田丸徳善ほか「高等学校 倫理 改訂版」数研出版


 倫理の教科書からの引用。1997年検定済。
 名文である。オイラはこの文章にほれ込み、授業の担当でも何でもなかったのだが、前任校では、高校生と一緒に補習と称して一年間の特別授業をやったりした。高校生にとっては少々難しい文章を、呻吟しながら読み解いていくことで、目の前が大きく開かれていく。


 ただし、学習指導要領がかわり、教科書がかわったおかげで、もうこの名文が学ばれることはない。簡単になり、スピリットはかなり薄められた。福島第一原発事故で「人間理性で統御できない現実」があることを、我々が思い知った今こそ、こうした文章こそを読み直すべきだとオイラは改めて思う。


 本文では、人間理性を問い直す試みとして、ニーチェフロイトユングソシュールベルグソンフーコーハイデッガーレヴィ=ストロース、キリコ、ジェームズ、サルトルウェーバーヴィトゲンシュタイン、ハーバマスなどが挙げられているが、現代思想を概観するということは本論の趣旨とそれるので割愛した。


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第1章 現代社会の特質と人間
 現代社会を生きる人間
 1 理性的人間像への反省


近代人と理性 
       近代の理性的な人間観とはどのようなものか。


 古代ギリシャの哲学者たちは万物の根源を求めた。心静かに自然の秩序を観想する理性的生活が理想の生き方とされた。古代イスラエル人は、自然の秩序のうちに「神のわざ」を見た。神のわざは人間理性を超えており、信仰によって感ずるしかないものであった。古代の人々は人間を超えた力を感じ、それに従って生きようとつとめたのである。


 それに対し、近代科学は自然の根源や神のわざについては語ろうとはしない。近代科学の見いだす自然法則は、現象相互の関係が数量によってあらわされたものであり、人間の生き方を導くものではない。人間は自分自身の方法に従って自然界の秩序を認識する力を持つとともに、自分の力で自分の生き方を秩序づける力をもつと考えられるようになった。そのような理性が一人ひとりに備わっているということは、近代人の確信となる。近代科学の発展は、同時に人間がみずからの力と尊厳を自覚していく過程であった。


 こうした人間観は、封建的な身分制度を打破し、民主的な社会制度をつくりあげていく力でもあった。フランス革命のさなかに出されたフランス人権宣言(1789年)は、人間は譲り渡すことのできない人権をもつことを高らかに宣言した。一人ひとりがみずからの責任において態度を決め、理性に従って行動する人格とされ、個人相互の合意によって社会制度が定められるべきだとされたのである。近代市民社会の形成の途上では、個人の自由と社会の秩序は調和が保たれると考えられ、人間が理性によって矛盾を解決していくであろうと考えられた。


 理性と人間への疑問 
   理性と人間への信頼をゆるがすような、どんな状況が生まれているのであろうか


 しかし現代では、かつてのように人間理性を信頼し、進歩を信じることのできない状況が広がっている。二度の世界大戦は、科学技術の恐ろしい一面と、人間理性が統御できない現実の重さを感じさせた。環境を変革する人間の力の拡大は、現在見られるうような環境破壊をもたらしている。こうした現実の下で、理性的な人間像そのものが批判されることになる。すべての人間に共通に備わる理性というものがはたして存在するのであろうか。人間は実際にそれほど理性的に生きているのであろうか。理性とか人間という概念そのものを、問い直す必要があるのではなかろうか。


(略)


未来への模索
    共通の価値観が失われつつある現代、私たちが課題とすべきことはどういうことであろうか。


 20世紀も終わろうとしているが、現代人は将来の目標を見失っているように思われる。近代民主主義の成立期においては、人間の理性を啓発することが豊かな未来を開いていくと考えられたが、現代人はもはやそのような楽観的な見方をとることはできない。近代社会のさまざまな問題が感じられはじめたとき、社会主義社会に明るい未来を託したマルクスの思想は多くの人びとに影響を与えた。しかしその理想も今や色あせたものとなっている。環境破壊や文明の荒廃を前にして、私たちは未来に希望よりもより多くの不安を感じているのが現状である。


 しかし、時代の転換期はつねにそうだったように、既成の価値観がくずれることは、新しい未来への模索のはじまりである。近代ヨーロッパで醸成された科学精神、人間の尊重、民主主義などについてはさまざまな疑問が投げかけられているが、人類はそれらを捨てさってしまえるほどの域に達してはいない。ヨーロッパで生まれた理性や人間の概念が批判されるとしても、こうした批判をおこなうのもまた理性や人間の力なのである。価値観の多様性を認めつつ、相互に批判しあえるような状況をつくり出すことが、私たちの当面の課題であろう。