●昨日からのつづき。『精読 アレント全体主義の起源』』(牧野雅彦)、第四章「全体主義の成立」より、引用、メモ。(ア)は、アレントからの引用部分の孫引き。
●第三節「体制としての全体主義」から。
●運動体としての全体主義とその矛盾(の解消としての「二重化」)
《運動と区別された意味での全体主義体制はアレントの定義上ありえないし、その意味では「全体主義体制」という存在自体が矛盾をはらんでいる。》
《(ア)政府と運動が同時に存在することに内在する困難、全体主義的な要求と限られた領土の限られた権力との共存、他国の主権を相互に尊重する国際的礼譲に表向き加わることと世界支配の要求との共存に内在する困難を解決するのに、その教義の元々の内容を削除するのにまさる方法はない。》
《「廃止しないが無視する」。憲法に対するこうした態度は、全体主義運動がナチ党や共産党の綱領に対してとった態度と軌を一にするものであるが、そのことは、全体主義がその本質において運動体であったことを示している。彼らは、運動そのものを規制するような規範を忌避すると同時に、公式の国家とその機構もあくまで運動のための手段として利用する。そうした態度が典型的に現れるのが、国家機構のいわゆる「二重化(duplication)である。》
ナチスは権力掌握前から国家と並行して党を組織していた。たとえばワイマール共和制の邦や州の地域編成に対して、行政区分とは必ずしも一致しない独自の「ガウ」(大管区)を編成するというように。国家と党のそうした二重組織は一九三三年にナチスが権力を掌握した後も存続するばかりか、事実上は国家の公式機関を有名無実化することになる。》
●二重化から多重化へ
《運動をその本質とする全体主義は、権力の掌握の後も、いや権力掌握の後にこそ、外部世界との緩衝装置として利用できる公式の国家を必要とするのである》。
ナチスは旧来の州の区分に加えて「ガウ」を設立しただけにとどまらず、さまざまな党組織ごとに別の地域区分を実施した。その結果、SAの地域単位はガウとも州とも合致せず、さらにSSは別の区分を採用し、ヒトラー青年団の場合と同様に、職務の多重化は権力の恒常的な移動にとって非常に有効な手段となる。それゆえ、全体主義体制が権力にとどまる時間が長期化すればするほど、職務の数は増大し、それだけ実際の職務の運動への依存度は高まることになる》。
《ここでは権威主義体制におけるように権威は政治体の最上部から中間段階を経て最下層へと浸透してはいないのである。(…)その意味において全体主義とその体制は、通常の政治体には常に存在するさまざまな党派や派閥とその権力闘争、権力をめぐるゲームとはまったく無縁の存在である。》
《体制内権力集団としての支配的な徒党がまったく欠如していること、少なくとも運動と体制の運営に顕著な役割を果たしていないことは、体制にとっては確定した後継者の不在という深刻な問題をもたらすことになる。》
●効率の無視、全体主義体制は国家ではなくグローバルな(拡張をつづける)運動体であること、公的な「秘密の部分」の必要性。
全体主義の支配する体制においては、統治機構としての効率は無視される。ソビエト・ロシアの当時の経済状況では、奴隷労働のような労働力を浪費する余裕はなかったし、技術的熟練が深刻に不足していた時にもかかわらず強制収容所に「高度な資格のあるエンジニア」を収容している。純粋功利主義的観点からみれば、一九三〇年代の粛正は経済回復を遅らせ、赤軍の参謀スタッフの壊滅は、フィンランドとの戦争をほとんど敗北に導くことになった。》
《(…)全体主義国家構造の反功利主義的性格に対するわれわれの当惑の原因は、ここで扱っているのは結局正常な国家---官僚制、専制、独裁といった---だという間違った観念にある。自分たちがたまたま権力を握るようになったこの国は国際的運動の一時的な司令部にすぎないし、グローバルな利益はつねに自国領土の地方的利益を上回るのだと強調しているのを見逃している》。
《かくして権力掌握後も運動の論理と組織の基本構造は維持されることになる。フロント組織における党員と同伴者の間の区分は解消されるどころか、あらたなシンパとして組織された住民全体との「調整」の問題に拡大されて再現される。党とシンパの関係が玉葱状に重層化され、それぞれが外部に対するファザードになるという運動の階層構造は維持され、国家機構全体がいわば同伴者官僚となり、市民と外部世界とのファザードとなるのである》。
《ただし違っているのは、権力を掌握した全体主義的独裁者はその嘘をより一貫して、かつより大規模に実行できるし、また実行せねばならないことである。》
