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2015-04-03

ドロドロなIT

ちょっと前まで、グーグル対アップルの戦いはオープン対クローズの戦いだった。それが、最近は、Androidのオープン性が怪しくなる一方、アップルは ResearchKit なるものを出したりして、そんなに単純には割り切れなくなってきた。

ネットやモバイルデバイスが我々の生活に浸透するにつれて、両者の戦略はともに複雑化していく。当然のことで、世の中との接点が広がる以上、もし世の中とのつながりを保とうと思うなら、複雑化するしかない。

それに対して、政治は、特に日本の政治は最近なんだか単純化しているような気がする。政治というか政治を巡る言説というか。

多国籍企業が世界政府になるというのは、強権や陰謀的なやり方によってそうなるのでなくて、だんだんと自然に政府が自滅的に権威を失墜していくということなのだと思う。

政治とはドロドロしたものでとよく言われるけど、それは汚職のことではなくて複雑な意思決定のプロセスのことなのではないだろうか。

ネットの巨大企業が何を巡って競争しているかというと、それは「決断の総量」の大きい方が勝つという競争で、たとえば「ResarchKitをオープンソースにする」という意思決定の前後には、ものすごい量の意思決定がある。

誰か一人の命令でみんなが一丸となって動くなら、何千人の人が関わっていようとも「決断の総量」は少ない。そういう企業は生き残っていけない。たくさんの人が自主的に動いていても、それぞれの決断がぶつかって打ち消したりするリスクがない所での意思決定だったら、それはぶつからないような枠組みを事前に決めた人だけが本当の決断をしたということで、やはり「決断の総量」は多くない。

昔の自民党は一党独裁と呼ばれたが、党の内外でぶつかりあう意見を政策に反映させていく意思決定が何レベルもあって、そこにはいろいろな要素が反映された複雑なプロセスがあった。

今、それと似たようなことをやっているのが、アップルとグーグルだと思う。つまり感覚器から脳まで有機的につながっていて、自身の複雑さの中に外界の複雑さを反映させて環境に適応している。小さな個別の事象の認識と大きな意思決定の間に連続性がある。だから、より多くの人が政治に参加しているという実感を持つことができたのだ。

iPhone を買うか Android を買うか選ぶことは、個人的な利害調整であると同時に、何か大きなプロセスに自分も参加しているという実感があるのではないだろうか。だから、iOSのシェアが上がったり下がったりした時に、自分のことのように喜んだり怒ったりする人がたくさんいる。

今と昔で違うのは、「コードを書く」という形の意思決定をしている人がたくさんいることだ。日本のIT企業がパッとしないのはコードを書く人は本当の意思決定をないことになっているからだ。コードを書くというのは設計作業で、リスクのある決断をする人がたくさんいないと全体として意味のあるシステムができない。しかも、コードというのは社員が書いたクローズなソースても組織の外部にあって、絶対に書いたとおりにしか動かない。コンピュータを使うということは、巨大で硬質な外部性を組織の内部に抱えこむということで、これに励むことによって、組織の筋肉が鍛えられるのだと思う。

プログラマが意思決定をしない人だと思っていると、そのプロセスはなかなか見えてこないが、その外部性とうまく共存できる会社は自然と外界の複雑性に対する適応力を持つことができる。ネットではその優劣を高度なレベルで競いあっていて、今頂点に立っているのがアップルやグーグルやフェースブックやアマゾンだが、次を狙う会社も無数にある。

これらが全体としてやっていることは、これから限りなく政治と呼ばれているものに近づいていくだろう。


一日一チベットリンクダライラマをめぐる中国の被害妄想と米国のジレンマ  WEDGE Infinity(ウェッジ)

