アドセンスは21世紀のフルブライト留学制度だ

平和への道─フルブライト奨学金が目指したものとは

「この留学生計画は、米国と世界中の若者が互いの国の実情をよく知り合うことによって、意見の相違、対立は話し合いでこそ解決すべきで、武力で制圧すべきではない、という共通認識が広がることを期待してつくったものだ。だれしも自分の友人に銃を撃つことはできないはずだし、そんなことが起きてはならないからだ」

ウェブ進化論」P75から

月に10万円稼ぐにはテーマ性の高い人気サイトを作らなければならないからたいへんだが、月数万円規模ならば少々の努力で、月数千円規模ならかなりの確率でたどりつく。家に引きこもって、ウェブサイトを通じてネット世界とつながっているだけど、リアル世界で通用する小遣い銭が自然に入ってくる仕組みである。
「なんだ、ケチな話をしているなぁ。それだけじゃ喰えないだろ」
などと言うなかれ。それはフルタイムの安定した仕事に従事する「持てる者」の発想だ。グーグル経済圏に最も敏感に反応するのは「持たざるもの」である。学生時代に月二万円、三万円の家庭教師の仕事がどれほど意味あるものだったかを思い出そう。
そして、実際に今、英語圏においては、グーグルの「アドセンス」で生計た立つ人が増えている。グーグルが形成する経済圏の規模が大きくなるにつれて、小遣い銭程度から生計が立つレベルまで個々人の収入規模が上がっていく可能性を秘めている。

数十年後、発展途上国のエリート層の多くが、「アドセンス」(的なもの)によって身を立て、勉強し、人脈を築き、自国をリードするようになるだろう。彼らの背景としては、彼らの後を継ぐ「アドセンス留学生」の厚い層がある。そして、彼らは、自国をリードするようになった後、集団知から多くのリソースを動員するだろう。

たとえば、通信網のインフラの整備、伝染病の蔓延の対策、栄養事情の改善など、政治と経済と技術がからみあった事項の対策において、動員できる無料のリソースが先進国にはたくさんある。それを、特定の国の特定の状況、制限事項に向けて最適化する為に、集団知が使われる。Webで生計を立ててきた長い経験からその善と悪の両面を知るそのエリートたちは、やすやすと、そこから最適な政策を引き出し、急速に自国を発展させるだろう。

もちろん、そこには旧来の勢力との多くの葛藤がある。しかしネットには、その葛藤に対する対策、事例も多く存在している。たとえば明らかな他殺を自殺とみなして捜査しようとしない腐敗した警察にどう対応するかなんてことも。

そして、そうなった時、彼らは、ネット列強に対する感謝と尊敬の念をごく自然なかたちで持ち、そしてその経済圏の意味を体で理解している。そして、多くの具体的課題の解決を通して、その気持ちは、その国の人たち全体に伝わるだろう。

そのようなたくさんの国からの支持を受けることが、21世紀の大国にとっては必須の条件である。

「技術の根幹を米国に握られていていいのか」っていう危機感は正しいけど、「うちも検索エンジン作れ」なんて、おバカなIT企業の社長みたいなこと言ってないで、せめて「グーグル経済圏」を狙ってくださいよ。

発展途上国の人が、日本語のコンテンツを作ることを支援し、そこからほんの小遣い銭程度のお金が渡せるような仕組みを作れば、ここで私が出現を予想したエリート層は、日本語でネット経済圏に参入し、彼らの尊敬と感謝の念は、2ちゃんねるはてなに向かい、集団知のリソースとしてもそこを第一に考えるようになるだろう。現地の人が日本語で「人力検索はてな」に自国の政策課題について聞いてきたりしたら素敵だと思うし、かなりの難題も実際に解決するだろうし、日本にもはっきりした実利がたくさんあって国益にもかなう。

もちろん、そういう人を日本語のネット圏に勧誘するってのは難題ではあるけど、これは金で解決できる難題だろう。ODAをちょっとだけここに向ければ、いくらでも、このような次世代のエリート層をWinWinの関係で我が国に引きつけることが可能だと思うし、それが国のやるべきことだと思う。

「産業構造」の中の人、必死だなw

ここに引用されている圏外からのひとこと 避難所 - トランザクションがないのに金になるシステムという記事を書いた時、私がこの続きとして書きたいと思っていたことを、ピッタリそのまま書かれてしまった。つまり、

これはWeb2.0というより、1.0の人たちも含めてネット企業全般に言えることだ。ライブドア騒ぎのおかげで、「ネット企業」と言えば「アブク銭」「ヒルズ成金」みたいな扱われ方をされるようになってしまった。なぜそんなに手のひらを返すように変わるかといえば、味方が少ないからに違いない。なぜ味方が少ないかというと、一言で言えば、雇用への波及効果が低いからだ。

私もまさにこのブログのこのエントリーのこの部分を引用して、「技術の話の背後には産業構造の問題が隠れている」という趣旨のエントリーを書こうと思っていた。そのポイントが、しっかりわかりやすく書かれていて、付け加えることは何もない。

それで、しょうがないから、

最後に、essa さんはサイトの似顔絵とむちゃくちゃ似てた。

という所に噛み付こうかとも思ったけど(笑)、それはやめにして、さらに無理に続きを考えてみたら思うところが出てきたので、アドセンスは21世紀のフルブライト留学制度だという記事を書いてみた。

