富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-07-28

七月廿八日(金)諸事に忙殺され晩に至る。明日より暫くの外出に合わせ軸のネジに少し不具合ありの万年筆をモンブラン直営店に修理依頼。晩に香港公園内のLなるレストランにて宴会あり末席を汚す。帰宅。
▼アレクサンドル=ソクーロフ監督の映画『太陽』8月に東京で公開決定。イッセー尾形演じる昭和天皇。ソークロフ監督より「太陽」の制作相談受け賛成したという一水会元代表鈴木邦男氏の「天皇密教的側面が愛情をもって描かれているし、天皇制の打倒、擁護という立場に縛られていない。昭和天皇の歴史について外国人の評価を受けるべきではないか」という言葉に意義は集中されていよう。
▼27日の朝日で加藤紘一君が自民党総裁選について安倍某の日中関係の「政経分離」案について「政権分離は国交がない時に使われた言葉で、国交が樹立されれば、どんな国とでも政経は不可分」と指摘。御意。また「安倍さんが指摘する「再チャレンジ」の哲学は、小泉首相の市場原理政策を追認する政策」と指摘。
A級戦犯とされ処刑された唯一の文人広田弘毅元首相の孫が広田家は靖国合祀に合意しておらず、と発言(27日朝日)。靖国神社側は「広田弘毅命に限らず当神社では御祭神合祀の際には戦前戦後を通じてご遺族に対して御連絡は致しますが事前の合意はいただいておりません」と説明。一瞬、何と傲慢な靖国神社、と思うが、同じ日の朝日の論壇時評でも紹介されているが福田和也君の指摘する通り(文藝春秋八月号)靖国神社の思想は昭和10年に神社側の言う「靖国神社に祀られた祭神を、肉親として、身近な存在と受け取ってもらっては困る」ものであり「彼等は、合祀された以上は、崇高かつ神聖な神なのであり、旧来の情愛を離れた崇敬の念をもって、拝んでもらいたい」という言葉が実に興味深い。(以下、橋本治的に言えば)神になるということ。神になるのに、いちいち地べたにいる人に「おたくのご主人は神様になります」とは言えない、という思想。そんなことをすると神化なんて実は、お宅は遺族年金がもらえますよ、みたいな俗的なレベルであることを靖国神社が公言しまうようなもの。だいたい厚生省から届いた名簿をもとに神様を作る、ってことぢたいが、とてもお役所仕事の事務屋さんぽくって、そんなことも本当なら宮司とかが文藝春秋なんかで説明したくない。だけど靖国がどれだけ国家の崇高な部分か、ということを説明するのに、つい厚生省から名簿が、なんてあまりに俗的なことまで口にしてしまって。いずれにせよ、そーいう理由で、神様にする、ってことは俗的なことを言うな、の世界なのだろう。すごく薄っぺらい気がするけど、そうしないと神様になれない、正確には「神様をつくれない」から、そういうシキタリになっている。
▼昨日だったかの蘋果日報で陶傑氏がChris Patten氏の英語表現をば絶賛。例えば24日のFCCでの夕食講演会にて97年まで香港統治の英国植民地政府をば The previous colonial power と表現する。Previous が「前の」を意味する場合、当然「今の」the present colonial power があり、この表現は暗喩として「現在も香港は新たな北京中央という権力の統治下に置かれている植民地状態であることに変わらない」を意味する、と。また英国政治に目を転じればサッチャー首相辞職(resignation)をば、党内での the removal of Margaret Thatcher と言い、まるで「肝臓摘出」のようなニュアンスの removal を用いることで客観、中性を装い、実は本音でのサッチャー政権打倒(overthrow)より更に冷徹さを現わし、サッチャーの後任となったメージャー首相は保守党党首として総選挙での保守党勝利に貢献しつつ自らの選挙区では落選したパッテンをば香港の最後の総督に選定したパッテンにとっての盟友なのだが、回顧録の中ではメージャーを nice と形容が続き、英語での nice は「まあまあ」で悪くないが秀でるほどの良さもないぎりぎり肯定の表現、この形容詞一つでパッテンのメージャー君の評価が明確、と。なるほどねぇ。

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