2023年に読売新聞で連載された「時代の証言者/楳図かずお 『怖い!』は生きる力」を再構成し、大幅加筆。伝説となったユニークなエピソード満載で、生前の著者が自ら語り、聞き手の記者が可能なかぎり裏付け調査をおこなった「決定版自伝」。美麗な絵柄とトラウマ必至のホラー描写。怖いだけでないすぐれた心理描写に、宇宙規模の圧倒的なストーリーテリング。多彩な「楳図ワールド」を縦横に語り、解説する。デビュー前の回覧肉筆同人誌「漫画展覧会」の貴重なカラー図版も収載。
1970年代はじめに生まれた僕は、『まことちゃん』で、はじめて楳図かずおさんのマンガに出会いました。
おどろおどろしい絵柄と「なんだこれは」と置きざりにされる理解困難なストーリー。でも、楳図さんのマンガには一度観てしまうと目を離せなくなるようなインパクトがあって、僕も「グワシ」の指の形をなんとか自分でやってみようとしたものです。
僕には、楳図さんの「怖いマンガ」のイメージはあまりなくて、「他の作品とはページの雰囲気が違う、独特なマンガを描き続けている個性的な人」で、正直、「ネームバリューはあるけれど、『サンデー』とかでそんなに売れてなくても連載が打ち切られない大御所なんだな」と思っていたのです。
1990年代くらいからは、マンガの「絵」が劇的に進化していった時代で、楳図さんの絵は、「独特のおどろおどろしさがあるけれど、ちょっと古い」とも。
2020年代に見ると、かえって絵の個性が際立ち、ストーリーの壮大さに魅了されるのですが、ご本人もこの自伝のなかで仰っているように「アニメ化に恵まれなかった」こともあり、その風貌やボーダー柄の服は知っていても、読んだことがあるのは『まことちゃん』と『漂流教室』くらい、という読者も少なくなさそうです(僕も似たようなものですが)。
この本、楳図さん本人へのインタビューに取材者による事実関係のチェックをした『読売新聞』の2023年の連載記事をまとめたものがベースになっています。
基本的に、楳図さんが語ったことが収められているのですが、聞き手のファクトチェックでは、本人の記憶と時間的に矛盾があったり、楳図さんが編集者にされたことと証言している内容に、その編集者は「そんなことをやった記憶はない」と否定したりもしているのです。
取材時の楳図さんは80代半ばで、お元気で、マンガの連載はかなり前にやめてしまったものの、展覧会用の作品も描かれていたのですが、人間の記憶というのは曖昧なもので、忘れられたり、改変されたりするものなのだな、とあらためて感じます(もちろん、密室でのやりとりの場合、言った、言っていない、なんていうのは、どちらの記憶や証言が正しいか証明するのは難しいのですけど)。
この本では、楳図さんのマンガ家、作家生活を、3期に分けて振り返っています。
第1章 恐怖マンガの時代(1936〜1968)
第2章 心理サスペンスの時代(1969〜1981)
第3章 人類滅亡SFの時代(1982〜2024)
楳図さんは幼少期の思い出として、『キンダーブック』という童話の挿絵を描いていた画家の武井武雄さんの話をされています。
武井さんが挿絵をつけた童話で、強烈に覚えている話があります。
ラクダとロバが砂漠を旅している。疲れたロバが「荷物を持ってくれないか」とラクダに頼むが断られる。そのうちロバは衰弱して死んでしまう。ラクダはロバの荷物だけでなく、死んだロバの体まで背負って運ぶハメになる……。
悲惨な話ですよね。僕が生まれて初めて刺激を受けた話です。
たしかに「悲惨な話」ではあるのですが、今の僕がこのあらすじを読んでも「ああ、自分さえ良ければいい、という考えは、結局、その自分も苦しめる結果になるぞ、っていう教訓的な話なんだな」と聞き流してしまうでしょう。
子どもの頃に読んだ話、聞いた話、経験したことというのは、こんなにも人の生涯に影響を与え続けるものなのだな、と考えてしまいました。
僕も幼稚園で読んだ『幸福の王子』という童話がずっと忘れられないのです。
なんてひどい、救われない話なんだ、と当時は怖くなったのですが、『フランダースの犬』のラストと同じで、「キリスト教という背景」を持っているかどうかによって、受け取りかたが違う面もありそうです。
楳図さんの生まれが和歌山県高野町高野山で、育ったのが、多くの伝承が残っている奈良県の山村なんて、あまりにも似合いすぎていて、楳図さん自身が物語の登場人物みたいですよね。
