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2015-09-04

No Music No Life あるいは定額生き放題サービスとしてのベーシックインカム

音楽が好きで好きで、音楽が無いと生きていけないような人にとっては、定額制サブスクリプションサービスはとてもありがたいものだと思います。月に何枚も、場合によっては何十枚もCDを買っていたのが、月980円ですむわけですから。

でも、そういう人がこれで浮いたお金を何に使うのか想像してみると、やはり、同じくらいのお金をライブに使うのではないでしょうか。

そういう人にとっては、定額制サービスは「おお、これで月980円ですむぞ!」というものではなく、「おお、これで今まで行きたくても行けなかったあのライブとあのライブにも余裕で行けるぞ!」ということでしょう。

もし、音楽市場の主流がそういう人だったら、その人の支出は変わらないので、音楽産業全体の総収入も変わりません。音楽産業が消えるわけではなくて、今までのCD製造販売からライブイベント屋さんに形態が変わるだけ。

あるいは、その人は、NetflixかHuluにも加入して、今まで映画に回していたお金もライブに使うかもしれません。ライブにたくさん行くようになって、ライブの面白さを感じることで、他の趣味のお金を定額制で節約して、その分をライブに使うとしたら、音楽産業の収入は増えます。

いろんな「定額制○○放題」サービスが生まれていますが、これらが充実していくと、今まで我慢してたプレミアムなものに趣味のお金を使おうという人が増えてくるでしょう。

残念ながら、ほとんどのコンテンツは、そういう濃い人よりは、広く薄く売るビジネスモデルになっているので、壊滅的な打撃を受ける所の方が多いでしょう。でも、プレミアム系の「濃い」製品やサービスをやってた所にとっては、チャンスなのではないか。

ベーシックインカムに対して、「そんなことをしたら誰も働く人がいなくなって、誰も税金を収めなくなって破綻する」という批判がありますが、「定額制生き放題」と考えればわかりやすいと思います。

ライブのイベント屋さんが儲かって、その利益の中で、定額制聞き放題を運用できれば、ギリギリ持続可能なシステムになるわけです。

定額制聞き放題なんて、ライセンスのことを考えなければ、ほぼクラウドのサーバ代だけで運用できますので、今後、相当長期的に経費は安くなり続けます。今の時点でギリギリ成立するものなら、長期的にはむしろ利益が出る。なんであれ「定額」って事務処理が簡単、あるいは不要で、スケーラブルなので、楽なんです。

ただ、これは、「おお、これで今まで行きたくても行けなかったあのライブとあのライブにも余裕で行けるぞ!」が実現した未来から逆算で試算しないと成立しない計算です。今の時点では、彼はCDを買わざるを得ないので、ライブに行く金はない。ライブの売上はまだ低いままです。

「定額制生き放題」サービスに強制加入させられたとしても、多くの人は、自分にとってのプレミアムなものを求め、そのために働き続けると私は思います。それによって成長する産業があるので、そこから税金を取って原資とすることはできます。

ただ、その「プレミアム」っていうのは、なかなか想像するのが難しい。貧乏な音楽ファンの彼に「どのライブに行きたい?」って聞いても、彼は、CDを買うことだけを考えているので、ライブのことをよく知らないんです。定額制によってCDを買う必要がなくなってからはじめて、「どのライブに行こうかな」と考え、情報を集めはじめる。あるいは、いくつかのライブに試しに行ってみて「ライブってこんなに凄いのか!」と気づく。それまでは彼にとってプレミアムなサービスは存在しないも同然で、従ってその市場も存在していません。

で、私は、最近、ベーシックインカムは、国民の合意を経て政策として実施されるのではなく、こういう「定額制○○放題」が各方面に広まることで、なし崩し的に、しかし強制的に、移行していくものではないか、という気がしています。

つまり、クラウドやディープラーニングによって人件費が削減されることで、多くの産業が「定額制○○放題」+「プレミアム」という形態への変革を余儀なくされる。その結果、「プレミアム」型の企業が主体となって、半公共的な「定額制○○放題」が増える。最後に、個別の産業ごとの「定額制○○放題」を整理するかたちで、ベーシックインカムに行き着く、というようなストーリーです。

つまり、ベーシックインカムは「みんなに月何万円支給」という形態ではなくて、「月980円で生き放題」という有償のサービスになるのではないかということです。ただ、その月980円は自分で稼げ!ということ。

一日一チベットリンク白雪姫と七人の小坊主達 テンジン・デレク・リンポチェ遷化

2015-09-03

炎上 = 暴徒 + 集団知

「一般国民」という言葉は、エンブレム取り下げ会見の数時間後には、自然発生的にtwitter のトレンドワードになってました。問題点を「上級国民 VS. 一般国民」という形で集約させたのは、素晴しい集団知だと思います。

