリーはあきらめました。

この「中空構造」をもう少しちゃんと書いてほしいと切実に思っていたのですが、まあ、今考えると、あの人がいくら書いても「面白エッセイ」にしかならないので、その望み自体がちょっと的はずれだったような気がしますが。

私は利権ってどこにでもあるし一般的にはそんなに大きな問題ではないと思っています。でも日本の利権は、暴走して自滅してしまうんですね。ネット私刑なんかより、状況判断ができない利権のほうがよっぽど怖いですよ。

利権が状況判断できなくなる時は、「中空構造」が壊れている時で、そういう時こそこれを言語化する必要がある。修復するにせよ、破棄して別のOSに乗りかえるにせよ必要。英雄神話的コンプライアンスに実質を持たせるためには、これを相対化することが必要で、その足場として、「中空構造」を「面白エッセイ」以上のものにした上で、英雄神話と対比することが必要です。

2015-09-04

No Music No Life あるいは定額生き放題サービスとしてのベーシックインカム

音楽が好きで好きで、音楽が無いと生きていけないような人にとっては、定額制サブスクリプションサービスはとてもありがたいものだと思います。月に何枚も、場合によっては何十枚もCDを買っていたのが、月980円ですむわけですから。

でも、そういう人がこれで浮いたお金を何に使うのか想像してみると、やはり、同じくらいのお金をライブに使うのではないでしょうか。

そういう人にとっては、定額制サービスは「おお、これで月980円ですむぞ!」というものではなく、「おお、これで今まで行きたくても行けなかったあのライブとあのライブにも余裕で行けるぞ!」ということでしょう。

もし、音楽市場の主流がそういう人だったら、その人の支出は変わらないので、音楽産業全体の総収入も変わりません。音楽産業が消えるわけではなくて、今までのCD製造販売からライブイベント屋さんに形態が変わるだけ。

あるいは、その人は、NetflixかHuluにも加入して、今まで映画に回していたお金もライブに使うかもしれません。ライブにたくさん行くようになって、ライブの面白さを感じることで、他の趣味のお金を定額制で節約して、その分をライブに使うとしたら、音楽産業の収入は増えます。

いろんな「定額制○○放題」サービスが生まれていますが、これらが充実していくと、今まで我慢してたプレミアムなものに趣味のお金を使おうという人が増えてくるでしょう。

残念ながら、ほとんどのコンテンツは、そういう濃い人よりは、広く薄く売るビジネスモデルになっているので、壊滅的な打撃を受ける所の方が多いでしょう。でも、プレミアム系の「濃い」製品やサービスをやってた所にとっては、チャンスなのではないか。

ベーシックインカムに対して、「そんなことをしたら誰も働く人がいなくなって、誰も税金を収めなくなって破綻する」という批判がありますが、「定額制生き放題」と考えればわかりやすいと思います。

ライブのイベント屋さんが儲かって、その利益の中で、定額制聞き放題を運用できれば、ギリギリ持続可能なシステムになるわけです。

定額制聞き放題なんて、ライセンスのことを考えなければ、ほぼクラウドのサーバ代だけで運用できますので、今後、相当長期的に経費は安くなり続けます。今の時点でギリギリ成立するものなら、長期的にはむしろ利益が出る。なんであれ「定額」って事務処理が簡単、あるいは不要で、スケーラブルなので、楽なんです。

ただ、これは、「おお、これで今まで行きたくても行けなかったあのライブとあのライブにも余裕で行けるぞ!」が実現した未来から逆算で試算しないと成立しない計算です。今の時点では、彼はCDを買わざるを得ないので、ライブに行く金はない。ライブの売上はまだ低いままです。

「定額制生き放題」サービスに強制加入させられたとしても、多くの人は、自分にとってのプレミアムなものを求め、そのために働き続けると私は思います。それによって成長する産業があるので、そこから税金を取って原資とすることはできます。

ただ、その「プレミアム」っていうのは、なかなか想像するのが難しい。貧乏な音楽ファンの彼に「どのライブに行きたい?」って聞いても、彼は、CDを買うことだけを考えているので、ライブのことをよく知らないんです。定額制によってCDを買う必要がなくなってからはじめて、「どのライブに行こうかな」と考え、情報を集めはじめる。あるいは、いくつかのライブに試しに行ってみて「ライブってこんなに凄いのか!」と気づく。それまでは彼にとってプレミアムなサービスは存在しないも同然で、従ってその市場も存在していません。

