富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Clare Hollingworth刀自ご逝去

fookpaktsuen2017-01-11

農暦十二月十四日。昏刻に深圳の羅湖入り。向西村。深圳では早くから普通の市街として開け小ぢんまりとした飲食店や按摩など多し。中上健次が好きさうな路地の東北餃子屋。店の者のネットでの電話の会話が春節ハルビンで云々と。南湖路まで歩き識る飲み屋へ。独飲でiPhone見てゐてふと思ひ出したのが滴滴出行のこと。日本など比べものにならぬネット化進む中国で滴滴は4年前に北京で始まつたタクシー呼び出しサービスだが今では全国で180万台!のタクシーや白タクなど網羅するシステム。これがすでにキャッシュレスとなつてをりデポの入金は独自ではなく単なるSNSからサービス全般のシステムに発展した微信(WeChat)でとなるが中国国内の銀行口座とIDがないと使へない。銀行口座があるが外資のStandard CahrteredだしIDがない。タクシーくらゐなら滴滴がなくとも路上で拾へば良いとタカをくくつてゐたが青島で痛感したのはとにかく「流し」のタクシーが少ない(それだけ滴滴になつてゐる)上にタクシー運転手が余り現金持つてをらず釣り銭が不足。微信に入金するには誰かに入金してもらふのが手っ取り早い。そこで聡明なこの飲み屋の若い女将に相談すると「いいわよ!」と即諾。微信の「紅包」といふシステムでさっと200元を入れてくれる。だがそれがアタシの須磨帆の微信アプリに反映されず他の店子も交へ「何で?」とあれこれ操作するがよくわからず、やつとのことで「地域変更」見つけ香港設定になつてゐたものを中国にすると200元入金済み。一件落着。だが何とアタシの現金が150元しかない。お恥ずかしいかぎりで飲み代と一緒に200元をカード払ひ。この店の女子は皆さん聡明で話も面白いが晩10時半で〆る。これから羅湖に出て香港に入境し……で自宅まで2時間近くかゝる。
▼上述の中国のネット化にかゝはる話だがNHKスペシャル「巨龍中国14億人の消費革命」について。中国で急激に広まるネット通販。経済成長しても小売業は今更拡充せず、そこを補ふのがこれ。小売店に行つたところで満足な品揃へなく専門店など頼れず、なら最初から通販で3、4年前でも広東省の都市部でも何かほしいものがあれば通販といふのには驚いたが中国でも拠点となるのが浙江省の何とかといふ小鎮。経済成長を謳ふ政府もネット通販後押しで首相が訪れるほどの田舎町にネット通販の会社がいくつもあり一攫千金狙ふ若者が全土からこゝに集まる。その影には「大学は出たけれど」の就職難もあり。それにしてもこの番組で驚いたのはアイデア商品売るのならまだしも近所の問屋で仕入れた何の変哲もないTシャツや詰まらないダサいデザインの携帯電話のカバーなどをネット通販で売る方も売る方なら、そんなTシャツを1枚60元で買ふ消費者もゐるのだから。

⇧記事の書き方が良くない。江戸城天守閣については記録も残っているが、天守閣は二度焼失しており、現存する天守台は元々の場所から移り新しい天守閣を建てるために造られた基礎建築のため、そこに史料を元に天守閣の「復元」はできない、ということ。⇧アタシが15年ほど前に香港外国人記者倶楽部(FCC のメンバーになってメインバー横のラウンジでいつも午後遅くなると「このテーブルは20時までClare Hollingworth女史専用」と札が掲げられ、ご本人が現れなくても、その時間はどんなに混雑しても空けてある。そこにCH刀自が女中の手をかりながら現れ白ワインを飲みながらラウンジのモニタで常時流れてゐるBBCワールドサービスのニュース番組の音声をヘッドフォンで聞きながら何か独り言なのかもぐもぐと口を動かしながら聞いてゐる。痴呆症も進み女中への注文は理屈っぽく、そこで女中から読んで聞かされてゐたFTの週末版で英国の故郷のLeicester近郊のKnightonが特集記事になつてゐた時は、その頁を「くれ」と給仕に強請り「これは回覧用で保存する新聞なので差し上げられない」と言はれても呆けもあり「やだ、やだ」とゴネて結局、給仕も諦めて、その新聞を上げたのを眺めてゐたが、それも最早回顧談。晩年は彼女の口座の管理を預かる知己がかなり勝手な出納をされたり難儀。それにしても英国のデイリーテレグラフの記者としてポーランド駐在となり1週間も経たぬ1939年8月末にKatowice(プロイセンドイツ帝国領→第一次世界大戦後はポーランドに割譲)で英国総領事の外交車両を借りてドイツ領に写真フィルムやワインなど買出しに出かけGleiwitz(現在はポーランド領)でドイツ軍の戦車集結を見てポーランドに急ぎ戻り総領事に報告の上、それが8月29日のデイリーテレグラム紙の特報となり第二次世界大戦勃発を告げたといふ、現代史のとんでもない一瞬に遭遇したのがHollingworth記者。戦後も戦場取材を続けベトナム戦争を経て80年代から香港に住まはれる。FCCでは彼女の記者としての経歴を表しての特別待遇。FCCのラウンジでその尊顔を幾度と拝して何度かワケのわからないことを語りかけられた。FCCの刀自の専用卓はもうだいぶ前から刀自が寝たきりになりFCCにも来られないことで専用の仕来りも失せてゐたが昨晩はさふいへば、その卓はR.I.P.で追悼といふやうなこともなく誰か客が坐つてゐた。FCCによるObituary(こちら)。