「今は、どんなジャンルでもRemix主体の表現活動が広まっていて、佐野氏がそういう手法を積極的に用いること自体には問題はないと思う。ただ、それは旧来の著作権管理のシステムとは緊張関係にあることは意識すべきで、商業デザインであれば、素材の権利処理には細心の注意を払うのが当然である。それができてないデザイナーを選んでしまった選考プロセスには大きな問題があり、撤回にあたって、ここに反省や具体的な改善点を示せなかった組織委員会の会見には疑問が残る。透明性やアカウンタビリティを向上させようという姿勢が全く見られない。問題となった写真が内部資料であるという弁解があって確かに社内向け資料の段階では許容される範囲であるかもしれないがが、これは、応募者である佐野氏にとって、審査委員会が最初から内輪であるという認識が、組織委員会にも共有されていたことを示しているのではないか。そのサークル内の決定が外から覆されたことの無念さが『一般国民には理解されなかった』という言い方にあらわれている」

と私は思いますが、こんなふうにゴチャゴチャ言うより「オリンピックは上級国民が上級国民のためにやるもので、一般国民はおとなしく養分になっていればいい」みたいな言い方の方がわかりやすいですね。

今後、「上級国民」というキーワードに注目して2ちゃんねるを見ていれば、今の日本の国家システムの行きづまりや、うっせきしたルサンチマンがよく見えてくるのではないでしょうか。

炎上には、暴徒という側面と集団知という側面があって、どちらにも目をつぶるべきではないと思います。

デザイナーの方は、暴徒が、文脈を考慮しない一方的なコピペ批判に押し寄せて仕事に支障をきたすことを懸念されているようですが、そういう時こそ「クリエイティブ・コモンズ」の活用をはかるべきだと思います。「俺は、クリエイティブ・コモンズの素材しか使ってない」と言えば暴徒が来ても安心してRemixできます。

たとえば、低解像度の写真はCCで、高解像度の写真は有償ライセンスみたいなやり方が一般的になれば、「自由な表現」と「厳密な権利処理」の両立も可能になるわけで、むしろ業界が主導してそういう体制を作るべきではないでしょうか。

CCは、オープンソースソフトウエアのライセンスをヒントにして生まれたのだと思いますが、ソフトウエアの世界でも、OSのような限られた専門家が作るべき高度なソフトの分野に素人集団が暴走して押しよせてきた時に、「市場が破壊されて大変なことになる」と心配した人がたくさんいました。

でも、暴徒の群れの中から、ライセンスが整備され、githubのような広く共有される基盤が育ったことで、Remix的プログラミングは進化し、個人の独創性を抑制するのではなくむしろ促進するようになっていて、共有されるべきものと商用でクローズドで開発されるもの双方の利益になっていると思います。

ただ、こうなるまでには、数限りない衝突、葛藤、論争があって、まきぞえでつぶれた会社も大小たくさんあります。「暴徒に荒らされる」という懸念が間違っていたとも言えません。

炎上という現象は、見る人によって全く違うものに見えてしまうもので、暴徒しか見えない人もいれば、集団知しか見えない人もいます。でも「専門家集団 VS. 一般国民」という対立が起きた時には、一般国民の側に集団知を見てその流れにのってWin-Winな解を構築していく専門家が数多くいるものです。


一日一チベットリンクチベットNOW@ルンタ:<速報>新たにアムド、サンチュで女性が焼身・死亡 内地143人目

2015-08-29

文教族が専門知を評価しないで利権を失うの巻

オリンピックのエンブレム問題も競技場問題も、関係者が何か喋るたびに炎上している。どちらも根本は文教族の利権だろうが、不思議なことは、利権の中の人たちが危機管理の専門家を呼ばないことだ。

危機管理の専門家と知財の権利処理の専門家と、あとできれば、ネットの炎上に詳しい人、3人専門家を呼んで対策チームを作って、収拾のストーリーをまとめて、関係者に注意点をレクチャーしておけば、こんなことにはならないだろう。

協賛してみかじめ料を払わされている一流企業はたくさんいて、その多くは、そういうジャンルの専門家を抱えているだろう。予算はたくさんあってコネもあるのだから、作る気があれば簡単にエキスパートチームを作れるはずだ。

なぜそうしないのか、ここからは完全な想像なのだが、利権の人は専門家や彼らが持つ知の体系を軽視しているか嫌いなのか、その両方なのではないかと思う。なぜなら、体系化された知は人と人のつながりの上に立とうとするからだ。そこに彼らの生き方と対立するものを感じて、本能的な反感を持ってしまうのではないだろうか。