1965年の『ママがこわい』については、こんな話をされています。
「ママがこわい」の恐怖の源泉は、家を一つの閉鎖空間として描いたことです。「ホラーは家の中で起きる、SFは家の外で起きる」というのが僕の考えで、ホラーとSFは本質的に似ているのです。僕の描く家がいつも広くて立派なのは、大きな家具とか、飾ってある絵とか、カーテンとかで、色々怖い演出ができるからです。小さな家だと、怖さも小さくなってしまうんですね。僕自身が、大きな家が好きってこともありますけれど。
楳図さんは、手塚治虫先生の作品に大きな衝撃を受け、だからこそ「いかにしてマンガ家として手塚先生の影響から逃れるか」と考え続けていたのです。
この本の中には、藤子・F・不二雄先生から聞いたという、「手塚治虫先生が、楳図さんをどう見ていたか」が伝わってくるエピソードも出てきます。
また、楳図さんはもともとSFを描きたかったそうなのですが、マンガ雑誌の編集部からはSFはウケが悪く、「恐怖マンガ」に活路を見いだしていったそうです。
代表作のひとつ、『漂流教室』での描写について、楳図さんはこう仰っています。
──翔(主人公の少年)にとって残酷な「通過儀礼」も描かれた。
少ない食料をめぐって子どもたち同士の争いが始まり、応戦した翔は相手を殺してしまいます。少年誌ではきつすぎたかもしれませんが、翔が「もう母親のいる過去には戻れない」と決心するために、必要な場面でした。
子どもが殺し合うシーンは大人からかなり批判も受けました。でも、ここはこの作品の命なんです。子どもは大人と違って純真だから、そういうことは起こらないと考える方が非現実的だと思う。僕は描くべきものは描く。後は読者に判断してもらうしかないと思っています。
──そもそも、子どもとは何者なのか?
僕の答えは「とんでもない存在」です。
子どもは何をするかわからない、怖い存在です。でもそれは、大人にとって心強いことでもあるんじゃないでしょうか。時には大人が頼りにできるほどの強さが、子どもの中に潜んでいるんですから。
とんでもない存在に向けてマンガを描こうと思ったら、とんでもない話にするしかない。そこが面白いんです。
僕は、ずっと子供のためにマンガを描いてきたつもりです。生涯「子どもマンガ家」何ですよ。媒体が少年誌でも青年誌でも関係ない。基本そこは変わらない。そこが他の作家と違うところだと自負しています。みんな年を取ると、大人マンガの方に行っちゃうからね。
人類が新しい段階に進化するためには、子どもから始めなくちゃいけないんじゃないか。大人のままじゃダメで、一度子どもに戻らなければいけないんじゃないか。
僕は以前、「笑い仮面」で「逆進化」という言葉を出しましたが、「子どもは怖い」ともどこかでつながっています、このテーマがさらに、「わたしは真吾」(1982年)や「14歳」に発展していきます。
楳図さんは、子どもを美化、聖域化することはなかった。
そして、その純真じゃないところも含めて、子どもの持つ可能性に魅入られてきたのです。
思い返してみると、僕自身の子ども時代も、けっして「純真」などではなく、自分が欲しいものを手に入れたり、起こられるのを回避するために、当時の自分なりに手練手管を尽くしていました。
楳図さんは「ずっと子どもでいたい」という願いを持っていて、それは「ずっと『可能性』を持った存在でいたいということかもしれない」と仰っています。
楳図かずおさん本人への新聞での連載インタビューが元になっているので、スキャンダラスな話はほとんどなく、個々の作品を詳細に語るというよりは楳図かずおというマンガ家の履歴を概観していく、という内容です。
紙の本には(いまのところ紙の本しか出ていないのですが)、貴重な初期作品がカラーで掲載されていたり、主な作品の印象的なコマが収録されていたりもしていて、楳図かずお史、日本のマンガの歴史の貴重な史料でもあると思います。
読んだことがないマンガでも、1コマだけで、「あっ、楳図かずおだ」と多くの人が確信するであろう、圧倒的な個性を持ったマンガ家の思考の一端を知ることができる本です。手元にずっと置いておきたい。
やっぱり楳図さんってすごいな、というか、僕の理解できる範疇を超えた天才で、唯一無二のアーティストだよなあ、としか言いようがないけれど。
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