で、私は、最近、ベーシックインカムは、国民の合意を経て政策として実施されるのではなく、こういう「定額制○○放題」が各方面に広まることで、なし崩し的に、しかし強制的に、移行していくものではないか、という気がしています。

つまり、クラウドやディープラーニングによって人件費が削減されることで、多くの産業が「定額制○○放題」+「プレミアム」という形態への変革を余儀なくされる。その結果、「プレミアム」型の企業が主体となって、半公共的な「定額制○○放題」が増える。最後に、個別の産業ごとの「定額制○○放題」を整理するかたちで、ベーシックインカムに行き着く、というようなストーリーです。

つまり、ベーシックインカムは「みんなに月何万円支給」という形態ではなくて、「月980円で生き放題」という有償のサービスになるのではないかということです。ただ、その月980円は自分で稼げ!ということ。

一日一チベットリンク白雪姫と七人の小坊主達 テンジン・デレク・リンポチェ遷化

2015-09-03

炎上 = 暴徒 + 集団知

「一般国民」という言葉は、エンブレム取り下げ会見の数時間後には、自然発生的にtwitter のトレンドワードになってました。問題点を「上級国民 VS. 一般国民」という形で集約させたのは、素晴しい集団知だと思います。

「今は、どんなジャンルでもRemix主体の表現活動が広まっていて、佐野氏がそういう手法を積極的に用いること自体には問題はないと思う。ただ、それは旧来の著作権管理のシステムとは緊張関係にあることは意識すべきで、商業デザインであれば、素材の権利処理には細心の注意を払うのが当然である。それができてないデザイナーを選んでしまった選考プロセスには大きな問題があり、撤回にあたって、ここに反省や具体的な改善点を示せなかった組織委員会の会見には疑問が残る。透明性やアカウンタビリティを向上させようという姿勢が全く見られない。問題となった写真が内部資料であるという弁解があって確かに社内向け資料の段階では許容される範囲であるかもしれないがが、これは、応募者である佐野氏にとって、審査委員会が最初から内輪であるという認識が、組織委員会にも共有されていたことを示しているのではないか。そのサークル内の決定が外から覆されたことの無念さが『一般国民には理解されなかった』という言い方にあらわれている」

と私は思いますが、こんなふうにゴチャゴチャ言うより「オリンピックは上級国民が上級国民のためにやるもので、一般国民はおとなしく養分になっていればいい」みたいな言い方の方がわかりやすいですね。

今後、「上級国民」というキーワードに注目して2ちゃんねるを見ていれば、今の日本の国家システムの行きづまりや、うっせきしたルサンチマンがよく見えてくるのではないでしょうか。

炎上には、暴徒という側面と集団知という側面があって、どちらにも目をつぶるべきではないと思います。

デザイナーの方は、暴徒が、文脈を考慮しない一方的なコピペ批判に押し寄せて仕事に支障をきたすことを懸念されているようですが、そういう時こそ「クリエイティブ・コモンズ」の活用をはかるべきだと思います。「俺は、クリエイティブ・コモンズの素材しか使ってない」と言えば暴徒が来ても安心してRemixできます。

たとえば、低解像度の写真はCCで、高解像度の写真は有償ライセンスみたいなやり方が一般的になれば、「自由な表現」と「厳密な権利処理」の両立も可能になるわけで、むしろ業界が主導してそういう体制を作るべきではないでしょうか。

CCは、オープンソースソフトウエアのライセンスをヒントにして生まれたのだと思いますが、ソフトウエアの世界でも、OSのような限られた専門家が作るべき高度なソフトの分野に素人集団が暴走して押しよせてきた時に、「市場が破壊されて大変なことになる」と心配した人がたくさんいました。

でも、暴徒の群れの中から、ライセンスが整備され、githubのような広く共有される基盤が育ったことで、Remix的プログラミングは進化し、個人の独創性を抑制するのではなくむしろ促進するようになっていて、共有されるべきものと商用でクローズドで開発されるもの双方の利益になっていると思います。

ただ、こうなるまでには、数限りない衝突、葛藤、論争があって、まきぞえでつぶれた会社も大小たくさんあります。「暴徒に荒らされる」という懸念が間違っていたとも言えません。

炎上という現象は、見る人によって全く違うものに見えてしまうもので、暴徒しか見えない人もいれば、集団知しか見えない人もいます。でも「専門家集団 VS. 一般国民」という対立が起きた時には、一般国民の側に集団知を見てその流れにのってWin-Winな解を構築していく専門家が数多くいるものです。


一日一チベットリンクチベットNOW@ルンタ:<速報>新たにアムド、サンチュで女性が焼身・死亡 内地143人目