この人も「複雑な意思決定」を体現したような人ですね。

2015-02-22

シンギュラリティとはジョンとポールが同じ町に生まれる必要がなくなること

どうしてあの二人が同じ時代に同じ町に生まれるという奇跡が起きたのか、という問いは間違った問い掛けで、実は潜在的に二人が出会えば途方もないことをしでかすペアは他にもいっぱいいたと考えるべきだろう。つまり、20世紀には相方と出会うことがないまま普通の人のまま一生を終えたジョンとポールがたくさんいたのだ。

私はAIには一貫して懐疑的なのだが、それでもビッグデータとAIの組合せはブレークスルーを産むということには同意する。量が質に転換する瞬間というものはあって、量が今爆発しているからだ。ただ、それでとんでもないものが出来たら、それを遊びに使えばいいと思う。というかきっとそうなる。

想像を絶するような賢い人工知能を遊びに使えば、想像を絶するような面白いことができるだろう。

それと、ビッグデータ+AIが効果的に働く領域としては、人と人のマッチングがあると思う。

たとえば、バンドメンバー募集する時に、楽器の腕前が同じくらいで好きなジャンルが似てる人を探す、みたいな就活サイトみたいな探し方ではなくて、「こいつとこいつが出会ったら世界がひっくりかえってしまうようなビートルズみたいな組み合せを見つけてみろ」と、その人工知能に命令してみたい。

ジョンとポールが同じ町に生まれなくてもビートルズを結成できるようになったら、人間の可能性が飛躍的に広がり、人類全体の創造性のリミッターがはずれる。我々が今知ってる過去の偉人というのは、実はみんな途方もない運の強さでその奇跡を呼び寄せることができた例外的な人で、そこでスクリーニングされて偉人になりそこねた人たちが、ある日を境にみんな偉人としての可能性を開花させるのだ。

出会うべき相方に、メンターに、恋人に、ファンやスポンサーに、出会うべき時に出会えるようになる。そのための計算を人類全体にしてもまだ計算パワーが余ってしまう日。偉人の発生率が爆発的に高くなる日。それが本当のシンギュラリティだと思う。これには、学習による正のフィードバックループがかかるので、シンギュラリティの日に生まれる偉人は過去の人類の歴史を通した偉人の人数と同じで、その次の日からは、毎日それ以上の人数の偉人を見つけ続けるのだ。

それで、偉人の雇用創出効果もはかり知れないものがあるので、中長期的には仕事がなくなる心配もしなくていいと思う。短期的にはすごいアンバランスが起こっていろいろ大変かもしれないけれど。

(余談)

ジョンとポールが同じリバプールに生まれたとみたいなことを指す言葉として、accidental locality という言葉はどうでしょうか? 使用例: 「SEKAI NO OWARI は accidental locality に依存して結成された最後のバンドである」

2015-02-15

きのこ帝国、他

最近知ったけど、きのこ帝国っていいですね。

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これだけでは何なので、ついでに最近よく聞いてる曲をいくつか紹介します。(ジャンルも新旧もめちゃくちゃ)



”A Man Needs A Maid” by Dala



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”Misiya” by Etienne Mbappe



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2014-11-24

10000人対1人のウォーリーを探せ

「小学4年生」でないことを証明していくツイッターの集合知が凄い - さまざまなめりっと という記事を読んでいて、自分が昔書いた記事を思い出した。

ネットの中で何かをするということは,ある意味で負けることが決まっている勝負に挑むようなものです。(中略) それは,1万人対1人で「ウォーリーを探せ」をやるようなものです。 ある主張の中の論理の穴や,あるメッセージの中に含まれた誤解の可能性がウォーリーだとしましょう。書く側,発信する側は一人きりでその穴を探して埋めていくわけですが,読む側,受け取る側は何千人,何万人といて,そのうち誰かは先にウォーリーを見つけてしまうわけです。

SoulHack #7 心の中になるべく大きな地図を持とう:エンジニアのためのSoulHacks | エンジニアマインド … 技術評論社

ネットが万能だとは思わないが、問題の形によっては、すごい力を発揮する。上の記事に引用されたツィートを見ていると、フォントとか妖怪ウォッチとか、世の中には自分には思いもよらないことに着目する人がいるものだと感心してしまう。