利権という生き方もひとつの哲学であり世界観である。人というものはしょせん損得や力関係で動くものだ、ということを信じている。おそらく彼らの観測範囲の中では、それは絶対的な真理なのだろう。しかし、なんの分野であれ、エキスパートという人は、その真理より、彼らの専門分野において、多くの人によって体系化された知の方が上に立つと信じている。そこに相性の悪さがあるのではないだろうか。

そして、実は利権に生きる人は、純粋な損得や力関係で生きているのではなくて、「人がそれのみで生きるものだ」という真理を信仰しているのである。だから、損得を度外視してその真理に殉じてしまうのだ。

知を軽視する人たちが「文教」族と呼ばれるのも皮肉なことだけど、彼らが自分たちの利権について真剣に考えるなら、自分たちの哲学は一度棚上げにして、専門家に頼った方がいいと思う。


一日一チベットリンクダライ・ラマ「私は今もマルクス主義者」

2015-07-05

Apple Music を 200kbps 回線で試してみた

Apple Music をいろいろ試してみたので、感想をちょっと書いてみます。

良かったことの第一は、MVNO ( OCN モバイル ONE ) でも聞けたこと。Turbo OFF にして2、3日いろいろなシチュエーションで聞いてみましたが、一応、聞くことができました。外出前に「オフラインで再生可能にする」をしてキャッシュしておけば、回線と関係なく聞けますが、キャッシュなしでも聞けるということは外出中に急に「あれが聞きたい」と思った時にすぐに聞ける。これは画期的。

「一応」というのは、スムーズに聞ける時は30分でも一時間でも聞けるのですが、たまに調子が悪いとブツブツ切れてまともに聞けなくなります。この状態になったら、早送りを押さないとほぼ復旧しません。早送りを何回か押せばたいてい元に戻りますが、ダメな時はダメですね。

確証はないですが、モバイル回線の状況とも関係ないように見えます。

おそらく、iPhone アプリの中に回線の状態に合わせて、低いビットレートのストリームを選択する機能があって、これがうまく働かないでたまに高品質の音源を選択してしまっているのだと思います。曲の途中で切り替える機能はなくて、早送りをするとその選択が再度働いて直るようです。200kbps で安定して鳴っている時は、低ビットレートを選択しているのでしょう。

もうひとつは、"For You" というレコメンデーションの機能。これは使っているうちにだんだん精度が上がってきて、ちょっと気になってるけどまだ聞いてないみたいなアーチストが出てくるようになってきます。

それと「おすすめ」するものがアルバムだけでなく人が作ったプレイリストになってることもいい。

プレイリストの中にはよく知っている曲と知らない曲が混ざっていて、適度な驚きがあります。それをすぐその場で聞けるわけで、これが数時間?おきに更新されるので、とうぶん楽しめそう。今は、アップルが用意したものが中心ですが、ここにユーザの作ったアクの強いリストとかが出てくるようになったら相当楽しいと思います。

ただ、おかしいこともたくさんあって、一番ひどかったのが、プレイリストに大量の曲を追加していったら、途中でおかしくなったこと。

自分の好きなアーチストを検索して、アルバム単位でどんどん追加していった所、1000曲を超えたくらいから、iPhoneが熱くなってきました。「なんか変だな」と思いながら続けて、翌朝、これをシャッフル再生してみると、なぜか同じ曲が何度もかかる。おかしいなと思って、MacのiTunesで選曲を見直していたら、同じ曲が30回くらい登録されている曲が数曲ありました。これを削除して、iPhoneで見直してみると、iTunesで見るのと曲の数が違う。

そこから、iPhoneとMacが同期しなくなり、名前が同じ別のリストになってしまいました。iPhoneの方は、160曲くらいに減っていて、後から追加した曲しか入っていません。

一晩待ってから、サインアウトしたり再起動したりいろいろやりましたが、どうしてもリストが不一致の状態は変わりません。しかたないので、Mac上で別の新しく作ったリストにコピーしました。

これは、今の所同期していますが、やはり曲数は減っています。追加したはずなのに入ってない曲がある。一度は入ったものが、iTunes上で重複した曲を削除した後に消えたような気がします。1500曲以上になっていたはずなのに、800曲くらいに減っていて、その間に重複した曲を数十曲消していますが500曲も消してないのは確かです。

私は、こういうバグのあるソフトをだましだまし使うのは得意だと自分で思っていましたが、ここまで再現パターンやトリガーが想像できない変なバグは初めてです。おてあげです。

iTunes Match もひどかったけど、Apple Music の iCloud プレイリストには、それ以上のひどいバグがあるように見えますね。

今も、これを書きながら、その問題のプレイリストを再生していたら、何度もアプリがフリーズして、iPhoneを再起動しました。

まあ、普通に検索して、見つかった曲やアルバムをそのまま聞いていれば、使えます。私は、ジャンルがバラバラの音楽を大量に一つのリストに登録してシャッフルして聞くのが好きという変態な使い方をするので、そういう通常と違うユースケースで使う人は、ひどい目にあうのだと思います。

