Goodwood Festival of Speed 2011 SPORTS PROTOTYPES Part6


1972 FERRARI 312PB
180度V12気筒 2991cc 440ps/10800rpm
 1967年の終わりにFIAは突如、耐久レース世界選手権の規約を変更し、プロトタイプの排気量は3リッター以下となった。明らかに大排気量の FORDの締め出しを狙ったものだが、それまで5リッターマシンでチームを構成していた FERRARIは、とばっちりを受けることになる。突然の発表に Enzoは激怒し、68年はスポーツカー耐久レースを放棄、F1に専念することとなった。しかし68年のF1における FERRARIは FORD-DFVエンジンの後塵を浴びるものとなりコンストラクターズ・チャンピオンシップでは4位で終わることになる。世間では FERRARIが耐久レースに復帰するのは時間の問題と考えていた。
 1968年12月14日、FERRARIは記者会見にて3リッターのプロトタイプ 312P(3リッター12気筒の意)を発表する。エンジンは既にF1で採用されていたものであったが、突然の発表は当時の報道関係者も予想せず、驚きを隠せなかった。
 ところで耐久レース世界選手権の規約には抜け道があった。連続した12ヶ月に50台以上を生産したマシンには5リッターまでの排気量が認められたのである。PORSCHEと FERRARIの2大メーカーはFIAの予想を越え、5リッターマシンを投入、耐久レースの主役となってしまったのである。PORSCHE 917の全盛の70年に FERRARIは 512Sを投入、速いマシンであったが信頼性に欠ける問題を抱えていた。512Sはプライベーターに販売されたが、その間、秘かに FERRARIは 312Pを開発していたのである。採用された 60度V12エンジンは、1970年に 312BとしてF1にデビューしたエンジンのベースとなった。Mauro Forghieriにより設計された 312Bのエンジンは、70年代のF1に於いて、最も成功したエンジンといわれるものである。
 FIAは70年の春、72年から耐久選手権の排気量を3リッター以下とすると決定した。そこで FERRARIは 512Mの開発作業を打ち切り、Forghieriの水平V型3リッターエンジンの 312PBを開発するのである。
 Forghieriの水平V型エンジンの外観は、水平対向エンジンの体を成しているが、その違いはクランクの形状と点火シーケンスにある。水平対向は左右のピストンは同じ動きをする(左が上死点に達した時には右も上死点にある)、そのため往復運動を回転運動にかえるクランクシャフトのピンを、一気筒ずつ備えることになる。水平V型は左右のピストンがクランクピンを共有する。そのため、左右ピストンが一体となったかのように、ひとつの動きとして往復することになる。FERRARIが過去に採用していた 60度V12に対する 180度V12の大きな利点は、エンジン高を低くできることにある。これにより車高を低くすることが可能になり、重心の低下による空力性能とコーナーリング時の安定に貢献する。また振動が出やすくなるという欠点もあるが、その反面、クランクシャフトを短くすることによる剛性の向上と、クランクケースの圧力の関係から高回転に向くという特性を持つことになる。
 技術的には 312PBは水平対向エンジンを搭載してはいないが、ForghieriのV12を搭載したマシンには“B”(Boxer)の称号が付された。シャシーはアルミ製モノコックでエンジンとリアサスペンションはアルミ・モノコックにボルト付けされたスチールフレームに取りつけられ、強度構造材の一部を成している。サスペンションは前後ともF1のものを使用、ボディーはFRP製で、312PBは耐久マシンの皮を被ったF1といえるものであった。

 71年シーズンにデビューした 312PB。開幕戦の Buenos Aires1000kmにて、アクセル全開で追突した Ignacio Giuntiの死亡事故は悲惨なものであり、悲劇のデビューとなった。シーズン最高の順位は BOAC1000㎞での2位。信頼性の問題や不運は終始 FERRARIに付きまとい不本意な結果となった。しかしながら、5リッターの怪物相手に2度のポールポジションを奪うなど、そのポテンシャルは実証された。

 72年シーズンでは前年の反省を元に、主に耐久性に主眼が置かれ改良された。チームの所属ドライバーもJacky Ickx, Brian Redman, Arthuro Merzario, Tim Schenken, Mario Andretti,Ronny Petersonという最強の布陣で FERRARIはレースに臨んだのである。
 開幕戦の Buenos Aires1000kmで 312PBは Schenken / Peterson組により初めての優勝により、幸先の良いシーズン・スタートとなった。その後も 312PBは連戦連勝を続け、不参加だったル・マン(本戦10日前に不参加を決定した)を除くすべてで勝利、見事 FERRARIコンストラクターズ・チャンピオンの栄冠を勝ち取ったのである。