指摘している人にとっては、日常的、常識的な疑問だと思うが、そのジャンルになじみがない人にとっては、「えっ、そんなことを気にするの?」とびっくりしてしまうことだ。

そのサイトそのものは見てないが、おそらく誰が見ても「これが小4?」と思うようなものだったのだろう。だから、このサイトに投げかけられた疑問は引用されたもの以外にもたくさんあって、そのうちのわずかなものがたまたま正解にたどりついたということだろう。

10000人と「ウォーリーを探せ」で対決したら、10000人のうち9990人はウォーリーがいない所を探してしまうのかもしれないが、10人くらいはすぐにウォーリーを見つけてしまう。

ここから得るべき教訓は「偽装サイトを立ちあげる時は使うレンタルサーバもちろんフォントにも注意しましょう」ではなくて、ネットで注目を集める時には、こういう構造が必然的に生まれることを意識すべきだ、ということだ。

それと、もうひとつ印象に残ったことは、このサイトを立ちあげた彼は、炎上や偽装ということを軽く見ているということだ。

私にとっては、こういう形で身分を騙って政治的主張をするのはとても悪いことで、それがバレて非難されるというのは、とんでもなくマズいことだと思うが、謝罪文を読んでいると、彼は、どちらもたいしたことないと思っているような気がする

たぶん、これについては彼が正しいのだと思う。これは非常に注目を集めた話題だったが、たぶん、一週間もすれば何か話題を集めるようなニュースが起きて忘れさられてしまう。「炎上が一大事だ」という私の感覚は、コンテンツの消費がもっと遅かった昔に形成されたもので、今の状況とはミスマッチだ。

一方で、子供をダシに使うというセンスは非常に古くさいもののように感じるが、そういう古い感覚と新しい感覚が入り交じっているのが彼の才能なのだと思う。そういう才能を持つ人が政治を志すということは良いことだと思う。「良い」というのは、もちろん単純な意味ではないが、皮肉だけでもない。彼が今後も政治的活動をしていけば、おそらく2chまとめサイト向きの強烈なネタを継続的に提供できると思うからだ。

経済においてバブルを完全に無くそうとすると不況になってしまうように、軽い言説がクルクル回っていることを否定しては、政治そのものが停滞してしまうのではないだろうか。

一億人から「何でやねん!」と総ツッコミ受けるような役割を担う人、どうしても担ってしまうような人が必要で、彼のようなちょっと理解しがたい感性の人が1000人くらいいたら、そういう新しいリーダーシップの形が見えてくるような気がする

あと関係ないけど、これも自分で読みかえしてみて面白かった→「インテグラル・スピリチャリティ」書評 - アンカテ

一日一チベットリンクチベットNOW@ルンタ:中学生が「平等と民主」を求めデモ

2014-05-24

世界を変えているのはコンピュータでなくて数学じゃないだろうか?

角と王だけで「成り」が無い将棋を考えてみる。

角一枚で追い回しても王様はつかまらないので、おそらくこれは勝負がつかない。これが必ず引き分けになることをコンピュータで計算できるだろうか?

相手の王が隅にいたら、自分の王で逃げ道を全部塞いでおいて、角の王手で詰める配置はあるので、このゲームでも相手がボンクラだったら詰みはある。だから、どういう配置でも「詰み」から逃れる手順があることをしらみ潰しで計算しなくてはならない。駒が四枚でも配置の方法はいろいろあるので、かなりの計算量になるかもしれない。

しかし、実は、これが勝負がつかないことを証明するもっと簡単な方法がある。

角は(馬に成れないことを前提としたら)、盤面の中で行ける位置と行けない位置がある。チェス盤のように盤面を白と黒で塗り分ければ、それがすぐにわかる。黒の位置にいる角は常に黒しか行けず、白の位置にいる角は白しか行けない。だから、初期配置で相手の角が白にいたら、自分の王様は黒しか行かないと決めればいい。そうすると、角で王が取られることはないので、角は無視できる。この将棋は王様二枚だけのゲームになる。自分の王は黒しか行かないと決めても、相手の王から逃げ回る手は常に存在する。だから、このゲームは決着がつかない。