ちょっとその落差が激しくて、このサービスそのものは、おすすめしていいものか迷います。ただ、ストリーミングという体験は、やはり音楽の楽しみを大幅に拡大することは間違いないですね。気軽に聞いているものをシェアできるというのはいいと思います。

私も、ひとつ、プレイリストを作ってみました。

Weather Reportの曲から、ちょっと軽めでギターやボーカルをフィーチャーした曲を集めたものです。最初見た時、Weather Report は全部あると思いましたが、このリストを作っている時に、なぜか、8:30だけ抜けていることに気がつきました。曲のある無しも、アーチストごとに千差万別で簡単に「こういう状況です」と言いにくい。

2015-04-03

ドロドロなIT

ちょっと前まで、グーグル対アップルの戦いはオープン対クローズの戦いだった。それが、最近は、Androidのオープン性が怪しくなる一方、アップルは ResearchKit なるものを出したりして、そんなに単純には割り切れなくなってきた。

ネットやモバイルデバイスが我々の生活に浸透するにつれて、両者の戦略はともに複雑化していく。当然のことで、世の中との接点が広がる以上、もし世の中とのつながりを保とうと思うなら、複雑化するしかない。

それに対して、政治は、特に日本の政治は最近なんだか単純化しているような気がする。政治というか政治を巡る言説というか。

多国籍企業が世界政府になるというのは、強権や陰謀的なやり方によってそうなるのでなくて、だんだんと自然に政府が自滅的に権威を失墜していくということなのだと思う。

政治とはドロドロしたものでとよく言われるけど、それは汚職のことではなくて複雑な意思決定のプロセスのことなのではないだろうか。

ネットの巨大企業が何を巡って競争しているかというと、それは「決断の総量」の大きい方が勝つという競争で、たとえば「ResarchKitをオープンソースにする」という意思決定の前後には、ものすごい量の意思決定がある。

誰か一人の命令でみんなが一丸となって動くなら、何千人の人が関わっていようとも「決断の総量」は少ない。そういう企業は生き残っていけない。たくさんの人が自主的に動いていても、それぞれの決断がぶつかって打ち消したりするリスクがない所での意思決定だったら、それはぶつからないような枠組みを事前に決めた人だけが本当の決断をしたということで、やはり「決断の総量」は多くない。

昔の自民党は一党独裁と呼ばれたが、党の内外でぶつかりあう意見を政策に反映させていく意思決定が何レベルもあって、そこにはいろいろな要素が反映された複雑なプロセスがあった。

今、それと似たようなことをやっているのが、アップルとグーグルだと思う。つまり感覚器から脳まで有機的につながっていて、自身の複雑さの中に外界の複雑さを反映させて環境に適応している。小さな個別の事象の認識と大きな意思決定の間に連続性がある。だから、より多くの人が政治に参加しているという実感を持つことができたのだ。

iPhone を買うか Android を買うか選ぶことは、個人的な利害調整であると同時に、何か大きなプロセスに自分も参加しているという実感があるのではないだろうか。だから、iOSのシェアが上がったり下がったりした時に、自分のことのように喜んだり怒ったりする人がたくさんいる。

今と昔で違うのは、「コードを書く」という形の意思決定をしている人がたくさんいることだ。日本のIT企業がパッとしないのはコードを書く人は本当の意思決定をないことになっているからだ。コードを書くというのは設計作業で、リスクのある決断をする人がたくさんいないと全体として意味のあるシステムができない。しかも、コードというのは社員が書いたクローズなソースても組織の外部にあって、絶対に書いたとおりにしか動かない。コンピュータを使うということは、巨大で硬質な外部性を組織の内部に抱えこむということで、これに励むことによって、組織の筋肉が鍛えられるのだと思う。

プログラマが意思決定をしない人だと思っていると、そのプロセスはなかなか見えてこないが、その外部性とうまく共存できる会社は自然と外界の複雑性に対する適応力を持つことができる。ネットではその優劣を高度なレベルで競いあっていて、今頂点に立っているのがアップルやグーグルやフェースブックやアマゾンだが、次を狙う会社も無数にある。

これらが全体としてやっていることは、これから限りなく政治と呼ばれているものに近づいていくだろう。


一日一チベットリンクダライラマをめぐる中国の被害妄想と米国のジレンマ  WEDGE Infinity(ウェッジ)

この人も「複雑な意思決定」を体現したような人ですね。