《そこから逆説的に権力掌握後の組織の秘密結社化が生ずる。ヒトラーは権力掌握以前にはナチ党やそのエリート階層を非合法の謀略集団として組織することに抵抗していたが、一九三三年以降はSSを一種の秘密結社に転換しようとした。つまり権力掌握前にはヒトラーは彼らの真の目標を隠そうともしなかったが、掌握後にSSを「白日の下の秘密結社」としたのである。(…)全体主義運動の構造は、正常な世界との重層的な緩衝装置を通じて、運動の目標と外部世界との関係を調整することにその本質があった。したがってその運動そのものが権力を掌握して公然化し、みずから公的体制になったとき、かえって正常な外部世界との距離を維持する秘密の部分が必要になるとアレントはいうのである。》
●虚構という理想主義
《(…)全体主義イデオロギーはすべて虚構であり、全体主義の組織構造はそういった虚構と嘘をもって外部世界を騙し、支持者大衆を動員する手段にすぎないとはいいきれない(…)「決定的なのは全体主義体制が彼らの外交政策を、いつかはそうした究極目標が達成できるという一貫した想定の下に展開し、どんなにその実現が遠く思われようと、そうした『理想』要求が現在の必要性とどんなに深刻に相反しようとも、けっしてそれを見失わなかったということである。したがっていかなる国も彼らにとっては永遠に外国なのではなく、反対に、潜在的な自国領土と見なされたのである」》。
《(ア)無慈悲というよりは直接的な結果を全く度外視すること、ナショナリズムというよりはどこにも根づかず国民的な利益を無視すること、自己利益の無遠慮な追求ではなくむしろ功利的動機そのものを軽蔑すること、権力欲ではなく「理想主義」、つまりイデオロギー的に仮構された世界に対する揺らぐ事なき信仰なのである---これらすべてが国際政治に新しい要素、たんなる侵略性がもたらす以上の錯乱要素を持ち込んだのである。》
●秘密警察
《権力を掌握した全体主義が国家を非全体主義世界に対して国を代表するファザードとして利用するとすれば、多重化した官僚と錯綜した権限の背後に存在する唯一の権力核が警察=秘密警察である。》
《(ア)唯一の権力機関としての警察の役割に対する強調と、これに対応して外見上は大きな権力武器倉庫である軍に対する軽視、これはあらゆる全体主義の特徴であり、部分的には世界支配への全体主義の野望と外国と自国、対外的事項と国内事項の区別の意識的な廃止によって説明できる。》
全体主義下の秘密警察の対象となるのは具体的な反政府活動や抵抗などの容疑者ではなく、潜在的に危険な思想をもった要注意人物でさえない。対象となる者の主観的意図の如何にかかわらず、全体主義イデオロギーとそれに従った政府の政策によって自動的にカテゴライズされる敵なのである。》
《(ア)当初のイデオロギー的に決定された運動の敵が根絶された後にも潜在的な敵のカテゴリーは生き残り、変化した状況に応じて新たな敵が発見される。ナチスユダヤ人の絶滅の完成を見越して、ポーランド人の清算のための準備措置をとっていたし、ヒトラーはドイツ人の特定カテゴリーの殲滅さえ計画していた。》
《秘密警察は全体主義国における唯一の公然たる支配階級となり、その価値基準が全体主義の社会全体に浸透することになる。》
《(…)全体主義国において唯一厳密に擁護された秘密、唯一秘教的な知識こそ、警察の機能と強制収容所に関するそれなのであった。》
強制収容所、身をもってそれを体験していない者だけが、それについて考え得る。
《人々を強制収容所と人間そのものを絶滅へと導く過程は次のような段階を経て進行する。》
《まず最初の段階は「法的人格」の剥奪である。特定のカテゴリーの人間が法的保護から排除さる。他方で、強制収容所が正常な処罰システムの外におかれることによって、収容対象者が通常の司法手続きの外に置かれる》。
《次に行われるのが「道徳的な人格」の破壊である。犠牲者に対する家族や友人による追悼や追憶は禁じられ、その存在それ自体が忘却・抹消される。かくして犠牲者は匿名化され、収容者の生死自体を知ることが不可能になり、死は個人の一生の終わりという意味さえ奪われる。》
強制収容所の経験は人間の想像力を超えている。収容された者は「生と死の外側」に存在していて、その実体が「完全な形で報告されることはない、その理由は、生き残った者たちが生の世界に帰ってきても、自分自身の過去の経験を信じること自体が難しくなるからである」》
《(ア)全体主義的支配が論理的にいきつく制度が強制収容所であるとするならば、全体主義を理解するためには「恐怖について考え続ける」ことが不可欠であるように見える。だがそのためには回想録も伝達能力に欠けた目撃者の報告以上に役に立つわけではない。どちらの場合にも、経験したことがらから逃れようとする傾向がそこにはある。(…)身をもってそれを体験していないが、そうした報告に感情をかき立てられる者、つまり獣のような絶望的なテロルからは自由な者のする恐ろしげな想像だけがそうした恐怖について考え続けることができるのだ。本当にそうした恐怖に直面すればたんなる反射的反応以外のすべては麻痺してしまう。》