産経社説 郵政論争 何が問題かが見えてきた

 民主党には、岡田氏が「これこそが改革の本丸」と力を込める国家公務員改革もある。柱である「国家公務員人件費の二割削減」には官公庁系労組の抵抗が予想される。郵政改革同様、公約の実現性を担保するには労組との関係見直しが必要になる。
 郵政をめぐる論争は、首相の政治手法に対する賛否から改革の具体的な内容に移った。郵政改革に、政治家と支持団体が深くかかわる日本政治の構造そのものを変える力があることも分かってきた。これら論戦で見えてきた問題を有権者として真剣に考え、投票に臨みたい。

 ま、そういう話にするとわかりやすいとはいえるだろう。
 経済の問題としてテクニカルに見ると、なかなかわかりづらい。

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 左近さん、ぱちぱち。

そういえば殿下様はどうされたかな…

 ⇒殿下さま沸騰の日々『てめーらなめんなよっ!』
 消えてというのは悪いが消えて二ヶ月になる。一度離れると復帰は難しいだろうか。
 ちょっと考えが飛ばしな人で、そして、この人の根の部分が見えないというか共感できないので、エントリも表層的なものが多かったように思うが、そうではないなにか芯のある人で、そのあたりはなにか惜しい気がする。
 mumurさんとかは別の意味で芯と信念があるのだろうし、なんとなく根の部分が見えるような気もする。
 よくメディアとかでブログ論とかあるが、実際にブログらしいブログというのは殿下様やmumurさんのようなものかもしれないなと思う。

夢を生きているな感じ…

 夢といってもアメリカンドリームとかの夢じゃなくて、夢遊病の夢にちかいか。
 人の少ない地下鉄をこつこつと歩いていると、なんか現実感がないなというか。
 40年前のことがふっと昨日のように思い出されるが、私には40年後というのはないだろう。10年後すらあやしい。私は無から生じて、無に帰って行く。なんでここにいるのかというのは、その現実感すらが夢にように思える。
 そういえば、先日珍しくパーティに出た。旧知もいたがさして話もしなかった。なんか話すこともないなと思った。だったら欠席しろよでもあるが、ま、顔くらいは出しておこう。会費がやや高め、ま、元を取る気はない。酒も飲まない。それでも、しょこしょこ食べて1時間。もういいかと抜けて出る。
 ああいうのを繰り返していた時代もあったなと思う。なにしていたのだろうと振り返って思う。

郵政民営化関連の話を読む…

 なんか結局以前より詳しくなったので、人の話にはアラが見える。
 だが、かく言う「お前は、精神論だけじゃねーの」と言われて特に返す言葉もない。なんか、イヤなものを知ってしまったので言いたくはない。
 bewaadさんが、私の誤解かもだが、この件について、精力的に、ありげな誤解を解くべく活躍されているようにも思う。それはそれできちんとした活動というものだろう。
 ま、それはそれ。
 たしかに、リフレが成功し、デフレが解消されれば、そうなるだろうし、ま、理論的にはそういうこと、つまり、郵政民営化財政再建の文脈に置けば、すべて無意味だ。
 私は、ちょっと偽悪的に言えば、財政再建なんて関心ない。というか、そんなものが理論的に可能だとすれば、リフレ政策くらいしかなかろうとは思う。で、それがどう具体的な日本の未来にあるのか? というか、わからん。理論上の話は完結するだろうし、いずれそうなるしか道もないだろう。
 これも偽悪的に言えば、マクロ経済自体がそれっぽいが、国家経済の話組というのは、およそ民間セクターなんかどうでもいいものだ(民間消費とか含まれてないとかいう話ではないよ。ただ消費は総括されるだろうけど)。とか言うから災いのもとか。
 郵政民営化の文脈で言えば、イコールフッティングというのは重要でしょというのはあるが、ま、それもたいしたことではないといえばたいしたことではない。
 自分に矛盾があるなと思うのは、多少国家がつらくても日本人が市民として成熟する可能性にかけるべきだという思いと、そうは言ってももう遅すぎた今は国が大変だという思いが、均衡する。
 ウクライナ問題でも、市民の自立という点では今回の選択がよかったのだろう。だが、私はあまり喜べない。ま、このあたり、自分の思想みたいなのがぶれるところだ。

ぶくまが興隆してから…話がパッケージ化するなと思う

 パッケージ化された話がぶくましやすい。
 もともとエントリなんてパッケージじゃんとか言われると、よくわからん。そう書けば、そうだろうが。
 とか言いながら、私はこちらにはあまりパッケージ化したことは書いてないか。よくわからん。
 ふと思うのだが、パッケージ化した話というのは、あまり個人ということではないな。知識がユニット化されているということだ。

カトリーナだが…

 人災でもあろうが、天災は天災でもあろう。
 アメリカを見ていると、内部に第三世界を抱えた国のようにも見えるし、日本人にしてみると、あのすさまじい強奪というかアモラールな状況はなんなのだろうとも思う。
 神戸震災のとき、各国が驚いたのは、日本政府の無能さと非人道的態度、それと大衆の整然たる姿だった。暴動は起きなかった。あんな芸当ができる国民はたぶん日本人しかいない。
 ただ、それがそれだけでいいのかよくわからない気もする。
 そういえば、関東大震災の時には、アモラールな状況もあった、としか言えない。それがどういうものだったのか、実はよくわからない。

そういえば被差別民…

 がいたものだ。
 先日、母と話して、昔はよくいたものだが、と。
 ただ、これは地域差もあるのだろうが、被差別民というのはもちろん差別されているのだが、そのありかたは現代からはちょっとよくわからないものがあるようにも思う。
 大金持ちもいたようではある。
 ま、繰り返すが、地域差もあるのでよくわからないが、なんとなく消えてしまった地域も多いだろう。それが歴史を失ったことになるというものでもあるまい。
 藤村の「破戒」も…ちょっと違うのかもしれないが、これらは歴史に消えてしまったようにも思う。