つまり、盤面を白黒で塗りわけることで、このゲームの計算はずっと単純になる。あるいは、計算しなくても証明できるものになる。実際の将棋はもっとややこしいが、実は、このような計算を単純にする概念が隠れていて、誰かの発見を待っているのかもしれない。

よく、将棋の完全解析には、途方もない計算量が必要で、一秒で一億手を計算しても宇宙の年齢より長い時間が必要だ、とか言われる。100倍とか10000倍くらい計算が速くなったくらいでは、ぜんぜんどうしようもない量の計算が必要なことは確かだ。

しかし、それは、全ての駒の配置を全部違うものと考えて計算することが前提になっている。角一枚の将棋で、盤面を白黒に塗る前の状態だ。盤面を白黒に塗ると、駒の位置を9×9=81通りでなく、白黒二とおりで考えることができる。

おおざっぱに言って、この「白と黒で塗りわける」というような補助線を引いて計算する場合分けを少なくするのが数学の力だ。

9×9=81の場合分けとその関連を正確にコンピュータの中に再現するのがプログラミングの力だ。発注者が81通りと言えば81通り、発注者は白黒と言えばふた通りの場合分けを言われた通りに再現する。

数学でできることとプログラミングでできることを区別することが重要だと思う。同じ81通りでも、プログラミングの仕方によって計算の速度は随分違ってくる。けど、それだけでは確かに将棋の完全解析は宇宙が終わっても終わらない。数学にはもっと根本的に問題を変えてしまう力がある。

しかし、プログラミングはいつその力を発揮するか予想ができる。数学の力によって、誰かが将棋の計算を単純化する方法を思いつくのがいつになるかは予想がつかない。

これから、コンピュータによって世界が変わっていくと予想されているが、正確に言えば、人間がプログラミングの力と数学の力を組み合わせてコンピュータを使って世界を変えていく、のだ。

この流れには、納期は(ある程度)守るけどたいしたことができない奴と、はならか納期なんて概念がなくていつ本気を出すかわからなくて、むしろ「明日から本気出す」と言ってるだけに見えるけどごく稀にどでかいことをしでかす奴がいて、その両方が必要だ。数学が珍しく仕事をすると、プログラマみんなしてそれに飛びつきそれをしゃぶり尽くす。

検索エンジンと将棋ソフトに見る計算馬力とのつきあい方というエントリに書いた例だと、ページランクという数学はしゃぶり尽された所で、ボナンザメソッドはまさに今その最中なのだと思う。

世界をある方法で白黒に塗りわけると、突然計算が簡単になって、宇宙の終わりまで計算できない問題が、たかだか100万台のサーバのクラウドでなんとかなる問題になる。それを誰かが発注してプログラマが納品すると世界が変わって、われわれはその結果を見て驚くのだが、プログラマやその発注者だけが世界を変えたわけではない。気紛れな数学もそこにからんでいる。気紛れではあるけど、私の観測範囲の中にも10年ちょっと二件の顕著な例があるので、これからも世界全体としては、数学が仕事をしていくと思う。

「コンピュータが(ネットが)世界を変える」という言い方には違和感があるのだが、ひとつは主語が機械なのはおかしいということと、数学とプログラミングという、本来正反対なものを一緒にしていることが乱暴すぎる言い方のように感じる。どっちも大事だし乱暴に言っていいなら世界を変えているのは数学で、コンピュータは数学はできない。

「数学」と言うと狭すぎるかもしれないが、とにかく本質的に結果が予想できない所に大事なものがあることに、もっと注目すべきだと思うのです。

一日一チベットリンク弾圧・暴力…「負の連鎖」 ウルムチ爆発事件  :日本経済新聞