つまり、ネット企業は、確かに、既存の産業構造の中ではファミリーを作れずに浮いてしまうのだけど、別の種類の人を救いあげ、そこに新しい経済圏を作る可能性がある。

スーパーハカーになることは、K1でグランプリを取るくらい困難で稀有なことだと思うが、特別の才能に恵まれた人が、10年くらい人一倍努力したらそうなれる可能性は充分ある。英語も算数も資本主義の仕組みもネットの存在も何も知らない10才の少年が、10年間努力したら、スーパーハカーになったり天才起業家になるかもしれない。

「別の種類の人たち」とは、私がこのエントリーで「ネットのスーパーサモア人」と呼んだ人たちかもしれないが、引きこもり、ニート、フリーターのような、月10万円で充分満足できるたくさんの「持たざる人」たち、「産業構造」に参加しない人たちかもしれない。その人たちが「参加しない」のか「参加できない」のか、これはどちらに決めつけても多くの問題が派生する難しい問題だが、あえて「参加しない」という要素が皆無とは思えない。

これは、「金」が「物」に対応しているという認識の延長だと思われる。しかし、金を金たらしめているのは、実は心ではないか?

「金が物と交換できる」ということを担保しているのは、物理ではなく心理である。この心理は一朝一夕に出来上がったものではなく、長い時間かけて出来上がり、最近になってやっと「常識化」した集団心理である。

既存メディアやSIerが持っている「産業構造」という基盤の根っこには、この「金が物と交換できる」という心理がある。それは心理であって、物理ではない。心理だから、入れかえることが可能なのだ。

「入れかえることが可能である」ということは「入れかわるだろう」とか「入れかえるべきだ」ということを必ずしも意味するわけではないけど、まず、別の選択肢を提示することには意味があると思う。

別の選択肢を提示した結果どうなるかは、むしろ、ネットメディアに関わる人の方が悲観的で、既存メディアに関わる人は、何の制約もなく二つの選択肢が提示されたら、絶対に人々は新しいものを選択すると確信しているように見える。そういう確信があるから、病的に怯え、必死でアラ探しをして叩くのだろう。そうでないなら、もっとどーんと鷹揚に構えているんじゃないのかな。

「産業」というコトバは、鉄腕アトムの頃には、もっとずっとワクワクする言葉だった。その記憶を必死で隠蔽しながらもかすかに覚えている人たちは、だから後ろめたい思いをかかえながら、ワクワクすることをしている人たちをうらやんでいるのかもしれない。

Tivo対電通

タイムシフト&CMカット視聴を売り物にしたテレビ録画サービスのTivoの日本参入が、電通にとって致命的な事態になる。これから、電通はそれを必死で阻止するだろうという話。

大前研一氏は自身が経営するテレビ番組「大前研一ライブ」「大前研一ニュースの視点」のなかで、「日本にだけ、なんでティーボが来ていないのかといえば、答えは電通。コマーシャルをスキップされたら、電通の存続そのものがダメになる。だから、死に物狂いで阻止する。米政府をバックにして電通を追い込んでいかないと」と発言。

しかも、皮肉なことにCMカットの技術は、日本の家電メーカーが提供しているそうだ。

電通というのは、単なる一企業ではなくて、これを壊すといろいろ見てはならないものが飛び出してくるから、政治家も既存メディアも必死になって守ろうとするだろう。日本を壊してでも電通を守りたい人がたくさんいるということは、覚えておいたほうがいいだろう。

Moleskin Diary - NHKはどこに行く?

短かいけど、重要な記事。

NHKに限らず、現在団塊世代をつかまえている企業は、ひたすらこの世代を逃がさないように余計なことをしないのが、最も合理的な戦略になる。ジリ貧で発展性はないけど、へたに年齢層のレンジを広げようとして団塊世代が離れてしまったら致命的。

人口比で見てもそうだけど、購買力で見たら、ここに巨大な恐竜の頭があって、それより下はロングテールでしかないんでしょうね。

(追記)

書いてから気がついたけど、「最も合理的」っていうのはちょっと微妙かも。その方法は経営者にとって合理的なんだけど、その経営者が率いている組織にとっては、団塊の寿命が組織の寿命っていうのはちっとも嬉しくない。ここまでハッキリ見えているリスクに何の対策もしないっていうのは合理的じゃないですね。

「組織にとって非合理的な戦略が経営者にとって合理的である」っていうのを、「コーポレートガバナンスがなってない」というんでしょうね。

こういうタイプの勝ち逃げを狙う層が、平気で「品格」なんて言葉を使うんだよな、何の根拠もなくただの思いこみなんだけど。

梅田望夫に「わはははは」と言わせた男

梅田望夫さんが「ははははは」と言っている(タイトルの「わはははは」は客寄せのための嘘だけど「ははははは」でもビックリというか、もうひと押しで「わはははは」と言いそう)。

長年の梅田ウォッチャーとしては、格調高いこのブログの中に、こんな下品なストレートな表現があるとビックリする。ある意味画期的なことで、天変地異の前ぶれではないかと思う。これを言わせたid:wanparkさん、あんたはエライ!

変なところで、はてなって、id:jkondoさんとid:naoyaさんだけの会社ではないのだなあと実感する(←別に自分がそう思ってたわけじゃないけどね)。